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2014年8月11日 (月)

程明道の達観 漢詩『秋日偶成』

暦上は立秋も過ぎ秋だが、残暑ということで、まだまだ暑い日が続きそうだ。でも、ブログでは、秋の詩を取り上げてみようと思う。今回は、程明道の『秋日偶成』だ。程明道は北宋の人で、程顥(ていこう)。程朱学を創設。幼い頃から非凡であったと云う。詩は次のようになっている。

 閑来事の従容ならざるはなし

 睡覚むれば東窓 日すでに紅

 萬物静観すれば 皆自得す

 四時の佳興 人と同じ

 道は通ず 天地有形の外

 思は入る 風雲変態の中

 富貴にして淫せず 貧賤にして楽しむ

 男児ここに到らば 是れ豪雄

いろんな解釈があるようだが、敢えて訳として示せば、次のようになるだろうか。

「仕事を離れ、閑暇の身になると、何事もなるようになり、心もゆったりと過ごすことができる。朝、目覚めると、東の窓には、すでに陽が赤く射し込んでいる。(果たして、今頃、分ったことだけれど)万物を心静かに観察すれば、皆、在るように在ると納得が行く。季節の巡りは、人の営みに溶け込み変化していく。

そう考えれば、あるべき道は、天地の外に通ずるものだろう。となれば、この世の絶えざる変化が続く中、どう対処すればいいのか。それには、(変化するものを追わず、不変の真理を悟り、主体性を維持し)富豪になっても溺れず、貧しくとも、むしろ楽しむ意識を持つ方がいいのだろう。男、こういう境地に至れば、何も怖れることはなく、こういう人は豪勇と言えるかもしれない」

人は、人生行路に於いて、迷い、時には頭を打ちながら、憂いを蓄えることもあるだろう。あるいは、たまたま、うまく行って、喜びに溢れ、快楽と感じることもあるかもしれない。

だが、人は天地の間で踊らされているに過ぎないと考えると、淡々と歩んだ方が賢明なのかもしれない。ただ、それでは面白くもないが。

ある年齢に達して人生を達観するのは、皆同じ。若者たちが、いずれ達観の域に入るかもしれないが、頭の片隅に置きつつも、今は、その必要もない。いずれ分る時が来る。

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