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2014年9月 2日 (火)

漢詩『泊湧金門』を読む

朝夕、特に朝方が涼しくなってきた。寝る時は、まだ掛け布団が要らないと思う時もあるが、朝方は、掛け布団が無いと幾分寒い。昼間は、まだ暑いが、それでも、一時の様ではない。過ごしやすく、読書が進む。ガーデニングでも、蚊の数が減ってきた感じ。やはり秋到来なのだろうか。

そういうことで、秋を題材にした漢詩『泊湧金門』を取り上げてみる。作者は、林鴻とされるが、詳しいことは分っていない。

  煙は楊柳に生ず 一痕の月

  雨は荷花を弄す 数点の秋

  此の景 此の時 描き尽くさず

  画船帰り去れば漁舟有り

特に解釈は不要だろうが、敢えて次のようにしてみた。

「霧で覆われ、柳の木には、まるで煙がかかっているようだ。ただ、その中に欠けた月がきらりと見える。強い雨が、蓮の花を弄んでいる。ああ、秋が来たことよ。このような景色は、なかなか描き尽くせるものではない。そう思って、ふと見たら、船体に派手に描かれた大きな観光船が去ってしまって、今は小さい漁舟だけが残っている」

漢詩には、裏の意味があると言われるが、この詩には、流風の読解力では、特に感じられない。ただ作者が、絵を描く人のようにも考えられる。秋の絵のテーマを探しに出かけた時の感遇かな。一瞬、一瞬を刈り取る作者の感性が詩から読み取れる。

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