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2015年1月30日 (金)

「あほ」と「かしこ」

今回は、以前にも取り上げたことのある関西弁の「あほ」と「かしこ」。東京で言えば、「馬鹿」と「利口」に通ずる言葉かもしれない。今は、それほどでもないと思うけれど、昔は、東京の人は関西の人間に「あほ」と言われると、堪えたらしい。

関西弁で、「あほ」と言えば、少し愛情の有る言葉だが、その語源は「阿呆」だから、痴人のように受け取るのだろう。確かに、頭足らずの人間に投げかけられる言葉ではある。そして、「あほ」には、隙があって、どこか抜けている。でも、そういうタイプは、意外と皆に愛される。

それとは逆に、「あんた、かしこいなあ」と言われて、嬉しそうにする人たちもいる。「かしこ」の語源は「賢い」からだ。まあ、大体、賢いと褒められている気持ちになるのだろう。だが、かしこは、ずるいという意味も含まれている。よって警戒されることは明らかだ。場合によっては、足を引っ張ってやろうという輩も登場するだろう。

何を言いたいかと言えば、あなたが本当に賢いならば、「かしこ」ぶるより「あほ」のふりをした方が生きやすいということ。「馬鹿」と「利口」についても、そのように言えるだろうが、東京人は、そのように振る舞えるだろうか。

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2015年1月28日 (水)

稲垣栄洋著『弱者の戦略』を読了

稲垣栄洋著『弱者の戦略』(新潮選書)を読了した。内容は、自然界から見た生物たちの生き残り戦略。動植物は生き残りのため、いかに工夫しているかが、具体的に記されている。小学生から大学生まで、学生の教養書としては適切だろう。もちろん、社会人も、あるいは会社経営者も参考になるかもしれない。

ビジネスの世界では、一般的に強者の戦略が説かれることが多いが、案外、しぶとく生き残っているのは、むしろ弱者の方であるというのは、ありうる。もちろん、弱者が強者に正面からぶつかっては、身を亡ぼすのは避けられない。

よく言われるように、ナンバーワンか、オンリーワンというのも、一概に、どちらが良いとは言えないが、傷つく可能性の低いのは、オンリーワンの方だろう。もちろん、オンリーワンになるには、「その場」を占めなければならない。そのための工夫が必要なことは言うまでもない。

見方によっては、この書籍を読めば、難しい経営書を読むより、どのビジネスマンも納得しやすいかもしれない。読んでも重たくないので、気分転換に一読するのもいいだろう。

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2015年1月27日 (火)

悲観と楽観

人は、その性格によって、楽観者と悲観者がいるように思う。ただ、どちらに偏っても、うまく行かないことが多い。それでも、程度は違っても、状況によって、人は楽観したり悲観したりする。大体が、うまく行っている時は楽観し、うまく行かないときは悲観する。

松下幸之助は、経営に於いて、雨の日には傘をさせ、と自然体を主張した。そのためには、天気のいい時に常に傘を用意し、雨降りが続いている時には、いつか晴れると思って、照り続けた時を思って、その対策をする。それが達人らしい。楽観し過ぎるのも問題だが、悲観し過ぎるのも問題だ。

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2015年1月26日 (月)

猫だらけ~明石市立文化博物館

私は、猫が大嫌い。野良猫だけに限らず、飼い猫と思われる猫も、こちらの庭にやってきて、小便や便を垂れ流す。小便については、猫だけでない。犬を散歩させている人たちが、便の回収はしても、小便は、垂れ流させて、そりまま。塀などに掛けられると、臭いが残り、こちらが後処理しなければならない。

動物たちを買う人はたちは、飼うということを楽しんでいるのだろうが、周囲は度々迷惑する。犬の場合は、時々、飼い主に抗議するが、猫たちは、飼い主が分らないので(野良猫の場合は、どうしようもない)、そうすることもできない。本当にも困った奴らだ。

今回も、明石市市立文化博物館での猫の写真展、『岩合光昭写真展・ねこ』の案内があったが、当初行く気には、なれなかった。ただ、神戸に行くことがあったので、ふと帰りに明石に寄ってみようと思い立ち行ってみた。よくあることです(笑)。

明石駅を降りて博物館に向かうと、いつもと違って、人が行き交う量が多い。どうも猫好きの人たちのような雰囲気だ。双方共に随分と嬉しそうだ。猫好きの同類と思われたのか、私にも、笑顔を向けられる。うーん、大きな勘違い(笑)。

会場に着くと、この博物館に似つかわしくないほど熱気。以前、同館で、ジュディ・オングさんの展覧会があったが、その時と似た感じ。それで、会場に入ると、いろんな猫の姿態をカメラに収めたものが展示してあった。

