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2014年7月31日 (木)

パチンコの公営ギャンブル化

パチンコに「パチンコ税」なるものの検討が、一部政治家の方から出ているようだが、なんでも税金をかければいいというものではないだろう。ここは、むしろパチンコの公営ギャンブル化の検討の方が望ましいのではないか。

こういうことを言えば、所轄官庁が異なるので、官庁同士の綱引きがあるかもしれない。それぞれの天下り先をめぐってのいつもの争いだ。

だが、凡そ、ギャンブルは「公営化」が望ましいだろう。今、話題になっているカジノにしても、民間がやるより公営が望ましいのは明らか(*注)。

現在、パチンコ産業の運営には、各種公的介入はあるにしても、中途半端だ。はっきり公営ギャンブルと認めてしまえばと思う。後は官庁同士の「実入り(利益)」の配分だけだろう。そこに政治が介入すれば、ややこしいが。

*注

個人的には、「カジノ法案」には反対だ。仮に民間で運営すれば、ノウハウのない日本から金が流出することは明らかだし、「裏カジノ」の問題もあり、健全な遊びにはならないだろう。

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2014年7月29日 (火)

提供者責任ということ

某大手ハンバーガーチェーンと某大手コンビニが、中国で作られた不衛生な加工品を輸入して販売し、問題になっている。現在のところ、マスコミは、問題を起こした中国企業に焦点を当てて報道しているが、それはそれで問題だが、それを販売した某大手ハンバーガーチェーンと某大手コンビニに品質管理責任が問われる。

消費者にすれば、これらの企業が、どこで作ろうと問題にしていない。いかに安全で衛生的な食品が提供されているかが大事だ。その点で、これらの企業は怠慢であったと言える。中国の企業は、今回問題を起こした企業に限らず、今までにも各種問題を起こしており、リスクが大きかったことは分っているはずだ。

大体、サンプル品は、要望の物を提供しても、本番では手を抜くというのが彼らのやり方。これは中国の企業に限らず、アジアの企業で昔から延々と続いている。要するに、そういう体質なのだ。そういうところに仕事を任せるには、それなりの覚悟をしなければならない。

今回、問題になった企業は、その点で甘い認識があったのだろう。机上の利益面だけで判断すると、そのしっぺ返しは大きい。流風は、もともと、これらの企業の商品は利用していないが、幼児、学生を抱える親は、相当に注意する必要があるだろう(*注)。

これらの企業の信用回復には、相当時間がかかるものと思われる。それにしても、マスコミは、これらの企業から仕事をもらっているためか、その面の報道は甘い。

*注

いずれにせよ、小さい子どもを抱える家は、外食や中食を避けるに越したことはない。あるいは、国内産を使っていると表示している外食や中食に限定して使用することが望ましい。それでも、ペストは内食だろう。親の作った料理は子どもに一生記憶として残るし。

*平成26年7月29日追記

某大手ハンバーガーチェーンの社長は、一応謝罪していたが、そういう雰囲気には見えなかった。運が悪かったぐらいにしか考えていないのだろう。とても真に反省しているとは思えない。形だけの謝罪だろうね。この企業は、もう終わりだ。

*平成27年1月08日追記

某大手ハンバーガーチェーンが、今度は各地で異物混入事件を起こしている。話を聞いていると、従来から発生していたが、表沙汰になっていなかったことのようだ。ファストフードは、一般的な飲食業とは異なる。セントラルキッチンとショップ販売から成り立っている。これは、ファストフードは基本的に製造業なのだが、経営者に、その意識が低いようだ。

よって、その品質管理は、従業員を巻き込んだ、絶えざる改善活動がなければならないが、この企業は、従業員を単に道具として使っているから、従業員に主体性はない。ということは、これが知らず知らず、組織崩壊を招いていると言える。今までの経営方式を改めない限り、この企業の行く末は真っ暗だろう。

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2014年7月28日 (月)

違和感がある姫路城周辺施設

国宝で、世界遺産でもある姫路城周辺には、違和感のある施設がある。それが姫路市立美術館と姫路市立動物園だ。まだ国宝指定のみだった頃は、これらの施設は許されたかもしれないが、世界遺産である以上、おかしな施設であることは間違いない。

まず姫路市立美術館は、建物が煉瓦造りの旧陸軍の倉庫であった。よって姫路城とは何の関連もない。催し内容も、観光客が期待するものは、ほとんどなく、強い違和感を覚える。確かに、明治維新の時、姫路城を遺すに当って、陸軍軍人の貢献はあったにしても、姫路城とは歴史も違うし、よくこれで、世界遺産として認定したものだと思う。

早期に移転が望まれる。それに、本テーマとは異なるが、そもそも姫路市として美術館を持つべきかも、考える必要がある。現在までの展示を見ると、姫路市とはあまり関係のない展覧会も多いし、コンセプトもなく、全体としての統一性にも欠ける。

現代美術を中心にするのなら、この美術館を発展的に解消し、どこかに移転し、播磨の県立美術館にする必要があるかもしれない(それは兵庫県は、神戸周辺に文化施設が偏っているからだ)。いずれにせよ、場所は変える必要がある。

もうひとつの動物園は、昔からあるから、当たり前のように思っているかもしれないが、現在も、姫路城周辺にあることがおかしい。それに動物独特の臭いがするし、あまり宜しくない。ここも早期に移転すべきだろう。その跡地は、せいぜい馬場にするくらいが許されるだろう。

いずれにせよ、これらの施設の移転・改廃が求められる。

*追記

その他の施設も、違和感を感じるものもないではないが、以上の2施設ほどではない。

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2014年7月26日 (土)

セラミック製大根おろし器への変更

大根おろしが好きだった父の影響で、大根おろしが大好き。毎朝、食卓に上る。長年、アルミのおろし金を使ってきたが、そろそろへたってきたので、買い替えることにした。今回、購入したのは、セラミックおろし器。

だいぶん前に、知り合いの女性から紹介された物を思い出して購入。直径20センチと大きい。今までと違って、大根をぐるぐる回しながら摺って行く。割とおろしやすい。これなら、もっと早く買い替えるべきだった(*注)。

流風、よく、こういうことがある(好いように言えば、新しい物に、すぐ飛びつかない)。世の中には、便利なものがたくさんあるに違いない。その辺の情報は、主婦の皆さんと違って、少し疎い。

主婦の皆さんは、お互いの情報交換を通じて、いろんな情報を入手・確認しているのだろう。ネットの情報もいいが、人を通じる情報も大切と改めて認識。

*注

ただ、保管場所に若干場所を取るというのが、少し難点と言えば難点。

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2014年7月25日 (金)

「足るを知る」 『老子』第四十四章

前回、『老子』の第四十六章を「欲張らないこと、足るを知ること」として取り上げたが、話が前後するが 『老子』四十四章の「足るを知る」の一文を取り上げる。読み下し文は、以下のようになっている。

 名と身と孰(いずれ)が親しき。

 身と貨と孰が多なる。

 得ると亡(うしな)ふと孰が病しき。

 是の故に甚だ愛すれば必ず大いに費ゆ。

 多く蔵すれば、必ず厚く亡なふ。

 足ることを知れば辱められず、

 止まることを知れば、殆(あや)ふからず。

 以て長久なるべし。

敢えて解釈すれば、次のようになるだろうか。

「名誉と命と、どちらが大切であろうか。命と財宝は、どちらが重いだろうか。名誉や財宝のために命を失うことは何のメリットがあるだろうか。名誉や財宝に執着すれば、そのために多くのものを失う(言外に、身体や心)。名誉や財宝は、多く積み上げれば積み上げるほど、逆に、多く失うものである。よって、足ることを知っておれば、辱めを受けることもない。ほどよいところで、止めることを知っていると、危うい目に遭うこともない。これが人生の安寧を得る方法である」と。

