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2014年9月27日 (土)

キンモクセイの花と茨木のり子の詩

先日、外出先から戻ってきて、見ると、キンモクセイの花が咲いていた。そして、今も、いい香りを漂わせている。この枝の切り込みにも強い木は、剪定ミスには、あまり気づかない。ただ気をつけていることは、剪定は、花後ということを守っているだけ。

キンモクセイを見ていると、木は、どのようにして秋を感じ取り、人は、どのようにして、秋を感じるのだろうと思った。そこで、昔、読んだ、茨木のり子の詩が、少し気になった。といっても、熱心なファンではない。うろ覚え。そこで、確か、彼女の詩集を、かなり前に購入したはずだと思いだし、探したが、見つからず。止むなく、書店で探すことにした。

彼女の詩作は、非常に多く、とても全集には目を通せない。ふと見ると、岩波のコーナーに、『茨木のり子詩集(谷川俊太郎選)』というのが、目に入った。ぱらぱらとめくっていると、例の詩が見つかる。ああ、これだったのか。

  題 「詩」

 昔のひとが

 はた と風の音に驚いて

 さらさらと歌に詠んでくれたので

 今の人も気づくのだ

 昨日と今日の風の違いに はたと

 たくさんの詩人が日本の秋をうたってきた

 詩の耳目を通して

 秋を感じてしまっているのを

 私たちは忘れている

 それはいいことだ

  (以下略)

茨木のり子は、人の秋に対する感じ方は、先人の詩によって左右されているとしているのは、確かに意識の中に刷り込まれて、そうなるのだと思う。多かれ少なかれ、過去の文化が、潜在的に意識の中に刷り込まれているだろう。もちろん、暦の影響も大きいのだが。

でも、樹木の場合は、単に気温の変化だけなのだろうか。もっと複雑な条件が重なった結果なのだろうか。彼女の詩(今回、買った詩集を読む限り)では、答えは示されていなかった。彼女は、植物学者ではないのだから、当たり前なのだが。

*参考

  『茨木のり子詩集(谷川俊太郎選)』(岩波文庫刊)

*追記

茨木のり子の上記の書籍を読んでいると、本テーマには「見えない配達夫」の方が相応しいかもしれない。その一部を紹介すると、次のようになっている。

 地の下には少しまぬけな配達夫がいて

 帽子をあみだにペダルをふんでいるのだろう

 かれらに伝える 根から根へ

 逝きやすい季節のこころを

 世界中の桃の木に 世界中のレモンの木に

 すべての植物たちのもとに

 どっさりの手紙 どっさりの指令

 かれらもまごつく とりわけ春と秋には

 以下省略

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