皆さん、熱心に鑑賞しているが、当方、何が面白いのか全く分からず。さっと会場をひと歩きして会場を後にした。確かに、人集めとしては、成功しているのだろう。「猫の写真」も文化と言えば文化なのだろう。

ただ、公的施設で有料(大人1000円)で、催すべきなのか大いに疑問が残る。むしろ、商業施設での販促策くらいが適切だろう。こういう施設では、むしろ、例えば、「猫を描いた画家たち」というテーマが適切ではないか。実物の猫を写真にしたものを展示するのは、ちょっと違う感じ。結局、判ったことは、明石市も、猫好きの人が多いことだけ。残念ながら、私にとっては、意味のない寄り道であった。会期は、2015年2月8日まで。

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2015年1月25日 (日)

聞き覚えの音楽~ジュ・トゥ・ヴ

人間、一生の間に知りうることは、ほんのわずかということのようだ。それでも、新しい知識を得ると、少し嬉しい。先日、テレビやラジオで流れる某音楽が初めて、何であるか判った。それが、「ジュ・トゥ・ヴ」というものであった。

これは、アンリ・パコーリの歌詞に、あのエリック・サティが歌手ポーレット・ダルティのために作曲したようだ。残念ながら、アンリ・パコーリについても、ポーレット・ダルティについても存じ上げないが、曲は好いと思う。なお、日本訳では、「あなたが欲しい」となっている。

いつかのブログでは、サティのことをくさしたのだが、この曲は、「ジムノベディ」同様、好い曲だと思う。

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2015年1月23日 (金)

高坂正尭著『世界史の中から考える』読了

本屋をうろうろしていて、ふと高坂正尭氏の書籍が目に入った。彼は国際政治学者だが、平成8年に亡くなっている。彼の本としては、過去に『文明が衰亡するとき』(新潮選書)を、若い頃に読んだ。

国際政治の根本を読み解き、その見解は、今でも通用する。学者というものは、そうでなくてはならない。最近の政治学者は評論家になっていて、刹那的な考えを表明するか、権力者に御世辞を言う程度だ。

さて、今回、目に付いたのが、『世界史の中から考える』(新潮選書)という本。初版が1996年だから、20年くらい前の本だが、その内容は、『文明が衰亡するとき』同様、歴史を分りやすく、国際政治の根本を説いている。いろいろ述べているのだが、多くの事例を出しながら、結局、ナショナリズムが国家を危機に追いやる、ということだ。

国民が興奮して、頭に血が上って、出す結論は、概ね、間違った判断を為政者に下させる。全体の問題を冷静に把握して、問題の背景を掴み取り、本質を暴いて、課題を抽出して、あるべき方向に持って行く。つまり国民は興奮させられないようにすることが大切だということだろうか。それは最近の日本を取り巻く諸問題も、そのように捉えるといいのかもしれない。

*追記

若い方には、『文明が衰亡するとき』、『世界史の中から考える』の両書を読まれることをお勧めする。

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2015年1月22日 (木)

陳舜臣さん逝く

あの陳舜臣さんが亡くなった。眠るようだったという。享年90歳。ご冥福を祈る。彼の著作は、今も蔵書として、たくさん眠っている。『中国の歴史』、『十八史略』のように、中国の歴史を記したもの以外は、全て小説だ。

中国文化に興味を持ち、全て、若い頃に読んだものだ。読みやすく、中国文化の一端が描かれていたと思う。彼は日本に帰化したが、大陸の大人(たいじん)さが常に出ていた。これを機会に、もう一度、読み直してみたい。また神戸には記念館(正式名は「陳舜臣アジア文藝館」)もあるようだから、一度行ってみたい。

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2015年1月21日 (水)

民主党(現在の民進党)に望まれること

岡田氏が、民主党代表選で選ばれたらしい。安易な政党合流姿勢を採らないのは正論だろう。それは小沢氏の手法で既に失敗しているので明らかだ。地道に党勢を拡大する姿勢が問われるから、岡田氏を選択したことは、民主党には結果的に良かったかもしれない。

ただ、彼は、生真面目で、原理主義者と呼ばれる堅物。彼に求められるのは、器を大きくすることだろう。党内のいろんな考え方を、どのようにまとめることができるか、そこが課題だろう。

さて、与党の自民党が戦後、長く政権を担っていたのは、政策がいいとか、人材が揃っているとかということではなくて、党内、国内外の利害調整能力が長けていることだと言われる。そのため、地に足のついた泥臭い政治をやってきた結果が多く支持を受け、政権を担ってきた。

ただ、歴史的には、一党優位の政治は危うい(昔の自民党は、派閥が跋扈しており、その結果、党内競争が働いていた。一党と言いながら、様々の意見を吸収していた。現在の自民党には、それがない)。やはり競争する立場の健全な野党は必要だ。

