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2014年11月30日 (日)

“淀君”とは蔑称ということ

今年の大河ドラマも大詰めを迎えている。秀頼の母親、淀君は家康に脅かされて、豊臣家滅亡への道を歩む。本来、彼女は、茶々が淀にいたことから、「淀殿」と呼ばれていた。ただ、世間では、秀吉の妾と見ていて、“淀君”と言った。

これは当時、女性に「君(きみ)(*注1)」を付けるのは、遊女に限っていたから、彼女も、浮れ女の意味で、そのように言われていたのかもしれない。何かと噂の多かった人物であったからだ。世間は厳しい。なお、姫君というのも、本来、見下げた一種の蔑称である(*注2)。

*注1

読みは、「くん」ではない。男に対しては言わない。

*注2

但し、その後、一般化している。時代劇で、「姫君」と呼ぶのは、一概に間違いとは言えない。言葉が時代が進むにつれて、その意味が意識されなくなる例だ。

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2014年11月29日 (土)

赤い物あれこれ雑記

現在、赤い花が、たくさん咲いている。まず赤いバラ。四季咲くのだが、この時期に咲くバラは、少し濃い色に見える。後は、先日植えた寒椿の赤い花だ。山茶花と似たような花だ。系統が似ているから仕方ない。その山茶花も蕾を大きくしている。今の時期、紅葉同様、賑やかにしてくれる貴重なもの。

さて、赤い下着は健康にいいと、着用する人も多い。体内の毒素を排除する効能があるという。男が着用するには、ちょっと度胸がいるが、還暦の祝いに赤い、ちゃんちゃんこを贈ったりするから、高齢者は、恥ずかしがらずに着用するのもいいかもしれない。下着だと、脱がない限り、分らない訳だし。

また、赤い陸上動物は、美味しいという。まず肉牛の赤牛。これは日常的に食しているだろう。食したことはないが、赤猫(*注1)、赤兎、赤狐、赤蛙(*注2)も、美味いそうであるが、現在は一般的ではない。植物では、小豆、トマト、赤米、赤パプリカ、唐辛子も体にいい。海のものにも、赤いものがあるが、全てが全て、いいとは限らないようだ。鯛、がしら、蛸などは美味だが。

*注1

昔、猫の肉を料理し、その肉を煮て食べることがあったらしい。俗謡から、「おしゃます鍋」と言う。その時の猫が赤猫。

*注2

古い文献では、薩摩では、生きた赤蛙の皮を剥いで、臓腑を取り除き、鉢に入れ、それに酢を注いで、酒の肴にしたらしい。別名、「目こすり膾(なます)」と言ったらしい。それはまた生きている蛙が目に酢が浸みるのを防ぐため、目をこするためという。

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2014年11月28日 (金)

『牧進 春夏秋冬 “彩花嬉遊”日本画展』を観覧

先日、山陽百貨店で、美術展が開かれていたので、ふと寄ってみた。それが『牧進 春夏秋冬 “彩花嬉遊”日本画展』(すでに展覧会は終わっている)だった。牧進氏は、1936年生まれで、現在も創作活動をされている。東京都の豊島区の生まれで、川端龍子に師事し、師が亡くなると、無所属を続けられているという。

牧進氏の日本画を知ったのは、三木美術館で作品を観てからだ。伝統的な日本画なので、受け入れやすい。どこか、ほっとする安心感がある。27点、展示販売されていていたが、どれも数百万円以上。美術品の蒐集の趣味もないし、とても買うお金もないが、こうして、展覧会を開いてもらうと、目の保養になる。それに観覧無料(笑)。結局、図録だけ購入して、会場を後にした。

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2014年11月27日 (木)

伊庭貞剛の言葉~老害をなくせ

今回は、伊庭貞剛の言葉を取り上げよう。伊庭貞剛と言っても、若い人は、住友関係者以外はご存じないかもしれない。戦前の近江出身の実業者で、第二代住友総領事になった人物だ。別途銅山問題を解決したことで知られる。

彼は58歳で、実業界から、きっぱりと身を引く。それは、あの渋沢栄一でも、出来なかったこと。彼は、老人の経験は貴重としながらも、いつまでも第一線で頑張ることの弊害を、次のように説いている。

 「進歩発達に最も害するものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈である」と。

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2014年11月26日 (水)

人生は二度ないが、、、、

人間は死んだら終わりとは、父が口癖のように、よく言っていたことだが、それは確かだろう。ただ、映画の中では、この常識は通用しない。若い人はご存じないだろうが、日本の高度成長期に、ほとんど日本ロケで撮影された007シリーズがある。

それが、邦題『007は二度死ぬ』(1967年)というもの。ちなみに原題は、“You Only Live Twice ”(人生は二度しかない)となっていて、微妙に邦題と異なる。歌は、ナンシー・シナトラが歌っている。原作はイアン・フレミングの第11作だが、映画では、舞台が日本なのを除けば、全く違う内容になっているそうだ(残念ながら原作は、まだ読んだことはない)。

先日、久しぶりにDVDで視聴してみた。ボンドが一度死んだように見せかけて、日本で活躍するというもの。当時の興行記録は最高だったらしい。ただ、改めてみると、作り方が荒っぽく、少し駄作と言えないこともない。それに当時の外国人の日本に対する認識は、乏しいものだったと分る。それでも、日本人出演者の丹波哲郎、浜美枝さんらが必死に説得して、改編させた結果というから驚く。

その中に、姫路城も登場する。丹波哲朗率いる忍者部隊の訓練場所になっていた。その他にも、日本の各所でロケしている。全編改めて視聴すると、時代というものを感じる。当時の高度成長期の日本の騒がしい雰囲気が伝わってくる。若い方も、東京オリンピック以後の日本の雰囲気を少し感じ取れる映画かもしれない。

本題に戻ると、人生は二度あれば、どうするだろう。今までの人生の反省から、違った道を選択するだろうか。流風は何度人生を与えられても、多少プロセスは違っても、結果的には、同じ様な人生を歩みそうな気がする。果たして、皆さんは?