「足るを知る」は禅僧が広めたが、そもそも中国を経た仏教思想には儒教思想や道教思想は含まれている。かつて日本の知識層には、これらがあった。戦後日本は、米国の合理的思考に呑みこまれて、謙虚さが失われていく(正確的には、明治維新以後、そのような思想に汚されている)。すなわち、多くを得て、多くを失う過ちを繰り返している。今改めて、分相応の「限度」を知ることの大切さを思う。

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2014年7月24日 (木)

爺捨山の話

以前、姥捨山のことを取り上げたが、地域により、爺捨山と云う物語も各地にある。物語と言うより説話に近いかもしれない。元々の話は、中国の故事だと思うが、出典は思い出せない。ただ、話の筋は、姥捨て山が叔母と妻の揉め事であるのに対して、爺捨山の方は、或る国の殿様が老人を嫌うことから始まる。

この殿様は、老人が嫌いだから、老人たちを山に捨てに行けと命令する。はてさて、現代でも、そういうことは起るのだろうか。財政再建厳しい折、老人たちが蔓延り、年金、医療、介護で、国家予算はパンクするから、老人たちは、「山」に捨てよと言われたら、流風、どうしよう(苦笑)。

現実にあり得ないことでもない。既に年金はカットされているし、医療も今後、高い負担を強いられ、確実に受診できないかもしれない。介護も皆受けられる保証はない。歴史的に、いつの時代も、老人が多過ぎると無事ではいられないのかもしれないと思うと、憂鬱だ。

さて、話の方は、殿様から、爺さんを捨てよと命令が来るが、孝行息子は、それができずに、爺さんを分らないところに隠す。食事だけは何とか渡して、爺さんは生き延びた。

ところで、この国に隣国から無理難題を吹っ掛けられる。解けないと侵略するぞと脅してくる。だが、誰もなかなか解けない。そのことを知った孝行息子は爺さんに相談すると、難なく回答する。その答えを殿様に伝え、一応解決するが、隣国は次々と難題を課す(難題は、子どもにも分るような、なぞなぞか多い)。

そのたびごとに、息子は爺さんに相談すると、たちまちに解決して、殿様に伝えると、さすがに隣国の殿様も、「あの国には賢者がいる。このような国に攻め込むと、却って、わが国がやられてしまう。隣国とは友好的にしておいた方がよさそうだ」となった。

殿様は、全ての難題を解決した孝行息子を呼び出し、褒めて、何でも欲しいものを望めと言うと、息子が言うには、「実は、これこれのことは全て隠しておいた爺が教えてくれた。家に置くことを、お許し願いたい」と申し述べた。殿様は、これまでの愚かさを恥じ、これまで山に捨てられた爺さんたちを皆、許し、息子には、たくさんの褒美を与えたとさ、という話だ。

それでは、現代に於いて、爺たちは知恵者たりうるか、という問題はあるにしても、長い人生経験から得ていることも多い。ただ、爺たちに知恵を聞きに来る「孝行息子」は、どこにいるのか。そして、仮に建言して、為政者は、耳を傾けるのか、という問題がある。この話も、色々考えさせてくれる。

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2014年7月21日 (月)

欲張らないこと 『老子』第四十六章

「足るを知る」については、過去に何回も記したが、今回は、「足るを知り、欲張らないこと」を示す一文を『老子』から取り上げようと思う。第四十六章に、その一文がある。読み下しを以下に示す。

 天下道(みち)あれば、走馬を却けて以て糞(たつ)くる。

 天下道無ければ、戎馬郊に生ず。

 罪、欲を可とするより大なるは莫(な)し。

 禍、足るを知らざるより大なるは莫し。

 咎、得るを欲するより大なるは莫し。

 故に足るを知れば常に足る。

短い文章だが、その意味するところは大きい。蛇足で解釈すれば、次のようになるだろうか。

「政治に於いて、天下の政道を正しく歩めば、戦争で使われている馬さえも、田舎の田んぼで働くことになるだろう。歩むべき政道を外し道を誤れば、子を孕んでいる牝馬さえも、戦場に駆り立てられる。

政治が、貪欲になるなることほど、罪深いことはない。足るを知らないことほど、禍を招くものはない。欲深く何でも得ようとするものは、却って、墓穴を掘り、咎めを受ける運命にある。よって、足るを知る者は、自ら禍を招くようなことはしない」と。

これは何を語っているか。基本的に戦争の無残さを指摘している。戦争を起こす者は、足るを知らないから起こすのだと。為政者は、まず足るを知ることが大切。余計な欲を出して、苦しむのは戦争に巻き込まれた時の一般市民だ。

国連の常任理事国入りを意識して、「積極的平和主義」とか、訳の分らないことを言う、どこかの為政者にも読ませたいが、そういう教養は持ち合わせていないようだ。余計な為政者の欲が、国民を不幸にしてきた歴史があることを忘れてはならない。

*追記

為政者の欲としては、権力欲、名誉欲、金銭欲、物欲等がある。また人に認めてもらいたいという「実績」欲というのもあるかもしれない。何もしない政治家は駄目だとされるが、妙に変な欲を持たれると、もっと最悪な事態を招きかねないのも事実である。

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2014年7月20日 (日)

第47代「姫路お城の女王」決まる

神戸新聞によると、第47代姫路お城の女王が決まったようだ。瓦井瞳子さん、永井成美さん、山崎由貴さんの3名。3人共に姫路市在住の大学生らしい。写真を見る限り、現在のお城の女王同様、ふくふくしい。明るく元気そうな、お嬢さん方のようだ。

初登場は、「姫路お城まつり」(8月1日~8月3日)の8月2日で、会場となる大手前公園の市民ステージで披露される。その後は大パレードに参加予定(*注)。なお、大パレードは小雨決行だ。暑いので、扇子か団扇を持参し、帽子は必携。

任期は、今回は、イレギュラーで、9ヵ月間。というのは、来年は、「お城まつり」が5月上旬に開催されるらしい(でも、「お城まつり」はずっと、5月開催でお願いしたいものだ。8月の祭り開催は暑いし参加しにくい)。関心ある方はカメラ片手に是非見に行って欲しい。

*注

今年の「姫路お城まつり」の8月2日には、市民ステージ(大手前公園にて、午後1時より午後9じまで)や大パレード(大手前通りにて、午後2時30分午後8時まで)が行われる。

なお、オープニングセレモニーには、「軍師官兵衛」の後藤又兵衛役の塚本高史さんが特別ゲストとして参加。

まず、例年の如く、ほら貝が鳴り響き、備前岡山城鉄砲隊の演武が夏空を轟かす(多分、時間は午後1時過ぎ)。そして東映の剣会による黒田官兵衛をテーマにした寸劇。その後に官兵衛、長政、二十四騎の登場。黒田家当主もお目見え。それに官兵衛ゆかりの地、姫路・長浜・瀬戸内・福岡・中津の人々がそれぞれアピールするイベントも。

夕方から始まる「歴史パレード」には例年になく力が入る。「燃えよ!官兵衛!熱き夏!」をテーマに、各種パフォーマンスが繰り広げられる。

その他には、「毛槍鋏箱行列」、「千姫輿入れ行列」、「子ども大名行列」等がある。また現在の第46代「姫路お城の女王」が、「督姫」「千姫」「喜代姫」に扮する。

またイーグレ姫路 あいめっせホールでも、各種催しがあるそうだ。なお、8月2日に限って、姫路城、好古園、動物園の入園料が無料。また美術館、姫路文学館の常設展に関しては入館料無料だ。あちらこちらで涼みながら、パレードを楽しむパターンがよさそうだ。