民主党に欠けているのは、まさに、自民党が持っている利害調整能力と、それを現場で泥臭く動く人材だろう。どうかすると、かつての民主党政権や前代表のように評論家のような姿勢をし、政策の実現性から、はずれる。だから一時的に、国民に支持されても、実現しないとなると、そっぽを向かれる羽目になる。

やはりビジネスと同様、政策実現に向けた、内外の人間関係構築力が必要だ。それには、自民党が財界や学者等を巻き込んで政策提言させているように、労働界だけでなく各界を巻き込んだ政策論議にする必要がある。

自民党に欠けるのは、自党で政策提言する能力だが、民主党は、まだ自党で政策提言しようとする生真面目さはあるが、かえって、それが独善を生む。多くの人々を巻き込んで、主張に広がりが伴なわないと力につながらないことを理解するべきだろう。

また民主党としての、党内一致の政党理念の一貫性が必要だが、未だに理念というものが、伝わってこない。それは例えば、中道リベラルとか、緩やかな護憲とか、中間層の厚みを増すとか主張するとかが必要だが、そのために何をするかぐらいは明らかにしなければならない。

例えば、あるべき仕事の仕組みの提案だったり、働く人々を守る法整備であったり、所得再分配であったり、その他の相応しい税制にするくらいの主張は必要だ。

また、党の運営に関しては、彼らも過去の失敗から認識しているようだが議論百中しても、決まったことには従う組織運営を確立することも求められる。

それから、以前の鳩山政権で失敗したように、政権交代しても、外交の一貫性は守るということを党内で共通認識にしておくことは大切だ(但し、常任理事国になることを目的に暴走する安倍外交は大幅に修正する必要があるが)。

単なる国内向けの理念だけで突っ走ると、世界から信用されなくなることを肝に銘じるべきだろう。それには、まず英米との政治交流は欠かせないだろう(全て彼らに従う必要はないが日本の意志は明確に伝えておくべき)。彼らの理解なくして、政権奪取はあり得ない。

当面、自民党が地域創生に成功すれば、政権が続くと思う(但し、首相は、相変わらず、ころころ変わると思う。安倍首相も、もう限界だろう)が、民主党も、現実的な政党に目覚めれば、将来的には政権奪取も不可能ではない。だが、まず全国で、各界に幅広く支持者を増やし、候補者の人材の発掘・育成に努めることが先だろう。これには、相当の時間がかかると思われる。

*追記

以上の論点は、現在の民進党にも同様なことが指摘できる。だが、党内改革は遅々として進んでいないのが現状だ。議員は足の引っ張り合いをしている場合か。

また、選挙で勝てないとして、自己都合の離党議員が多いことも問題だろう。彼らは政治で飯を食おうとする意識が強すぎて、国民の方を全く見ていない。よって、有権者としては、彼らに投票する気にはなれない。離党しても消えていくだけだろう。

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2015年1月19日 (月)

銃撃事件と移民問題

他宗教をからかう風刺漫画表現という言論の自由と、それを好ましくないとする「イスラム原理主義過激派」によるフランスの銃撃事件が問題になって、ヨーロッパ全土に拡大しつつあるようだ。この根本的な原因は、問題は単純ではないが(*注)、基本的には移民問題と歴史的な問題だろう。以下、テロは決して容認できないが、私なりに理解していることを整理しておこうと思う。

移民問題は、ヨーロッパが中途半端に、文化の異なるイスラムの人々を移民させたことだろう。日本では、郷に入れば郷に従え、という言葉があるが、イスラムの人々は、概して、宗教のしきたりに厳格で、同化しない傾向が大きな問題であろう。そういうことに、欧州の人々は反発する。

だが、移民を受け入れる時に、そのような文化の違いというリスクが果たして検討されたのか。安易に安い労働力を期待して移民させたのではなかろうか。これは、米国が黒人奴隷としてアフリカから連れてきた問題と似ている。実際、米国では黒人を大統領に選んでも、黒人差別が厳然と残る。問題の根は人種差別であろう。

欧州と中東は、地理的にも近く、昔から争いがあった。歴史的に攻防があったことが事情を複雑にさせる。欧州は、ずっと中東を差別的に見ている。戦前は、英仏が、中東を自らの都合で分割した。この事に対しては、イスラムだけではなく、アラブ全体として、心理的に抵抗がある。

そして、このことは、常に欧州の人々は、彼らより一段も二段も上にあるという意識を持たせた。これはかつてドイツが、ユダヤの人々を排斥したことと似ている。欧州に、イスラムに対する差別意識がある限り、今後も、各種トラブルは発生するだろう。

これらと違った視点を挙げれば、豊かだが落ち目の欧州と、人口が増えているが貧しい中東イスラムの人々の争いという見方もできる。これは時代性ということもできる。人口興隆する時は、色々問題を起こしやすい。