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2014年11月25日 (火)

寒そうな朝顔

久しぶりの好天の三連休だった。好い休日を過ごされた方も多いのではないだろうか。こちらにも多くの観光客の方が見えていた。どこも人、人、人。これに合わせた催しも盛況のようだった。やはり各種催しは天候が大切。

その一方、この時期になると、ほとんど忘れられてしまう朝顔。ふと咲いていた場所に朝、見に行くと、寒そうな朝顔。花は既に無く、葉だけが残り、種を付けていた。朝顔は、結構、強い草花と思うが、やはり季節には従うしかない。これが自然の循環というものだろう。

『源氏物語』にも、朝顔を詠んだ次の光源氏の歌がある(*注)。

 見しおりの 露忘られぬ あさがほの

  花のさかりは すぎやしぬらん 

*注

『源氏物語』には、朝顔の君という美人の女性が登場する。上記の歌は、斎院に退いた朝顔の君に光源氏は、会いに行くが、そっけない対応をされ、贈った歌だ。

彼女は、光源氏のいとこだが、彼が言い寄っても拒否する。彼女の方に気が無かったわけでもないが、六条御息所のようにはなりたくないためだ。ここら辺の女性の心理は微妙に描かれている。結局、斎院に退いたこともあり、一生、独身を通す。

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2014年11月24日 (月)

『老子』第五章を読む~虚心

今回は、『老子』第五章を取り上げてみる。いろいろに解釈されている。「虚用」と解釈する向きもある。流風では、その全体の意図を把握しがたいが、「虚心」ではないかと思う。次に、書き下し文を示す。

 天地不仁、万物を以て芻狗と為す。

 聖人不仁、百姓を以て芻狗と為す。

 天地の間、其れ猶槖籥(たくやく)のごときか。

 虚にして屈きず、動いて愈(いよいよ)出づ。

 多言は数(しばしば)窮まる。

 中を守るに如かず。

見慣れない文字がある。まず「芻狗」とは、「草を結んで犬の形をしたもの」で、「祭の前に、箱に盛られ、刺繍を施した布で覆われ、祭りを司る人が斎戒して、これを供える。ところが、祭りが終わってしまえば、路傍に捨てられる」ものらしい。また「槖籥」とは、ふいごのこと。捏ねまわさず、全体を解釈すれば、次のようになる。

「天地に、特別愛するものはない。万物は、必要があれば用いられ、必要が無くなると捨てられるようなものだ。あるようにある。聖人も、民に対して、同様な扱いをする。誰も特別扱いはしない。

天と地の間は、ふいごのようなものである。天と地の間には何もなく、それでいて尽きることもなく、動いても留まる事を知らない。それは言葉もそうであろう。作為のある多弁は、必ず自らを追いやるものである。言葉を多くしないで、心に何のわだかまりもなく、さっぱりとした心で生きることが望ましい」というような感じ。

人間、なかなか、この領域に達するのは難しいが、最終的には、彼の考え方に帰着するのかもしれない。煩悩の多い流風には、当面無理か(苦笑)。そういうと、最近の世間は、もっと騒がしいのだが。

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2014年11月22日 (土)

蔵書処分 2014

本年も、蔵書処分をした。今年は、例年より、幾分少なく、これから処分するものも含めて120冊ほど(雑誌除く)。購入図書が少なかったからだ。読書スピードが落ちていることもあるが、蔵書の再読が多かったこともある。

割と、多読になったのは、社会人になってからだ。父が精読であったのに対して、母は多読で、斜め読み。要点だけを、ぱっぱっと読み、後は、関心あるところだけ、じっくり読むやり方。忙しい家事の合間に読むので、そのような読み方になったと言っていた。学生時代は精読だったが、社会人になって、母の多読のやり方を真似した。

しかしながら、実は、流風は、精読も多読も中途半端な気がする。精読の父は、行間をきちんと読み切っていたし、母は、全体のあらすじを短時間に正確に把握していた。どちらの読み方が、いいとも言えないが、流風の読み方は、両親のやり方がミックスされ、結局、その時の気分で、時の関心事に流され、「つまみ食い読み」の遊びになってしまう。このやり方は、あまり宜しくないかもしれない。

それはそれとして、本年最終の蔵書処分に取り掛かろう。

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2014年11月21日 (金)

居は気を移す

『孟子』にも、取り上げられている古語「居は気を移し、養は体を移す」という言葉がある。彼の時代に、すでに言い古された言葉であったようだ。日本では、いろんな解釈がされている。

後半の「養は体を移す」の解釈に違いはない。要するに、摂る栄養によって、肉体を変化させるということ。現代では、ごく当たり前のこと(まあ、それが分っていれば、誰も健康を保持できるはずなのだが)。

解釈が異なるのは、「居」の解釈の違いだ。「居」を単に住居と捉える考え方と、地位と捉える見方がある。

住居として解釈すると、人は、住む環境で、「気」を変化させる、となる。気とは、心気、活気、元気に通ずるもの。人は、住む場所や住居の状態で、佇まいに影響するということであろう。

もう一つの解釈、地位として解釈すると、人は与えられる地位によって、その心持(気)が変わるということであろう。昔から、地位は人を作るという。

いずれの解釈も、私達に、大切なことを示唆してくれる。

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2014年11月19日 (水)

コートを脱ぐマナー

寒くなってきたので、男女共に、コート等を着る機会が増えてきた。ただ、最近、気になるのが、コート着用のマナーだ。他家を訪れて、コートのまま、室内をうろうろしている若い人をよく見かける。明らかに、マナー違反だろう。普通は、先様に会えて、中に入れることを確認してから、外でコートを脱ぐのが一般的な礼儀であろう。

ところが、ドラマ等でも、コートを着たまま、主人公が、室内(あるいはビル内)に入っていく様子が映されると、一体、このドラマの制作者は、どの程度の人物なのか、疑いたくなる。流風は、その時点で、視聴を中止している。所詮、その程度のドラマだと思うからだ。またコートを脱いだ後、裏返しせず、そのまま、たたんで、坐ったりするのも、白ける。

別に難しいマナーでないと思うが、こういったことで、人間が判断されてしまったりするものだ。若い人たちは、注意して欲しい。

*追記

新入社員の頃、新しい配属先で、ビル内にコート着用のまま入ったところ、部門長から、烈火の如く叱られた。それ以後、ビジネスマナーは大切と知った。今から考えると、あの部門長に叱責されたことは有難かったと思う。

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今年も粕汁の季節 2014

寒くなると作る粕汁。今年も寒くなってきたので作った。ただ塩分を控えるため、いつも使う甘シャケは無し。大根、先日入手した金時ニンジン、青ネギ、揚げ、酒粕だけだ。調味は、酒、みりん、塩少々のみ。いつもは隠し味に味噌を使っていたが、それもなし。例年より、あっさりした粕汁だが、美味しくできた。温まる。

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2014年11月18日 (火)

お客様は誰か?

