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2014年8月30日 (土)

花を持つか、持たせるか

若い時は、誰でも、自分が、自分が、前に出たがる。そして、そこで、ぶつかり合って、人間関係がおかしくなる。人は、そういうことから、段々学んで、ある時は前に出、ある時は後ろに下がったりすることを覚える。

俗に、「花を持たせる」というのがあるが、自分で「花を持ちたい」のをぐっとこらえ、他人に花を持たせることは、世渡りの一つだ。ただ「花を持つ」というのも、苦労で、落とさないよう、散らさないように、折らないようにと、各種気を配らなければならない。実に気苦労なものだ。

「花を持つ」のがいいのか、「花を持たせる」のがいいのか。一概には言えないけれど、適宜柔軟に対応するのが、この世では楽な生き方かもしれない。少なくとも、持ちたがる人間にはならないようにしたいものだ。

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2014年8月29日 (金)

『三木美術館コレクション 和の心 茶道具』展に行く

割と定期的に足を運んでいる姫路の三木美術館。『三木美術館コレクション 和の心 茶道具』展が始まったようなので観覧してきた。少し改装され、2階部分が増床された。そのため、全体的に以前より、ゆったりして、すっきりした感じ。特に受付は、以前は3階に窮屈な感じであったが、2階に移り、広々とした感じになり、美術館らしくなった。

いつものように、にこやかな受付の女性に迎えられ観覧。展示は以前同様に、3階と4階。まず3階で茶道具を観る。近現代の巨匠の作品という。残念ながら、流風は存じ上げない。この分野のことは詳しくないが、茶人たちの茶碗の好みは、「一楽二萩三唐津」と呼ぶらしい。また別の呼び方では、「一井戸二楽三萩」とか「一井戸二楽三唐津」などもあるようで、人によって好みは違うらしい。今回は、楽焼、大樋焼、萩焼、唐津焼の作品を展示。茶碗と水指を中心に35点。

流風は残念ながら茶道の心得はない。当然、茶道関係の道具のこともよく知らない。茶道には、過去に幾度か挑戦しようとしたが、あの堅苦しさが性に合わないということで、断念している。若い時、京都の清水に行き、安い茶碗を買ったが、使わず仕舞いだ。ただ茶道文化自体には関心があり、千宗室、千宗左、岡倉天心、小林一三等の書籍を買い求めたこともある。

今は、茶にお湯注ぎ、それをゆっくりと味わうことで満足している。でも、その時の器をどうするべきかと時々考えることがある。飲む器で、多少、お茶の味が違うような錯覚も受ける。料理が、器と一体と言われるように、茶もそうなのかもしれない。そう考えると、茶を飲む容器も、選ぶ必要があるのかもしれない。

今回は、あくまで茶道で使われる器中心だが、湯呑も茶の道具と捉えられないこともない。飾られる美術品ではなく、日用のありふれた茶の道具も、またある意味、「美術品」なのだろう。かつての「民芸」の考え方までは行かなくても、生活と道具は一体で、そこに文化があると思えば、いつも使っている湯呑も自分の文化と思え、いとおしくなってくる。

さて、この展覧会に展示してあった作品は割と好みのものが多かったと思う。特に、これというものはないが、抵抗なく受け入れられた。美術品は、この美術館の創設者も言っておられるが、作者でなく、作品に対して、観覧者が、いいと感じたものがいい。美術品は、それぞれ好きなものが好きで好いと思う。そういう鑑賞の仕方で、ずっと来ている。

その他の作品としては、常設展示のの隠崎隆一氏の作品や若干展示替えのあった絵画類を鑑賞して美術館を後にした。なお、この展覧会は、平成26年11月24日まで。

*追記

なお、2階には、かつて3階、4階で展示してあった展示販売品のコーナーが移設してあった。また従来品に加えて浮世絵の展示販売もあり。更に奥には、休憩室があり、飲料の自動販売機が新たに設置してあった(これに伴い、5階にあった無料セルフ飲料は撤去)。各種美術館等の案内も置いてあった。

また5階の応接室は、整理されて、すっきりした感じ。ここから姫路城を観ることができることは以前に記した通り。

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2014年8月27日 (水)

「貯蓄」再考

改めて「貯蓄」の意味を考えてみたい。多くの人が、どこかで解説を聞かれていると思うが、蛇足的に記す。

まず「貯」という文字は、「貝」と「たくわえる」という意味の「宁」から成る。よって「貝をたくわえる」という意味になる。「畜」という文字は「田」と「玄」から成っている。「玄」は、「やすめる」という意味。よって「畜」は「田を休める」という意味。

つまり、「貯蓄」は、「貝をたくわえ、田を休める」となる。今は、お金を貯めるぐらいの意味で使うことが多い。「貯蓄」の本来の意味を、仮に「お金」で考えると、単にお金を貯めるだけでなく、価値を生むものを休ませる意味もある。これは示唆的だ。

また、「貯蓄」は何もお金だけではないだろう。お金の貯蓄も大切だが、「物の貯蓄」も一定程度必要だ。あるいは次のように指摘する人もいる。いわゆる「人の貯蓄」だ。人は選ぶ必要があるが、有益な人は「貯蓄」しておくことも大切だ。目先だけでなく、長い人生での「人の貯蓄」は人生を豊かにしてくれるというものだ。

更に次のように言う人もいる。「善の貯蓄」だ。以前、「一日一善」という標語が話題になったが、見返りを求めない「善の貯蓄」は、心を豊かにしてくれる。「貯蓄」も、いろんな意味合いとして捉えることができる。

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2014年8月26日 (火)

