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2015年3月17日 (火)

我が家の梅と貫之

  人はいさ 心も知らず ふるさとは

    花ぞ昔の 香ににほいける

      (紀貫之。古今集・春上、百人一首三十五番)

貫之の歌とは関係ないが、我が家の梅は、再三記しているように、いつも咲くのが遅い。桜が咲く直前に咲く。ただ、今年は、訳が違うようで、昨日の段階で七分咲き。こんなことは、梅を植えて始めての経験。それほど気温が上がっているのだろう。

さて、貫之は、かつて常々、長谷寺に参拝する折、知人の家に泊まっていた。歌の方は、貫之が、久しぶりに長谷寺に参詣した時のこと。それを宿の主人に詰られて詠ったもの。知人の家の主人が女性であったとも。

よって、長谷寺に参詣時のことなので、「ふるさと」は長谷寺のこと。「花」は「梅の花」である。一般には、人の心は変わっても、梅は毎年、季節になれば、咲き匂っていることを宿の主人(女性)の立場を慮って、若干、自分に皮肉を込めて詠ったものと解釈されている。

別の見方をすれば、人の心と大自然の違いを詠んだ歌とも考えられる。人の心は変わるもの。それに対して大自然は変わらない。それを対比した歌とも取れないこともない。幾分、理屈ぽく言い訳しているように聞こえるが。いずれにせよ、宿の主人とは遠慮なく言いたい放題できる仲であったと歌から読み取れる。

それはそれとして、我が家の梅は、いつまで咲いていてくれのだろう。来週、また寒さがぶり返すようだが、梅の花は散ってしまうのだろうか。

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