入社した時、トップから、「君らの給料が、どこから出ているか」と問われた。「皆は、会社から振り込まれていると思うかもしれない。ただ、それは作業に過ぎず、実は、給料はお客様から出ている。だから仕事をする時は、いつもお客様のことが頭になければならない。仕事に慣れると、往々にして忘れがちだが、君たちは、忘れないようにして欲しい」というような訓示があった(*注)。

こういうことを教育している会社が、どれくらいあるのだろうか。一般に、顧客と言うと、自社と取引のある会社を指すことが多い。だが、元のお金を出しているのは、最終ユーザーだ。

最終ユーザーと直接取引している企業は、彼らと接する機会が多いから、自然とお客様が大切と理解する。ところが、ワンクッション入ると、本当のお客様が見えなくなる。こういうことは起りがちだ。目に見えるお客様は大切にしても、直接見えないお客様は、ついつい忘れがちになる。

更に、お客様は、販売先だけではない。多くが失念しているのは、仕入れ先や協力会社だ。仕入れ担当者は、概ね、優越的地位を利用して、彼らに強い態度で出る。だが、仕入れ先や協力会社にも家族がいて、親戚もいる。更に彼らに連なる多くの人たちがいる。

ということは、彼らもお客様なのだが、ついつい立場上、忘れがちだ。このことに配慮している企業は、極めて少ないように思う。特に大企業はそうであろう。

その他にも、従業員はもちろん、株主や地域住民がある。彼らへの配慮は必要と、経営の教科書には記してあるが、それらを噛み砕いて、従業員に説いている経営トップは、どれくらいいるのだろうか。人使いで、問題を起こしている企業だけでなく、もう一度、「お客様とは誰なのか」を考えてみることは無駄ではあるまい。

*注

厳密に言えば、お客様は、ビジネスの機会を与えてくれるということ。そこから商品やサービスを提供し、売り上げにつながる。そこから原価・販売費等が差し引かれて、利益が生まれる。利益をはじき出すのは、企業努力で、お客様がくれるものではない。

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2014年11月17日 (月)

今年も金時ニンジン

先日、地元スーパーに行くと、金時ニンジンが並んでいた。例年より、早い感じだ。例年だと、12月にならないと販売されないことが多い。産地を見ると岡山産。初めて見る産地のように思う。いずれにせよ、金時ニンジンは大好きなので、かごに入れて購入した。

まだ料理はしていないが、いつものように、大根、金時ニンジン、揚げを出汁、酒、みりん、醤油で調味。あるいは、揚げを平天に替えて、里芋、こんにゃくを加えて、ごった煮にするか。どちらも美味しい。これは洋ニンジンでは、出せない味。

後は、大根と金時ニンジンのみそ汁ぐらいか。もちろん、使うのは白みそだ。これも美味しい。よだれが出てきた。早く、作ろう。

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2014年11月16日 (日)

父、母と言うこと

テレビを視ていると、時々、いい歳をした女性たちが、自分の両親のことを「お父さん、お母さん」と言っている。残念、という感じ。身内とか、私的な会合では許されるかもしれないが、公的な立場では、教養のないことを示している。やはり、時代は変わっても、「父、母」と言うのが好いと思う。

*追記

「おとん、おかん」と言うのは論外だ。少なくとも、放送では、流すべきでなく、テレビ局の品性も問われる。放送禁止用語にすべきだろう。

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2014年11月15日 (土)

男も腰巻?

一昨日くらいから急に寒くなり、冬模様。寒いのは苦手だ。早く春になれ、と言っても無理な話。ある気象予報士は、今年の冬は暖冬と予測していたが、彼の予測は、よく外れる(笑)。しばらくは寒さを凌ぐしかない。

さて、リビングは、親が長らく、ローソファー(ローテーブルとセットになった応接セット)を使っていのだが、一昨年に処分し、今は普通の食卓テーブルと木製椅子の生活にしている。ローソファーは、寝そべったりして楽なのだが、姿勢が悪くなると指摘されてたので、テーブルと椅子を設置。確かに、姿勢は、いつも保たれる感じ。

ただ、冬に、暖房をすると、足元が幾分寒い。そこで、ウールの膝かけをするのだが、効果は、イマイチ。そこで、子ども時代を思い出して、膝かけを思い切って、服の上から、腰に巻いて見た。女性の腰巻のような感じ。端はクリップで留めるだけ。こうしたところ、意外と暖かく、結構、いけると分った。

外すのも、クリップだけだから楽。さすがに、このままで、外に出ることはできないが、屋内では、重宝している。暖房の設定温度も、そんなに上げないで済む。省エネにも貢献。今年の冬も、これで乗り切ろうと思う。

*追記

子ども時代、電気膝かけを腰に巻いたことがあるが、あれは眠くなって勉強できなかった記憶がある。

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2014年11月14日 (金)

組織運営七つの原則

組織運営には、七つの原則があるという。基本的に、組織の規範・ルールの徹底、判断基準の設定、行動原則の設定、行動原則内の結果重視、人材の客観的能力評価、人材の器の育成などが求められる。

具体的には、次のように表現される。

一、賞罰は、行為の是非のみで判断すること。

二、結果は、運とかではなく、その行為の善し悪しにのみ起因することを知らしめること。

三、罰則は、決めたルールによって、厳正に、決められるものであること。

四、人材の評価は、賢愚によって分けるもので、好き嫌いで判断してはならないこと。

五、人の登用は、器量によって決めるもので、第三者の告げ口、陰口、流言で左右されてはならないこと。

六、組織としての判断基準を持ち、それをベースに決定し、その他の曖昧な判断はしないこと。

七、すべてのことは、信義に基づき、それに反しないこと。

これらは、『韓非子』に基づくものだが、現代の組織運営でも通用する。基本的に危ういのは、情実に左右されることだ。「情」による味付けは認めても、情に流されれば、組織は保てなくなる。情理バランスは必要だが、理が優先することが大切だ。