顧客は去っていくもの

昔、広告に、「男は黙って●●」というものがあったが、客の場合は黙って去っていく。特に男の客は、そうだろう。女性客は、まだ口うるさく苦情を述べて、改まらなかったら去っていくので、まだ優しい。

一般のビジネスの顧客は年に約20%が減少すると言う。飲食業の顧客は、様々な要因で、年に約30%が去っていくと言われる。よって、何もしなければ、3年で顧客は、ほとんど無くなる勘定になる。それだけ飲食業は厳しい商売だと言える。

ところが、実際は、実情は判らないが、もう少し頑張っておられる。店の寿命を延ばすには色々あるだろうが、基本的には、去る客を減らすことは大事だ。そして、利用頻度を高めてもらうことだ。

そのためには、基本常識だろうが、改装したりして、店の雰囲気を変えたり、料理技術の向上と飽きの来ないメニュー編成や、接客の向上などが挙げられる。いずれにせよ、飲食業は大変厳しいビジネスと思う。

利益率が他業種と比べて高いことが求められるが、料理の平均値が上がっており、いろんな工夫が必要だ。それでも、毎年多くの人々が飲食業に挑戦されている。顧客が何を求めているか常に再確認し、顧客が去らないようにして、変化対応して欲しいものだ。

*追記

一般にビジネスは、新規顧客の開発を常に続ける必要がある。ところが、この新規顧客を得るのは、なかなか大変だ。科学的知見かどうか分らないが、自社の商品を新規に使ってもらうには、何も関心のない客の0.01%だという。すなわち、1万人に1人だけしか顧客に出来ない。よって既存客を大切にすることは重要だが、顧客の変化を知らず、多くの企業が無視したり、無関心だったりしている。

*追記

今回、わさわざ業界常識となっていることを記したかと言えば、最近、「顧客満足」のための活動が鈍っていると感じるからだ。飲食業界の業績は、あまり良くないが、原因は自らにあると知るべきだろう。いい加減なビジネスシステムに加えて、顧客維持のための方策を無視すれば、その先は見えている。外食離れは必然だ。

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2014年8月25日 (月)

シェイクスピアのソネット

欧州文学には、中世イタリアに発するソネットというものがある。流風は西洋文学に疎いので、詳しいことは分らないが、十四行詩のことだ。ただ、15,6年前に、シェイクスピアの『ソネット集』(岩波文庫。高松雄一訳)を購入し、時々パラパラと開けて読んで楽しんでいる。154扁の詩から成っているが、どこから読んでも面白い。例えば、次の一篇。

実のところ、眼を見て、あまえを愛しているのではない。

眼は、おまえのうちに無数の欠点を見ているのだ。

だが、心のほうは、眼がさげすむものを愛している。

心は見えるものに逆らって、熱愛をささげたがる。

耳がおまえの声音を楽しむのでもなければ、

鋭い触感がいやしげに撫でまわしたがるのでもない。

(第141より一部抜粋)

これらは実際はシェイクスピアの作品ではないかもしれないと言われている。どちらかと言うと、いろんな人が作った詩や手紙から、彼が取りためた資料に近いかもしれない。ただ、能と『閑吟集』の関係と云う訳ではないが、シェイクスピアの作品の底辺に流れるものは見つけられるかもしれない。この詩集が彼の作品のペースかもしれないと思いながら読んでいる。

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2014年8月24日 (日)

女性の効果的な決め言葉

女性にとって、いい男とは何か。自分の思い通りに動いてくれる男は、嬉しいが頼りない。いずれ物足りなくなってくる。逆に、「俺についてこい」というのは、女性に心地よく響く。ただ、その強引さは、結局、話を聞かないことに通ずる。

まあ、完全な男なんていません。それは女性も同じ。パートナー探しは、お互いの不完全さをどう補えるかという視点が大切なのだろう。

さて、付きあっていて、なかなか決断してくれない男もいる。何事も慎重な性格とも言えるし、見方を変えれば優柔不断と言うこともできる。このようなトレードオフは仕方ない。両方いいことないものだ。

それでも、どこか見どころがあり、気に入った男をパートナーとしたい時、どうするか。多くの女性は、男が決断しない場合、離れていくことの方が多いようだ。決断できない男を嫌うのだろう。だが、その拙速さは、時に過ちだったと後に後悔するとは、経験豊富な某女史に聞いたことがある。

先日、やなせたかし氏の『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)を読んでいたら、彼の妻になった女性は、付きあっていた彼がなかなか決断しない。過去には、「あなたって、いい人だけれどダメね、さよなら」というケースが多かったと言う。

ところが、彼の妻になった人は少し違った。ある時、「あなたの赤ちゃんが産みたい」と告白。これには、やなせ氏も、心を動かされ、たちまち、結婚を決めたとのこと。今は、そんなことで、殺し文句になるかどうか判らないが、人によっては有効かもしれない。若い女性も、効果的な決め言葉、すなわち殺し文句は考えていた方がいいかもしれない。

*追記

やなせ氏は、妻になる女性に「あなたの赤ちゃんが産みたい」と言われ結婚したものの、子どもは授からなかったようだ。人生、なかなか思い通りにはならない。でも、この著作を読む限り、幸せな結婚であったようだ。

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2014年8月23日 (土)

錯覚利用のだまし絵

少し前から、美術館等で、「だまし絵」をテーマにした催しが多い。人間の視覚の錯覚を利用した、だまし絵。確かに面白いと言えば面白い。ただ、最近は、その錯覚の原因を追究した催しもされている。しかしながら、そこまでやると、アートとしては、面白さは、やや疑問。でも、探求したい人もいるのも事実。

