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2014年10月31日 (金)

秋の雨と万葉集

明日から3連休なのに、天候の方は、あまり宜しくない予報が出ている。秋雨になりそうな雰囲気だ。だが、晴れた秋空もいいが、雨を楽しむのもいい。今回は、『万葉集』の秋を楽しもう。

まず、大伴利上の歌。彼については、よく分かっていない。

 秋の雨に 濡れつつ居れば いやしけれど

   我妹がやどし 思ほゆるかも

   (巻第八 一五七三)

大意は、「秋の雨に濡れながら佇んでいると、粗末でむさくるしいけれど、あの娘がいる家が思われる。どうしているのだろうか」てな感じ。今すぐにでも、行きたいけれど、行けない事情があるのかもしれない。人恋しい季節でもありますな。

もう一つが、藤原八束の歌。彼は、藤原不比等の孫。藤原房前(ふささき)の子ども。春日を題材にした歌だ。

 ここにありて 春日やいづち 雨障(あまつつ)み

  出でて行かねば 恋ひつつぞ居る

     (巻第八 一五七〇)

大意は、「ここから見て、春日は、どの辺りなのだろうか。雨が降って邪魔されて、出掛けたいのに出かけられないので、より一層、思いが募るばかりである」というような感じかな。春日には、どなたか想い人がいるのかな。

 春日野に しぐれ降る見ゆ 明日よりは

  黄葉(もみち)かざさむ 高円(たかまと)の山

      (巻第八 一五七一)

大意は、「春日野に、ちょうど細い糸みたいにさーっと、しぐれ雨が降っている。明日からは、高円の山は、すっかり、もみじ色に飾られるのだろう」という風な感じなのだろうが、春日野には行ったことが無い。実際、足を運ばなければ、本当の意味は分らないかもしれないが、何となく、雰囲気は分る気がする。

なお、当時の「もみじ」は「黄葉」で、「もみち」と濁らない。「紅葉」より「黄葉」の変化を楽しんでいたようだ。赤く変化する木々の葉より、黄変する木々が多かったのかもしれない。いずれにせよ、一雨ごとに秋は深くなり、人の心も動かされるということだろう。紅葉のためには、雨が降るのも仕方ない。今年は、どこに紅葉狩りに行こうか。

 

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2014年10月30日 (木)

意志と意思

人生、何らかの目的を持たないと、つまらない。その目的の大小は問わない。各個人が、それぞれのレベルでの持ったらいい話である。そして、最終的には、社会貢献になるのだろうが、その仕方は様々だ。目的を持つためには、先ず志を持つことが大切と先人は指摘してきた。

さて、意志と意思という言葉がある。似ているけれど、少し違うのだが、その違いは「広辞苑」で見ても、今一つピンとこない。

「意志」・・・物事をなしとげようとする積極的な心の状態。

「意思」・・・考え、おもい。→意志とある。

また法律用語では、「意思」を使うとなっている。どうも、これらの言葉の解釈には、混乱があるようだ。

元々、「意」は、心の動きを意味する(*注1)。その後に「志」とか「思」を付ければ、「意志」とか「意思」という言葉になる。「志」は、心の向かうところという意味(*注2)。「思」は、「働きかける気持ち」だ。

整理すれば、「意志」は、心の向かうところへの動きとなり、「意思」は、「意志」に、思い、すなわち「思考」が働いたものということと考えていいと思います。何気なく使う言葉も意味の違いを知って使いたいものです。

*注1

「意」を「意欲」と理解する人もいるが、行き過ぎの解釈と思う。

*注2

一般に、志を持つことは好いこととされるが、欲と紙一重だと先人は忠告している。

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2014年10月29日 (水)

医薬分業再考

以前、医薬分業について、やや批判的に記したのだが、今回は、少し思うところがあり、再考してみようと思う。かつて医療機関が処方して、薬を出していたのだが、今は一部の開業医を除いて、医薬分業が進んでいる。実際、病院や開業医の近くには、薬局が、競っている。それだけビジネスチャンスが増えたのだ。

そういう意味では、この医薬分業は、薬局店の救済の意味が強いと思っていたが、実際は市場競争にさらされているということなる。単純に、救済とは言い切れないようだ。力のある薬局は、拡大し、無い所は縮小していっている。

更に、今でも開業医で、処方して自ら薬を出しているところもあるが、薬局ほどの能力はなく、薬の処方にも、偏りが見られることに気づいた。患者の近くに薬局が無い場合、便宜を図っているとも理解できるが、本当に患者のためになっているか疑わしいこともある。むしろ、薬品会社に左右されやすい傾向がある。

医療関係者と薬品会社の癒着は、報道等で、伝えられるが、そこまで行かなくても、開業して長いと惰性になる。そういう意味では、薬局が処方箋をチェックしてくれれば、本来の医薬分業の良さが出るはずなのだが。後は、薬剤師の志次第ということになるのだろう。

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2014年10月28日 (火)

2015年の手帳を買う

今年も、残すところ、後2か月程度と思っていたら、お節の案内が来た。もう、そんな時期。それで手帳を買い替えた。カレンダーが、今年10月から始まり、来年12月まで記載できる2015年の手帳を買った。いつものように100円ショップで。

最近は、スマホ等を手帳かわりにする人も多いようだが、流風は、あんな小さい画面にチマチマと入力するのは苦手。よって昔ながらの手帳を使う。サイズは書籍サイズを家庭用にして、所謂手帳サイズを持ち歩き用に使う。持ち歩き用は、出掛けていて気づいたことのメモに使うことの方が多い。実質メモ帳だ。

内容は極めてシンプル。前半に概略予定欄。後半に、詳細予定蘭。まあ、今は、そんなにスケジュールが詰まっているわけでもないので、概略予定蘭だけでも十分な気もするが。まあ、これで、来年の準備の一部完了(笑)。

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2014年10月27日 (月)

婚活の有効期間は2年

最近は、婚活、婚活と騒がしい。男女の出会いの機会として重宝されているのだろう。ただ、どれくらいの成婚率なのだろうか。必ずしも、結婚すると決めて参加していない男女も見受けられる。遊びで参加しているのなら、真面目に結婚を考えて参加している人には、迷惑なことだろう。

