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2015年6月18日 (木)

政党に憲法改正は無理

日本国憲法は、戦後、「米国から与えられた憲法」と、よく言われる。戦後の混乱下、時間的制約から、自主憲法とは、必ずしも言えないかもしれない。しかし、様々な事情で、日本国憲法は制定された。当時の世界状況からすれば、理想の憲法と言われる。よって、誰が下書きを作ったということは、あまり問題ではない。要するに中身だ。

戦後、現在の憲法で、日本は、曲がりなりにも、平和国家を維持してきた。それは、この憲法の効果は、無視できない。憲法を改正するなら、国会ではなくて、一般国民の側から多くの憲法学者の意見を踏まえて、改正案を出すべきだろう。一度には無理だから、前文から初めて、一条ごとに検討すればいい。現在の憲法で問題が無ければ残せばいいだけの話だ。

基本的に、国民の側から憲法は制定されるべきだが、現在の憲法改正論議を見ていると、自民党は、単に「与えられた憲法」だから、「日本人の精神」を反映した自主憲法にしようという方は多い。では、「日本人の精神」とは何か。そんなことを書き込むのが、果たして憲法と言えるのか(ちなみに自民党は、改正案を作って、皆の笑い者になりました。一体、誰が作ったのでしょうか)。

自民党に限らず、権力を持つ国会議員任せにすることは極力避けたいものだ。概ね、彼らは、国家権力を行使する側に居て、目先しか見ていないので、ミスリードするのは間違いない。それは集団的自衛権論議でも明らかなように、国民には最悪だ。

憲法は、国民の側から、国家権力をチェックするためのものだ。憲法改正をやるとすれば、、国民側で多数の憲法学者の発議と総意で試案を練るべきで、決して政党を関与させてはならないだろう(*注)。

*注

もちろん、憲法学者だけでなく、多くの哲学者、歴史学者等の意見も踏まえる必要がある。

 

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