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2015年3月12日 (木)

東山焼のこと

かつて、姫路でも、やきものの文化があったので備忘録として記しておこう。比較的知られているのが東山焼だ。時々、古陶器展などに行くと展示されている。姫路に住んでいると言うと、愛好者の方々は、すぐ東山焼を指摘されるが、内容は把握していなかったのでブログにしてみた。

東山焼は、文政5年(1822)、姫路市東山の興禅寺山山麓で、始まった青磁・染付を主流としたやきものと言われる。名前は、この地名から採ったものだ。創業は、庄屋を務めた橋詰藤作が、文政12年(1829)頃に、彼の指揮で、作陶が行われ、総取締役を務めた。

それを河合寸翁が、天保2年(1831)頃、将軍家や大名家への調度品や贈答品の焼成のため、窯を姫路城西の男山東南麓に移す。東山焼を盛んにしたのは、陶工池田弥七。彼は窯が男山東南麓に移されてから、文久元年(1861)まで、32年間、棟梁を勤めた。

彼が棟梁を始めた頃、姫路藩士の子橘周蔵が、京焼の名手と言われた尾形周平の下で、学んでいた。そこに目を付けた彼は、橘秋蔵を姫路に戻して、窯場を大胆にも任せる。そうすると、それを聞いた師匠の尾形周平まで、弟子を応援しようと姫路にやってくる。このことで、東山焼の技術向上が一気に図られる。

天保年間(1830~1844)に最盛期を迎えるが、寸翁が亡くなると、藩の支援もなくなり、その後、安政年間(1854~1860)に男山窯は御用を解かれ、民窯になり、やがて明治維新と共に廃窯になってしまう。やきもの文化としての期間は非常に短いが、今も高く評価されているようだ。

*追記

池田弥七は、男山窯を離れた後、新案のコンロを焼き始め、弥七コンロとして西日本で普及する。

*追記

三木美術館では、春季展として、現在、「姫路藩窯 東山焼と関西作家の共演」として、東山焼15点を展示している。平成27年5月24日まで。火曜日休館。

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