今思い出すと、流風も、若い時は、間に入る人があって結構な回数、お見合いをした。その結果、結婚したわけだが、どうも息苦しい生活で、すぐ別れた。多分、結婚に対する甘い考えがあったのだろう。仕事の合間に、だらだらと数年見合いをして、もういいやと思って結婚したのが、大きな間違いであった。結婚観が大きく異なり、お互いストレスがたまり、離婚した。

そこで、若い方々に失敗しない婚活の有り方を少し記してみたい。まず、よく言われるように、結婚相手選びに、決して王子様も、お姫様も現れないと認識するべきだろう。また、金の切れ目が縁の切れ目とは言うが、それも現実だ。結婚は現実なので、ある意味、現実的に考える必要がある。

そんなことを言えば、夢も希望もないと言われるかもしれない。しかし、結婚は、現実とのバランスの中での妥協だ。このことは、若い時、盛んにアドバイスされた。長い結婚の歴史の中で、正論だと思う。このことを若い人たちは無視してはいけない。

それでは、どうするか。結婚すると決めれば、何が何でも相手を見つけて結婚するべきなのだ。それも期限を決めて。期限は、婚活を始めて必ず2年以内とする。それ以上、先延ばししても、何もいいことは起らない。

人間には、寿命という限界もあるし、女性は、子どもを不安なく産むには年齢的限界もある。人生設計の上からも、結婚する「時」は限られる。繰り返すようだが、妥協は必須。

それでは、相手選びをどうするか。お見合いでも、合コンのような婚活でもいいが、先ず自分の結婚観(どういう家庭を築くか)を明らかにすることだろう。まず、それが結婚のペースだ。それが食い違えば、結婚後、いろいろトラブルが生じる。

次に、結婚して、自分は相手に何ができるのか、「家庭能力」の棚卸が求められる。ただ、自分に都合のいい相手を探せば、見つからないことが多い。やはり自分の「家庭能力」を高めることは大切だろう。その上で、相手に何をやって欲しいか、明確に示すことだ。

できれば、事前に、間に入ってくれる人に伝えておくことが大切だ。それをせずに、直接会って、その時の雰囲気で決めると、判断を間違えかねない。第三者の客観的な見方も参考になる。結婚は、現実だと思いだして欲しい。そうすれば、2年内に結婚を決められるだろう。

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2014年10月26日 (日)

姫路市が「連携中枢拠点都市」になれば その二

また、姫路市が、「連携中枢拠点都市」になれば、播磨地域の全ての13市9町関連民間事業として望まれるものは次の通り。

一、播磨各所の寺社仏閣を活かした時代劇村の設立

その場合、住民、観光客参加型のエンターテイメント性を持たせるが求められる。京都の太秦の映画村が参考になる。

二、地場の映画を撮るための映画撮影所の設立

ロケ地の振興は、すでに行われているが、撮影所を持つ・持たないが大きい。

三、伝統芸を継承する播磨演芸場の設立

落語・漫才・講談・浪花節といった庶民芸能から、能、狂言、文楽等を観光客が気楽に観られる場所の提供。

四、立地による飲食店のテーマ性を持たせる

現在、飲食店の業態がばらばらに展開しているが、神戸の南京町のように、播磨独自の食べ物を特別な飲食業態として、一か所に集中させる手法も取り入れる。

五、公共の美術館の催しを補う百貨店内における店内現代美術館の設立

現在、美術館、文学館は、展示内容コンセプトが、はっきりしない。これらの施設の改廃か゜求められる。ただ、整理すると、はみ出す分野も出てくるので、本来は、「現代美術館」が必要だが、当面、百貨店等の協力を得て、店内現代美術展を促す。また規模は問わず、店外の画廊提携ビジネスも促進する。また将来、「現代美術館」を設立する場合は、駅南に作るべきだろう。

六、駅前土産物店の充実

現在、姫路市には、土産物店が少ない。観光客の利便性を高める必要がある。また観光客が手ぶらで帰れるような仕組みも求められる。

また海外旅行者国別の土産物マーケティングも必要だ。それぞれの嗜好に合うものを揃えることは大切だ。播磨の文化的特色を大事にしながら、彼らの土産物嗜好を熟知して、品揃えをする必要がある。海外の旅行者には、百円ショップが支持されており、彼らの手法も検討に値する。

七、百貨店による播磨地区域内物産展の充実

地域を越えた土産物になりうる物産の交流が求められる。もちろん、各地域の独自性を無くさないような配慮は必要だ。確かに、播磨地区の物産販売所としては、JR姫路駅南に「播産館」がある。コンセプトは、播磨地区圏内物産の理解を高め、消費を促すことにあるのだろう。

しかしながら、ほとんど知られていない。観光客は、立地上、見向きもしない。地元民も利用することはない。このような販売所は、百貨店のテナントとして入居するか、その周辺に作る必要がある。それは土産物店と同じだ。

八、仮称「はりま大祭り」全域同日開催

地域の統一性を持たせるため、同日に、「はりま大祭り」を春・秋開催する。

九、地域内の宿泊連携の強化

圏内の観光旅行者は、更に伸ばすことは十分可能。例えば、姫路城だけても、観光客を400万人にするぐらいのことは考えられる。そうなると、問題は、宿泊施設の確保だ。周辺各地域に観光客を誘導出来ればベストだ。いろんなレベルの宿泊施設が量と質で求められる。また客を融通しあうシステムも従来より求められる。

十、欧米系旅行者のための格安民宿の組織化と広報

播磨圏内の海外旅行者向けの民宿ネットワークの確立が求められる。そして、それが彼らの口コミに載るような料金とサービスが必要だ。

十一、特徴ある沿線開発及び各駅周辺の再開発

JR及び山陽電車の特徴を持ったバランスの良い沿線開発が求められる。それには先ず、各駅周辺の再開発が求められる。それには集客できる仕組みも必要だ。駅の規模に捉われず、地域住民を巻き込み、NPO等各種組織の活用も含めて、柔軟に考える必要があるだろう。

十二、播磨観光地図の発行

現在、播磨全体を対象とした観光基本地図、道路地図(冊子タイプ)がない。観光地では、必須だが、他の観光都市を参考にして、各種地図の整備が求められる。そうすれば、そこから派生する多様な地図が発生して、観光者の利便性を図ることが可能。