但し、トップは別だ。理を優先させ過ぎると、うまく行かない。若干、情を優先させた方が、組織がまとまる。

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2014年11月13日 (木)

CD「愛しきあなたへ」を買う

加齢と共に、深夜に目覚めることが多くなったような気がする。そのため、二度寝、三度寝はあるが、寝つきがよいので助かっている。ところが、先日、深夜に目覚めて、一向に寝付けない。止むなく、ラジオのスイッチを入れると、滅多に聞かないNHK第一放送の「ラジオ深夜便」。

しばらくすると、懐かしい感じの曲が流れていた。いわゆるシャンソンだ。中学生の頃、よく聴いた曲調。誰が歌っているのか確認すると、大貫妙子さん。名前は聞いたことがあるが、彼女の歌声を聞くのは初めて。そうすると、いつの間にか、寝入っていた。

朝起きて、もう一度聞きたくなり、調べたところ、シングルCD(*注)が販売されるとのことで、即注文。かつてシングルCDなんて買ったことがない。初めての経験。手に入れると、「愛しきあなたへ」(大貫妙子&小松亮太)となっていた。残念ながら、小松亮太氏については、存じ上げない。

とにかく、聴いてみる。確かに、懐かしい感じの曲だ。現代は、米国の音楽が席巻しており、シャンソンが流れることは少ない。ほっとする音楽はいい。大貫妙子さんの作詞の歌詞の経過は残念ながら知らない。

歌詞を聴くと、追憶のような感じ。一般的には、長年、連れ添った片割れを失った愛の歌と取れるが、もっと広く受け取れば、親への思いとも受け取れるし、子ども失った母親の思いとも受け取れる。要するに、愛の思い出のような感じ。聴く側によって、色々に受け取れる。いずれにせよ、今後、深夜、目覚めたら、聴くことにしよう。

*注

大貫妙子さんについて、調べると同年代らしい。今回を機会にファンになるかも(笑)。なお、CDには、大貫妙子さんの歌による「愛しきあなたへ」以外に、インストゥルメンタル演奏の「奥様お手をどうぞ」、「ラ・クンパルシータ」、「愛しきあなたへ(オリジナル・カラオケ)」が、組み込まれている。

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2014年11月12日 (水)

何のための選挙?

現在マスコミをにぎわせている今月解散・来月選挙報道。国民の感覚からすれば、この時期に何のためとも思われるが、為政者には、消費税アップのテーマの裏に、いろんな思惑が隠されているという。それを客観的に見て整理・列挙すると、次のようになる。

●選挙で、消費税増税で争点隠しし、真の目的は、自民党の言うことを聞かない公明党潰しとも取れる。また国会で首相に対して嫌がらせを言われたとして、子どもぽっい発想だが、民主党潰しという情報もある。いずれにせよ、選挙後、自民党単独で、あるいは、別の保守系の党と連立し原発再稼動の推進、集団的自衛権関係法律の強行採決等を目論む。秘密保護法周辺法の再強化案もあるかもしれない。

●公職選挙法に違反していると見られる小渕前経産相の隠蔽・救済の意味。逮捕されれば、自民党のイメージダウン。女性大臣の登用に拘った結果の任命責任逃れ。それまでに選挙に突入する。

●対北朝鮮拉致交渉が暗礁に乗り上げていること。拉致被害者が日本に帰還する可能性が少なくなった可能性。あるいは、投票日前に、拉致被害者数名がが還されるのを利用する目的か。

●前選挙前、自民党はTPPに反対していたのに、現在は無視して、TPP交渉に乗り出す始末。国内産業再編は不十分な状況で、妥協に次ぐ妥協を続けている。

●対ロ、対中外交の失敗。対ロシア独自外交の失敗。独自外交をしようとしたが、米国からの牽制で身動きできず。対中国外交は、野田前政権の失敗を回復するチャンスであったが、むしろ塩を摺り込む失敗。今になって、焦って再アプローチするも、難しい状況を呈している。

●野田前首相との約束の定数削減が未だ実現していない。むしろ、自民党内では、議論が停滞している。司法の判断を無視して、追及される可能性が、高くなったので、選挙をして誤魔化す。

●消費税を8%に増税後、内需は停滞し、経済指標は悪化を続けている。このため、来年10月に消費税を10%に上げる国際公約の実現が難しくなってきた。これは、アベノミクスの失敗とと捉えられかねない。このため、消費税を予定通り上げよという党内強硬派に対する牽制の意味がある。ただ、裏読みすれば、選挙後、しらっと、予定通り、消費税率を上げますと言うかもしれない。いずれにせよ、国民としては、額面通り、受け止められない。

●日本銀行の金融緩和によって景気を刺激したつもりが、輸出も振るわない。国際経済が沈滞する中で、金融緩和しても、意味はない。更に、円安が、各種値上げを招き、国内経済を悪化させている。所得は上がらず、物価が上がる悪循環に陥っている。

安倍政権になって、株価が上がったことは事実だろう。だが、これは景気には、あまり影響していない。アベノミクスの効果はなく、国内景気は、沈滞したまま。これは、消費税増税と金融緩和による円安による物価高で内需を抑制し、輸出産業に利益を付け替えた結果だ。そこから税収を増やしている形だ。

本来、景気というものは、多くの人が消費するようになって、景気の実感を得る。現在は、資産格差が拡大しただけだ。富裕層が消費しているとはいえ、景気効果は限られている。彼は、アベノミクスで何がしたかったのだろう。彼は、どのような選挙結果を望んでいるのだろう。

*追記

よって選挙になっても、消費税増税は争点にならない。理由は、アベノミクスで、国内景気は回復しなかった結果、消費税を上げるのは、現実的ではない。だが、そもそも、消費税増税には景気条項があり、問題にはならない。だから為政者の選挙の目的は別のところにあることは明らかだ。

