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2014年8月29日 (金)

『三木美術館コレクション 和の心 茶道具』展に行く

割と定期的に足を運んでいる姫路の三木美術館。『三木美術館コレクション 和の心 茶道具』展が始まったようなので観覧してきた。少し改装され、2階部分が増床された。そのため、全体的に以前より、ゆったりして、すっきりした感じ。特に受付は、以前は3階に窮屈な感じであったが、2階に移り、広々とした感じになり、美術館らしくなった。

いつものように、にこやかな受付の女性に迎えられ観覧。展示は以前同様に、3階と4階。まず3階で茶道具を観る。近現代の巨匠の作品という。残念ながら、流風は存じ上げない。この分野のことは詳しくないが、茶人たちの茶碗の好みは、「一楽二萩三唐津」と呼ぶらしい。また別の呼び方では、「一井戸二楽三萩」とか「一井戸二楽三唐津」などもあるようで、人によって好みは違うらしい。今回は、楽焼、大樋焼、萩焼、唐津焼の作品を展示。茶碗と水指を中心に35点。

流風は残念ながら茶道の心得はない。当然、茶道関係の道具のこともよく知らない。茶道には、過去に幾度か挑戦しようとしたが、あの堅苦しさが性に合わないということで、断念している。若い時、京都の清水に行き、安い茶碗を買ったが、使わず仕舞いだ。ただ茶道文化自体には関心があり、千宗室、千宗左、岡倉天心、小林一三等の書籍を買い求めたこともある。

今は、茶にお湯注ぎ、それをゆっくりと味わうことで満足している。でも、その時の器をどうするべきかと時々考えることがある。飲む器で、多少、お茶の味が違うような錯覚も受ける。料理が、器と一体と言われるように、茶もそうなのかもしれない。そう考えると、茶を飲む容器も、選ぶ必要があるのかもしれない。

今回は、あくまで茶道で使われる器中心だが、湯呑も茶の道具と捉えられないこともない。飾られる美術品ではなく、日用のありふれた茶の道具も、またある意味、「美術品」なのだろう。かつての「民芸」の考え方までは行かなくても、生活と道具は一体で、そこに文化があると思えば、いつも使っている湯呑も自分の文化と思え、いとおしくなってくる。

さて、この展覧会に展示してあった作品は割と好みのものが多かったと思う。特に、これというものはないが、抵抗なく受け入れられた。美術品は、この美術館の創設者も言っておられるが、作者でなく、作品に対して、観覧者が、いいと感じたものがいい。美術品は、それぞれ好きなものが好きで好いと思う。そういう鑑賞の仕方で、ずっと来ている。

その他の作品としては、常設展示のの隠崎隆一氏の作品や若干展示替えのあった絵画類を鑑賞して美術館を後にした。なお、この展覧会は、平成26年11月24日まで。

*追記

なお、2階には、かつて3階、4階で展示してあった展示販売品のコーナーが移設してあった。また従来品に加えて浮世絵の展示販売もあり。更に奥には、休憩室があり、飲料の自動販売機が新たに設置してあった(これに伴い、5階にあった無料セルフ飲料は撤去)。各種美術館等の案内も置いてあった。

また5階の応接室は、整理されて、すっきりした感じ。ここから姫路城を観ることができることは以前に記した通り。

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