十三、海外旅行者向けの免税店の充実

海外旅行者向けの免税店の充実が求められる。彼らの行動ルートにマッチングした店の展開と免税店マップの発行が必要だ。

十四、海外旅行者向けの無料公衆無線LAN環境促進

海外旅行者向けの無料公衆無線LAN環境が整備されている店舗等のリスト一覧を作成する。更に、未環境施設には、整備を促す。

十五、播磨地区の総合ファッションショー「ハリマッション」(仮称)の振興

播磨地区のアート、工芸、衣服等を広めるため、姫路の玄関口等で、プロ・アマの定期的な総合ファッションショーを開催する。略して、仮称「「ハリマッション」等のネーミングが求められる。

以上

*追記

この記事は、書きかけで後日、追加変更する可能性があります。

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2014年10月25日 (土)

姫路市が「連携中枢拠点都市」になれば その一

姫路市が、国が創設の「連携中枢拠点都市制度」のモデル都市に選定された。姫路市は、すでに、それを目指して、播磨圏の経済活性化を図るための方策作りに動いているようだ(*注)。

また播磨広域連携協議会は、播磨地域の全ての13市9町が揃っていて、総人口は約185万人だ。すでに、播磨地域全体での合同防災訓練や観光振興の企画は動いている。それでは、今後は、どのように展開すべきか、市民の目で記してみよう。

一、姫路市は、播磨圏全体の経済成長を引っ張っていく「核」になる必要がある。そのためには、各種機能の集積と情報発信のネットワークが求められる。そして、求められるのが、県の施設と市町村の施設の連携だ。現在は、それぞれがばらばらに行動し、統一性が感じられない。各地区の個性は壊さないように、「播磨文化」の共通性を維持するには、姫路市がリーダーシップを発揮するべきだろう。

二、その上で、播磨圏全体を睨んだビジネス体系を作る必要があるだろう。すなわち、各地の特性を活かした特産物の圏内拡販や地域内相互理解に基づく消費の拡大等が求められる。それを整理した上で、特産物ごとに、圏外への移出、海外への輸出の体制を作る。

三、地域ネットワークと交通アクセス体系の整備だ。地域情報の収集・分散発信のきめこまやかさが必要だ。その上で、電車、バス、タクシー等公共移動サービスの連携が求められる。その他に、個人の移動手段(車等、自転車、徒歩)による持ち時間の提案・調整スタッフの育成も課題だ。

四、次に、必要なのが各種地域研究機関の整備だ。すでに官民にあるものも含めて、充実・整備させる必要がある。また、その延長で各種専門大学の整備が求められる。つまり様々な分野の人材を地域で育成する必要がある。現在は兵庫県立大学と姫路独協大学があるが、これらの大学だけでは、地域の人材を育てるには不十分だろう。

特に、急がれるのが、医療系大学だ。「兵庫県地域医療再生計画」でも、検討されているように、現在でも、播磨圏は、やや医師不足。今から大学を作っても遅いと言うなかれ。播磨圏全体に医師を供給する仕組みは、やはり必要だ。最初から、診療科目を全て揃える必要はない。将来不足が予測される診療科目を優先して医師を育成すればいい。

そして次に必要なのが、工芸・デザイン・ファッション・流通系大学が必要だ。地域開発するには、伝統工芸やファッション・流通に新しい息吹を注入する系統の専門学校・専門大学は必要だ。播磨圏は、まだまだ付加価値を高められる可能性は高い。

後は、観光系・商業系の大学の必要性もあるが、既にある大学内に新しい科を創設することで、当面は凌げられるかもしれない。もちろん、卒業生を受け入れ域外に流出しないような産業振興と雇用づくりも、同時に求められる。

五、四と関連するが、各種研究所の創設推進

広く研究所の創設を推進する。研究の範囲は指定せず、個人研究所も可。ただし、財政的支援は、当面しない。各諸研究の中から、将来のビジネスのシーズを発見し育成する。そのため、姫路市は、「(仮称)播磨創造総合研究所を設立し、これらの研究を分類整理し、発表する機会を与えたり、大学等と相互研究の場を提供する。

六、地域間の濃密な文化交流による相互理解

今までも、各地で色々努力されているのに、力が分散している。現在は、各地の良さを十分認識しあっていないように見える。各地の特徴を活かしながら、各地の様々な共通性をネットワークに乗せる。各地の人材の交流をもっと活発にする必要がある。各種文化施設の連携(巡回展や企画の協力体制)が強く求められる。

七、観光ビジネスに対しての共同作業と拡販

地域単独の企画ではなく、播磨地区の総合的な取り組みが望まれる。旅行会社の協力を得て、各地区の特徴を踏まえながら、姫路市を中心としながら、「播磨旅行フェア」の巡回開催する。

八、産業を活性化するためには、新規の企業の共同誘致も必要。ただ、補助金による誘致は長続きしない。じっくり企業を育て、地域文化にまで高める努力が求められる。但し、本社を播磨地区に新たに設置の場合は税の減免も求められる。

九、今回は、とりあえず、兵庫県の播磨地域の全ての13市9町の地域振興でいいが、将来的にはは、岡山県東部、鳥取県東部、香川県、徳島県の一部、兵庫県の淡路島まで包摂するプロジェクトが欲しい。

*参考 「地方中枢拠点都市」から「連携中枢都市」に変更

三大都市圏で以外で、人口20万人以上、昼夜間人口比率が1.0以上などの要件を備えた政令指定都市、中核市が対象となる。なお、「地方中枢拠点都市」は、名称が「連携中枢都市」に変更された。

*注

姫路市の2015年2月の広報によると、モデル事業で協議・検討している連携事業は次の通り。

 一、「圏域全体の経済成長のけん引」に関する事業

 ◎「はりま・ものづくり力」の強化

 ◎「エコトピアはりま」の推進

 ◎「はりま地域ブランド」の確立

 ◎「はりまグランドツーリズム」の展開

 ◎「魅せるはりま」MICE(集客交流のイベント)の推進

  二、「高次都市機能の集積・強化」に関する事業

 ◎高度な中心拠点の整備等

 ◎高度な医療サービスの提供

 ◎高等教育・研究開発の環境整備

 三、「圏域全体の生活関連機能サービスの向上」に関する事業

 ◎生活機能の強化

 ◎結びつきやネットワークの強化

 ◎圏域マネジメント能力の強化

*注記

この記事は、書きかけで、今後、随時追加変更して行きます。

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2014年10月23日 (木)

