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2015年6月19日 (金)

番大膳という人

池田輝政に仕え、後、その子の池田利隆(後に、松平武蔵守利隆と名乗る)の家老で、輔弼した人物に、番大膳という人がいた。彼は、胆力が素晴らしかった。要するに肝が据わっていたのだ。

それを示す次の話が伝わる。徳川家康は、輝政に自分の娘を嫁がせたとはいえ、池田家は譜代の臣ではないので、必ずしも信用していなかった。そこで、輝政時代はともかく、利隆時代には、徳川家臣団は、いろいろ画策して、潰そうとした。まず偽の風聞を流すことから始まる。

それは、大阪の陣の時、池田利隆は二心を抱き、風見鶏的に、形勢有利な方に味方するとしたのである。それは家康の耳にも入る。家康は、真相をただすべく、利隆を呼びつける。しかし、利隆は、病と称して、出向しようとしない。代わりに、家老の蕃大膳をつかわす。

大膳が出向くと、当然、家康は不機嫌。代理人をよこすなど以ての外と考えていた。よって大膳に対する扱いは厳しくなる。ところが、この蕃大膳という人物、訥弁である。要するに、田舎の誠実そうな、おじさんが、虚飾なく、事実だけを述べて、不明瞭なところは一点もない。

家康が、番の言葉を時々、遮りながら、質問するが、臆することなく、家康の疑問点を明らかにしていく。さすがに、これには、家康も、「利隆には、二心はなさそうだ」と判断した家康は、簾を上げて、「以後、きっと慎め」と申し渡す。

ところが、番は、畳に額を当てて動かない。それに対して、側近の本多正信(多分、この騒動を仕掛けた中心人物)が、「ありがたき御上意である。早く帰って、この旨、しかと伝えよ」と言う。それでも番は動かない。本多が更に催促して、初めて顔を上げる。そして、次のように言う。「以後、慎めというお言葉には誓約しかねます」と。これには、家康も正信も、耳を疑う。

番は、それに対して、「我が主人、利隆は、過去に於いて、誤り無きこと、お聞き届け下さりましたものと拝察します。かつて、誤りがありませんのに、慎めと言われても、従いようがありません。よって誓約は無用と思われます」と。

これには、家康も何も言えなかった。ただ、「わかった」と言っただけだった。狸と呼ばれた家康も、このような武辺一辺倒のような誠実な人間には、返す言葉がなかった。結局、番が申し出て、このようになったのかは不明だが、利隆の作戦勝ちということになった。本多の謀略は、もろくも崩れ去った。

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