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2014年9月20日 (土)

寄付・ボランティア依存の政策でいいのか

あの阪神淡路大震災以後だと思うが、我が国でも、各地の災害被災に対して、寄付やボランティアが定着した。困った人々を助けようとする、その気持ちは尊重するし、実際、被災者にとっては大変ありがたい。ただ善意には限界がある。

国や行政の動きを見ていると、寄付やボランティア前提の政策が時に見え隠れする。それは明らかにおかしい。善意は善意だ。政治と善意が、交わることはない。国や行政は、決して、寄付やボランティアという善意に甘えてはならないだろう(彼らは決して、そういうつもりではないと言うだろうけれど)。

*追記

もちろん、災害に対しては、国や行政にできることは限界がある。ただ善意にしろ、行政にしろ限界があることを皆が再確認しなければ、誰も将来に対して備えないし、共助の精神も養えないと思うのだ。善意に甘えてはならないのは、何も国や行政だけではないのも確かだ。

*2018年8月6日追記

最近、「防災省」の設立を主張する人たちがいるが、そんなことをすれば、地方行政は、災害対応を国が全てやってくれると勘違いする。更に防災に対して、主体的に取り組まなくなる恐れがある。

人口減少下、地方行政が、災害対応するのは厳しいことは分かるが、それでも、まず地方自身が、リーダーシップを取る必要かある。それに対して、国は、要請に応じて、支援すればいい。それは今まで、やっていることだ。

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