だまし絵の鬼才と言われるオランダの版画家、M.C.エッシャーも、科学者と交流し、その理屈を理解しようとしたらしいが、結局、十分には理解できなかった。彼は、遊びから出来る偶然の面白さを楽しんだだけかもしれない。そこがアートと科学の違いだろう。

また人間は無意識に、日常生活の中で、「だまし絵」に近い経験をしているかもしれない。最近多い、詐欺行為も、一種の「だまし絵」に近いものがある。ただ、これは視覚による錯覚というより、脳による錯覚なのだろう。くわばら、くわばら。

*参考

●明石市立文化博物館

『M.C.Escher  だまし絵の奇才が創る無限の世界 エッシャー100選』

平成26年8月31日まで

●姫路科学館特別展示室

『錯覚美術館 抵抗しても無駄です。あなたの視覚は計算済み』

明治大学先端数理科学インスティチュート錯覚と数理の融合プロジェクト

平成26年9月8日まで。

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2014年8月22日 (金)

米国の対中政策の考え方

安倍政権は、中国の軍事力拡大を強く意識して、集団的自衛権の確立を望んでいるようだ。ただ国内世論の同意なく、安倍政権は暴走している。本来、国民の支持しない安全保障政策はあり得ない。

さて、一般人から見て、米国のアジア戦略は、「日米同盟に基礎を置き、アジアの経済力を米国の外交目標に活用」というのは、20年前来、一貫して変わっていないと思う。彼らが、実際に日本に求めているのは、アジアの経済力の振興であり、その果実を米国が得ることだというのは間違いないだろう。

よって中国に対する姿勢も、基本はずっと何も変わらない。だから、その果実を得るため、中国が障害になるのなら、それを取り除こうとするだろう。ただ、米国は、中国を封じ込めるのではなく、「関与」し、民主主義を拡大していくことに注力する。

日本政府や外務省の一部は理解していないように見える。その点を、はき違えると、米国にとって、日本の存在意義が薄れ、鬱陶しい存在になるだろう。もちろん、米国は、中国を戦力的脅威と感じ始めていることは確かだ。最悪の場合、敵対国になる可能性もあるという思いもある。

しかしながら、そうならないように極力努力する。それに中国に対する読み違いに対するリスクも十分知っている。つまり中国は概して外国に対して発言が、国内的に誇張される傾向にあり、割り引いて考える必要も感じている。よって中国を敵対視し、封じ込めるようなことはせず、多面的重層的対話を重視して、強い関与の対象として位置づける。

もちろん、同盟国、関連国に対して、経済、道義、安全保障の面での義務を有しているとも思っているだろう。だが、そう言いながら、中国への米国の影響力の限界を知っている風でもある。それゆえ米国の対中外交姿勢は時に揺れる場面があるので、その部分を過剰に理解すると判断を誤る。

この辺を熟知して対中外交は展開されなければならないと思うのだが、最近の日本外交は、頓珍漢であった。あまりにも保守派に、おもねって深さが無く、単純発想し過ぎる。安倍政権は、真に米国の対中外交を把握しているのだろうか、疑わしい。

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2014年8月21日 (木)

千円カットの時代

まだまだ店舗数は少ないが、少し前から千円カットの理髪店がある(消費税別)。前首相も、よく利用していたらしい。カットのみで洗髪もヒゲ剃りもない。このような店が出た頃は、ちょっと敬遠していたが、最近、利用してみると、結構便利だ。カット時間は短いし、料金も安い(工程を抜いているのだから当然だが)。二週間に一度利用しても、月二千円(消費税別)。

利用者も、若い人たちだけでなく、中高年のサラリーマンの利用も多いようだ。営業マンも、ちょっとした空き時間を利用してカットできる便利さもあるだろう。退職者と思しき人も利用している。もちろん、子どもの利用もある。更に高齢のお婆さん達も利用している。

母が生きておれば、喜んで利用したと思う。晩年、刈り上げだったから、別に美容院でする必要もなくなったし、母は、どの美容院も満足できなかったようだから、ここなら料金的にも安いので、多分、満足しただろう。

ただ、展開している店舗が、まだ少なく、やや不便な所にある。駅の構内にある店もあるが、まだ少ない感じ。スポットのカット利用からすれば、利便性に配慮して欲しいものだ。

*追記

長年、理美容業界は、安定して店舗数を増やしてきたが、ここへ来て、経営は厳しくなっているようだ。閉める店も徐々に増えている。価格破壊もなく、業界全体がもたれ合いの状態だったが、今後は二極化も考えられる。都市部では、カット、洗髪・染め、ヒゲ剃りと分業独立した形態が増えるかもしれない。

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2014年8月20日 (水)

サラリーマン化する芸人達

ある芸人が、「政治的発言をすると干されるから発言しない」というようなことを言っていた。「色」を持ってしまうと、活動範囲は狭められてしまうかもしれない。

確かに、俳優の場合は、様々な場面を演じることを依頼される。それを俳優の思考で演じてしまうと、偏ったものになるかもしれないという懸念はある。そういう意味では、「色がない」というのは大切かもしれない(*注)。

ところが、芸人は、本来、果たして、その必要があるだろうか。どちらかと言うと、権力に批判的なことが庶民に受ける。庶民は、そういうことに期待している。あまり、おおっぴらに言えないけれど、代弁してくれる役割を芸人に委ねているのだ。昔は、そういう芸人は、その表現に強弱はあるものの、割とはっきり舞台で言っていた。それが受けた。

しかしながら、冒頭の芸人のような発言が出ると云うことは、多分、彼らが昔と違って、相当な収入を得ていることが背景にあるのかもしれない。また、彼らが所属する事務所が大きくなり過ぎて、政治的発言をすると何かと都合が悪いのかもしれない。

