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2015年1月14日 (水)

五味川純平著 『人間の條件』 読了

かつて東洋哲学者で右翼ともつながりが深く、戦後の政治リーダーを指導した安岡正篤氏は、次のようなことを言っている。「満州事変は、明治維新以後の教育に問題があり、本来あってはならないことだった。その原因は、教育が知識偏重で、人間学を教えなかったからだ」と。

明治維新で、薩長の下級武士の危機感は、西欧に追いつけとばかり、新しい知識の吸収に必死に取り組んだが、肝心の人間教育を怠った。それがため、江戸時代に人間教育を受けた人たち(主として幕府側にいた人物)の言うことを無視し、朝鮮併合を考え、日清戦争を起こし、朝鮮を併合してしまった。

更に日清・日露戦争等で江戸時代に人間教育を受けた人々が亡くなってしまうと、各界のトップリーダーに教養のある人物が払底してしまった。このことは、別の言葉で表せば、武士道精神の喪失である。以前にも説明したが、武士とは「矛を止めることを知っている人」のことである。武士道精神を失ったことが日本の危機を招いてしまう。

さて、その武士道精神を失った多くの維新の欧米知識偏重層は、ナショナリズムに走る。当時の為政者も、それに抵抗できず、最終的に軍部に、自分たちの立場を強めようと好いように利用される。この時代に振りまわされた一般の人々の悲劇を描いたものに、子供時代、テレビで視たドラマに『人間の條件』がある。原作者は、五味川純平。旧満州での経験を元に描かれた壮絶なドラマであった。

それを改めて読んでみようと思って、先日読了した(岩波現代文庫刊)。この小説は、彼の経験によるノンフィクションの分野とフィクションから構成されているが、今までに様々の先人の話を聞いているので、全体的にはノンフィクションに近い感じだ。

著者の経歴と小説の内容を重ねてを見てみる。彼は、1916年生まれで、中国大連に近い寒村で育つ。実家は、陸軍用達を家業としていた。多感な年齢の時の1931年満州事変勃発。紆余曲折を経て、最終的に1936年、東京外国語学校に入学。2.26事件が起った年だった。政治と癒着した財閥は、巨大な利益を上げていたが、国内地方経済は破綻していた。

1937年、日中戦争始まる。1937年、「赤がかった(共産主義的思考の)」学生は、ことごとく検挙される。「赤」と言うより民主的発言も、そのように捉えられた。彼も、読書サークルや研究会を主宰していたというだけで、特高から拷問を受けている。

その後の経過は不明であるが、卒業後、満州の軍需会社に就職。1943年、鉱山労務管理に従事し、満州人の特殊工人の虐待を目の当たりにしている。更に、「特殊工人」の処刑に立ち会う。そのまま勤めれば、軍属を避けられたが、多分、非道に抵抗したのだろう。その後、召集令状が来て、東部ソ連・満州国境を転々とする。

1945年8月終戦になったが、そのことは知らず部隊は彷徨い、棄民状態になる。ソ連軍と遭遇し、戦闘したが、所属部隊は全滅する。生存者は158名中、4名。捕虜となる。その経験は、詳しく、本書の主眼の一つであろうが、ここでは割愛する。結局、要領のいい者と体力のある者が生き残った。『アンパンマンの遺書』を書かれた、やなせたかし氏も、過酷なシベリア抑留されたが、同様の経験をされている。1948年、帰国する。

小説を読んで感じることは、戦争のもたらすのは民衆の生活の破壊だけでなく、戦っている軍人も含めた精神・肉体の破壊だということだろう。主人公の梶は、知識人であるがゆえの苦悩を表しているが、知識人でなくとも、戦争は苦悩をもたらす。

平和時の常識は通用せず、戦争という「死」に直面すれば、まともな精神を持ち続けることは難しく、結局のところ、自分だけが生き残ることに執着する。とことん行けば、生きるためには、人間的精神は失い、動物的になるということだろう。

この小説を読むだけでは、当時の歴史を学ぶことはできないが、戦争に巻き込まれて苦悩した知識人を描いたという点では、十分に参考になる。戦争に巻き込まれないためには、どうすべきか。遺された者の課題だ。果たして、戦後日本も、知識偏重の教育をしてきた。現代日本に武士道は復活できるのか。改めて、広く人間とは何なのか、どうあるべきなのかを追求する人間教育の大切さを痛切に感じる日々だ。

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