農業マーケティングの大切さ

風水害で大変な被害を受けている農家の方々の報道を見ると悲しくなる。農業保険で、ある程度は補償されるだろうが、それまでのプロセスが全て台無しにされたことは辛いことであろう。昔から、農業は自然との闘いであり、大変であると言われてきた。

そんな環境下、若い人の新規就農が注目されている。もちろん、単に農村生活に憧れるだけでは、失敗の可能性も高い。それは都会のサラリーマンが仕事に疲れて、田舎に行ってみようかという気迷い気分で行って、失敗するのに近い。

すなわち、農業をビジネスとして捉える必要がある。すでに、そのような思考で就農された方は、概ね成功している。それでは、成功のポイントは何なのか。それは、やはり一般ビジネスと同様、マーケティングの確かさが問われることになる。

要するに、需要を知って、売り先を確保しているかに尽きる。農業は産業であるという認識ができているかどうか。つまり、いくら良いものでも市場が認めて欲してくれなければ、ビジネスにならないということ。

後は、目的を明確にして、目標をつくり、条件設定するだけだ。もちろん、その中には、リスク管理も含まれる。特に農業経営では、自然災害というリスクがあるので、それに対する対処は求められる。

結論を言えば、新規就農者には、売り先を先ず確保して、農業生産に取り組むということが求められるということになる。

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世の中の予測

世の中を予測するのに、成長と衰退を見ておればいいという人がいる。人の人生は、生誕、成長、成熟、衰退の道を歩む。同様に企業も同じ様なコースを進む。それは広く見れば、社会も国家も、そうかもしれない。

そういった経路の中で、成長と衰退に焦点を当てる。すなわち、いち早く、その兆しを把握した者だけが、勝利するというものだ。世の中、確かに目端が利く人がいる。だが、先を読み過ぎると、案外、多くの成果を得られない。予測は大切だが、半歩先を行くのが、いいのかもしれない。

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2014年10月22日 (水)

やはり新米は美味しい

秋は、食欲の秋。何を食しても美味しい。果物類も、色々出て来て、買い物に行くと、すぐ手が伸びる。食べ過ぎはよくないのだが、今年は、体重の増減が少なく、ベスト体重を維持している。理由はよく分からない。

考えられるのは、朝夕は、御飯食で、それは変化なしだが、多分、消費税増税の影響で、お昼の外食を控えたためだろう。それに、お昼の外食では、結構カロリーの多い食事が多かった。今は、お昼は、自宅でパン食にしている。それでも、いろんなスープや各種サラダ、果物、ヨーグルトなどを考えると、カロリーは十分。

さて、話変わって、先日、米が切れそうになったので、お米購入。何気なく、いつもの銘柄を買って、翌日から食したのだが、大変美味しい。もしやと思って、米袋を見ると「新米」のシールが貼ってあった(笑)。やっぱりと納得した次第。

この新米だと、料理は、それほどでなくても、御飯だけで食が進む。御飯は、茶碗一杯と決めているが、もっと食べたくなるのを、ぐっと辛抱。しばらくは、新米で、食事が楽しくなりそうだ。

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2014年10月21日 (火)

兵庫県立美術館、『だまし絵Ⅱ』展を観覧

だまし絵と言うと、最近は、各地で催しが開かれ、若干食傷気味。2009年には、兵庫県立美術館で、『だまし絵』展を見た時は、流風でも、多少わくわくしたことを思い出す。東京・名古屋・神戸で、開かれた、この展覧会には、約75万人も入場したというから、当時、明らかに新鮮な感じを多くの人が受けたのであろう。

それが、5年の月日を経て、『だまし絵Ⅱ Into the Future~何度でもだまされたい!』展(兵庫県立美術館)が、2014年10月15日から開かれている。先日、早速、観に行ってきた。阪神電車・岩屋駅を降りると、朝早くから、人がぞろぞろ。もしやと思ったが、皆さん、兵庫県立美術館のある方向へ。

美術館に着いたら、すでに長蛇の列。親子連れも結構多い(中学生以下は観覧料無料)。後は、いろんな世代のカップルかな。予測は、したものの、次から次へと観覧客がやってくる感じ。今までも、いろんなだまし絵展に行ったが、それぞれに熱気のようなものがあったが、兵庫県立美術館の、この催しは、規模が大きく格別。

実際、観覧してみると、『だまし絵Ⅱ』展は、だまし絵総合展の感じがして、圧倒される。展示されているのは、まず古典として、ジュゼッペ・アルチンボルド。そして、20世紀の巨匠のマウリッツ・コルネリス・エッシャー、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリットなど。更に、ほとんど名前を聞いても知らないが、現在活躍中というアーティスト リヒター、カプーア、エルリッヒ、ラリー・ケイガン、パトリック・ヒューズ、エヴ゛ァン・ペニーなど。

そのすばらしさは、稚拙な文章では、表現できない。一応、構成は次のようになっていた。

プロローグ

第1章 トロンプルイユ

第2章 シャドウ、シルエット&ミラー・イメージ

第3章 オプ・イリュージョン

第4章 アナモルフォーズ・メタモルフォーズ

これでも、分る人には分るのだろうが、一般人には何のことか分らない。また図録では、その面白さは多分、分らないだろうし、伝えられない。結局、会場に足を運ぶしかない。会期も年末までと長い(前期11月24日まで。後期12月28日まで)ので、是非、皆さんに楽しんでもらいたい展覧会だ。

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2014年10月20日 (月)

20日生まれの女性は出世する?