それが芸人たちを保守的にする。要するに今の地位を失いたくないと。だが、それがため、庶民からすると面白さに欠ける。高所得を得て、サラリーマンになった芸人たちは、当たり障りのない話で、庶民から遠ざかっていく。結局、芸に迫力が無くなり、顔が無くなっていく。本当の芸人が消えつつあることは寂しいことだ。

*注

ある程度、芸歴を重ねれば、自然と「色」は強くなる。これは仕方ない。それは一つの個性になる。周囲は、その個性に合った役割を期待するようになるから、役柄は制約を受けることとなる。

*追記

更に売れない芸人さえも、保守化している。面白くないから、余計に出番はない。仮に一時的に売れても、いつの間にか消えていく。

*追記

逆説的に言えば、テレビに出る芸人の話など聞くに値しないということだろう。ただ、最近は、演芸場などで話しても、勝手にネットなどに載せられ、言葉狩りされるので、話す方も窮屈かもしれない。困ったことだ。観る方にも責任がある。

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2014年8月18日 (月)

難しくなりつつある都市部の受診

高齢社会の到来に伴い、将来、医療・介護が受けられなくなる事態が予測されている。都市部では、既に、その兆候が出ているようだ。まだ診療を拒否されることはないようだが、患者のわがままは段々許されなくなる。ある新聞の投書蘭に、かつて大病院で出来た医師の指名ができなくて、怒っている大都市の高齢者の記事があったが、それを示している。

誰でも、高名で評判のいい医師に診てもらいたいのは人情だ。高齢者の病気の診断は、経験がないと難しい。口の悪い人は、多くの高齢の患者は、「病院で殺される」と言う。後で判ったことだが、高齢だった両親は、どちらも誤診であった。診てもらった医師は両方とも、若く一流とは言えない。

母の場合は、病状が悪化していたため、寿命だったと思われるので、まだいいが、父の場合は、最初の診断がまず町医者の誤診で、そこから大病院に転院して、更に誤診し、間違った投薬により、寿命を縮めている。今までも、こういうことがあったのだから、今後は、もっと増えるだろう。

ある程度の歳を過ぎれば、医療機関にかかる、かからないに関わらず、死を覚悟しなければならないのだろうが、誤診で死にたくないとも思う。しかし、それも無理になるのかもしれない。生きることは、より難しくなる。基本的には、病気にならないように気をつけ、健康年齢を長くするよう努めるしかない。

*追記

やはり評判のいい、かかりつけ医と懇意になっておくことは大切と思う。また、どれくらい多くの良質の医療機関とネットワークを形成しているかも判断する基準になるかもしれない。

なお、両親は病院嫌いで、少々のことは辛抱し、かかりつけ医を持たなかったことが寿命を縮めている。健康診断(但し、過剰な健康診断は不可)・定期健診(何らかの持病がある場合は、ついでに)等でかかりつけ医と日常的につながっておくことは無駄ではないと感じる。過剰に受診するのも問題だが、バランスは必要。

*追記

いずれ大都市圏では、受診できない、介護を受けられない人々が、困難に直面するだろう。そんなに遠い先のことではないと思う。特に東京圏は深刻だろう。過疎地の医療困難地域も大変だが、高齢者規模の大きい東京圏は、もっと様々な困難が伴う。それに東京圏は、最早、働く場所としても、そんなに美味しくない。特に非正規労働者は、東京圏を離れた方が賢明だろう。

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2014年8月17日 (日)

嘘っぽい割引セール

季節の変わり目、最近は前倒しが多いようだが、多くの販売店でバーゲンと称して、割引セールが催される。女性に聞くと、百貨店で定価で買うのは馬鹿げているとのこと。もちろん百貨店だけでなく、多くの販売店で割引セールが浸透しているのだろう。ということは、一体、定価の設定は何なのだろうか。本来、定価の設定は信用だ。あるべき定価設定であることが望ましい。

ところが、百貨店ではないが、時に7割引、ひどい時には9割引というのがある。もちろん、在庫処分ということがあるかもしれない。だが、原価は、いくらなのだろうか。まるで宝石のような定価設定になっているのだろうか。今は宝石の定価設定も下がっているようだが、以前は原価の10倍が定価と言われていた。

あまりにも種類の多いファッション系商品も、そのような定価設定になっているかもしれない。ある程度の流行は掴めても、何が売れるか判らない。そういう所から、こういう定価設定になるのかもしれない。

ただ、こういう定価設定は、あまり望ましくない。売価ギャップの大きさは消費者に不信感を与えるし、あるべき物の価値を不透明にする。結果的に、企業は信頼されなくなる。企業は、基本的なマーケティングをもっとしっかりして、価格設定すべきだろう。そうすれば、大幅値引きの弊害はなくせる。消費者も、大きい割引のセールには、気をつけた方がいいだろう。

*追記

定価設定には、最初から割引を設定した価格設定にしていることも見受けられる。いわゆる、「特売用商品」だ。概して、質が悪く、価格に騙される傾向がある。ところが、この商法を一部百貨店(テナントの場合も)も取り入れているから要警戒だ。

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さかなクンが描く明石たこワールドの紹介

「明石たこ大使」のさかなクンが、「さかなクンがギョ案内する明石たこワールド」で、明石たこを紹介している。あのしゃべり方は、少し苦手だが、分りやすく紹介しているので、備忘録として記しておく。

*参考 「さかなクンがギョ案内する明石たこワールド」

http://www.city.akashi.lg.jp/seisaku/kouhou_ka/shise/koho/d-   library/hosokyoku/2ch/sakanakunn_tako.html