*2014年11月15日追記

政府与党は、消費税10%への引き上げを1年半以後延期しても、その時に、いかなる経済状態でも、消費税を上げるため、景気条項を外す意向のようだ。

*2014年11月20日追記

現在、自民党が多数を握っているのは、前回選挙で、民主党が分裂したからで、小選挙区マジック。専門家の指摘によると、自民党は、前回も、前々回より投票獲得数はそれほど増えていない。投票獲得数の割に、過大な議席を得ている。

よって野党の体制が整えば、今回の選挙で、自民党が勝つ可能性は極めて少ない。野党の体制と投票率によっては大敗する可能性の方が高い。いずれにせよ、流風は必ず投票する。投票行動で、かつてない面白い選挙になりそうだ。

*2014年11月30日追記

野党の選挙区調整が進んているようだ。ということは、後は投票率が選挙結果を決めるということ。国民の判断で、今後の国の方向性が決定的になる大切な選挙だ。流風は、いつものように期日前投票の予定。

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2014年11月11日 (火)

人生を左右する本

父は、あまり蔵書の多い方ではなかった。というのは、読んだ傍から、次々と処分したからだ。読み終えた本は、読み滓に過ぎないと思っていたのかもしれない。小さい本箱から、溢れた本は、すぐさま処分。だから、蔵書は増えない訳だ。

その中で、割と長く所蔵していた本に、山本周五郎作『ながい坂』があった。亡くなった時には、無かったから、いつまで持っていたかは分らない。でも、時々、帰省して、父の本箱を覗くと、相変わらず、この本が残っていたことを思い出す。

父によると、中年になって、読んで、この本に刺激されたそうである。ある意味、考え方が変わったそうである。それほど、彼の人生に影響を与えた本のようだ。流風は、まだそんな本にめぐり会っているのかいるのか、そうでないのか、分らないが、晩年になれば、はっきりするだろう。いつか機会があれば、この本を読んでみたいとは思うのだが、まだ実現していない。

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2014年11月10日 (月)

思ったことを言うには

「思ったことを如実に言い表すためには、思ったとおりを言わないことが必要だ」

上記の意見は、寺田寅彦氏によるもの。確かに、そうなのだろう。流風は、過去に思ったことを度々言って、相手を不愉快にさせたことがある。多分、現在も、学習効果薄く、そうかもしれない。若い時よりは、注意しているつもりだが、時々、ふと言ってしまって、後で、しまったと思うのだが、後の祭り。

思ったことは、一旦、飲みこんで、言うようにすれば、人間関係で揉めることも少なくなることは確かだろう。でも脳が、時々、緩むんですよね(苦笑)。分ってはいても、いつもいつも、張りつめているのも辛いし。修業が足りないと言われれば、そうなのだが。今後も、ブログの記事で、多くの誤解を与えるのかもしれないが、悪意はないので、了解願います(笑)。

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2014年11月 9日 (日)

河合寸翁のこと その八(完) 仁寿山鱟を開校

御国産木綿会所を設立した文政5年(1822年)の前年、文政4年(1821年)に、河合寸翁は、仁寿山鱟(にんじゅさんこう)を開校する。実は、財政改革が軌道に乗り始めた、この年に、藩主・忠実から、阿保山を別荘地として与えられた。彼は、これを仁寿山と命名し、自分の思いを伝える私塾を開いたものだ。

彼は財政改革を通じて、若手の人材育成の必要性を痛感したからであった。また日本が海外から開国を迫られており、時代に柔軟に対応できる人材が求められていることもあった。教授としては、頼山陽ら多数の知識人を招いて、朱子学を軸にしたものだった。ただし、時代に即応できる内容になった。

彼の学問に対する姿勢は、「実際の役に立たない人間をつくるような学問は学問ではない」というものであったという。これは現代で言う「実学」に近い。また庶民教育のために彼の建言で、以前ブログで取り上げた「申義堂」(高砂)が設けられた。これは郷校と言うべきものであった。

なお、天保5年に負債を返し終え、余剰金16000石が残った。藩内は、喜びに沸いた。それを記念して、姫路の銘菓「玉椿」が誕生する。彼の命名によるものだ。これは、彼の命で、加賀の羽二重餅に学んだ菓子職人が作ったもの。現在も販売されている(伊勢屋本店)。

この7年後、75歳で亡くなっている。辞世の句は次のようになっている。

 甲斐もなく 我がもの顔に 死ぬるかな

   君に許せし 命なりしを

やることはやったと満足感が聞こえてくるようだ。スムーズに改革できたということはないだろう。だが、多くの人々に支えられて、結果を出せたということだろう。もちろん、彼のリーダーシップが最も大きいのだが。

*参考 河合寸翁 略歴

1767年 誕生

1787年 21歳で家老になる。

1808年 諸方勝手向(しょかたかってむき。藩の財政を統括)に就任

      木綿江戸積開始

1821年 切手会所を設立

      仁寿山校を開校

1822年 御国産木綿会所設立

       木綿の専売

1825年 革会所を設立

1825年 塩会所を設立

1841年 逝去 享年75歳。

(完)

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2014年11月 8日 (土)

河合寸翁のこと その七 藩政改革 新産業興し

米の増産の次に行ったのが、新産業興しだ。財政再建と言うと、まず節約が第一となり、リストラもされるのだが、これらの人々の受け皿も作った。これも領民を巻き込んだ新産業政策。

例えば、内陸部では、市川の河岸の段丘にある広大な原野を開墾させ、桑を栽培させている。当然、絹織物の振興を図ったのだ(実際は、後で記すが、その後、方針を変えている)。その他に、木綿、藍染など各種染物、東山焼、塩田開発・製塩、高品質の金物、砂糖、茶、朝鮮人参、白粉、ローソク、べっこう細工まで、幅広く様々だ。もちろん、全てが成功したとは言わない。ただ、人々のやる気を引き出したことは確かだ。

その中で、特に財政再建に最も寄与したのが木綿。なぜ貢献したかと言えば、それは木綿の専売制度を作ったことによる。播磨地区は、鎌倉時代から木綿産業が発達していて、品質にも定評があった。江戸時代には、姫路に「綿町」などもできている。ただ、大阪商人に牛耳られており、地元には、彼らに買い叩かれて、金は落ちなかった。

