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2015年6月 9日 (火)

話相手がいなくなった老後~古今集より

『古今集』に、老後の話相手のいないことを嘆いた歌がある。それが、先日、初夏の鶯の欄でも取り上げた藤原興風のものだ。ちなみに、「百人一首」の三十四番にも採られている。

  誰をかも 知る人にせむ 高砂の

    松も昔の 友ならなくに

藤原興風は生没年が不詳なのだが、この歌から察するに長生きしたのかもしれない。「幸運にも長生きしてしまったが、周囲には、親しい友は誰もいない。長寿の高砂の松はあるけれど、昔からの友でもないし、語り合えることもない」という感じ。

人生とは、こうしたものかもしれない。子供に恵まれ、孫にも恵まれても、同時代を語り合える友がいない寂しさ。周囲に人はいても、語り合える人がいないというのは、人生、最後の試練かもしれない。

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