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2014年8月13日 (水)

過ちの原因

生前、母が、「イングリッド・バーグマンは、美人ではないけれど、知的な感じを受けるので好きだ」と言っていたのを、ふと思い出し、一体彼女がどのような女優であったのか確認したくなり、旧作映画のDVDを数枚買い求めた。70年近く前の作品なので、著作権切れで安い。一枚がコーヒー一杯分で済んだ。もちろん、白黒映画だ。

その中の一つに、1945年の米国映画作品 “Spellbound”(邦名は『白い恐怖』)がある。題の直訳は、「呪文で縛られたとか、魅せられた」という意。映画は両方の意味を含んでいると思う。邦名は『白い恐怖』は、映画の一場面から発想したものだろう。映画の内容について詳しいことは、ここでは記さない。

当時の美男子の代表グレゴリー・ペックと知的な女優、イングリッド・バーグマン主演。監督は、アルフレツド・ヒッチコック。映画の冒頭にシェイクスピアの言葉とされるものが示される。実は、シェイクスピア作『ジュリアス・シーザー』の中の一文だ。

 The fault is not in our stars.

  But in ourselves.

映画の邦訳では、「過ちを招くのは運命が原因ではなく、自分自身にある」となっていた。分りやすい訳だと思う。ただ岩波の中野好夫氏の訳(*注)では、「僕ら、うだつが上がらんというのは、なにも運勢の星が悪いんじゃない、僕ら自身が悪いんだ」となっている。全体の文脈からは、そのような意訳がいいかもしれない。

過ちの多くは良くも悪くも自ら作り出しているのは確かだろう。シェイクスピアは卓見だ。場面は、キャシアスがブルータスに、シーザー暗殺をそそのかすところで、キャシアスの言葉だ(第一幕二場)。人は、弱いものだから、度々責任逃れをしたくなる。そこに付け込むキャシアス。だが、キャシアスの言葉も、一つの真実だ。だから説得力がある。それはそれとして、私達も、時々、過ちの原因を探ることは大切かもしれない。

*注

『ジュリアス・シーザー』 シェイクスピア作 中野好夫訳 (岩波文庫刊)

第一幕第二場では、キャシアスが、ブルータスに、シーザーの暗殺をそそのかす言葉を並べる。この一文は、その一部。暗殺を企まれるのは、権力を我が物顔で使うシーザーに対する反発や嫉妬がある。そして、もっと根深い所では、シーザーに対する人種差別があると云われる。シェイクスピアは、それを巧みに表現している。

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