*参考

   第65回姫路お城まつりイベント詳細

   http://www.city.himeji.lg.jp/contents/oshirofes/event/

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二つの「横笛」のこと その六(完)

横笛は、後ろ髪を曳かれながらも、彼の地を去っていく。ただ、一途に思いつめて、彷徨い歩き、無常感から、千鳥ヶ淵という所で、西の阿弥陀如来に手を合わせ、来世では、彼と一緒なることを願いながら、17歳という若さで投身自殺してしまう。通りかがった木こりが気が付いたが、遠くからなので、止めることも、かなわなかった。

このことを滝口のいる庵の近くで、仲間と話していたところ、滝口時頼の耳に入り、もしやと思い、現地に赴くと、大堰川の端に無惨な形で打ち上げられていた。彼女を抱き上げ、こんなことになるのなら、会ってやればよかったと後悔するが、後の祭り。

止むなく、横笛を鳥辺野辺りで火葬し、骨を拾って、庵室に戻り、繰り返し彼女の冥福を祈った。この噂は、京の都に広く知れ渡り、重盛も建礼門院も、感心し、「やさしき者の振舞や。人の契りをなすならば、かやうにこそあるべけれ」と仰ったとか。ついには、寺の造営の話も持ち上がり、滝口は、いつまでも京に居る限り、落ち着いて供養もできないとし、「横笛のために」と高野山に上って修行に励んだと云う。

以上が、『御伽草子』に描かれた「横笛」だ。『平家物語』では淡々と描かれたものも、『御伽草子』では、女の情念というものに強くスポットを当てている。『御伽草子』は女の子向けに作られており、警告書でもあるのかもしれない。

いずれにせよ、二つの「横笛」の物語は、いずれも愛に翻弄された二人の運命を描いた。打算のない若い純愛は美しいが、世故長けた者からは暴走に見える。それを羨ましいと捉えるか、浅はかなことだと思うか。後世の人々には、それぞれ違った角度から教訓になるのも確かだ。

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2014年7月19日 (土)

姫路の「現代美術ビエンナーレ2014展」に行く

イーグレ姫路で始まった2年毎に開催される「現代美術ビエンナーレ2014展」に行ってきた。正式名称は、「第4回 世界文化遺産 姫路城 現代美術ビエンナーレ2014展」と非常に長い。更に、「メキシコとの交流400年」とサブタイトル付き。

但し、あまり感心できない。いろんなところから協賛を得るためだろうが、ちょっと、その辺が見え隠れして、宜しくないと思う。「現代美術」も余計だ。単に「姫路ビエンナーレ」でいい。それで、分る人には分る。妙に不特定多数に分りやすくしようとすると、こんなことになる。

ビエンナーレと聞くと、神戸が大々的にやっているが、こちらは場所も一か所だけだ。こういう催しは、全市を挙げて取り組むべきだろうが、こちらには芸術関係の大学もないし、神戸のようには行かないかもしれない。でも、もう二、三か所の展開は可能だろう。例えば、海沿い、川沿いでの屋外スペースでの展開も有りうる。それに市内には、展開できそうな場所は、他に、たくさんあると思う。

さて、話を戻そう。今年のビエンナーレの作品は、個人的には、割と面白かったと思う。現代美術は、抽象的でなかなか理解しずらい面があるが、見る方は、別に作者の意図を理解せずに、見る側の感覚で鑑賞すれば、それなりに面白い。

だから、対象によっては、多分、見る日によって感想は異なると思う。その時の体調や感情のぶれで見えるものが違うのだ。現代美術は、作者の意図とは離れて、そういう楽しみ方が出来る。そういう意味では、今回は、割と脳を刺激してくれたと思う。

ただ、最初に述べたように、こういった催しは、参加者も、展開する場所も拡げた方がいい。「芸術」に、あまり強くこだわらなくて、もっと気楽な広い「芸術」参加があっていい。幼稚園児、小学生、一般学生、障害者、一般人さえも巻き込んで、「表現」を楽しむことを推進して欲しいものだ。

*参考 「現代美術ビエンナーレ2014展」

    7月27日まで。入場無料。

    図録は500円で販売されていた。

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二つの「横笛」のこと その五

他方、時頼と言えば、『平家物語』に描かれているように、十九歳で往生院に閉じこもり、仏道修行していた。それは、まるで何かを忘れたいがためのように只管打ち込み、周囲も感心するほどだった。その時の心情を常々、次のように詠っていた。

 何とただ 筧の水の 絶え絶えに

   音づれきては 袖濡らすらむ

その心は「筧の水の音は、所々で切れても、また音が始まるように、人の「訪れ」を繰り返し思わせて、昔のことが思い出されて、ただ涙に曇る」と未練を捨てきれない様子かな。

その頃、横笛の方は、時頼の噂を聞いて、仰天する。ただ、彼女は彼に別のいい人が出来て、捨てられたのではなくて、彼が仏門に入ったことで、少し安堵する。それなら、自分も一緒に、その道を歩むべきかなと思うようになる。

そうは思いつつも、あまりの恋しさに耐えかねて、嵯峨の方を彷徨うのは、『平家物語』と同じ。異なるのは、『御伽草子』では、より心の綾を詳しく記している。探し回るが、なかなか見つからないので、次の歌を詠う。

 せきあへぬ 涙の川の 早き瀬は

   逢ふよりほかの しがらみぞなき

「堰きとめられぬ私の涙の流れる川の早瀬は、最早、あの方と逢うしか手立てはありません」といった感じ。この思いは、眠っている間も続き、ついには、夢で、老僧から、現世で会うことは叶わないとも告げられ目が覚める。

それでも、神仏に祈って、その後も探し歩き、漸(ようよ)う往生院に辿り着くのであった。しかしながら、女人禁制のため、会わせてもらえない。ここで、横笛の長々とした「くどき」とも言える恨みの言葉を連ねる。さすがに、滝口は、これでは、あまりにも無慈悲と思ったのか、せめて声だけはと思い、次の歌を詠いあげる。

  梓弓 剃るを恨みと 思ふなよ

   まことの道に 入るぞうれしき

これに対して、横笛は、嬉しさのあまり、次の歌を返しながら、泣きじゃくるのであった。

  梓弓 剃るを何しに 恨むべき

   ひきとどむべき 道にあらねば

次回に続く。

 

 

 

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2014年7月18日 (金)

旧耐震基準住宅の耐震診断に思う

先日、役所から、旧耐震基準住宅の耐震診断の案内があった。診断費の補助と耐震工事の助成の案内だ。流風が住んでいる家は、こちらに引越して来た時、すぐ耐震診断をして、古い家だが、何とか耐震条件をクリアしている。

それにしても、今頃になって、再通知とは。耐震診断していない家が、まだあるということだろう。旧耐震基準住宅とは、1981年以前の耐震基準で建てられた家のことだが、未だに耐震診断していない家があることに少し驚く。

「震災は忘れた頃にやってくる」のは、時の経過と共に危機意識が薄れることを指しているのだろう。少し旧聞に属するが、阪神淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市が20歳以上に市民アンケートをしたところ、8割が耐震診断していなかったという。

その理由が、「市が行っている耐震診断のことを知らない」とか「必要性を感じない」で半数以上を占めている。これは怖いことだ。こういう人々に限って、災害が起きると大騒ぎする傾向がある。行政は半強制的に診断を受けさせる必要があるかもしれない。

ただ、仮に耐震診断の制度を知っていても、行政から送られてくる耐震診断業者リストから選定するのも少し大変。どこでもよさそうに見えて、結構不安。流風の場合は、ネットでいろいろ調べて、ようやく業者を絞り込んだ記憶がある。この辺の仕組みの変更も求められる。

