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2014年7月25日 (金)

「足るを知る」 『老子』第四十四章

前回、『老子』の第四十六章を「欲張らないこと、足るを知ること」として取り上げたが、話が前後するが 『老子』四十四章の「足るを知る」の一文を取り上げる。読み下し文は、以下のようになっている。

 名と身と孰(いずれ)が親しき。

 身と貨と孰が多なる。

 得ると亡(うしな)ふと孰が病しき。

 是の故に甚だ愛すれば必ず大いに費ゆ。

 多く蔵すれば、必ず厚く亡なふ。

 足ることを知れば辱められず、

 止まることを知れば、殆(あや)ふからず。

 以て長久なるべし。

敢えて解釈すれば、次のようになるだろうか。

「名誉と命と、どちらが大切であろうか。命と財宝は、どちらが重いだろうか。名誉や財宝のために命を失うことは何のメリットがあるだろうか。名誉や財宝に執着すれば、そのために多くのものを失う(言外に、身体や心)。名誉や財宝は、多く積み上げれば積み上げるほど、逆に、多く失うものである。よって、足ることを知っておれば、辱めを受けることもない。ほどよいところで、止めることを知っていると、危うい目に遭うこともない。これが人生の安寧を得る方法である」と。

「足るを知る」は禅僧が広めたが、そもそも中国を経た仏教思想には儒教思想や道教思想は含まれている。かつて日本の知識層には、これらがあった。戦後日本は、米国の合理的思考に呑みこまれて、謙虚さが失われていく(正確的には、明治維新以後、そのような思想に汚されている)。すなわち、多くを得て、多くを失う過ちを繰り返している。今改めて、分相応の「限度」を知ることの大切さを思う。

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