人口が増える地域というものは、何かと問題を抱えているが、内部にエネルギーは蓄えている。それはちょっとしたことで爆発する。今回のフランスの風刺画は、まさに、それを刺激したということだろう。

今回、風刺画という言論の自由をマスコミは囃したてるが、ネット社会の今日、世界の状況を把握して、発信するのが、マスコミの責任でもある。その点、フランスの風刺画は、若干、荒っぽいし、お気楽過ぎる。知識人の行いとは思えず、差別意識の下、大衆迎合的な思慮が浅い感じがする。

あるいは、そのことが分っていてやったとすれば、悪質で、背後にテロを誘発させる暗い影があったと疑われても仕方ない。テロ行為は許されないが、いくら言論の自由と言っても、気分を害する人たちがいるのだから、やり過ぎることは問題だろう。

更に、それを利用してやろうという人々の企みに利用されかねない。ネット時代の発信は難しいことを考えさせる。でも、自由に発信でき、それらを誰もが余裕を持って受け止められる社会が望ましいのは言うまでもない。それには、まず相互理解が必要だろう。

*注

ここでは、過激派組織「イスラム国」については論及しない。また黒幕が誰であるかも、色々噂はあっても、一般人には明確に分らない。ただ、複雑な背景があるのは確かなようである。

*追記

日本でも、人口減少問題から、移民を受け入れるかどうか議論になっている。しかしながら、欧米諸国家の移民の失敗を見ると、移民については、十分な検討と配慮が必要だろうし、国民の意識にも目配りする必要がある。安易な移民は、国を混乱させる。国も国民も受け入れる相当の覚悟が無い限り、移民はトラブルの元だ。

もちろん、移民を全否定するつもりはない。但し、きちんと人権を認めた上での移民が必要で、彼らも日本文化(日本語)を理解していることが条件だ。また日本文化に馴染むには、第一次産業での就労が無理ないものと思われる。

*2014年1月22日追記

安倍首相の中東歴訪時の軽率な発言で、彼らに捕らわれている日本人二人が危機に陥っているようだ。彼にしろ、副総理にしろ、言葉が軽すぎる。日本のトップの発言は、世界の誰も注視しているのであり、言葉は選ばなくてはならない。最悪の場合、退陣もありうる。

また東京新聞が、例の風刺漫画を掲載して、イスラムの人々から抗議を受けていると言う。何と軽率な。タイミングが悪すぎる。言論の自由をはき違えている。

*2015年1月26日追記

残念なことだが、ついに日本人の人質一人が殺されてしまった。国は、ビジネスに惑わされて、彼らを危機に陥れたが、もう一人も、どうなるか分らない。また政府の人質解放交渉はヨルダンルートだけで果たして解決するのか。大いに疑問だ。一部識者が指摘するように、トルコルート等の検討は外せない。

(2月1日追記)

結局、政府及び外務省は、「イスラム国」から見れば敵国のヨルダンルートだけにこだわり、失敗した。「イスラム国」をよく知る人物は、ヨルダンルートでは解決できないと言っていた。彼らを警戒したのかもしれないが、結果が出なければ何にもならない。責任者は救出できなかった責任を取る必要がある。

*2015年2月1日追記

ついに人質二人目の後藤氏も、イスラム国は殺害してしまったようだ。これは、最早、イスラム国は、大義のない、単なる殺人集団のようだ。政府の交渉に独善的で甘さがあったことは否めないが、彼らは暴走してしまった。死の商人をバックに持つと言われる彼らも、いずれ後悔するだろう。

これがターニングポイントになるかもしれない。二人の死を無駄にしてはならない。ただ、日本としては、引き続き、中東地域の貧困を解決するために、知恵を出すべきだろう。そして、それはお金を出して解決する問題ではないと政府も強く認識すべきだろう。

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2015年1月17日 (土)

震災体験の知恵

平成27年1月17日で、阪神淡路大震災20年。時の経つのは早い。以前にも、記したが震災時、住居は神戸に置いて神戸には、いなかったので、直接的な大きな被害は受けなかったが、部分損壊はあったと連絡があった。

しばらくして、健康状態悪い中、家のことも心配で戻ったが、その被害状況は目を覆いたくなるような状態だった。大阪からバスで西宮まで行き、そこから神戸に向かって、ひたすら歩いた。まるで戦場のような震災の爪痕。地震は、つくづく怖いと思ったものだ。

さて、今回も似たような内容になるが、震災体験の知恵を、今回も紹介しておこう。基本的には、新耐震基準に基づいた家に住むことである。あの地震でも、壊れた家々の中で、びくともしていないプレハブの家も多くあった。多くは、古い家が、倒壊していたが、古い家でも、基礎がしっかりしており、耐震補強している家は大丈夫だった。

