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2015年8月15日 (土)

大川周明著『日本二千六百年史』を読了

昨日(2015年8月14日)、安倍首相が、戦後70年の談話を発表した。その内容は、保守派、リベラル派の両方に配慮した、幾分、ピンボケの内容だが、基本的に官僚の作文であろう。ただ、見方を変えれば、歴史認識は、バランスの取れたものであろう。

しかしながら、安倍首相の本当の歴史認識は不明。為政者は、一定の哲学と歴史観を持ち合わせる必要があるが、この人に期待するのは無理だろう。しかし、結果的に、文書を残したことは、皮肉にも有意義だ(依然として、「積極的平和主義」を標榜していることは、大いに疑問がある。*注参照)。日本が引き続き平和国家を希求することが求められる。

さて、先日、大川周明著『日本二千六百年史』(毎日ワンズ刊。復刻版)を読了した。若い方には分らないだろうが、二千六百年とは、一般に皇紀二千六百年と呼ばれるもので、1940年(昭和15年)が、神武天皇即位から2600年目に当たることから、本の題名になっている。この本は、前年の昭和14年に刊行された。

また大川周明の考え方は、現在の保守層の考え方のベースにあるとも考えられる。以前に取り上げた原田伊織著『明治維新という過ち』とは真逆の考え方で、明治維新を肯定するものだ。よって、内外の敵に抵抗するにはテロも有効と考えていた過激思想の持ち主だろう。

彼の論理的な考え方を軍部は、思う存分都合よく利用した。この著作でも、当局に都合の悪いと思われたところは、官憲により削除されている。ただ、彼も戦争を鼓舞するような活動をしている。結果的に、扇動主義者になってしまっている。

戦後、民間人としては、唯一、A級戦犯に指定された。彼は、大東亜戦争の理論的指導者であり、思想家と捉えられたからだ。だが、後に、精神疾患を理由に免訴されている。実際に、精神疾患であったかは、疑問とされている。

つまり東京裁判に於いて、彼の明晰な論理展開が、彼らにとって、煩わしいと思ったのだろう。彼が欧米列強のアジア侵略の歴史を明らかにしていたからだ(本書では、第26章に相当。他の著作として『米英東亜侵略史』がある)。

しかしながら、彼の言説が正しいとしても、未だに保守派の人々が、彼の考え方に捉われるのはおかしい。「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言うが、日本は、大戦に負けたのであり、賊軍になったのであり、いつまでも、引かれ者の小唄を歌うのはどうかしている。

また、国際連合は勝者の組織であり、常任理事国は連合国側の国々だ。日本は、未だに、常任理事国を夢想しているようだが、それは不可能というもの。だが、安倍首相が集団的自衛権のための安全保障法案にこだわるのも、「夢想」に因があると考えられる。

さて、長々と記してしまったが、大川周明著『日本二千六百年史』も、明治維新までの彼の歴史観は、是非はともかく、今でも参考になる。日本史全体を30章にまとめ、彼の歴史観を簡潔に記している。削除された「不敬罪違反」部分も復刻されており、彼の本当の考え方が分る。

若い人たちに読むのを勧めるべきか迷うが、一つの考え方と割り切って、読まれるのなら、それも構わない。ただ、歴史とは、あまり簡潔に捉え過ぎると見誤る可能性もある。注意深く、読まれることを望む。

*注

仮に日本の平和主義を拡大していくという意味なら違う言葉が望ましい。しかしながら、それは今までの日本が既にやってきたこと。今更、それを言明する必要もない。よって安倍首相が言う、「積極的平和主義」は、解釈が曖昧で、後年、多くの人を誤らせる可能性があるだろう。この言葉は削除が望ましい。

また「戦争に関わりのない世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」としているが、残念ながら、若い世代も、その宿命から逃れることはできない。過去の歴史を心に刻む教育が必要だ。もっとも、心に刻む必要があるのは、まず安倍首相自身だ。彼は歴史認識も浅く、言葉が軽すぎる。

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