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2014年11月 7日 (金)

河合寸翁のこと その六 藩政改革 弱者救済

新田開発により食糧を増産し、領民の安寧を図ると共に、困っている領民の不安を取り除く仕組みを作った。それは現代の社会保障ともいえる弱者救済だ。今でも、そうだが、為政者の弱者への対応で、多くの民は、安心する。民にとって誰もが弱者になりうるからだ。

彼は、各地に、「固寧倉」というものを設けていく。これは、災害に遭った時や凶作に備えての防災兼備蓄倉庫のようなものだ。現在でも、市内に保存されて残っている。見に行ったことがあるが、文字通り、倉庫のような、一種の蔵だった。

固寧倉とは、中国の『書経』の「民は国の本、本固ければ邦(くに)寧(やす)し」から採ったものと言われている。平時に、災害・凶作に備えて、農民に穀物を備蓄・貯蔵させると共に、平時には、低利で貸し出した。また毎年11月に入れ替えたようだ。

固寧倉は、2カ村に1箇所設けられ、姫路藩全体では、1843年には92箇所設けられた記録があるが、1846年には、288箇所に拡大している。これで、飢饉で飢える農民は少なくなり、農民たちは、安心して、農業に取り組むことができた。

また固寧倉は、独り身で困っている女性らに米を配給していたりして、現代で言う貧窮者救済の一端も垣間見える。更に、商人、工人に対して、「生業資金貸付」制度を新設し、無利子貸出もして、産業振興を図っている。そのため、やる気のある商人を中心に積極的に、次々と産業を興していった。

次回に続く。

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