世の中、いろんな占いや迷信があるが、「20日生まれの女性は出世する」とは、亡き母が常々言っていたこと。何を根拠に、そんなことを言っていたのかは、未だ分らない。一番、分りやすいのは、本日10月20日生まれの皇后美智子さまのことを意識したのかもしれない。平民から嫁がれ、皇后になられたのだから、大出世には違いないが。

その他に、母によると、芸能人も20日生まれは、世に出ると言っていた。だが、20日生まれで、母の世代で見知った、そんなに有名な人はいない。せいぜいソフィア・ローレンくらい。きっと自分自身が20日生まれだったので、皇后さまのことを自らの励ましとしたのかもしれない。女性というものは、都合よく、こじつけするものと見える(笑)。

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2014年10月17日 (金)

求められるのは構造改革ではなくて、官民の新事業

2014年10月11日に、IMFC(国際通貨金融委員会)は、「日本経済はデフレと低成長の二つの課題に直面し、先行きが不透明だと懸念」を表明し、「財政健全化を注意深く進め、成長を押し上げる構造改革を実行することが必要だ」と指摘したという。

だが、決してインフレ状態とは言えない日本経済の今の時期に、構造改革はデフレ要因で、日本がデフレから脱するのを妨げる。IMFや米国は、今までも、日本に対して、構造改革を促してきたが、結果的には、日本の景気の足を引っ張ってきたことは確かだろう。

日本を低成長にしているのは、日本の人口構造の問題もあるが、米国が日本の財政健全化を妨げている要因も大きい。更に消費税増税するタイミングで、必ず、構造改革を欲求してくるので、たちが悪い。裏読みすれば、日本が財政再建することを望んでいないのかもしれない。

彼らの本音が、どの辺りにあるのか、一般人には分らないが、財政再建には、増税だけでは限界があるのは確かだろう。求められるのは、官民それぞれに、事業を起こすことが求められることだ。

特に官の方は、新しい「公社」を設立して、別ルートの「収益源」を作ることが財政再建することに寄与することは、歴史的に明らかだ(*注)。例えば、国等で、新しく専売する物品・サービス公社が求められる。但し、既得権化しないように、ある程度、年数が経てば、民営化することも必要だろう。

*注

もちろん、天下りの問題は起るだろう。ただ、この問題は、トレード・オフで、仕方のない面もある。

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2014年10月16日 (木)

ブログは、一記事に一テーマ

ブログを始めた時、一つの記事に、いろんなテーマを盛り過ぎて、一度だけだが、購読者の方から忠告を受けた。それは「一記事には一テーマがいいよ」と。その方が、読みやすいと。確かに、それは読む側から考えると、納得が行き、それ以後、極力、そのようにしている。

ところが、いろんなブログを読んでいると、相変わらず、一つの記事に、いろんなテーマを盛り過ぎている人がいる。あるタレントさんには、アドバイスしたけれど、無視されました(苦笑)。今でも、たまに見に行くと、相変わらず、いろんなテーマを盛っている。もちろん、すべてのアドバイスが正しいとは言えない。でも、聞く耳は持った方がいいと思う。

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2014年10月15日 (水)

陶淵明の漢詩『飲酒』を味わう

今朝は、台風が去った影響下、急速に気温が低下。幾分寒い。酒を嗜まない流風も、少し飲んでみたくなる季節だ。今回は、そういうこともあって、陶淵明(365~427)の『飲酒』の一部を取り上げてみよう。

彼が生きた時代は、漢民族が異民族から圧迫された時代で、王朝は安定しなかった。政権は腐敗し、道徳も頽廃していた。そこから逃れようとした人々も多い。だが、それはそれで、生活は大変厳しかった。

陶淵明も、その一人で、仕官に失敗し、40歳頃から揚子江中流の南に聳える廬山の西南の村で農業をしながら過ごした。そこから一般に田園詩人と呼ばれ、悠々自適の生活を送ったように思われているが、実情の生活は大変厳しいもので、とても「田園詩人」と言えるような長閑さは、なかったようだ。

実際、苦しい生活を紛らわすため、酒を飲み、詩作にふけった様子が、彼の漢詩の「飲酒二十音」の序には、次のように表現されている。

「余、閑居して歓び寡(すくな)く、兼ねて、このごろ夜已(すで)に長し。偶(たま)たま名酒あり、夕(ゆうべ)として飲まざるはなし。顧みて独り尽くし、忽焉(こつえん)とし復(ま)た酔う。すでに酔えるの後は、すなわち数句の題して自ら娯(たの)しむ」と。

閑居に対する考え方は様々であろうが、彼は鬱々として田舎に引っ込んだ感じを表している。特に秋の夜長は、それを促す。止むなく、酒で紛らわす。周囲には、憂さを晴らすため語り合える友も居ない。結局酒だけしかなく、深酒してしまう毎日。そういった鬱屈した中での詩作したものが、「飲酒二十音」ということのようだ。

特に、この詩の第五首が有名で、人口に膾炙している。読み下しと解釈を以下に示す。

 廬(いおり)を結んで人境に在り

 而も車馬の喧(かまびす)しき無し

(人里に庵を結んでいるので、本来、人の行き来があって、車馬の煩さはあるはずなのだが、その煩さは、なぜか聞こえてこない。)

 君に問う 何の能(よ)く爾(しか)ると

 心遠く、地自ずから偏なればなり。

(なぜ、そんなことになってしまうのだろうか。心が世間から遠く離れてしまって、今居る土地も、心は僻地にいるような感覚になってしまっているからだ)

 菊を采(と)る東籬の下

 悠然として南山を見る

(東の垣根の近くに咲いている菊の花を採ったり、南山を、ゆったりとした気持ちで眺めている)

 山気 日夕に佳く

 飛鳥 相与(とも)に還る

(山の雰囲気は、夕暮れになると特にいいし、飛ぶ鳥も、雌雄揃って、ねぐらに帰っていく)

 此の中に真意有り

 弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る

(このような自然の中に居ることこそ、人生に於いて、本当の意味がある。それは言葉では、言いつくせないものだ)

諦めの境地が、独り酒をかたむけると、一層深くなるということであろうか。生活はどん底で、生きるのも苦しく、それから逃れようと酒浸りになる。そこから生まれる詩は、諦念に近いものがある。それゆえ、いつの時代も、彼の詩が受け入れられる要因かもしれない。

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2014年10月13日 (月)

減塩食を作る その十二 減塩豆スープ

久しぶりに、減塩食について、記そう。減塩豆スープだ。基本的に、コンソメ、塩を使わない。コンソメは、塩分が多く、減塩するためには使用を控えるようにしている。作り方は簡単。

一、タマネギのみじん切りと鶏肉を細切れに胡椒し、オリーブオイルで炒め、適当に焼き色が付いたら、火を止める。

二、出汁(昆布と鰹節)を入れ、豆(市販の水煮の豆)一袋とトマトの缶詰を一函を投入し、煮る。

三、ある程度、煮えたら、トマトジュースかトマト系野菜ジュースを適量入れ、しばらく煮ると出来上がり。

トマトは、本来、身体を冷やすが、温め料理では問題ない。この他に、タマネギをショウガと一緒に炒めてもいい。肉類は、鶏肉でなくてもいいと思う。この料理は、気温が18度以下の秋・冬限定にしている。少しぐらい多めに作っても、日持ちするから、温め直しが利く。