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2014年8月15日 (金)

笑いの沸点が低い人

女優の吉高由里子さんが、同じく女優の高梨臨さんを評して、「笑いの沸点」が低いと言っていた(また、結構ぶりっこらしい)。イメージたが、少し気難しそうな吉高さんが言うのだから、確かだろう。

一般に今は分らないが、流風の時代は、小学生から中学生ぐらいにかけての女子は、箸が転んでも可笑しい年頃だと云われた。「コロコロ」と笑うのもいたが、「ゲラ子」とあだ名がついた女子もいた。

高梨臨さんは今年25歳だというから、まだ若々しい感性をお持ちなのだろう。あるいは生まれながらの性分なのかもしれない。いや、家庭の教育がよかったのだろう(*注)。そういう女性が周囲にいれば、明るい雰囲気になるから、歓迎される。

どんなに周囲の雰囲気が落ち込んでいても、彼女がいれば、周囲は自然となごみ、皆、自然体になる。確かに、そういう女性はいる。流風も若い頃、同僚に、そういう女性がいた。一見、掴みどころがない面もあるが、何となく空気が柔らかくなる。

皆が皆、笑いの沸点を低くできないだろうが、そういう女性は歓迎したいという気持ちは流風でもある。

*注

昔の女子教育は、そのようであったと聞いている。ちょっとしたことにも感謝し、有難いと思う心を養っていると、自然と笑顔が増える。そのように躾けると、そういう女性は、もらい手が多かったらしい。現代は、教養が高く、頭のいい女性は多いが、笑顔が足りない女性が多いように思う。

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2014年8月13日 (水)

過ちの原因

生前、母が、「イングリッド・バーグマンは、美人ではないけれど、知的な感じを受けるので好きだ」と言っていたのを、ふと思い出し、一体彼女がどのような女優であったのか確認したくなり、旧作映画のDVDを数枚買い求めた。70年近く前の作品なので、著作権切れで安い。一枚がコーヒー一杯分で済んだ。もちろん、白黒映画だ。

その中の一つに、1945年の米国映画作品 “Spellbound”(邦名は『白い恐怖』)がある。題の直訳は、「呪文で縛られたとか、魅せられた」という意。映画は両方の意味を含んでいると思う。邦名は『白い恐怖』は、映画の一場面から発想したものだろう。映画の内容について詳しいことは、ここでは記さない。

当時の美男子の代表グレゴリー・ペックと知的な女優、イングリッド・バーグマン主演。監督は、アルフレツド・ヒッチコック。映画の冒頭にシェイクスピアの言葉とされるものが示される。実は、シェイクスピア作『ジュリアス・シーザー』の中の一文だ。

 The fault is not in our stars.

  But in ourselves.

映画の邦訳では、「過ちを招くのは運命が原因ではなく、自分自身にある」となっていた。分りやすい訳だと思う。ただ岩波の中野好夫氏の訳(*注)では、「僕ら、うだつが上がらんというのは、なにも運勢の星が悪いんじゃない、僕ら自身が悪いんだ」となっている。全体の文脈からは、そのような意訳がいいかもしれない。

過ちの多くは良くも悪くも自ら作り出しているのは確かだろう。シェイクスピアは卓見だ。場面は、キャシアスがブルータスに、シーザー暗殺をそそのかすところで、キャシアスの言葉だ(第一幕二場)。人は、弱いものだから、度々責任逃れをしたくなる。そこに付け込むキャシアス。だが、キャシアスの言葉も、一つの真実だ。だから説得力がある。それはそれとして、私達も、時々、過ちの原因を探ることは大切かもしれない。

*注

『ジュリアス・シーザー』 シェイクスピア作 中野好夫訳 (岩波文庫刊)

第一幕第二場では、キャシアスが、ブルータスに、シーザーの暗殺をそそのかす言葉を並べる。この一文は、その一部。暗殺を企まれるのは、権力を我が物顔で使うシーザーに対する反発や嫉妬がある。そして、もっと根深い所では、シーザーに対する人種差別があると云われる。シェイクスピアは、それを巧みに表現している。

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2014年8月12日 (火)

華道とフラワーアレンジメントの違い

最近、テレビを視ていると、「生け花」のセンスの有りや無しやという番組がある。専門家が、芸能人等に活けさしてみて、能力があるかどうか評価しているものだ。

ところが、この専門家という方が、流風から見れば、極めて嘘くさいが、彼は芸能人の生けた花を、ぼろくそに言っている。

もちろん、芸能人の方の中には、箸にも棒にもかからないセンスの持ち主の方もいる。しかしながら、どう見ても、専門家の方も、上手とは思えない。流風は専門家ではないが、イマイチな感じだ。

色々調べてみると、彼は「華道」の専門家ではなく、「フラワーアレンジメント」の専門家のようだ。流風は、どちらかと言うと「華道」として「生け花」を見ている。ところが、彼は「生け花」を「フラワーアレンジメント」の立場から評価しているようだ。その見方は、「華道」とは全く違う。こういう番組の作り方はいかがなものかと思う。

*追記

流風の理解では、華道が日本画の様に平面的に捉えるのに対して、フラワーアレンジメントは立体的に捉えている。

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2014年8月11日 (月)

程明道の達観 漢詩『秋日偶成』

暦上は立秋も過ぎ秋だが、残暑ということで、まだまだ暑い日が続きそうだ。でも、ブログでは、秋の詩を取り上げてみようと思う。今回は、程明道の『秋日偶成』だ。程明道は北宋の人で、程顥(ていこう)。程朱学を創設。幼い頃から非凡であったと云う。詩は次のようになっている。