そこで、河合寸翁は、姫路に利益を留めるため、木綿を姫路藩の特産品にすべく、現代で言う「流通革命」を彼がリーダーシップを執って行う。すなわち、姫路で一か所に集積させて、大阪の問屋を経由せず、直接、江戸で専売する仕組みだ。藩による木綿の専売制度の確立であった。

綿の栽培から、職布、加工、流通、販売の諸経路を姫路藩の統制下に置いた。綿町に「御国産木綿会所」を設け、木綿を集中集荷する仕組みを作る。これにより、商品の大阪流通は止まる。もちろん、これには、大阪商人の強い抵抗があった。ただ、彼らも、藩の意向には逆らえない。徐々に体制は整っていく。

そして、この流通革命の特徴は、藩が利益を独占するのではなくて、各流通段階で、利益がきちんと落ちるようにしたことだろう。それによって、生産者や加工者は、努力すれば報われるとあって、それぞれが仕事に精を出すことになる。ここにも、寸翁の哲学が流れている。

問題は、直接、江戸に売ると言っても、姫路木綿を独占販売するには、江戸町奉行所から許可がいる。それに他の藩も専売権を得ようと運動していた中で、彼は政治力を発揮する。ちょうど幸いなことに、藩主忠実(ただみつ)の子と将軍家斉の娘・喜代姫が結婚することになっていた。そこで、専売の利益を喜代姫の化粧料にあてることを理由に、木綿の専売権を得る。

それで、江戸町奉行所から、江戸の木綿問屋と独占契約を取り交わすことに成功し、販売拠点である「江戸会所」開設が認められる。ここから、越後屋、白木屋、大丸といった大店への卸しがされることになる。やがて、年間に、300万反を売り上げるようになる。

また、江戸・姫路間の木綿販売に使った「切手(藩札)」システムも、現金移動を伴わない新しい決済手段だった。荷物受取書を、「御国産木綿会所」同様、綿町に作られた「御切手会所」に持ち込むと、代金の7割から8割が、切手で支払われ、残金は、江戸で品物が売られてから受け取る仕組みだった。これらは、寸翁が始めたシステムだ。

ただ、これらの仕組みは、寸翁一人で作ったものではあるまい。生産者、加工者、商人あるいは官僚の意見を総合的に、まとめたのが寸翁と言えるだろう。彼は、自由闊達に意見が言える雰囲気を作ったことが、この事業の成果につながっていく。

また彼は、その他に、各種開発事業を行っているのだが、最初に挙げた中で、比較的主たるものを挙げておく。

一、塩田開発

藩主の酒井忠実は、河合寸翁に命じて、塩田の開発を奨励する。そのために、いくつもの新しい塩田が開発される。ちなみに、当時の塩田は、現在と異なり、入浜式塩田だった。また綿会所同様、塩会所を作り、塩の生産・販売を統制する。そこでは、製塩の改良、燃料の共同購入、従業員の賃金の支払いをしている。

二、朝鮮人参の栽培

船津町の西光寺野の開発による朝鮮人参の栽培を奨励した。西光寺野の開発は、桑畑にするためだった。まず、本徳寺の末寺を造らせ、人を集め、その人糞を肥料に桑畑を耕したところで、朝鮮人参を栽培させた。当時、朝鮮人参の需要は高く、高く売れ財政に寄与している。

これらの新産業政策で、藩の財政は、少しずつ改善して行ったが、負債がなくなるのは、天保5年(1834)まで、かかっている。実に取りかかって26年。いかに藩の借財が多かったことがわかる。

次回に続く。

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2014年11月 7日 (金)

河合寸翁のこと その六 藩政改革 弱者救済

新田開発により食糧を増産し、領民の安寧を図ると共に、困っている領民の不安を取り除く仕組みを作った。それは現代の社会保障ともいえる弱者救済だ。今でも、そうだが、為政者の弱者への対応で、多くの民は、安心する。民にとって誰もが弱者になりうるからだ。

彼は、各地に、「固寧倉」というものを設けていく。これは、災害に遭った時や凶作に備えての防災兼備蓄倉庫のようなものだ。現在でも、市内に保存されて残っている。見に行ったことがあるが、文字通り、倉庫のような、一種の蔵だった。

固寧倉とは、中国の『書経』の「民は国の本、本固ければ邦(くに)寧(やす)し」から採ったものと言われている。平時に、災害・凶作に備えて、農民に穀物を備蓄・貯蔵させると共に、平時には、低利で貸し出した。また毎年11月に入れ替えたようだ。

固寧倉は、2カ村に1箇所設けられ、姫路藩全体では、1843年には92箇所設けられた記録があるが、1846年には、288箇所に拡大している。これで、飢饉で飢える農民は少なくなり、農民たちは、安心して、農業に取り組むことができた。

また固寧倉は、独り身で困っている女性らに米を配給していたりして、現代で言う貧窮者救済の一端も垣間見える。更に、商人、工人に対して、「生業資金貸付」制度を新設し、無利子貸出もして、産業振興を図っている。そのため、やる気のある商人を中心に積極的に、次々と産業を興していった。

次回に続く。

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2014年11月 6日 (木)

河合寸翁のこと その五 藩政改革 新田開発による米の増産

今回から、河合寸翁の藩政改革を具体的に見ていく。まず、彼は、領民優先の政策を実行する。スローガンに掲げたのが、領民の安寧。かつての領主は、年貢の強制徴収により一揆が度々起っていた。寸翁は、逆転の発想をする。当時の主力産業は何と言っても農業。これを安定的に発展させることに臨む。そして新田開発により農業生産を高めることに取り掛かる。

また、藩の財政を潤すには、新しい農地の開発と米の増産と感じたのもあるが、それに領民の年貢に対する不安を無くすことの必要性も感じていた。それには、石高以上の余剰を生みだす必要がある。そのためには、新田が必要だ。

これまでの為政者も、新田開発はしていたが、寸翁のやったのは、圧倒的に規模が大きい。その理由は、現代で言う民間活力の利用だ。彼は、大庄屋や商人に請け負わせて、新田開発を奨励する。ここら辺が、彼の優れているところだ。