ただ後に聞いたところでは、地盤の悪い所では、新耐震基準に合致していても倒壊したという話も聞いた。地耐力調査をせず、基礎工事をいい加減にしたからだろう。建築会社の良心が問われる。建築を依頼する方も、基礎にはお金をかけていいだろう(*注)。

日本は、どこに住んでも、その程度の大きい小さいはあっても被害に遭う可能性は高い。やはり日頃から、出来る限りの防災対策をしておくことが肝心だが、時間の経過と共に、忘れてしまうのが人間の悪い所。こういう機会を利用して、震災対策を講じて欲しいものだ。

また、被害に遭うと、まず水、生活水、食べ物の入手にしばらく困る状況になる。ライフラインも破壊されて機能しない。そんな時、比較的役立つのが、キャンプ用品だ。これらを、非常用持ち出し品と共に、一揃え準備しておくと、いざという時に役立つ。

余裕があれば、大工用品(のこぎり、金槌、ロープ、大型スコップ、ヘルメット、ビニールシート、梯子等)も揃えておくのもいい。また携帯ラジオは、非常用でブザーのあるものが望ましい。それから風呂桶は、貯水用にも使えるけれど、案外、大事なものの保管に役立った(火事の場合)という話もある。それぞれの状況は様々だろうが、出来るだけの対策をしたいものだ。

*注

一般に、新耐震基準に満たない古い住宅には、耐震検査を受けて、耐震基準に満たなければ、補強を施すことが求められる。ただ費用の面で、敬遠している人が多いので、最近では、部分補強も一つのテーマになっている。

*参考文献

『震災を体験して、あのとき役立った私の知恵』(神戸市市民局>平成12年発行)

*追記

1995年は、ボランティア元年とか寄付元年とか言われる。私も、初めて寄付をした年だ。ボランティアは、まだボランティアとはっきりと言えるようなことはやっていないが、寄付は毎年、小額だがしている。両親世代は、寄付やボランティアは金持ちがするものと思っていたようだが、時代と共に認識が変わってきたことは、日本も変わったなと思う。

だが、ボランティアや寄付をしても、自助の精神は忘れてはならない。いざという時、他者から助けてもらうのは有難いが、自分で、できるだけのことはしたい。自助、共助、公助はバランスが求められる。それでも、ボランティアや寄付が出来ることは、ある意味、幸せかもしれない。

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2015年1月16日 (金)

心構え~『菜根譚』より

久しぶりに、『菜根譚』を取り上げよう。

 霽日(せいじつ。晴れの意)青天も、

 倐(たちまち。すぐの意)変じて、

 迅雷震電となり、

 疾風怒雨も、倐変じて、

 朗月晴空となる。

 気機何ぞ常あらん。

 一毫(ごう)の凝滞なり。

 太虚何ぞ常あらん。

 一毫の障塞なり。

 人心の体も、

 また、まさにかくの如くなるべし。

山の天候は変わりやすいが、そこからの詩想。蛇足で解釈すると次のようであろうか。

「くっきりと晴れ渡った青空も、急に、かき曇り、雷鳴が轟き、激しい風と共に土砂降りの雨。そうかと思えば、あっという間に止み、雲一つない青空に戻っている。自然は、いつも同じ状態ではない。様々に変化し、いろんな諸相を見せるが、ただ、それだけのことだ。大自然というレベルで見ると、何も変わらない。人の心も、このようでありたい」

*注記

最初、タイトルを「不変の真理」としていましたが、多少大袈裟のように感じたので、変更しました。

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2015年1月14日 (水)

五味川純平著 『人間の條件』 読了

かつて東洋哲学者で右翼ともつながりが深く、戦後の政治リーダーを指導した安岡正篤氏は、次のようなことを言っている。「満州事変は、明治維新以後の教育に問題があり、本来あってはならないことだった。その原因は、教育が知識偏重で、人間学を教えなかったからだ」と。

明治維新で、薩長の下級武士の危機感は、西欧に追いつけとばかり、新しい知識の吸収に必死に取り組んだが、肝心の人間教育を怠った。それがため、江戸時代に人間教育を受けた人たち(主として幕府側にいた人物)の言うことを無視し、朝鮮併合を考え、日清戦争を起こし、朝鮮を併合してしまった。

更に日清・日露戦争等で江戸時代に人間教育を受けた人々が亡くなってしまうと、各界のトップリーダーに教養のある人物が払底してしまった。このことは、別の言葉で表せば、武士道精神の喪失である。以前にも説明したが、武士とは「矛を止めることを知っている人」のことである。武士道精神を失ったことが日本の危機を招いてしまう。

さて、その武士道精神を失った多くの維新の欧米知識偏重層は、ナショナリズムに走る。当時の為政者も、それに抵抗できず、最終的に軍部に、自分たちの立場を強めようと好いように利用される。