 閑来事の従容ならざるはなし

 睡覚むれば東窓 日すでに紅

 萬物静観すれば 皆自得す

 四時の佳興 人と同じ

 道は通ず 天地有形の外

 思は入る 風雲変態の中

 富貴にして淫せず 貧賤にして楽しむ

 男児ここに到らば 是れ豪雄

いろんな解釈があるようだが、敢えて訳として示せば、次のようになるだろうか。

「仕事を離れ、閑暇の身になると、何事もなるようになり、心もゆったりと過ごすことができる。朝、目覚めると、東の窓には、すでに陽が赤く射し込んでいる。(果たして、今頃、分ったことだけれど)万物を心静かに観察すれば、皆、在るように在ると納得が行く。季節の巡りは、人の営みに溶け込み変化していく。

そう考えれば、あるべき道は、天地の外に通ずるものだろう。となれば、この世の絶えざる変化が続く中、どう対処すればいいのか。それには、(変化するものを追わず、不変の真理を悟り、主体性を維持し)富豪になっても溺れず、貧しくとも、むしろ楽しむ意識を持つ方がいいのだろう。男、こういう境地に至れば、何も怖れることはなく、こういう人は豪勇と言えるかもしれない」

人は、人生行路に於いて、迷い、時には頭を打ちながら、憂いを蓄えることもあるだろう。あるいは、たまたま、うまく行って、喜びに溢れ、快楽と感じることもあるかもしれない。

だが、人は天地の間で踊らされているに過ぎないと考えると、淡々と歩んだ方が賢明なのかもしれない。ただ、それでは面白くもないが。

ある年齢に達して人生を達観するのは、皆同じ。若者たちが、いずれ達観の域に入るかもしれないが、頭の片隅に置きつつも、今は、その必要もない。いずれ分る時が来る。

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2014年8月10日 (日)

未熟な人が、ライバルは自分自身?

ある若い女性タレントが、「ライバルは自分自身」と発言していて、笑ってしまった。「ライバルは自分自身」というのは、そもそも、その道の達人の言うこと。多くの道程には、障害や困難が付きもので、そこにはライバルも登場する。そこで切磋琢磨して、自分の技術や芸を磨いて、認められるようになる。そして、最終的に自分自身との闘いになる。

初めから克己心の高く完成された人は、ライバルを必要としないかもしれないが、多くは、そうでないだろう。ライバルから刺激を受け、自らを高めていくのが普通だ。彼女が、どれほどの才能の持ち主か知らないが、現段階で、「ライバルは自分自身」というのは驕りだろう。何かの書籍で読んで、軽い気持ちで言ったのかもしれないが、タレントである限り、発言には慎重さが求められる。

*追記

では、どのように言えばよかったのか。「自分自身の未熟さとの葛藤」ぐらいかな。

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2014年8月 8日 (金)

理研の野依良治理事長は即時辞任を

一流の研究者が、組織の管理者として必ずしも優れているとは言えない。それはプロ野球で一流選手が監督として優れているとは言えないことと同じだ。今回、理化学研究所(以下、理研と省略)が、STAP細胞の問題で、世界でも有能と高く評価されていた研究者を自殺に追い込んだ組織の責任は大きい。

理研の野依良治理事長には即時辞任が求められる。事件後、マスコミに漏れ出る彼の発言は、官僚的で、研究所の長としては、あまり宜しくない。こういう研究所の長は、「やってみなはれ。後の責任は、俺が全て持つ」というぐらいの度量の有る人が望ましい。

第三者委員会からは、理研・CDBの解体が提言されているようだが、そんなことをしても、よくなるとは思わない。度量があるトップに替えて、組織管理に通じたスタッフを揃えることにより、組織改革することが大切だ。

ノーベル賞受賞者だからと言って、過剰に彼を守れば、かえって組織は沈滞するし、彼のためにもならない。彼には、理事長より、少し気楽なアドバイザー的地位が望ましい。まず理事長を辞めてもらって、雰囲気を変えることが重要だ。そのためには、人望のあるトップを据える必要がある。必ずしも研究者に拘る必要はないだろう。

また、大学と違って、理研の持つ自由闊達さを活かしながら、どちらかというと苦手に見える組織管理を徹底することが必要だ。そのためのスタッフの充実は求められる。人材には「仮説設定」のうまい人と、その裏付けを取る「検証」上手な人がいる。それをうまく組み合わせて、精度の高い成果を得るようにしてもらいたい。

*追記

ついでながら、流風が感じる理研の理事長のイメージは、人望があることは当然だが、構想力があり、大風呂敷を広げられることだ。そして、実現には金もいるので、集金力も大切だ。昔の人に例えれば、後藤新平が近い。彼は、構想力を練り、その実現のために、優秀な人間を集めている。そして、可能なプランを作り、更に柔軟に対応している。構想・実現案を基に、安田善次郎等を説得し、多額の寄付金を得ている。理研も国の予算だけに頼るようでは駄目だろう。

*平成26年8月27日追記

記者会見で、野依良治理事長は辞任を否定したらしい。ずっと居座るつもりらしい。出処進退ができないようだ。これで理研への風当たりは強くなる。そもそも金食い虫の理研は、ある意味、国民にとって、お荷物と映るだろう。理研の前途は厳しくなると覚悟すべきだろう。馬鹿な人だ。

*平成27年3月7日追記

野依良治理事長は、やっと辞任するらしい。遅すぎる感じ。いくらノーベル賞を受賞していても組織のトップとしての心構えはできていたのか。大いに疑問がある。単にノーベル賞を受賞していても組織管理者として優れているわけでもない。彼を任命した人間にも責任があることを忘れてはならない。