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二つの「横笛」のこと その四

横笛が、手紙の内容を、得意満面で解釈したところで、乳母は、「実は、これは、時頼さまからあなた様へのお手紙ですよ」と明かす。あれー、何たること。私はピエロか、と横笛は少し恨む。乳母も調子に乗って失敗したね。

でも、横笛は、「深山木の文違へたるにや」と言う。意味は、「深い山は、木を読み違えて迷うように、手紙は宛先を間違ったのでは」と問いかけている。この辺は、もしかしたらというう淡い期待と謙虚さが感じられる。その上で、一首を返す。

 埋み火の 下に焦がるると 聞くからに

   消えなむのちぞ 淋しからまし

この歌は、意味深。後のことを予見するような歌。解釈は「埋み火のように、燃える心を抑え、心中深く思って下さると聞き、大変嬉しくは感じますが、このような恋が、あっという間に消えてしまい、顧みられなくなることを思いますと寂しくなります」という感じ。

それを恥ずかしそうに出した様子が、実に美しいものだから、主人が好きになるのも尤もだと乳母は思う。同性に好ましく思われることは、女性の魅力の一つ。他方、時頼は、今か今かと乳母に託した手紙の返事を首を長くして待っていた。そんなところに、乳母が立ち戻り、返事の手紙を受け取った時は、天にも昇る嬉しさ。

その後、時頼の願いかなって、二人は度々、手紙を交わし、ついには逢瀬を楽しむようになる。それは、どんな侘びしい所で会っても嬉しく、ついには仮病を偽っても会うように。そして比翼連理の契りを結ぶ。

ところが、いいことは続かない。これは『平家物語』と同じ筋だが、時頼の父親が、別れなければ勘当すると言う。板挟みになった時頼は、出家する覚悟を決めるのだが、『御伽草子』では、その前に、横笛と別れの逢瀬を楽しんでいる。もちろん、横笛には気づかれないように。最後の時を過ごして、「また逢おう」と言い残す。これが男の罪と言えば罪。

その後、パタリと時頼からの音信が不通になる。毎日毎日、待ち続ける独り寝の寂しさ。それは段々恨みに通じて行く。

次回に続く。

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2014年7月17日 (木)

顧客情報流出問題に思う

某通信教育大手から顧客情報流出で大問題になっている。洩らしたのは、下請けの派遣SEだと言うことだ。もちろん、金目当てで情報を漏らした、この社員が悪いことは確かだが、某通信教育大手の情報管理があまりにも甘かったことは否定できない。

経営としては三流だろう。今までにも、このような事件は多数起こっているが、意外と洩らされた企業の罰則は特になく緩い。基本的に、情報を漏らせば、企業の死命を制せられるというくらいの覚悟が経営者に必要だ。

当局も、行政指導で、事業停止命令を出すくらいにしないと、今後も、このような事件が起こるだろう。事件が起こるのではなく、起こさない仕組みを企業がしっかり採らないと、今後は企業の命運も左右しかねない。

該当企業は、本来、一時的に事業停止して、体制を作り直してもらいたい。そうすれば顧客は一時的に流出するだろうが、今一段高い質の高い経営をするには止むを得ないだろう。

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二つの「横笛」のこと その三

『平家物語』では、大変短く表現されているのだが、『御伽草子』では、若干脚色されて、少し長い話になっている。それでは、今回から、『御伽草子』では、横笛のことは、どのように描かれているだろうか、見てみようと思う。

時頼が重盛の命で、建礼門院の御所に行くのは同じだが、『御伽草子』では、重盛の手紙を横笛に渡して、「早くお返事が頂きたい」と伝えるのだが、同時に、恋慕の次の歌を彼女に授けたとある。

 秋の田の 刈りそめ武士の 身なりとも

   君が枕を 見る由(よし)もがな

これは手回しのいいこと。随分と前から、横笛に目を付けていたことになる。歌の内容は「取るに足りない武士だけれど、あなたと共寝がしてみたい」と直截的に告白している。これには、おぼこい横笛は、顔を赤くして引き下がり、建礼門院から重盛への回答は、他の者に委託している。よほど恥ずかしかったのだろう。

一方、時頼は帰ってからも、心ここにあらずの態。所謂、恋煩い。周囲は心配し、色々問いかけるが答えもしない。そこで乳母に尋ねさせると、さすがに気を許して、本当のことを語り始める。乳母は、建礼門院様の所へは出入りしており、お任せなさいと、和歌を詠んだ手紙を認めさせる。この辺の話は、少し時代を変えて落語でも、取り上げられる。

乳母は早速、横笛に会い、本題を切り出す前に、色々日本の古典をお読みでしょうから、次の手紙を解説してくださいと投げかける。なお、手紙の文章の中には、『源氏物語』、『狭衣物語』、『古今集』、『万葉集』、『伊勢物語』などの逸話を散りばめているらしいのだが、本文からは欠落している。

まあ、それほどに自らの知識を総動員して、ラブレターを書いた時頼が想像できる。その手紙に書かれていたのが、次の和歌二首。

 人はいさ 思ひも寄らじ わが恋の

   下に焦がれて 燃ゆる心を

 君ゆゑに 流す涙の 露ほども

   われを思はば うれしからまし

この手紙に対して、横笛は、得意そうに解説する。手紙の意味を解読しながら、和歌の解釈もする。一応、和歌を解釈すれば、最初の和歌は「あの人は、思いもよらないことだろう。私は恋心ゆえ、燃え上がって恋い焦がれていることを」てな感じかな。二首目は、「あの女性のために流す涙の一滴でも、彼女が流してくれたら、これほど嬉しいことはない」という同情を呼びたい女々しい感じ。

次回に続く。

 

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2014年7月16日 (水)

二つの「横笛」のこと その二

時頼が、トレードオフ(あちら立てれば、こちら立たず)の状態になって、出家という決断をした。でも、彼は彼女に何も告げずに出家していた。おそらく、彼女に会えば、迷って決心が鈍ると思ったのかもしれない。

長らく音信不通の状態が続いていたので、横笛は、何かあったのではないかと懸念していた。しばらくして、風の噂で、彼が、どうも出家したと伝えられる。これを聞いて、彼女は、怒り、悲しみ、恨む。

なぜなら、彼女は捨てられたと感じたからだ。出家は、強い信念から出たこととは言え、一方的で、薄情すぎると思ったのだろう。この辺が、男女の思いの違い。横笛は、その理由を得心がいくまで、どうしても問いたくて、嵯峨の方に赴く。

往生院とは聞いてはいるものの、場所も不確か。それでも、行こうとする執心。女性を本気にさせてしまった時頼も罪深い。彼女は、尋ね尋ねて、やっと彼の読経の声がする寺に辿り着く。

そして、もう一度会いたいと伝えるが、時頼は心の迷いが生じては修行の妨げになるとして、決して会おうとしない。横笛は、涙を抑えながら、哀しく去っていくのだった。時頼の方はというと、場所を知られて、彼女が再度会いに来てはまずいと思い、嵯峨の院を去り、高野山に上り、清浄心院という所に入る。

後に、ある時、時頼は、横笛が剃髪したことを知り、次の歌を贈る。

 そるまでは うらみしかども あづさ弓

   まことの道に いるぞうれしき

(大意:出家するまでは、うまく行かない、この世を恨みましたが、あなたも仏道の道に入られたとかで、嬉しい)

これに対して、横笛は次のように返歌する。

 そるとても なにかうらみむ あづさ弓

   ひきとどむべき こころならねば

(大意:あなたが出家されたとて、どうして恨みましょうか。あなた様を出家から、ひき留めることは出来ないのですから、私も仏の道を選びました)

