« 『花伝書』を再読 | トップページ | 対中米国外交を考える »

2015年6月 7日 (日)

初夏の鶯

春先に鳴く鶯は、新人さんのように、少し鳴き声が頼りないが、初夏に山から下りてきて鳴く鶯は、しっかりした鳴声だ。ずっと鳴いていることはないが、突然、鳴いて去っていく。どこに行くのだろう。

ところで、次のような歌がある。

  声たえず 鳴け鶯 ひととせに

    ふたたびとだに 来べき春かは

これは古今集にある百三十一番の歌だ。作者は、藤原興風で、通称、興風で通っている。百人一首にも別の歌で採用されている。彼は官位こそ低かったが、古今集を代表する歌人で、三十六歌仙の一人だ。「一年に二度来ない春だから、春を惜しんで、せいぜい声を上げて、鳴きたまえ」というような内容かな。

別の初夏の鶯の話では、醍醐天皇は、旧暦四月一日に鶯が鳴かないので、源公忠に歌を詠わせている。それが次の歌。ちなみに彼は、光孝天皇の皇子の長男だ。

  春はただ 昨日ばかりを 鶯の

    かぎれるごとも 鳴かぬ今日かな

これは、『大和物語』第百三十一段に載っているもの。百三十一続きは、たまたま。狙ったものではありません(笑)。大意は、「もう春は終わったものと感じて、鶯が春以外に鳴くものかと決めて今日は鳴かないことよ」、と詠んでいる。天子様の御意向を受け入れないのは、鳥の世界ゆえ、お諦め下さい、というようなニュアンスかな。まあ、鶯にも、いろんな都合があったのでしょう(笑)。

|

« 『花伝書』を再読 | トップページ | 対中米国外交を考える »

古典文学・演芸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 『花伝書』を再読 | トップページ | 対中米国外交を考える »