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2015年2月 8日 (日)

『マクベス』再読

多かれ少なかれ、基本的に男は権力志向が強い。最近の若い男は、そうでないとも聞くが、それは一瞬で変わる。誰しも、権力を握って、この世を自由にしたい欲望に一時的に駆られることはある。それは妄想なのかもしれないと分っていても。

この妄想がどこからくるものなのか、はっきり分らないが、それは、ある程度、年齢的なものも左右するだろうし、男の生理的な欲求とも言えるかもしれない。ただ、これは個人差で強弱はある。老齢になっても、権力志向の人もいるにはいる。みっともないが。

ということで、若い頃、読んで、それきりになっているシェイクスピアの『マクベス』を再読してみた。シェイクスピアは何を描こうとしたのだろうか。三人の魔女に暗示に掛けられて、王位を簒奪しようするマクベス。ところが、次々と出てくる不安。不安が増殖していく犯罪者の心理を描いた物語とも言える。

王を殺して権力を奪うまでの不安。簒奪した後、皆がついてきてくれるかどうかという疑心暗鬼、王位を簒奪したことが漏れるのを恐れる不安、秘密を知っていた知人の暗殺による罪の意識に追われる心。

シェイクスピアは、他の作品同様、当時の王室の歴史的背景を元に描いているようだ。もちろん、そこには、権力者に対する配慮がある。江戸時代、戯作者が、幕府に配慮して、時代背景を変えたように。ノンフィクションとフィクションの見事な配合ということか。

かつて、森護著『英国の貴族』(大修館書店)という本を読んだが、イギリス上流社会の源流は複雑だ(特にノーフォーク家)。呪われた上流社会と言うべきか。まあ、所詮、海賊を祖先に持つということだけかもしれない。そんなに上品ではない。

さて、話を戻すと、この作品に出てくる「魔女」とは何か。最初に指摘したように、これは妄想に過ぎないだろう。ところが、マクベスと、バンクォー(マクベス同様、ダンカン王の武将)は、同時に、魔女の託宣を聞いたことになっている。本来、これはあり得ない。

別々に、魔女の暗示を受けるのなら分るが、作品では、二人ともが同時に同じ暗示を受けている。これは何を意味するのだろうか。多分、二人ともそれぞれに、王位の簒奪の意志があったということではないだろうか。

お互い、簒奪の機会をうかがいながら、双方が牽制する。その中で、マクベスは、妻に駆り立てられて先に実行する。これからも分るように、マクベスは、気の小さい人間として描かれている。

そして、その時の、バンクォーの心中やいかに。気の小さい人間が権力を握れば、その火の粉は身に及ぶと、彼は危険を察知して逃げようとするが、マクベスの方が上手で、彼を刺客により暗殺してしまう。

この権力争い、いつの時代にも見られるドロドロだ。そして、マクベスは恐怖政治を行った結果、人心を失い、ついに倒される。シェイクスピアは、権力を握る愚かさを描こうとしたのかもしれない。

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