しかしながら、横笛は、この歌とは裏腹に、しばらくして、入水して亡くなる。女の業は強いと言うことか。歌を贈ったことが、却って彼女を追い詰めることになった時頼は、このことを伝え聞いて、悲しみを抑えて、ますます修行に励むのだった。

それを聞いて、勘当していた父親も、ついに彼を許す。彼は皆から尊敬される高野の聖になったと云う。ああ、無常。以上が、『平家物語』に伝えられる「横笛」の話だ。

次回に続く。

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2014年7月15日 (火)

二つの「横笛」のこと その一

横笛というと、フルートが、まず頭に浮かぶ。小学校時代は、たて笛を習ったが、中学校になると管弦楽でフルートをクラブで習う子もいた。流風は、楽器類は、全く駄目なので、上手に演奏する人たちを眺めていた記憶がある。

日本の横笛は、龍笛とも呼ばれるらしい。他に、能笛、篠笛(竹笛)というものもある。物語りでは、やはり『源氏物語』だろうか。第三十七帖にある。生前、柏木が愛した横笛が、転々として、ついに光源氏の手に渡るというもの。

さて、今回は、二つの「横笛」の物語に関して覚えとして、記してみよう。ここに登場するのは、主人公の女性の名前だ。「横笛」が描かれたものとしては、よく知られている代表的なものに『平家物語』と『御伽草子』がある。

ただ、微妙に少し内容が異なる。そして、『平家物語』が男の立場で描かれたものに対して、『御伽草子』は、女性的見方のようだ。『御伽草子』が、子女向けに書かれたことを考えれば、そうかもしれない。『御伽草子』は、『平家物語』をベースに話を拡げたのかもしれない。

今回は、まず『平家物語』の「横笛」を取り上げる。あらすじは、次のようになっている。平家が、まだ盛りの頃、齋藤滝口時頼という人がいた。彼は重盛に仕える武士だった。十三歳の時、重盛の命で、建礼門院に手紙を届けるため行ったところ、建礼門院の雑役に従事している身分の低い若い女がいた。

彼は彼女に一目惚れして、愛するようになる。ただ父親は、将来ある身なのに、仕様もない女に手を出してと怒り心頭。周囲も、色々諌めるが、そうすればするほど燃え上がる恋の炎。若い時には、よくあるケース。よく言われるように、子どもの色恋は、麻疹に似たようなもの。ただ、時頼は、彼女一筋。恋は盲目。

月日が経ち、十九歳の時、彼が言った言葉が次の通り。「西王母と聞こえし人、昔はあって、今はなし。東方朔と云いし者も名をのみ聞きて目には見ず。老少不定の世の中は、石火の光にことならず。たとひ人長命といへども、七十八十をば過ぎず。そのうちに身のさかむなる事は、わずかに廿余年也。夢まぼろしの世の中に、みにくき者をかた時も見て何かせん。思はしき者を見むとすれば、父の命をもそむくに似たり。是善知識也。しかじうき世をいとひ、まことの道に入りなん」と。

思い込んだら命がけ。時頼の言う理屈も一理あり。ただ、現代との違いは、親に対する孝と彼女への愛との板挟みになって、思いつめ、ついには嵯峨の往生院にて出家まで突っ走ってしまう。思い切ったことをやったのも、若さ故の情熱が為したということか。

次回に続く。

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2014年7月13日 (日)

『官展にみる近代美術』展(兵庫県立美術館)を観覧

昨日、大型台風が去り、晴れていたので、久しぶりに、兵庫県立美術館に行ってきた。今回の催しは、阪神・淡路大震災20年展として、『官展にみる近代美術』展だ。入館料は大人1300円。大体、美術館等へは、有料料金が500円以下のところしか行かないようにしている。あるいは、年間の興味ある企画が4回ほどあり、友の会に入会して、平均が500円以下になることを目途としている。

だから、入館料が1300円もした今回は例外的。やはりパンフレットに描かれている美人画に惹かれたののかもしれない(笑)。この絵は、以前にも鑑賞したことがある陳進(チェン・ジン)による「アコーディオン」。中国美人の女性が座ってアコーディオンをひいている姿を描いている。

ところで、この展覧会は、戦前の東京、及び日本の統治下・影響下にあったソウル・台北・長春で開かれた官展の出品作を130点ほど集めたものらしい。当時の日本、韓国、台湾、中国東北部(満州)の雰囲気をよく表している。

日本画家が描く異邦の地、あるいはそれぞれの国や地域の人々の描く土地や風景や人。その裏には、支配する側の意図も見え隠れするし、支配されている側の隠れた心情も見えないこともない。もちろん、はっきりとは分らない。

当日は、男の観覧者は流風のみ。後は、学校の授業の一環なのか、多くの若い女子学生らしき人ばかり。久しぶりに、女性に囲まれて観覧することになった。展覧会は、じっくり観ることがてきたことにしよう。

というのは、流風が鑑賞していると、たまたまとは思うが、近くに寄ってきて鑑賞される。それが何回も続いたので、若い女性たちの雰囲気に呑まれて、少し落ち着いて観られない時もあった(苦笑)。

それでも、十数点は気に入った絵もあった。概して、中国、韓国の画家の方に惹かれた。日本の画家には、もっといい作品があるはずだが、この展覧会で目を引くものは少なかったように思う。それでも、全体としては、見ごたえ十分。若い人たちが、戦前の絵画に接して、色々感じることは大切と思うが、でも、なぜ大人の観覧者が少ないのだろう。

展覧会は、平成26年7月21日まで。

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2014年7月11日 (金)

『子どもの科学』展(兵庫県立歴史博物館)に行く

夏休みが近づく、この季節になると、文化施設では、子供向けの催しが増える。致し方ないこととは言え、大人には受難の季節でもある。施設も入場者を増やすには、子ども向けの企画は欠かせない。子どもに親がついてくれば、入場者は一気に増える算段。

ということで、兵庫県立歴史博物館でも、阪神・淡路大震災20年展・特別企画展と銘打ち、『子どもの科学・ふしぎ玩具のいま・むかし』という展覧会が先日より始まった。姫路科学館での催しかと思ったが、今回は、おもちゃの歴史ということで、歴史博物館での催しとなったようだ。

子ども向けと思って、当初、行く気はなかったのだが、丁度時間が空き、暇だったので、寄ってみることにした。いつも暇と言えば、そうなのだが、それなりに予定はある(笑)。入場料は大人500円のはずだったが、入ると、今は「クールスポット」とかということで、半額の250円。節電、節電と言われるのは嫌だが、まあ、これなら許せる(笑)。

会場に入っていくと、平日ではないのに、大人ばかり。子どもさんは、ほとんど見当たらない。昔のおもちゃを眺めながら、懐かしそうに歓談する人が多かった。でも、流風より上の年代かな。実際、知らないものが、たくさん展示してあった。親が生きていたら、喜んだかもしれない。

その展示内容の概要は、次の通り。

 1. 江戸の科学遊び

    日本最古のからくり人形「盃運び人形」等

 2. 明治・大正の科学玩具

    当時最新の「電話」のおもちゃ「ブリキ玩具 電話局」

    静電気で人形が踊る「電気活動玩具」

    水の中を浮いたり沈んだりする「浮沈子(ウイテコイ)

    明治の日本にもあったアニメ「回転活動画」

    シンプルな絵が動く装置「漫画活動」

    逆さまだと難易度アップ「鏡面映写競技盤」

    カメラの先祖「小学生用写生器」等

 3. 科学のお化け屋敷

    幻鏡

    英国ペッパーの幽霊

 4. 『子供の科学』の時代

    大正13年に創刊。現在も、誠文堂新光社から刊行されている。今年で創刊90年。

    何でも写せる「実物映写機械」(実物幻灯器)