この時代に振りまわされた一般の人々の悲劇を描いたものに、子供時代、テレビで視たドラマに『人間の條件』がある。原作者は、五味川純平。旧満州での経験を元に描かれた壮絶なドラマであった。

それを改めて読んでみようと思って、先日読了した(岩波現代文庫刊)。この小説は、彼の経験によるノンフィクションの分野とフィクションから構成されているが、今までに様々の先人の話を聞いているので、全体的にはノンフィクションに近い感じだ。

著者の経歴と小説の内容を重ねてを見てみる。彼は、1916年生まれで、中国大連に近い寒村で育つ。実家は、陸軍用達を家業としていた。多感な年齢の時の1931年満州事変勃発。紆余曲折を経て、最終的に1936年、東京外国語学校に入学。2.26事件が起った年だった。政治と癒着した財閥は、巨大な利益を上げていたが、国内地方経済は破綻していた。

1937年、日中戦争始まる。1937年、「赤がかった(共産主義的思考の)」学生は、ことごとく検挙される。「赤」と言うより民主的発言も、そのように捉えられた。彼も、読書サークルや研究会を主宰していたというだけで、特高から拷問を受けている。

その後の経過は不明であるが、卒業後、満州の軍需会社に就職。1943年、鉱山労務管理に従事し、満州人の特殊工人の虐待を目の当たりにしている。更に、「特殊工人」の処刑に立ち会う。そのまま勤めれば、軍属を避けられたが、多分、非道に抵抗したのだろう。その後、召集令状が来て、東部ソ連・満州国境を転々とする。

1945年8月終戦になったが、そのことは知らず部隊は彷徨い、棄民状態になる。ソ連軍と遭遇し、戦闘したが、所属部隊は全滅する。生存者は158名中、4名。捕虜となる。その経験は、詳しく、本書の主眼の一つであろうが、ここでは割愛する。

結局、要領のいい者と体力のある者が生き残った。『アンパンマンの遺書』を書かれた、やなせたかし氏も、過酷なシベリア抑留されたが、同様の経験をされている。1948年、帰国する。

小説を読んで感じることは、戦争のもたらすのは民衆の生活の破壊だけでなく、戦っている軍人も含めた精神・肉体の破壊だということだろう。主人公の梶は、知識人であるがゆえの苦悩を表しているが、知識人でなくとも、戦争は苦悩をもたらす。

平和時の常識は通用せず、戦争という「死」に直面すれば、まともな精神を持ち続けることは難しく、結局のところ、自分だけが生き残ることに執着する。とことん行けば、生きるためには、人間的精神は失い、動物的になるということだろう。

この小説を読むだけでは、当時の歴史を学ぶことはできないが、戦争に巻き込まれて苦悩した知識人を描いたという点では、十分に参考になる。戦争に巻き込まれないためには、どうすべきか。遺された者の課題だ。

果たして、戦後日本も、知識偏重の教育をしてきた。現代日本に武士道は復活できるのか。改めて、広く人間とは何なのか、どうあるべきなのかを追求する人間教育の大切さを痛切に感じる日々だ。

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2015年1月12日 (月)

親切は勇気

若い時、電車に乗っていて、高齢者に席を譲るのは勇気がいった。席を譲って断られた時は最悪である。「すぐ降りますから」と言って、なかなか降りられない時は、少し困惑したこともある。今は、何も考えず席を譲られる。結果は気にしなくなったからだ。でも、自然体になるには時間がかかる。

親切も押しつけがましいものは、避ける必要があるが、日常生活や仕事に於いて、親切に振る舞うことは、人生を積極的にする。それにやり方によっては、案外、思慮を深くする。そこから責任感が生まれるからだ。それが如実に出るのは仕事であろう。

ところが、最初に記したように、親切には勇気がいる。親切にしても結果が出ないことがある。でも、やってみないことには分らない。親切は、深く思慮した結果、次に繋ぐものでもあるとも言える。いろんな意味で、親切にする勇気は持ちたいものだ。

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2015年1月10日 (土)

60歳以上にNISAは必要か

証券会社から、やいのやいのと言われて、NISAに加入したが、今のところ、活用していない。証券会社で示される投資信託には魅力が無いし、株式投資は、短期売買だから、あまりメリットはない。

そもそもNISAは現役世代の資産形成に寄与すると考えられたものだろう。一線から引いた人間や年金を受給する人々に必要とは思えない。確かに税の軽減は助かるが、本来の趣旨とは異なる。高齢者の不労所得には、きっちり税をかければいい。軽減の必要はなかろう。

よって今後検討してもらいたいのは、NISA対象者は現役世代限定(当面59歳まで。年金受給が65歳に移行すれば、64歳まで)にしてはどうだろうか。そして国も一部検討しているようだが、高齢者から子どもや孫に、新たに、NISA枠として、贈与100万円まで非課税とする方が良さそうに思う。

