« 姫路の「現代美術ビエンナーレ2014展」に行く | トップページ | 第47代「姫路お城の女王」決まる »

2014年7月20日 (日)

二つの「横笛」のこと その六(完)

横笛は、後ろ髪を曳かれながらも、彼の地を去っていく。ただ、一途に思いつめて、彷徨い歩き、無常感から、千鳥ヶ淵という所で、西の阿弥陀如来に手を合わせ、来世では、彼と一緒なることを願いながら、17歳という若さで投身自殺してしまう。通りかがった木こりが気が付いたが、遠くからなので、止めることも、かなわなかった。

このことを滝口のいる庵の近くで、仲間と話していたところ、滝口時頼の耳に入り、もしやと思い、現地に赴くと、大堰川の端に無惨な形で打ち上げられていた。彼女を抱き上げ、こんなことになるのなら、会ってやればよかったと後悔するが、後の祭り。

止むなく、横笛を鳥辺野辺りで火葬し、骨を拾って、庵室に戻り、繰り返し彼女の冥福を祈った。この噂は、京の都に広く知れ渡り、重盛も建礼門院も、感心し、「やさしき者の振舞や。人の契りをなすならば、かやうにこそあるべけれ」と仰ったとか。ついには、寺の造営の話も持ち上がり、滝口は、いつまでも京に居る限り、落ち着いて供養もできないとし、「横笛のために」と高野山に上って修行に励んだと云う。

以上が、『御伽草子』に描かれた「横笛」だ。『平家物語』では淡々と描かれたものも、『御伽草子』では、女の情念というものに強くスポットを当てている。『御伽草子』は女の子向けに作られており、警告書でもあるのかもしれない。

いずれにせよ、二つの「横笛」の物語は、いずれも愛に翻弄された二人の運命を描いた。打算のない若い純愛は美しいが、世故長けた者からは暴走に見える。それを羨ましいと捉えるか、浅はかなことだと思うか。後世の人々には、それぞれ違った角度から教訓になるのも確かだ。

|

« 姫路の「現代美術ビエンナーレ2014展」に行く | トップページ | 第47代「姫路お城の女王」決まる »

古典文学・演芸」カテゴリの記事