*平成27年3月24日追記

3月23日の記者会見で、STAP細胞問題について、野依理事長は「研究者たちに大きな責任がある」と言ったらしい。組織の長にあるまじき発言だ。やはり人間的に問題があるという噂は本当のようだ。こんな不遜な人間には、永遠に研究界から去って頂きたいものだ。顔も見たくない。

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日付の混乱

一般に、日本の日付は、年、月、日の順である。ところが、わざわざ英語の日付で記す人々もいる。その方が格好良く見えるからであろうか。

ビジネスの場合は、大手の輸入業者は、輸入品(特に食品)に対して、英語の日付の記入を日本の日付順に直して、ラベルを貼っている場合が多い。ところが、中小の輸入業者や個人輸入業者は、そのままの場合が多い。英語の日付は、普通、月、日、年のようだが、英国の場合、月と日が逆転するという。

この件で、以前、少しトラブルになったことがある。一般の英語の日付では、消費期限切れだったのだが、苦情を言うと、そうではないと反発された。とても苦情対応する雰囲気ではなかったが、ここでは、それ以上のことは記さない(多分、英国風の表記で、月日が逆転していたのだろう)。

ただ、ブログ等で、英語風に日付を記すのに、一部英国風と混乱している人が見受けられる。流風は、何も日付を英語風に記す必要はないと思うのだが、世界への発信と捉えれば、それはそれぞれの判断。でも、よく考えて統一して書いてもらいたい。

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2014年8月 6日 (水)

黒田官兵衛観光タクシーについて(S)

以前、「黒田官兵衛観光タクシー」について、軽く触れた。それは次のようなものであった(若干補足説明追加)。

「貸切で1台定員4名。様々なコースがあり、所要時間は1時間半から4時間で、料金は中型タクシーで、6,600円から17,600円まで。「ひめじ観光タクシー」という認定ステッカーが貼ってあり、運転手による案内、説明がある。予約・問い合わせ先は、兵庫県タクシー協会姫路支部 電話079-298-1296(受付時間:月~金9:00~17:00)まで」というもの。

ただ、ざっくりとしていて分りにくいという声もあったので、今回は、観光する人のために、やや詳しく記しておこうと思う。この仕組みは、「ひめじ観光タクシー」によるもので、認定観光ドライバーが案内する。「軍師官兵衛ゆかりの地ルート」としては、次のものがある。コースは6種類ある。なお、定員4名の「中型タクシー」に加えて、定員9名の「ジャンボタクシー」も選択できるようだ。

◎官兵衛はやわかりコース

所要時間 180分

ルート:姫路駅→廣峯神社→御着城址→黒田家廟所→牛堂山国分寺→黒田職隆廟所→国府山城址→亀山本徳寺→姫路駅

料金 中型タクシー 13,200円。ジャンボタクシー 16,200円

◎古戦場めぐりコース

所要時間 150分

ルート:姫路駅→土器山→青山古戦場跡→英賀神社→英賀城港址→英賀城本丸址→亀山本徳寺→姫路駅

料金 中型タクシー 11,000円。ジャンボタクシー 13,500円。

◎司馬遼太郎めぐりコース

所要時間 180分

ルート:姫路駅→姫路文学館→広畑天満宮→英賀神社→英賀本徳寺跡→英賀城港址→英賀城本丸址→山崎山城址→姫路駅

中型タクシー 13,200円。ジャンボタクシー 16,200円

◎黒田家お墓参りコース

所要時間 90分

ルート:姫路駅→御着城址→黒田家廟所→牛堂山国分寺→黒田職隆廟所→国府山城址→姫路駅

中型タクシー 6,600円。ジャンボタクシー 8,100円

◎パワースポットコース

所要時間 150分

ルート:姫路駅→廣峯神社→増位山随願寺→書写山円教寺(終点)

注*終点は姫路駅ではない。

中型タクシー 11,000円。ジャンボタクシー 13,500円。

◎よくばりスポットコース

所要時間 240分

コース:姫路駅→稲岡神社・青山古戦場跡・広畑天満宮→英賀神社・英賀本徳寺跡・英賀城港址・英賀城本丸址・英賀城主三木家墓→山崎山城址→亀山本徳寺→姫路駅

料金 中型タクシー 17,600円。ジャンボタクシー 21,600円。

以上が全てのコースだが、コース以外も要相談とのこと。なお、土・日・祝は、観光タクシーのりばに直接お越しください、とのこと。でも台数に制約があるので、予約した方がベター。観光タクシー乗り場は、JR姫路駅構内北側にある姫路観光なびポート(姫路観光案内センター)の斜め前。一般タクシー乗り場の西。持ち時間と相談して、上手に活用して欲しい。

*注記

この記事は、スポット投稿のため、いずれ削除します。

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2014年8月 5日 (火)

嘘による化かし合い・狂言『鱸包丁』

久しぶりに狂言を取り上げてみよう。それが『鱸(すずき)包丁』。鱸は難しい字だ。鱸は、セイゴが成長したもので高級魚。セイゴの方は、父が、魚釣りで、よく釣っていたような記憶がある。昔は関西でよく食べられていたようだが、最近は口にしていないと思う。

話は伏見に住む伯父と淀に住む甥の嘘の化かし合いというもの。尤も、伯父の嘘は、甥の嘘に対応したもの。伯父に宴会用にと鯉を頼まれていた甥は、忘れてしまって、督促されると、まだ買っていないという言い訳に、鯉を生かしておこうと淀川の橋のたもとに繋いでいたところ、川獺(カワウソ)に食べられてしまったと、極めて下手な言い訳をする。