これは、町人請負新田といわれるもので、最近、企業が農業に参入しているのと、少し似ている。当時、貨幣経済の発展で資金力を持っていた商人が新田を開発し、農民を雇って耕作させた。すなわち、自力本願だけに頼らず、他力本願も大切にしているのだ。

この方式により、中島の庄助新田、相生新田、大森新田、広畑・新鶴場新田、妻鹿・白浜の太佐新田等で、次々と新田開発される。すなわち、海側の多くの干拓地が、生まれ、耕作地が大幅に増えた。その広さは、実に、3000ヘクタールにもなったという。その結果、米の増収が、なんと9000トンになった。

これの教えるところは、何もかも為政者側が行うのではなく、民のやる気を利用した方が、うまくいくということだ。これは当時の限られた農地で、何の知恵も出さず、農民から年貢搾取する封建社会からすれば、革新的だったと言える。結果的に、石高以上の米の増収で、藩にも蓄えが可能になるし、商人、庄屋、農民にも、大きなメリットがあるという皆が喜ぶ政策になった。いわゆる善循環が働き始めた。

*参考文献

  『歴史読本 姫路のあゆみ』

(姫路市中学校教育研究会社会部会編。姫路市教育委員会発行)

小学生時代に確か読本を読んだ気がするが、すでに手もとにはないので、上記の書籍により、彼の業績を参考にした。中学生向けに作られたもののようだが、一般人にも十分参考になる。

次回に続く。

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2014年11月 5日 (水)

河合寸翁のこと その四 姫路藩改革へ

河合寸翁は、藩政改革を受けても受けなくても、厳しい立場に追いやられる。結局、彼は、改革担当を受けざるを得ない。それに、今まで、冷や飯を食わさせられているという感覚までには行かなくても、藩政を冷やかに見続けていた。その長い雌伏の期間が彼に改革の心を育てていたのかもしれない。財政には、素人だが、何となく自信めいたものはあった。

それに彼の祖父は、大水害時に、城下の人々を助けた領民派。河合家には、領民があっての藩政と考えていて、藩主にも、そのことを強く訴えている。そして、藩政改革を命じられた時、領内に次のように、布告する。

「元来、君臣は一体のものであり、民貧しき時は、君貧しく、民富む時は、君も富むる道なり。善きも悪しきも一体のこと」

かつての領主のように、領民から絞りとって、江戸屋敷に送るのを止め、領民優先政策を採るという宣言だ。そして、富者には倹約させ、貧者には貸し与え、まず領民の安寧からという発想に切り替えさせる。

そうしたこともあり、多分、領民から、いろんな知恵が、寸翁に持ち込まれたものと推定される。それは大庄屋であったり、商人だったかもしれない。少なくとも、彼は、財政を十分知らないゆえに、多くの不合理に耳を傾けたことであろう。結果的に、いろんな再建策を、先入観なく、吸収していく。これが幸いし、大きな運を呼ぶのだ。

そもそも、改革案というものは、命じられて、すぐに浮かぶものでもないし、天から降ってくるものではない。それまでの準備期間に、蓄えられた知恵が、活かされたに過ぎない。日頃からの問題意識が、いざという時に役立つものなのだ。

彼は、今まで貯めた案をもとに、領民の協力を得て、次々と手を打って行く。新田開発、塩田開発、特産物の専売制度、東山焼の振興、菓子産業の振興、輸送手段として港の整備。更に弱者救済制度、藩校の開校をしている。次回から、その詳細を見てみよう。

次回に続く。

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2014年11月 4日 (火)

河合寸翁のこと その三 姫路藩の財政危機と寸翁登場

ところで、川合家が断絶になった後、母親、妻、子どもたちは、松下高通に預けられ、食い扶持として、50人扶持が与えられる。そして、子どもの嫡男・定連は、間もなく、新しく500石で召される。これは藩内でも、処置に困った様子が見て取れる。ただ、定連は、病を理由に退き下がってしまう。

それから数年して、宝暦5年(1755)に、弟の宗見(むねみ)が、30人扶持で召しだされ、川合家のお家再興が叶う。宝暦12年(1767)には、200石を賜っている。その後、順調に出世して行き、安永6年(1777)に城代を兼務し、翌年の安永7(1778)年には、父親の禄1000石を回復になり、家老職に復帰している。これは、藩主を引き継いだ、忠以(ただざね。以前にも取り上げた風流城主・酒井宗雅のこと)の計らいと伝えられる。

そして、天明7年(1787)に宗見は亡くなり、家督を嫡男の定一(後の道臣。寸翁)が相続し家老になる。道臣21歳であった。子どもの頃は、隼之助(はやのすけ)と名乗っていた。少年期から才気煥発であった。学問も深く修め、早くから藩主の目に止まっていた。ただ、家老にはなったものの、お家断絶のこともあり、傍流を歩む。

家老になって約20年。忠以の後を継いだ藩主、忠道は、河合定一に、自らの名の「道」を与え、「道臣」と名乗らせる。河合道臣の誕生だ。そして、彼に藩政改革を命ずるのである。実は、前年、勝手向き、現代で言う、財政担当の家老が引責辞任して、お鉢が回ってきた感じで、非常に厳しい状況だった。

次回に続く。

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2014年11月 3日 (月)

河合寸翁のこと その二 河合家、お家断絶

藩主酒井忠恭(ただずみ)は、寛永2年7月に江戸を発ち姫路に向かう。ところが発った2日前に、姫路城下は、豪雨で水害の被害に遭っていた。降り続いた豪雨で船場川が決壊し、多数の死者を出し、多くの家が流されたり破壊されたのだった。

その頃、川合定恒は先遣隊として、すでに姫路に着いていたから、その被害を目の当たりにしていた。彼は、皆の反対を押し切り、独断で住民を避難、保護した。蔵を開け、被災者に米を振舞い、炊き出しもした。家を流した者には、現代で言う被災者支援として、お金まで渡している。

そうした中で、酒井忠恭が姫路城に入城すると、城下の者たちは喜んで歓迎した。だが、この洪水被害で、姫路藩は、大幅な減収になって、藩政の危機に陥る。さらに、姫路藩に転封になったとあって、商人たちが、以前とは、態度を変え、ほいほいと金融貸し付けしていた。ところが、自然災害の窮状に借金が重なってしまう。大きな期待が期待外れになったのだ。