 5. 科学の夢-ロボットと宇宙旅行

    昭和初期にロボットブーム

 6. 学研「科学」のふろく

本当に、初めて見るものが多かった。年代的には、一致するのは、6.の学研「科学」。親に採ってもらえなかったので、友達がわいわいやっていたのを横目で恨めしそうに見ていた記憶だけ。こうしてみると、全体的に、割と新鮮であった。おもちゃも、その原理が分れば、より楽しいだろう。大人たちが、懐かしさと両方で、一心不乱に見ておられるのも分るような気がする。もちろん、夏休みには、子どもさん方にも、昔のおもちゃが、どのようであったのか、多く見て楽しんで欲しい。

展示は、平成26年8月31日まで。

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2014年7月10日 (木)

姫路城の楽しみ方 第6回(完)  付記

前回で、気になったポイントは一応記したが、その他にも、色々ある。現代的には、隣りの姫路城西御屋敷跡公園「好古園」を含めて、全体を大きな公園としてみる楽しみ方もある。だが、それは、多くの案内書籍やネットで紹介してある。ここでは、見てもらいたいポイントを少しだけ追加付記しておく。

◎狭い鉄扉

「ほノ門」がそれだ。狭い門で、鋲打ちされた狭い鉄の門がある。天守閣への登り口の扉だ。ただし、そこを通って石垣を一周しないと天守閣の入り口には着けない。

◎石落とし

塀や櫓の外壁を、わざと石垣から張り出させ、下側に細長い口を開けておき、石垣をよじ登ってくる敵方の頭上に石を投げたり、槍で突いたり、時には鉄砲を撃ったりする仕掛け。天守のほか、塀や櫓に多く仕掛けられている。

◎武者隠し

大天守三階の四隅の千鳥破風の屋根裏に造られた隠し部屋で、武士が隠れていて、敵方を不意打ちする仕組み。

◎秘密の抜け穴は存在したか

伝説ではあるのだが、発見されていない。ただヒントとして、石垣に組み込まれた「るの門(穴門)」の手法が指摘される。この門は、本来、埋門とも呼ばれ、敵の侵入を防ぐのが目的だ。この石垣手法を利用して、堰堤を水面下に隠しておけば、歩いて濠を歩くこともできると指摘されている。

*参考

姫路観光案内所で、姫路城の案内地図を頂いて、下記記事を読んでおけば、姫路城の一般的な観光は、ほぼ可能。

   「姫路城の達人」

    http://www.himeji-kanko.jp/castle/architect.html

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2014年7月 9日 (水)

姫路城の楽しみ方 第5回 紋瓦

姫路城の瓦は、用途が異なる56種類の瓦が用いられている。平瓦と丸瓦を交互に組み合わせた本瓦葺きだ。軒先には滴水瓦(高麗瓦)が取り入れられている。大天守の各層、各棟の他、小天守や主要な櫓に鯱が据えられていることは、よく知られています。

瓦は三重に重ねられ、瓦と瓦の繋ぎ目には、雨水が浸みこまないように、白漆喰が施されている。ただ、漆喰には限界があり、歴代の城主は雨漏りに悩まされていたようだ。

そして、その結果生まれたのが、今回取り上げる紋瓦。姫路城の代々の城主は、城の雨漏りの修理の度ごとに、それぞれの軒丸瓦に紋瓦を加えた。結果的に、様々の紋の瓦を見ることができる。下記に示す以外にも、様々の模様が残されている。

◎黒田孝高(1577)    十字架

言わずと知れた黒田官兵衛。この頃、キリスト教に入信していた。「にの門」の破風の上に残る。羽柴秀吉が、三重の天守を持つ姫路城を築く際、彼の助力を評価して、この紋瓦を造らせたと伝えられる。だが、秀吉が後にバテレン追放令を出しているので、本来あってはならないもの。取り除くのに見落としたのだろうか。ただ、その後の研究で、この紋瓦は、黒田官兵衛とは関係ないと言われている。

「に」の門。

◎羽柴秀吉(1580)    五三の桐

これは木下家という指摘もある。羽柴氏は「八弁菊」だというものだ。でも、一般的には、秀吉の家紋は、五三の桐で通っている。

◎池田輝政(1600)    揚羽蝶

5種類の異なるデザインがある。また最近、逆揚羽が今回の修理で見つかった。

池田氏には、他に「十四弁菊」というものもある。

◎本多忠政(1617)    三つ葉立葵(たちあおい)

葵の組み合わせに、徳川四天王を強く意識したことが窺える。

◎松平忠明(1639)    沢潟(おもだか)

沢潟は、湿地に生える多年草。

◎松平直基(1648)    三つ巴(みつどもえ)

純然たる徳川一族。水の流れる巴紋を三つ重ねた。

◎榊原忠次(1649)  源氏車

ちょっと公家きどりの源氏車。ただ政岑の代に新吉原の高尾を落籍して所替えになっている。

◎酒井忠棊(ただやす1749)   剣酸漿(けんかたばみ)

酒井家は、姫路城主を10代120年にわたって勤めた。かたばみの葉を取り合わせ、間に剣先を入れたデザイン。

以上の紋瓦がどこにあるか確認しながら、歩いて見るのも一興。

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2014年7月 8日 (火)

『官兵衛と軍師を描いた文豪たち』展に行く

姫路文学館で開催されている『官兵衛と軍師を描いた文豪たち』展に行ってきた。大河ドラマ『軍師 黒田官兵衛』も佳境に入ってきたが、久しぶりに楽しんでいる。彼が地元姫路出身ということもあるが、今回の大河は主人公に、しっかりスポットが当てられているので、分りやすいし、面白い。やっと本来の大河ドラマに戻った感じだ。

もちろん、史実とは若干異なる描き方もしているが、それは歴史小説と似ているかもしれない。歴史小説家は、彼らが当時知り得る限りの史実を参考にしながら、不明な部分は、自らの想像力で埋めていく。よって著者の考え方が作品に反映される。だから、時代が進むにつれて、新しい史実も発見されるので、描かれた話は、実際は史実と異なっていることも多い。

また作家も、概ね、彼らが生きた時代背景に影響される。だから作品の主人公が生きた時代とは本来、異なるはずだが、作家の時代感が投影されてしまう。そういうことで、時代小説を読むということは、大きな錯覚を生んでしまうリスクを背負っている。それでも多くの人は、時代小説を楽しむ。自らを小説の中に一体化しやすいからだろう。

さて、かつての文豪が描いた時代小説も同様だ。この『官兵衛と軍師を描いた文豪たち』展では、官兵衛を描いた小説家はたくさんいるが、その中で、吉川英治、海音寺潮五郎、松本清張の作品を紹介していた。

その他の軍師では、諸葛孔明、竹中半兵衛、後藤又兵衛、山本勘助、真田幸村、直江兼継、耶律楚材、呂尚関係の作品が取り上げられていた。流風も、若い時は、これらの時代小説よく読んで、わくわくしたものだ。

日本史だけ学んでも単調で面白くないが、歴史小説から学ぶ人間関係は、社会でも十分参考になる。そういう意味で、歴史小説は、史実を知る以上に、そういうところに価値があるのだろう。

展覧会は、平成26年8月24日まで。若い人たちが、歴史小説に親しむきっかけになればと思う。

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2014年7月 7日 (月)

姫路城の楽しみ方 第4回 狭間

今回取り上げるものが、姫路城の狭間(さま)。あの漆喰壁に開いている様々の穴だ。現在、内曲輪に残っているものだけで、997箇所あるらしい。記録では、全部で、2522箇所あった。

そもそも壁の漆喰は、防火や防水が本来の目的だ。姫路城で使われている漆喰は、消石灰、貝灰、苆(すさ)を海藻の銀杏草を煮た煮汁を濾過して作った糊で練ったもの。それをいろんな配合で用途に合わせている。これは火災に備えると共に、当時、普及していた火縄銃の射撃によって延焼しないようにするためのものであった。

