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2014年9月 1日 (月)

鶏口となるも、牛後となるなかれ、ということ

父に、「鶏口となるも、牛後となるなかれ」とよく諭された。「牛後」のように、大きな組織の中に入ると、歯車になってしまって、自分自身が見えなくなる。結局、無意識に組織の決めたことについていくことになる。そして、自分自身を見失う。大きな組織に居るには、相当強い意志を持たないと、埋没してしまう。だが、多くの人は安寧を求めて、楽な道を選んでしまいがちだ。その人生航路は、迷路に入ったも同然となる。

一方、鶏口の方は、小さい組織だから、すぐ自分がリーダーシップを発揮しなければならない。人間の能力自体は、若い人も年輩者も、そんなに変わらない。異なるのは経験だけだ。ということで、若い人をリーダーにしても、目標が明確であれば、周囲がある程度支えてやる必要はあるが、問題はない。もちろん、そこには他人には言えない苦労があるだろう。でも、大きい組織の中で育った者より、早く成長する。

もちろん、全てが全て、「鶏口となるも、牛後となるなかれ」が正しいとも思わない。人には、それぞれ適性がある。ただ、今の日本に求められるのは、この精神かもしれない。

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