川合定恒にすれば、大権現徳川家康様の申し渡しを無視して、転封を画策した年寄の犬塚又内(ゆうない)と家老の本多光彬(みつあき)が許せない。いろんな不満が鬱積していた。彼らに、大水害の独断処理で藩財政が苦しくなったのだと、ぐじぐじと責められたのかもしれない。とうとう堪忍袋の緒が切れて、両名を切り捨てる。そして、自らは自刃する。そのため、川合家は、お家断絶することになる(*注)。

この頃、姫路藩は、転封効果は全くなく、財政破綻寸前で、73万両の負債(石高にして62万石に相当)を抱えていた。藩の石高が15万石だから、実に4倍以上。とても、借金を返済できない状況だった。

*注

断絶前は、河合家。断絶して名乗れなくなり、一時的に川合家。後、河合家に、戻るが、寸翁の祖父や父親は、川合姓のまま残る。

次回に続く

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2014年11月 2日 (日)

河合寸翁のこと その一 姫路藩に転封

今回から、以前にも少し書いたが、姫路藩の名宰相、河合寸翁(かわいすんのう。1767~1841)について、もう少し詳しく触れて行きたい。河合寸翁は全国的には、あまり知られていないが、彼の先端的な仕事は、後に、渋沢栄一が参考にしたと伝えられる。

寸翁は69歳で引退してから名乗った名前で、それまでは河合道臣(みちおみ)が正式名だが、姫路では、寸翁の方が通りがいいので、こちらの名を使用する。彼は、姫路藩酒井家の家老として、忠以(ただざね)、忠道(ただみち)、忠実(ただみつ)、忠学(ただのり)の4代の城主に仕えた名家老。

実際、姫山公園内に、観光客には、あまり知られていないが、「寸翁神社」がある。それは比較的新しく、1957年(昭和32年)に地元の経済人らの手によって創設された。当時の戦後の苦境にあった経済人らが、姫路藩の再建に尽くしたことに重ね合わせて、尊崇の念を表したのであろう。

今回は、彼を語る前に、そもそも河合家が姫路にやってきた経緯を記そう。河合家は、河合宗在(むねあり)以降、代々、酒井家の家老であった。そもそも、前橋藩(上野国・厩橋)は、家康が幕府を開いた後、北方の脅威から守る砦として、酒井重忠に「永代で守れ」と命じていた。

それから、150年。前橋藩は、石高15万石だったが、実収は、その半分ほどで、苦しい状態が続いていた。藩財政は苦しく、俸禄も、十分に渡せない状況が続いた。当時の藩主、忠恭(ただずみ)は悩む。

そこで年寄と別の家老が組んで、移封工作をする。ちょうどいい具合に、当時の姫路藩主・松平明矩(あきのり)が亡くなった後、世継ぎが無く、転封となる情報を得る。当時、姫路藩も、前橋藩と同じ石高で15万石。更に、いいことは実収が前橋藩と違って、3割も多い。

これに飛びつきたいのも分る。移封工作は藩主忠恭を巻き込んで成功する。だが、寸翁の祖父で家老であった川合定恒(*注)は強く反対する。それは家康から、酒井家が前橋城に入る時、よい城だから大事にして、守れと言われていたから。経済的に苦しいからと言って、簡単に移封するとは何事だと怒ったのだった。

しかしながら、多勢に無勢。藩の窮状には勝てない。移封は強行される。1749年(寛永2年)7月に江戸を発っている。そして、なんと川合定恒に先遣隊が命じられる。やれやれ、嫌味な周辺の人たち。それでも、宮仕えは仕方ない。

*注

本来「河合」だが、後に、お家断絶して、名乗れなくなり、しばらく「川合」となる。道臣の時代には、「河合」姓に戻っている。

次回に続く。

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2014年11月 1日 (土)

日本発、通貨バブルの危うさ

そもそも日本は、実体経済でインフレを進めることは難しい。それを無理やり、インフレを起こそうとすれば、輸入インフレしかない。そのことを知ってか知らずか、日本銀行が、追加金融緩和をした。日本銀行内でも意見は分れたようだが、危険な政策であろう。

円安は更に進み、株式市場は、それを歓迎しているようだが、輸入インフレが進めば、国内企業は、コストアップで経営を圧迫することは明らか。国内経済が良くないまま、輸入インフレを起こすと、悪性インフレになる。

今後、日本の景気は、消費税増税に伴い、更に悪化して行くと推定される。消費税10%への引き上げを日本銀行は支援したつもりであろうが、逆効果になるだろう。

更に日本銀行の資金供給は、世界の株式市場をバブル化させている。これが亢進すれば、いずれバブル崩壊が起こる。米国を除けば、景気の実態はよくない。景気とかけ離れた根拠のない高株価は、いずれ修正される。それもショックを伴うものだ。

一部識者は、相当前から、世界恐慌を予測している。問題は、いつバブルが崩壊し、世界恐慌に陥るのか。そう遠いことではあるまい。日本銀行は、より早く来るような危険な道を選択してしまった。国民は、いずれやってくるデフレ逆戻り現象を覚悟しなければならないようだ。

*追記

安倍政権も、日本銀行も、株価を上げれば、景気は回復すると勘違いしているのではないか。実体経済を好くしない限り、株価だけ上げても、無意味であろう。求められるのは、新規の需要創造だ。

*追記

ちなみに、恐慌になって一番被害を受けるのが、投資家。また年金基金の運用を国債を減らし、国内株式、海外株式への比率を高めるようだが、同様に被害を蒙る。その時、年金カットということで、年金受給者も、損害を受ける。他人ごとではない。

*2014年11月4日追記

首相が、国会で「追加金融緩和について概ね好感と受け止められている」と発言。喜んでいるのは、金融関係等投資家だ。報道でも彼らが解説するから、誤解を招く。輸出業者でさえ、過度の円安につながるのを懸念しているのに。自画自賛政治には、困ったものだ。

*注記

上記の記事は、個人的見解です。投資の判断に責任を持つものではありません。

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