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2014年11月 5日 (水)

河合寸翁のこと その四 姫路藩改革へ

河合寸翁は、藩政改革を受けても受けなくても、厳しい立場に追いやられる。結局、彼は、改革担当を受けざるを得ない。それに、今まで、冷や飯を食わさせられているという感覚までには行かなくても、藩政を冷やかに見続けていた。その長い雌伏の期間が彼に改革の心を育てていたのかもしれない。財政には、素人だが、何となく自信めいたものはあった。

それに彼の祖父は、大水害時に、城下の人々を助けた領民派。河合家には、領民があっての藩政と考えていて、藩主にも、そのことを強く訴えている。そして、藩政改革を命じられた時、領内に次のように、布告する。

「元来、君臣は一体のものであり、民貧しき時は、君貧しく、民富む時は、君も富むる道なり。善きも悪しきも一体のこと」

かつての領主のように、領民から絞りとって、江戸屋敷に送るのを止め、領民優先政策を採るという宣言だ。そして、富者には倹約させ、貧者には貸し与え、まず領民の安寧からという発想に切り替えさせる。

そうしたこともあり、多分、領民から、いろんな知恵が、寸翁に持ち込まれたものと推定される。それは大庄屋であったり、商人だったかもしれない。少なくとも、彼は、財政を十分知らないゆえに、多くの不合理に耳を傾けたことであろう。結果的に、いろんな再建策を、先入観なく、吸収していく。これが幸いし、大きな運を呼ぶのだ。

そもそも、改革案というものは、命じられて、すぐに浮かぶものでもないし、天から降ってくるものではない。それまでの準備期間に、蓄えられた知恵が、活かされたに過ぎない。日頃からの問題意識が、いざという時に役立つものなのだ。

彼は、今まで貯めた案をもとに、領民の協力を得て、次々と手を打って行く。新田開発、塩田開発、特産物の専売制度、東山焼の振興、菓子産業の振興、輸送手段として港の整備。更に弱者救済制度、藩校の開校をしている。次回から、その詳細を見てみよう。

次回に続く。

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