« 『播磨国風土記』を読む その十四 「韓荷島」のこと | トップページ | 姫路城全景を、どこから見るか »

2014年6月21日 (土)

『万葉集』の唐荷の島の歌

『播磨国風土記』に、唐荷の島について書いてあることを記した。今回は、『万葉集』で、その唐荷の島について詠った歌を備忘録として記す。それは山部赤人の歌。現代で言う出張を命ぜられて、心細い瀬戸内海の船旅をしながら(どこに向かって行っていたのかは不明。四国辺りだと云われている)、大和に残してきた妻を懐かしむ歌だ。

「唐荷の島を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首」

 あじさはふ 妹が目離れて 敷栲(しきたえ)の 

 枕もまかず 桜皮(かには)巻き 作れる舟に

 真楫貫き 我が漕ぎ来れば 淡路の

 野島も過ぎ 印南都麻 唐荷の島の

 島の際(ま)ゆ 我家を見れば 青山の

 そことも見えず 白雲も 千重になり来ぬ

 漕ぎたむる 浦のことごと 行き隠る

 島の﨑々 隈も置かず 思ひぞ我が来る

 旅の日(け)長み

「あじさはふ」と「敷栲(しきたえ)の」は、それぞれ「目」と「枕」の枕詞。訳としては、「愛しい妻と別れて、枕も交わすこともできず、桜の皮を巻いて作った船に櫂を貫き、漕いで来てみると、淡路島の野島を過ぎ、加古の印南都麻も過ぎ、唐荷の島にやっと着いた。その島の間から、妻のいる、我が家の方を見やると、青々とした山しか見えず、空には白い雲が、幾重にもなっている。漕いで浦々や、進むと隠れてしまう島の﨑々も行けばいくほど、旅が長くなるにつれて、故郷の家のことがますます忍ばれる」てな感じ。

それに対して、反歌三首があるが一首のみ掲げておこう(*注)

 玉藻刈る 唐荷の島に 島廻(み)する

  鵜にしもあれや 家思はずあらむ

「玉藻刈る」は、海の景色に対する枕詞。唐荷の島に対するイメージを湧かせる。実際に玉藻を刈っているかどうかは、関係ない。訳としては、「唐荷の島々で遊んでいる鵜だったらいいのになあ。鵜ではないから、家のことを思わないでいられない」という望郷の気持ち。

瀬戸内海は、日本海や太平洋と比べれば、波は、そんなに高くないと言えるが、当時は、瀬戸内海と言えども、小さい船で航海することは大変だったようだ。それに海賊のようなものも出ていたろうから、ある意味、命がけ。彼が心細く感じて歌にしているのがよく分かる。

昔は、旅をするのも命がけ。現代であれば、未開の世界を航行するようなのに近いかもしれない。

*注

他の二首は次のようになっている。

 島隠り 我が漕ぎ来れば 羨(とも)しかも

  大和へ上る ま熊野の船

(自分たちとは行く方向が逆の大和へ向かう船を羨ましがった歌)

 風吹けば 波か立たむと そもらひに

  都太(つだ)の細江に 浦隠り居り

(風が吹いて波が立った来て、様子を見るため、都太という細い入江に停泊している様子)

|

« 『播磨国風土記』を読む その十四 「韓荷島」のこと | トップページ | 姫路城全景を、どこから見るか »

姫路と播磨」カテゴリの記事