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2014年10月12日 (日)

機を見て変ずということ

機を見て変ず、という言葉がある。機を見るに敏とも表現される「機」は、大機とか小機とかで、程度が表される。意味は、事が生ずる兆しを察知して、対応する態勢を整えることにある。英語に直せば、若干ニュアンスは異なるが、チャンスと言えるかもしれない。ちなみに、「危機」という言葉は、リスクとチャンスは裏合わせということになる。

さて、機を見て変ずという言葉で連想されるのは、黒田官兵衛が、秀吉の嫉妬からの賛辞を警戒して、直ちに、出家・引退したことだろう。彼は、時を措かず決断したことにより、とりあえずの難を逃れた。決断は、敏速でなければならない。身を引くことは、後ろ向きのように見えるが、これで黒田家は、一応、安泰とは言えないが、無事になった。

機を見るには、常々、世の中や人の心の動きを観察しておく必要がある。そうして、適切な行動ができるように準備しておくと、いざという時も、慌てず、冷静に行動できる。それには、まず肝を据えることが大切だ。トップになる人には求められる要件だ。

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らっきょうを食する

少し前から、朝食で、らっきょうを食べるようになった。生前、父が、らっきょう好きで、よく食していたのを、ふと思い出したからだ。多分、流風が子どもの頃から、父は朝食で食べていたと思う。食事が、ほとんど終わった段階で、締めの様な感じで、一個、口に放り込んでいた。そして、おそらく、入院する直前まで食べていたと思う。それほど好きだった。

酢漬けにされた、らっきょうは、今では、違和感無く食せる。以前は、それほど、好きではなかった。父が食していたものは、多分、輸入品だと思う。ただ、出張した時に、その生産現場を見て、少し、ぞっとしたとは言っていたが。当時は、国産は市場に出回っていなかったから、外国産で仕方なかったのだろう。

そういうことも聞いていたので、流風は、国産に拘っている。一番有名なのだ、鳥取砂丘の砂地利用の鳥取産。次が宮崎産だ。宮崎産の方が、少し安いが、大振りなので、やや数が少ない。大きくても小さくても一個なので、いつも選択に迷う(笑)。なぜなら、朝食では、一個のみ食するからだ。今日も、父のように、食事の最後に口に入れた。

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2014年10月11日 (土)

時間が解決してくれるというのは本当か

よく慰めの言葉で、「時間が解決してくれる」というのがある。確かに、日数を経ると、人間は、徐々に忘れるということがある。だが、傷は癒えて、無くなったように見えても、本当の傷跡は残る。

人間というものは、強い様で弱い。どんな強がりを言っても、その心の内は、測れない。変わりそうで、変わらないのも人だ。心の修繕は、大変な作業だ。であれば、傷つく前に、強い心身を鍛えた方がよさそうだ。

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2014年10月10日 (金)

今、解決できないことは、将来も解決できない、ということ

よく政治家の先生方が、「とりあえず、今回は棚上げしよう」と言って、事態を回避し、先延ばしで解決しようとします。しかしながら、現在解決できないことが、将来、解決できるとは言えない。事態は、もっと複雑になっている可能性の方が高い。

「棚上げ」というのは、政治家の無能さを自ら発信しているようなもの。こういう言葉は、できるだけ使わないようにして欲しいものだ。そして、一般人も、この言葉は、できるだけ避けるようにしたい。今は、今でしかない。

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2014年10月 9日 (木)

因幡堂縁起と狂言『因幡堂』

今回は、狂言『因幡堂』を取り上げてみよう。因幡堂とは京都・五条にある因幡堂のこと。最初因幡堂と呼ばれていたが、1171年に高倉天皇より、平等寺と命名されるが、因幡堂の方が通りがいい。

この堂の謂れは、第三十代敏達天皇の子孫で、橘行平という人がいた。彼は天徳三年(959年)、村上天皇の命で、因幡国の一宮に赴く。そこで神事を済ませ、帰途、急病に襲われる。

平癒を祈願すると、ある夜に、僧が現れる。そして、次のように言う。「因幡国賀留津の海中に浮き木があるので、それを求めて供養しなさい。そうすれば願いが叶うだろう」と。

行平は、人々を集めて、海を探らせ、網を打つと、一つの浮き木があった。それを、よくよく見ると、五尺あまり(約165センチ)の薬師如来像だった。行平は喜んで、早速、供養する草堂を、この浦に建て、祀った。その御蔭で、行平の病気は快癒し、京に帰ることができた。

ところが、時が経ち、ある夜に、また夢を見る。「私は、人々を救済するため、はるか西からやってきた。お前とは、宿縁があるから、重ねて、事を示す」と言う。そして、目覚めると、来客があるという。

尋ねると、因幡からの僧だと言う。ところが門を開けると、薬師如来尊像が立っていたという。それが長保五年(1003年)のことだった。行平が病気になったのは、いつの頃か分らないが、かなりの年月を経ての出来事だ。

さて、因幡堂を題材にした狂言に、そのものずばりの『因幡堂』がある。でも、こちらの話は、随分と庶民的なもの。

ぐうたらな妻に悩む夫の物語。妻は家事は全く駄目。朝寝坊はするし、裁縫も料理も、そっちのけ。それに加えて、大酒飲み。現代日本に於いても、探せば、どこにでも、いそうな感じ(笑)。

けれど、文句を言えば、十倍口答えする。更に、夫を何かと、いじめる。ほとほと困り果てた夫。ちょうど、その時、いい具合に、妻が実家に帰る。これ幸いと、妻の親元に離縁状を送りつける。これで、自由になれるわと、ほっとしたものの、男の一人身は、何かと不便。

そこで、新しい妻を授かろうと、因幡堂の薬師如来に祈願するため出かける。そして、仏前で、一夜、仮寝をする。ところが、ところが、一方的に離縁状を突き付けられ、妻が腹を立てて、家に戻ってきて、夫の行き先を探り出し、因幡堂へ、すごい剣幕で向かう。ああ、恐ろし。

