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2015年5月28日 (木)

徳川吉通のこと

徳川吉通(1689~1713)と言っても、歴史に詳しい人でない限り、あまり知られていないだろう。彼は、尾張藩第4代藩主だ。11歳で藩主になり、24歳で亡くなっている。だが、彼は、武術、儒学、神道に通じ、名君の評判が高かった。

それゆえ、当時の将軍、徳川家宣が、病の床にあった時、子どもの家継が幼いため、後継として吉通を推薦したぐらいだ。この話は、結局、新井白石の強硬な反対にあって、実現はしなかった。ただ、吉通の母親は、贅沢三昧して、更に藩政に口を出すため、これを無くすため、吉通は残念なことに暗殺されたらしい。

さて、そのことと関連があるかどうか分らないけれど、吉通の善政を伝えている話がある。彼が藩を継いだ時、藩の財政は厳しかった。それゆえ、財政改革と称して、家老たちは、足軽の老齢で歳の行った者や傷病者二百人余りを、現代の言葉で言えば、解雇した。

これに対して、吉通は、「若い時から、労力を惜しまず、我が藩に貢献したのに、藩の都合で、放逐するのは非常に可哀想なことである。彼ら二百人あまりには、それぞれ家族があり、それらを含めれば、何百人という人々が路頭に迷うではないか。それは、あまりにもむごすぎないか」と家臣たちを責めた。

これに対して、家老たちは、藩主の思し召しに、感涙し、考えを改め、彼ら二百人あまりを呼び戻し、再度使用したという。しかし、藩財政が厳しい中、彼らを再雇用するのに、反対する勢力はあったはず。そのために、藩主を暗殺したとすれば、尾張藩には、家老たちの藩政自体に表に出せない色々な問題があったのかもしれない。あるいは、幕府が関与しているのかもしれない。

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