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2015年1月 9日 (金)

春の気配を感じる歌~志貴皇子

寒椿の赤い花が次々と咲く横で、黄色い水仙の花が、頼りなく咲いている。周囲には、椿、梅、桃、木瓜などが蕾を少しずつ大きくしている。雪深い地域は、まだ春の足音を感じるのは難しいかもしれないが、当地では、寒さは続くものの、やや春の気配が感じられないでもない。

『万葉集』にも、志貴皇子の歌に、春が来た歓びを示したものがある。

   石ばしる 垂水の上の さ蕨の

     萌え出づる春に なりにけるかも

        (万葉集 巻八ー一四一八)

志貴皇子は、天智天皇の第七皇子だが、天武天皇の時代になったため、皇位継承には関与していない。むしろ、幼かったため、天武天皇の庇護を受けて養育されている。自分自身の難しい立場を知っていたためか、本当のところは分らないが、皇位には、一切執着しなかったと言われる。その彼が詠んだ歌の一つが、上に挙げた歌。

意味は、「石の上を水が走って流れて落ちて少し滝になっている。その滝のほとりに、蕨(わらび)が萌えだしていて、春になった気配が感じられる」といった感じ。その観察センスは、まあ、普通でしょう(笑)。

でも、この歌を先人たちは愛し、評価してきた。はっきり言えることは、歌のテンポがいいこと。詠いやすい素直な歌の調べ。多分、志貴皇子の人柄が歌に出ているのかも。春の歌に相応しい。

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2015年1月 7日 (水)

愚直は、才気に勝る

一所懸命と言う言葉があるが、最近は、一生懸命と言う人が多い。以前は、間違った言葉であったが、この言葉が流布するにつれて、認められているようである。今回の話は、一所懸命の方。

一所で精を出して、ひたすら頑張ること。商売で言えば、他者が、少しの取引で大きな利益を出しても、羨ましがらず、小さい利益でも、大切にして、だたただ誠心誠意、顧客のために働くことだ。

他者から見れば、馬鹿に見えることも、辛抱強く継続的に取り組めば、最終的に勝利者になる。確かに商売には、目先がきくという才気は必要だが、これだけで成功しないのが、この世の中。

つまり商売に対して、いいセンスを持っていても、辛抱強く実行し続けなければ、成果が出ないということだ。目先の利益に捉われないというのは、一般人にも大切な心構えだろう。

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2015年1月 5日 (月)

平成27年の干支~乙未(きのとひつじ)

今年、平成27年の干支は、乙未(きのとひつじ)だ。乙未は、「いつび」とも読むらしい。例年のように、兵庫県立図書館で頂いた資料に基づき、記しておこう。

それでは乙未の解釈について、見ていこう。

まず「乙」だ。干支では、「いつ、きのと」と読むが、一般的には、「おつ」と読む。昔の人は、「甲、乙、丙、、、、」と学習評価されたし、軍隊入隊検査でも「甲種合格」とか「乙種合格」とか呼ばれた。少し脱線してしまった。

干支では、十干の「乙」の字は、じくざくの形をかたどって連想している。これは種から出た芽が地上に出ようとして曲がりくねった状態を意味している。種植えしている人には誰にも分りますね。五気では、「きのと(木の弟)」で、陽気のまだ伸びない、かがまっているところを意味するらしい。陰の木。

また「未」の字は、木の先に小枝が出た様子を表し、木のまだ伸びきらない部分を示す象形文字だ。「まだ、、、していない」の意味だ。陰の土。十二支の第八番目。方位は、南から西へ三十度の南南西の方角。

この両者を組み合わせたものが、乙未。「木克土」と呼ばれ、木は土を傷める意。すなわち、木は、根を地中に張って土を締め付け、養分を吸い取って土地を痩せさせるところからの発想だ。よって相手を打ち滅ぼすマイナスの関係だ。

どちらかがプラスになっても、どちらかにマイナスになる関係と言えようか。確かに、全体的な印象は、一方的な支配関係にも見えるが、やり過ぎるとバランスを崩す。土が肥えなければ、生物も大きく成長しない。バランスが取れている間はいいが、バランスを崩すと、支配している方も、大変なことになるということだろうか。各人、読みとって欲しい。

次に、歴史的に、乙未の年に何が起こったか見ていこう。

◎  995年(長徳元年) 藤原氏の全盛で、道長の時代。

     この世をば わが世とぞ思う もち月の

         かけたることも なしと思えば

                       (道長)