当然、嘘と気付いた伯父は、それならと口先で御馳走することを思いつく。甥に鱸の料理の好みを聞いて、打ち身(刺身)を希望するので、鯛や鯉であるべきだと講釈を垂れ、打ち身の故事を語って聞かせる。その後、鱸を煮魚、膾(なます)料理iにし、銘酒を振舞い、更に濃茶まで点てた様子を語り、甥には帰るように言う。

驚いた甥は、料理を頂いたら、そうしましょうと言うと、伯父は、こうして、もてなしいやりたいが、鯉を川獺が食べてしまったように、鱸も謀生(ぼうじょう。嘘のこと*注)という虫が食べてしまったと叱りつけて終演。

忘れていたことを偽り嘘をつく。子供時代を思い出すなあ(笑)。言い訳をすればするほど、嘘は大きくなっていく。とどのつまりは、皆にバレバレ。辻褄の合わない話は、最近も、どこかの県会議員たちが起こしている。

*注

謀生(ぼうじょう)は聞きなれない言葉で、辞書にもない。解説書には、「嘘」と説明してある。中国語かと思ったが、言葉はあるが意味が違う(「生を謀る、という意味らしい)。となると、文字から察するに、「謀(はかりごと)から生まれた」の意味だろうか。それなら嘘に通ずる。

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2014年8月 4日 (月)

漢詩「感遇」を読む

今回は、久しぶりに漢詩を取り上げてみる。それは張九齢の「感遇」。『唐詩選』に載っている。張九齢は、唐中期の政治家で、科挙出身で、当時の宰相の張説に引き立てられ、開元最後の賢相と言われた。清廉潔白で、皇帝への諫言もしている。少しの現象から物事の本質を見極めることが出来たと云う。ただ、門閥派の李林甫や楊国忠との争いに負け追われることになる。その左遷された失意の中での歌が「感遇」である。

 孤鴻 海上より来たり

 池潢(ちこう) 敢えて顧みず

 側(かたわ)らに見る 双翠鳥の

 巣くうて三珠樹に在るを

 矯矯たり珍木の顚(いただ)き

 金丸の懼れ無きを得んや

 美服は人の指ささんことを患え

 高明は神の悪(にく)みに逼(せま)る

 今我 冥冥に遊ぶ

 弋者(よくしゃ) 何の慕う所ぞ

訳としては、次のようになるだろうか。「大きな一羽の鳥が海を渡ってやって来た。小さな水たまりには、何の関心もなく、また、つがいのカワセミが全てが真珠で作られたという伝説の木、三珠樹の上に止まっているのを冷やかに見る。高い珍しい木に誇らしげに止まるのはいいが、却って目立って、金色の玉で撃ち落とされる危険性があるというものだ。

美しい服を着ていると、何かと人々にあらぬ疑いをかけられる。あまり目立ち過ぎると、「神(広く見えない世間)」から見放される懼れもある。今、自分は、暗い大空を高く舞っているので、誰にも気にせず、悠々と振る舞える。最早、猟師が捕らえようとしても、何もできまい」

自分を大きな鳥と例えている。詩全体から感じることは、誇りは失っていないが、権力闘争から逃れてホッとしているようなイメージ。余程、権力闘争が辛かったのだろうか。権力闘争は男の性だが、知性の高い者には、権力闘争は似合わないのかもしれない。結局、彼は復権することなく、そのまま世を去っている。

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2014年8月 2日 (土)

歯並びは大切

最近、若い方で歯並びの悪い人たちを時々見受ける。また若いタレントの方でも、信じられないことだが、そういう人たちを見ることがある。人間、歳が行くと、若い時、歯並びがよくても、自然と悪くなるのは仕方ないにしても、若い人たちの歯並びの悪さを見ると、少し悲しくなってしまう。

悪い歯並びは見た目だけでなく、噛み合わせ等を考えると健康にも良くない。昔は、どこの親も割と敏感に反応していたのに、最近の親の中には、鈍感な人がいるのかもしれない。確かに、歯列矯正は、お金と時間も、かかって大変だけれど。

しかしながら、これからの子どもの長い人生を考えれば、歯列矯正は大切だろう。費用が多少かかっても、子どもに投ずる他のことを節約しても、子どもの歯の健康には留意してほしいものだ。また、お子さんの方も、多少辛いかもしれないが、将来を考えて、歯列矯正には辛抱強く取り組んだ方がいいだろう。

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2014年8月 1日 (金)

夏の大掃除 2014

もう8月突入。暑過ぎて、何もやる気がしないグータラダラダラ生活。。クーラー嫌いの流風も、残念ながら使っている毎日だ。基本的に暑いのは好きなのだが、それも程度問題。

晴耕雨読の生活と言っても、ガーデニングするには、ちょっと厳しい。適当に体内の水分を抜くことはいいことだと思うが、補給する水分を採り過ぎると、夏バテになるから難しい。

そうだからといって、読書の方は、あまりの暑さゆえ、はかどらない。クーラーをつければ、多少進むが、冷え過ぎたりして、その調整で、また読書が中断し、行きつ戻りつの状態。

ということで、毎夏のことだが、お盆が近づくと、夏の大掃除にとりかかる。今の時期にやっておけば、年末の大掃除は若干楽ができることもある。流風は完璧主義者ではないが、一部の若い女性のような、ごみ屋敷の状態にはなっていない。

基本的に気が付いたら掃除する主義。だから、他者から見ればヌケがあるかもしれない。それを、この時期は、少し範囲を広げる。よってお盆のような催しがあると助かる。来客者があれば、掃除に手を抜くこともできない。まあ、そこそこに掃除する。これが適度な運動になる。よって、ここしばらくは掃除で忙しいので、晴耕雨読はお預け。

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