その漆喰で作った壁に、様々の穴を開けている。形状は、丸、三角、正方形、長方形。丸、三角、正方形は鉄砲狭間で、長方形は矢狭間だ。本来、防御のための穴だが、見た目にもいいように配置されている。誰が、このようなものを考案したかは不明だが、結果的に、白い壁に幾何学的模様を成して、一つの見どころになっている。

なお、天守や櫓には、壁と同じ漆喰を塗って蓋をしておき、いざという時には蓋を取って、攻撃できる「隠し狭間」もある。

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2014年7月 5日 (土)

姫路城の楽しみ方 第3回 屋根瓦

姫路城には、たくさんの屋根瓦が使用されている。56種類の瓦が使用されているそうだ。既に解体されてしまったが、姫路城大天守修理見学施設「天空の白鷺」で確認された方も多いと思うが、大天守だけでも7万5千枚の屋根瓦が使用されている。

城の屋根の形は複雑だ。それゆえ、いろんな瓦が使用されている。一般的な丸瓦、平瓦はもちろん、軒先に使われる軒平瓦、軒丸瓦、あぶみ瓦。そして棟に使われる棟込瓦、のし瓦、菊瓦、鬼瓦。更には、大屋根に飾られる鯱瓦。ちなみに鯱瓦は、大手前通りを歩いていると、道路沿いに飾られている(*注)。

そして、屋根瓦は三重に重ねられ、屋根目地漆喰が使用されていた。これは屋根瓦の継ぎ目や隙間に漆喰を盛り上げるように塗り込めている。風や揺れに対する補強の意味だが、結果的に、均等間隔に塗り込められた漆喰が独特の模様を呈して、美観を提供している。

そして、城内を注意して歩いていると気になるのが、屋根瓦の意外な利用だ。それが水路。瓦を縦に並べ、水路を形成している。コンクリートの無かった時代の最高水準の技術と云われている。こういう使い方に、当時から日本の技術の応用力の先見性が見られる。

*注

最近、明らかになったところでは、大天守の鯱が、雌雄のペアでなくて、両方とも、雌だということ。今回の修理では、大天守の最も高い位置にある大棟の一対だけを交換したのだが、姫路城の昭和の大修理で、現存最古の1687(貞享4)年の鯱瓦をモデルとしていたので、それに倣った。よって、両方とも雌になっている。

鯱は、頭が虎、胴体が魚のような想像上の生き物。城郭建築には、火除けの霊験があるという。他の城では、雌雄ペアになっており、おかしいと言えばおかしい。ただ、現状、実物や絵図が見つかっておらず、雌雄の復活は、当面、望めそうもない。

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2014年7月 3日 (木)

姫路城の楽しみ方 第2回 連立式天守閣

姫路城の天守閣は、その要塞の中枢機能を担っている。よって極めて機能的に作られている。建築様式は織田信長の安土城の天守閣の流れを引き継ぎ、発展させたものと云われる。

連立式天守閣と呼ばれるもので、五重六階の大天守(*注1)を囲んで、東天守、西小天守、乾小天守の三つの三重天守を連ねた複雑な形は、日本の築城の歴史で最大なものであり、それが現存しているのだから、それを見るだけで十分価値がある。

天守台(天守の土台)の南東隅に大天守、北東隅に東小天守、北西隅に乾小天守、南西隅に西小天守を配している。そして、大天守と東天守、乾小天守、西小天守の三つの小天守を、時計の逆回りに、イ・ロ・ハ・ニの渡櫓(わたりやぐら)で繋いだ構造だ。侵入路も複雑に設計され、容易に天守閣に上がれないように設計されている。

ちなみに、櫓(やぐら)とは、もともと「矢倉」とか「矢蔵」と書かれていた。すなわち、矢などの武器や食糧などを蓄える蔵だった。ところが、戦いの時は、矢を放ったり、時には指揮をとったりする場所であった。通常二層で、大切な所には三層にするようだ(*注2)。

また、白漆喰総塗込の壁と入母屋屋根に、屋根の端部にある三角形の外壁である破風を巧みに配している。破風は、千鳥破風・大千鳥破風・唐破風を組み合わせている。ちなみに、千鳥破風とは、本を開いて伏せたような形状になっていて、唐破風は、中央が上向きに反り、左右が下向きに反って弓なり状になっている。

天守の窓は、太い格子が嵌められた格子窓が中心になっている。これは敵の侵入や矢玉を防ぐためだ。ただ、単に防御機能だけでなく、乾小天守、西小天守には、黒漆塗りで、金箔金具によって飾られた装飾性の高い華頂窓も見られる。

*注1

ちなみに大天守の高さは、海抜92メートルだ。

*注2

姫路城では、例外的に戦争とは関係のない化粧櫓もある。

次回に続く。

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2014年7月 2日 (水)

将来、日本を危機に招く集団的自衛権の行使容認

自公政権が、集団的自衛権を行使できるように閣議決定した。かねがね言ってきたように、これは危険な決断だ。今すぐと言うわけではないが、いずれ国民を危機に曝す危険性がある。若い人たちは、まだピンと来ていないようだが、非常にリスキーな選択だ。

日米同盟絡みで、米国の元高官(彼のパックは死の商人)に煽られたのだろうが、米国でも、一部の見解に過ぎない。安倍政権は、上手におだてられ、見事に嵌められたということだろう。

米国マスコミは、むしろ、憲法改正の手続きを取らず、自公が密室で、勝手に決めた安倍独裁のクーデターと捉える向きもある。果たして、安倍政権は、世界から真っ当な政権と評価されるだろうか。

残念ながら、自民党は変質してしまった。決して、以前のような自民党ではない。自由闊達な意見の出しあいもなく、大局感を持った政治家がいない。と言うより育たないのだ。原因は、以前にも、記したが、小選挙区制と政党助成金が、安倍独裁を生んでいる。

よって個別の議員は何も発言できない。ただ、選挙のために、トップの決定に従うのみなのだ。そもそも日本の憲法は、首相に大きな権限を与えているが、現政権は、そこを突いたと言えるだろう。

しかしながら、尖閣等領土問題も、個別自衛権で処理できる問題を、何のための集団的自衛権の行使にまで広げるのか分らない。つまり尖閣問題等も、本来的には、自国で知恵を出しながら処理しなければならない問題だ。決して同盟国の米国を巻き込んで、守ってくれるわけでもないのに、現政権は過剰に期待している。

自国を守るのは自国の軍隊のみだ。他国は当てにならない。それはいかに同盟していても同じ。それは日本も同じ。同盟先が侵略されても、大したことはできないと腹をくくるべきだろう。集団的自衛権も大した意味などない。

それに、今まで各国が集団的自衛権を行使する時は、それは、ほぼ侵略に通じている。そして、それは大国の行使だ。いかに理屈をつけようが、そんなことをすれば、自ら敵を増やすようなものだ。

自衛隊員も、自国を守るために、一命を投げうち働くことは意味があると思っているだろうが、他国のために働いて、命を落とすようなことはやりたくないだろう。ましてや、直接・間接を問わず、戦って相手国に死者を出せば、正義は、どの国にもあり、どちらが正しいという問題ではなく、恨まれること間違いなしだ。それは自衛隊だけでなく、日本全体に向けられる。その時、国民は、耐えられるのか。

そのようなことを真剣に考えれば、若者は、誰も自衛隊に行かなくなる可能性もある。親も反対するだろう。そうなれば、どうなるか。国は、最早、徴兵制(*注)しか手が無いと考えるだろう。ところが、人口減少下、若者は減っていく。徴兵により人が取られれば、産業界も打撃を蒙る。

