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2015年6月 5日 (金)

主役は脇役

子供の頃、劇を演じることになって、内気で人前に出るのが苦手な流風が主役を指名されたことがある。確か、「桃太郎」だったと思う。セリフも今から考えれば、大したことが無いのだが、前日の夜は、セリフが、ちゃんと言えるだろうかと心配で、一睡もできなかった記憶がある。

当日、両親も観覧の中、何とかやり終えた。実は、雉、猿、犬の役の方が断然、セリフが多く、主役と思っていた桃太郎の役は、セリフが少なかった。要するに、指名された先生は、ちゃんと、流風に配慮されていたことになる。劇自体は大成功で、万雷の拍手の中で終わった。父が撮った写真は、ずっと残っていて、よく見たものだが、残念ながら、今は、どこに行ってしまったのか、アルバムに残っていない。

さて、主役と思った本人の勘違いを今更ながら、思いだす。朝のNHKのドラマも、新人を主人公にして展開されるが、結局、脇役の出来不出来で、内容は決まる。脇役が主役を食ってしまうと言うが、芝居の世界で、脇役の占める割合は高いと思う。主役は、ある意味、「花」だが、花を支える茎や根がしっかりしていないと咲かないことになる。だから、主役というのは、見方を変えれば、(皆が主役という意味では)、場合によっては、案外、脇役かもしれないと思う。

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