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2015年8月17日 (月)

昔の人と月

現代は、夜間も照明が煌々と光っている。だから、多くの人々は夜に出歩くことができる。昔は、夜間照明などというものがない。よって夜間に道を歩くというのは、かなり度胸のいることであった。提灯がなければ、頼りになるのは、月の明るさだけだ。

 「いつも月夜に米の飯」

毎日、御飯が食べられることと同じくらい、月の明かりの有難さを、しみじみ感じたようだ。また、次の言葉もある。

 「親と月夜はいつもよい」

これは子守りの気持ち。昔(江戸時代)は、女の子は、現在の小学校高学年くらいになると、親の家を出て、子守りにやられることが多かった。いわゆる、子どもの社会交流の第一歩だ。でも、子供にとって、親以外の大人は恐怖の対象。心細い中で、子守りをすることになる。当然、ホームシックになって、親が恋しくなる。

他家では、いろんなことを言われ、させられる。ああ、親なら、あんなことも言わないだろうし、こんなこともさせないだろう。当然、ホームシックになって、親が恋しくなる。子供にとって、他人は「闇夜」なのだ。「月」のような明りが欲しい。そういうことから出た子守り歌もある。

子供には、旅をさせよ、他人の飯を食わせよとは、よく言うが、そうすることで、子どもの心は、ブレークスルーして、ステップアップするのは、いつの時代も確かなようだ。

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