若い人たちは、集団的自衛権を自分自身の問題として真剣に考える必要がある。そうすれば、集団的自衛権の行使容認が自分たちに降りかかる火の粉と分るだろう。

*注

徴兵制は、戦前と異なり、女性も徴兵される。それは男女共同参画を盾に取られるだろう。安倍首相は、徴兵制は、あり得ないと言うが、彼の在任中にはないかもしれないが、その後のことは誰も予測できない。今まで、憲法をなし崩し的に解釈してきたのだから、十分ありうると若い人たちは覚悟せねばならないだろう。

*参考

  拙ブログ記事 「間違った危機感が危機を招く」(2014.06.04付)

*追記

かつて流風も、二大政党や、どちらか一党だけの安定多数が望ましいと思ったが、残念ながら思慮が浅かったようだ。小選挙区制が続く限り、二大政党は望ましくないようだ。解決するためには、まず安倍自民党政権を最後の自民党政権に導くことかもしれない。安定多数は、決めやすい政治ではあるが、トップの暴走を招く。

よって、今は、主義・主張を明確に整理させて自民党を解体させるしかないだろう(イメージは旧派閥ごとの分党。大阪維新の会がやったようなこと)。その上で、主張が似通った政党が連立するのが望ましい。また、政界再編成はやむを得ないが野党だけ再編しても意味はない。与野党全体の再編が望まれる。

そして、多党連立の政権運営における問題点(政権樹立前に基本的な政策の総合的すり合わせや意思決定の仕組みを決めておくこと等をしないと、以前のような民主党政権のようになる)を把握しつつ、皆の知恵で、前に進めるしかない。それは国民の一票一票にかかっている。若い人たちの投票行動に期待したい。

*平成26年7月16日追記

集団的自衛権に関する安倍首相の国会での答弁を聞いていると、この人は何も理解していないことがよくわかる。将来のことも見通せないのだろう。曖昧な答弁で誤魔化そうとしている。詭弁と言うしかない。更に、残念ながら、与野党に、同様の人々がいることが国民にとって不幸と言うことだ。

米国に言い含められたのだろうが、米国関係者は、彼らの国益で、ご都合主義でいろんなことを日本に要求してくる。だが、それに対して反論し、乗り越えてこそ、本当の政治家なのだ。言いなりでは、役目を果たしていない。集団的自衛権は、将来、国民を危機にさらすことは間違いない。安倍は限りなく、戦前の近衛に近くなって、国を危うくする(米国を戦前の軍部と考えれば、よく分かるだろう)。

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2014年7月 1日 (火)

姫路城の楽しみ方 第1回 要塞機能としての城(下)

更に城内道は複雑で、たくさんの門があり(「外曲輪」まで含めて、84の門があったという。現在は21の門が残るのみ。内曲輪堀沿いに5、中曲輪に11、外曲輪に5)、敵を迷路に誘い込み、一網打尽にする構造になっていた。城の出入り口は、虎口(こぐち)と言い、ここに設ける門は、守りの堅い枡形などの仕組みが取られている。

また、姫路城に限らず、城の周囲には、敵から城を守るため、地面を掘り下げて、水を張った水堀がめぐらしてある。かつて城が山の上にあった時代は、空堀が主流だったが、城が平地に築かれるようになると、水堀が主となった。姫路城も一部を除き水堀だ。

姫路城の堀は、断面が凹形になった箱堀形式が一般的に見られる。堀の幅は、平均20メートルあり、深さも平均2.7メートルあったから、簡単には侵入できないし、石垣の勾配の扇状積みになって、上りにくい。なお菱の門を入ったところにある三国堀は、捨て堀で、まとまって入ってくる敵を分散させるために造られた空堀だ。

それに加えて、穴門(敵が攻め込んできた時、簡単に塞げる仕組み)、狭間、石落としなど様々な工夫が施されている。姫路城を要塞として見ると、また違った姫路城が見えてくるはずである。

その結果、よく、よいデザインは機能的に優れていると言うが、姫路城は総合的に機能的に優れているが故に全体の優美さを保っていると分るかもしれない(実際は、精査して分るまでには時間がかかると思うし、戦いの研究もしなければならない)。

続く。

*追記 堀、濠、壕について。

上記の記事では、総称として「堀」の文字を使用している。その中で、「濠」は「水をたたえているもの」、「壕」は「水が入っていないもの」となります。

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姫路城の楽しみ方 第1回 要塞機能としての城(上)

今回から、現在は地元に住んでるけれど、長く姫路を離れていたので、改めて姫路城初心者として、その楽しみ方について記してみる。地元に居ると、いつでも見れる気持ちから、姫路城について、ある程度知っているが、かえって、あまり深い知識がないこともある。それを以下に記してみる。

姫路城に関しては、多くの書籍や優れたブログ記事もあるので、記事にするのは少し恥ずかしい気持ちもあるが、覚えとして残しておく。姫路城未経験の方は、少し参考になるかも。

姫路城観光というと、菱の門から入って、櫓をひたすら歩き、「は」の門をくぐって、天守の入り口に入り、天守閣を上るというのが一般的なパターン。最上階まで、ふうふういいながら上り切って、姫路市内周辺をくるりと眺めて、満足満足となる。

もちろん、それでもいいのだが、観光の持ち時間を最大限活かして、城のいろんな風景を見て欲しいと思う。かくいう流風も地元だから、いつでも行けると思って、今まで、そんなに細かい所まで、見ていなかった。今、ちょうど、恥ずかしながら、再確認しているところだ。その辺をブログに記して、姫路城観光初心者の方々の参考になればと思う。

まず、美しい姫路城を見る時、その美しさに捉われて、要塞だという点を忘れてはならないだろう。その要塞機能の中心となるのが、「縄張り」で、黒田官兵衛が得意としたもので、姫路城には彼の考え方も部分的には残っているかもしれない。現在の城の縄張りは、池田輝政が行った。江戸城と似ていると言われる。

その「縄張り」とは、城全体の戦いに備えた戦略的構造のことを意味する。それは城の設計だったり、全体の配置、仕組みを総合的にプランニングしたものだ。よって、その善し悪しで、城が守れたり、攻め落とされたりする。

姫路城の場合は、姫山と鷺山の地形をうまく活かしつつ、複雑巧妙な形を採っている。防御線が三重の螺旋形になった螺旋式縄張りで、頂上にある大天守を中心に南へ左巻きに渦を巻くように構成されている(江戸城は逆)。一周目を「内曲輪(うちくるわ)」、二周目を「中曲輪」、三周目を「外曲輪」と言う。

すなわち、天守閣を中心として、二の丸、三の丸、西の丸という広場がある。そして、内堀、中堀、外堀という三重の堀をらせん状に形成し、防御線をしっかり固めている(一般に、観光で見るのは、内堀のみ。中堀は、現在の国道二号線辺り。外堀は姫路駅辺りと想像してください)。

面積にして、「内曲輪(うちくるわ)」以内で、約23万平方メートル、「外曲輪」まで含めると、約234万平方メートルと言うが、ピンと来ない。甲子園球場のグラウンドの約173倍と例える人もいるが、余計に分らない(笑)。要するに広大な敷地に城があったということ。お城だけを見ずに、そういう中での要塞の城であったと理解してほしい。

次回に続く。

*参考

◎内曲輪

城主の屋敷や役所があった。

◎中曲輪

城の南の大手には身分の高い武士が住み、東の搦め手には、次の位の武士が、そして、城の北には、中級・下級武士が住んだ。

◎外曲輪

身分の低い武士の屋敷があった。

なお寺社は、城の東側に集められ、戦いになった場合は、武士が立て籠って戦えるようにしていた。

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