因幡堂に着くと、男は仏前で寝ているので、一計を案じて、薬師如来になりすまし、でたらめのお告げをする。「西門の一の階(きざはし)で、女が待っている」と言い渡す。男は、薬師如来のお告げと聞いて、喜んで向かうと、衣を被った“霊夢の女”がいた。

被り物をした“霊夢の女”を、今までの妻の悪口を言いながら、そのまま、手を引いて連れ帰り、夫婦固めの盃をかわすが、女が盃を取り上げてしまい、続いて、注げ、注げと、催促し、いくら飲んでも、返そうとしない。ついに盃を取り上げ、被り物をはぎ取ると、現れた顔は、これは何たること、離縁したはずの妻。妻は、夫を詰って、追い込んでいく。

夫婦でいると、いろいろ不満が出てくる。毎日、顔を合わせていれば、それは仕方のない面もある。そして、相手のアラばかり目立つのだ。それで、お互い、迷いごとに走りたくなる。

最悪、不倫だ、離婚だという話になる。でも、行きつくところは、皆同じ。二度、三度、選び直しても、同じことを繰り返すだけ。狂言は、男の迷いごとになっているが、女性も同じことだ。仏様に祈願して解決することでもない。

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2014年10月 7日 (火)

ローレン・パコールと映画『三つ数えろ』

少し前のことだが、今年(2014年)8月に、1924年生まれの女優のローレン・パコールが89歳で亡くなった。流風と同時代の人ではないが、名前と顔は知っている。声はハスキーで、外見は姉御風の女優だ。宝塚の男役的な感じ。美人とは言いかねる(笑)。

先日、DVDの売り場で、彼女が出演している映画『三つ数えろ』(1946年)を、ふと見つけ、購入し、鑑賞したみた。この原作は、レイモンド・チャンドラー作『大いなる眠り(原題 “THE BIG SLEEP”)だ。共演は、ハンフリー・ボガード。

彼とは、映画『脱出』(アーネスト・ヘミングウェイ原作『持つと持たぬと』の映画化)で共演している。彼女のデビュー作品でもある。その翌年の1945年に、彼と結婚している。年齢差25歳。ハンフリー・ボガードは4回目の結婚であったが、ローレン・パコールとは、最後まで仲が良かったらしい。

さて、映画『三つ数えろ』を鑑賞してみたのだが、筋立てが少し、ややこしい。ハンフリー・ボガード演じるフィリップ・マーロー探偵と、ローレン・パコール演ずる富豪の姉妹の姉、ヴィヴィアン・スターウッド。両者の絡みが複雑。筋はネットで紹介されているので、ここでは省略する。鑑賞後、ネットで、あらすじを読んだが、それで、やっと完全理解。でも、面白い作品だ。名作には違いない。

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2014年10月 6日 (月)

人の使い方を考える

昔から、人を使うというのは難しいと言われる。自分とは異なる一個の個人を扱うのだから当然だ。親子、兄弟、夫婦でも、ままならないのに、自分の持つ権力行使で、他人を意のままにするには、もっと難しい。

現役時代、うるさ型で扱いにくいと指摘もされたことがあったが、自分で言うのもなんだが、上司にとって、使いやすい人材であったと思う。それでも、上司が、部下のツボを抑えるかどうかに尽きると思う。それができないと、厄介な部下に見えてくるのだろう。

確か、入社6,7年ぐらいの時に、父に「仕事の具合はどうか」と尋ねられた。それで、状況を色々話すと、「お前を会社は上手に使っている」と、半ば呆れ気味に感心していた。当時、父に、そんなことを言われても、何も思わなかったが、今からすると、そうだったのかもしれない。

歴史のある会社の人使いだったかもしれない。社内は確かに厳しい雰囲気が漂っていたが、割と自由闊達に意見が言える環境だった。ざっくばらんに、若い社員の意見も、一応聞いてくれるし、配置に関しても、希望すれば、叶えられた。

だから、意見具申を歓迎している感じで、提案制度も、新入社員でも、誰でも気軽に出すことができた。その内容は、レベルに応じて、回答がなされたし、提案者は、その回答で、それなりに満足した。

もちろん、ある程度の年数を経れば、それなりのレベルも要求されるし、発言にも責任を持たされる。そして、発言だけでなく、言いだしっぺに担当を与えられて、成果を求められるようになる。もちろん、結果でボーナスに反映される。

一般的に、企業が労使交渉によって、ボーナス支給額が決定されるが、基礎的な部分は、そうであっても、上乗せ部分は、微妙な部分もあるが、一応実力主義だった。自分で仕事を作って、自分で行う。だが、成果など、そんなに簡単に上げられるものでもない。

それは、半分、自営業の感覚。もちろん、企業資源や看板を使うのだから、自営業ほどの厳しさはない。それでも、成果を上げなければ、少なからずボーナスに影響する。心身ともに辛い時期はあった。

だが、今から、当時を振り返ると、結果がよくても悪くても、胃の調子が悪くなって、のたうちまわり、血の小便が出でも、それなりに楽しかった。身体を壊してしまったことは、残念だけれど、それも自らの健康管理が悪かったと納得が行く。

色々経験して思うに、人材に、最低限度の生活保障はしながら、適度に権限を与え、結果責任を問う方式が、人の使い方としては、一番、いいのかもしれない。

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2014年10月 5日 (日)

『播磨と本願寺』展(兵庫県立歴史博物館)に行く

先日、兵庫県立歴史博物館で始まった『播磨と本願寺~親鸞・蓮如と念仏の世界~』展を観覧してきた。家とは宗派は異なるが、地域文化を知るためには大切と思って行ってきた。大河ドラマ『軍師 官兵衛』でも、登場したように、播磨では、当時から浄土真宗、俗に一向宗の信仰が普及していた。

伝統的な仏教とは異なる鎌倉新仏教の浄土系祖師の一人である親鸞により開かれた浄土真宗は、本願寺八代蓮如(本願寺八代・本徳寺開基)の時代になって、播磨地方に、その教えが少しずつ広まるようになる。また、それを受け入れる素地があったようだ。それは15世紀後半ということになる。

浄土真宗は、徐々に播磨地方に定着し、庶民の生活と切っても切れない関係になった。しかしながら、そこに織田信長という、新手の思考の持ち主が、中央で、浄土真宗と対立し、播磨地区も巻き込まれることになったことは、大河ドラマでも描かれていた。