皮肉にも、ここから藤原家の衰退の兆しが始まる。

また清少納言が『枕草子』を著している。

◎1055年(天喜3年) 天喜の荘園整理令

荘園整理令は、902年から1156年まで、天皇の代替わりごとに発令されている。内容は、違法荘園の整理・停止だ。天喜の荘園整理令は、後冷泉天皇の時代のもの。

◎1175年(承安5年) 法然、専修念仏を唱える。

専修念仏とは、法然が始めたのだが、他の行をせず、ひたすら念仏だけを唱えるもので、伝統的な仏教からは排斥された。

◎1695年(文禄4年) 秀吉、関白秀次を高野山に追放。

秀次の子、妻ら30余人を京都三条河原で処刑。これは、昨年、大河でも描かれたが、秀頼を後継ぎにしたいがために、秀吉が執着し、豊臣家の崩壊を早めた。

◎1655年(承応4年) 幕府、刑罰などの市中法度を公布。

徳川幕府は、度々、市中法度を公布しているが、この年のものは、町人の殺傷、窃盗、放火、文書偽造に関する処分令を示したもの。

◎1715年(正徳5年) 近松門左衛門『国姓爺合戦』大坂竹本座で初演。

以後、17ヵ月続演したという。当時の熱気が伝わってくる。

◎1775年(安永4年) 長久保赤水『日本輿地路程全図』作成

別名「赤水図」。長久保赤水が、日本人として、日本地図としては初めて、経緯線が入った地図を作製した。但し、森幸安の図を元にしている。伊能忠敬の地図より劣るが、当時としては正確さが驚異的だった。また伊能忠敬の地図は幕府が非公開だったため、「赤水図」が広く流布し、海外にも流れた。海外は、日本の測量の正確さに驚いたという。また、現在、韓国と問題になっている「竹島」も日本の領土として示され、当時は「松島」と呼んでいた。

◎1835年(天保6年) 但馬出石藩の御家騒動で、藩主仙石氏を処罰

但馬出石藩で、財政再建について、家老間で対立し、お家騒動に発展し、後に幕府まで巻き込んだ。対立のポイントは、一方が「急進的な重商主義的産業振興策と人件費削減策」であり、もう一方は、「質素倹約令の励行」というものであった。現代日本にも通じます。

◎1895年(明治28年) 日清講和条約調印

別名「下関条約」。日清戦争後の講和条約。下関の春帆楼で締結された。

◎1955年(昭和30年) 日米原子力協定調印

ここから日本の原子力発電が始まる元になった。

また森永ヒ素ミルク事件表面化した。

以上のように見ていくと、様々なことが起っているが、乙未の年の特殊性は見当たらない。強いて言えば、何かが始まり、何かが終わっている。

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2015年1月 4日 (日)

口の運動~「ア・イ・ウ・ベ体操」の効果

お正月も4日になれば、帰省も終わり各所に戻っている方も多いかもしれない。あるいは、すでに戻って、明日への準備をしているかもしれない。でも、休み疲れはあるかも。そんな時、体を動かすことは大切だ。

今回は口の運動を取り上げよう。いつだったか、テレビで紹介していたのだが、何のためにするのかは忘れた(笑)。口の運動をして、血圧を測ると、一時的にではあるが、血圧が下がる。多分、緊張が解けるのでしょうな。

それが「ア・イ・ウ・ベ体操」。

ア・・・大きく口を開けて、「アーーー」と言う。

イ・・・大きく口を引いて、「イーーー」と言う。

ウ・・・大きく口をすぼめて、「ウーーー」と言う。

ベ・・・大きく舌を出す。

恥ずかしがらずにやることが大切。受験生とか、これから面接に臨む学生の方にもお薦めだと思う。あるいは、車の渋滞で、疲れているあなた、ちょっとやってみればいいかも。

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2015年1月 3日 (土)

新年のご挨拶

あけまして おめでとう ございます。

平成27年は、どのような年になるのでしょうか。いつものように期待と不安が交錯しますが、気楽にやって行きましょうと天の声なんちゃって。元旦と2日には、当地でも、かなり雪が降っていたので、例年の3日の初詣も懸念していたのですが、本日、朝起きると、晴れて、雪も、積もっていなかった。

そういうことで、さきほど、初詣に行ってきました。大変寒かったですが、運動不足の解消もも兼ねて、歩いて神社に行ってきました。ところが、雪のためか、寒いためか、例年と比べて出足は悪そうです。ただ、帰る頃になって、徐々に人が増えていきました。

おみくじも引きましたよ。例年の如く、今年も大吉。おみくじの結果に推されたわけでもないのですが、ブログは、当面、継続することにしました。ただカテゴリーを広げ過ぎたので、一部整理しました。

関心のままに記すと、とりとめのないブログになるから、本来、カテゴリーごとに分割すればいいのでしょうが、手続きを見ると、ややこしそうなので、パス(苦笑)。当面、現在のスタイルで継続します。ということで、本年も、宜しくお願いします。

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