その後、和解し、浄土真宗は、秀吉、家康の時代に、権力下に組み込まれていく。また江戸時代、家康の関与で、本願寺は東西に分裂するが、播磨地方でも、本願寺の播磨支部的な本徳寺は分裂する。その名残が、亀山本徳寺と船場本徳寺だ。

さて、展示の内容は、「播磨の念仏」、「親鸞から西国の浄土真宗へ」、「本願寺蓮如と播磨」、一向一揆と播磨」、「亀山・船場本徳寺の成立」から成っている。ざっと観覧して思ったことは、他の宗派と、一部、若干、雰囲気が違うかなという感じ。

それは阿弥陀如来信仰から来ているのかもしれない。あるいは阿弥陀如来像を描いた絵師の個性かもしれない。でも、同じ仏教だから、その精神は似通っている。かつて聞いたところでは、一向宗は、祀り方が、禅宗に比べて、派手だということ。そういうことも多少影響しているかもしれない。内容は、観覧だけでは十分把握できず、結局、図録を購入。会期は、平成26年11月30日まで。

*追記

資料中心の、この手の展覧会は鑑賞が難しい。展示してあるものを全て、時間をかけて解説を読んで、展示してあるものを鑑賞して、理解するには、一般人にはどうかなと、いつも感じる。結局、後の細かい所は、この種の展覧会の持つ限界で、図録を読んで、理解を深めるしかない。となると、図録を先に入手して、観覧するのは、後にした方がいいのだろうか。先に図録を購入した者には、観覧料を大幅に割り引く仕組みも作って欲しい。

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2014年10月 3日 (金)

ほうじ茶の季節

今週後半には、気温が、ぐっと下がりそうだ。毎年のことだが、これから段々寒くなる季節には、飲み物としては、ほうじ茶が段々、より美味しく感じる。

夕方以降、緑茶やコーヒーなどカフェインの多い飲み物では、寝つきが悪くなる。その点、ほうじ茶は、カフェインが少なく、飲み物としては最適。あの香のよさが健康にも、いいらしい。それに価格も安いし(笑)。

お茶は、煎茶から、ほうじ茶に切り替え。コーヒーも値上がりしているので、昼間は、紅茶か、ほうじ茶にするつもり。後は、どこの産地の茶にするかが、悩みどころ。

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姫ちゃり~姫路でレンタサイクルの社会実験

姫路市で、自由度高いレンタサイクルの社会実験が平成26年10月1日より始まった。実施期間は11月30日までとしている。有料で一日100円。利用時間は、9時30分から17時30分まで。利用対象は中学生以上。本格実施は、2015年以降としている。

市の説明によると、「姫路駅、姫路城周辺にサイクルステーションと呼ばれる自転車の貸し出し施設を設置し、どこで借りても、どこで返してもよい」という仕組み。名称を「姫ちゃり」と呼ぶそうだ。若者が名付けそうな名称だ(笑)。

一応、市民の買い物から、観光客まで、巾広い利用を期待している。大都会だと、地下鉄等で、こまめな移動手段がある(但し、財政圧迫の原因になっている)が、姫路市は、バスとかタクシーだけなので、限られる。

もちろん、自家用車での移動も、当然あるが、駐車場という難関がある。よって、ちょっとした移動には、手間がかかるので、案外、行動半径が狭くなりがち(距離的な意味ではない。車で行けるところしか行かない、ということ)。

観光客も、バスやタクシーでは、行ける所に限界がある。旅行予算や持ち時間の制約があるためだ。また、場所によっては、バスは、待ち時間のロスも大きい。それに観光ループバスでさえ、目的地まで、人によっては、やや遠く感じる場合もある。

そういうことを解決するためには、自転車が最適。従来から貸し自転車の仕組みはあるが、指定の場所に返さなければならない面倒がある。だから、急な行動の変更ができない。それを解消するために「姫ちゃり」の仕組みを作ってみたのだと思う。

「姫ちゃり」の仕組みは、7か所のサイクルステーションのいずれかで、手続きして、後は、どこのサイクルステーションでも返すことができる。また一日に何度借りて返しても追加料金は不要というもの。他の交通機関と組み合わせ、上手に活用して欲しい。

7か所のサイクルステーションは、姫路駅前北、大手前通、大手前公園(イーグレひめじ北側)、姫路城前(大手門駐車場出入り口付近)、姫路文学館、姫路城郭図書館、姫路市立美術館となっている。

利用の流れは次のようになっている。

一、初回のみ会員カード発券

身分証明書の提示と必要書類への記入により会員カード発券。

二、支払いをして、カード提示で貸出

一日以内であれば、何度でも、カードの提示で貸出可能としている。

三、次回から、カードの提示と100円の支払いのみ。

なお、当然のことながら、自転車運転に関しては、自己責任となっている。またパンク事故・鍵の紛失は利用者に費用負担が発生し、自転車の紛失・破損の場合は、賠償も発生する。

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2014年10月 2日 (木)

秋の端唄 その三

今回の秋の端唄は「萩桔梗」。

萩は以前、植えていたのだが、繁殖し過ぎて、他の植物の成長を抑えるため、止むなく、処分した。毎年、花が咲いた後、根元から切れば、一応すっきりするが、根の繁殖は、どんどん広がっていく感じで、仕方なかった。

後で、調べてみたが、そういう植物は、結構ある。植える場所を誤れば、処分するようなことになる。よく考えて、植物は植えないといけないと反省。それにしても、萩の根は、よく張っていたので、処分するのに、大変苦労した。

また、桔梗は、夏に咲き始めて、非常に長い間、咲き続けている。ただ、植えている場所が、あまり、いい場所ではないので、来春、植え替える予定。

さて、本題の萩と桔梗を題材とした端唄「萩桔梗」を次に挙げておこう。

 萩桔梗

 なかに玉章(たまずさ)しのばせて

 月は野末に

 草の露

 君を松虫

 夜毎にすだく

 更(ふけ)ゆくかねに

 雁の声

 こひはこうした

 物かいな

特に解釈は要らないだろうが、念のために記せば、「玉章」とは手紙のこと。これらの花は、花を枝葉で隠すように見えるから、例えたようだ。確かに、タイミングによって、そのように見えることもある。全体を通して、待つ身の辛さを唄っている。秋の夜は長いからね。

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