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2015年10月31日 (土)

ジョウビタキがやってきた 2015

少し前から、キンモクセイの枝に、「カツ、カツ」と鳴いているのが聞こえていた。何だろうと思ってみると、小鳥だ。体の色合いからすると、ジョウビタキだろう。皆、小さい。生まれて日が経っていないのかもしれない。

ちなみに、この鳥の名前は、火打石を叩く音に似ているところから来ている。春になるまで、しばらく、付き合うことになる。他の鳥と比べて、割と人の気配に鈍感なのも特徴だ。

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家やマンションををローンで買うのはアホか?

現在の日本は、アベノミクスを以てしても、デフレ状態だ。確かに、大企業の賃金は上昇傾向にあるが、いつまでも続く保証はない。また国の期待するインフレは、内需より輸入インフレ依存になるが、輸入インフレは為替に左右され、これもいつまでも続くとは限らない。尤も、現状、輸入インフレはデフレ要因だ。更に日本は人口減少社会であることが拍車をかける。

そんな中、家やマンションを買おうとする人々がいる。手持ちの現金で買う金持ちの場合は問題がないが、大半はローンを組んで買っている。多くは、今の家賃を払うくらいなら、家やマンションを買った方が得と判断するのだろう。

だが、先ほど述べたように日本は未だデフレ状態で、人口減少社会。インフレ時で人口が増えている時は、住宅価値も上がり転売も可能だが、今後は、そんなことは期待できそうにない。

そして、極めつけは、会社の寿命だろう。かつて会社の寿命は30年とか言われた時期があった。それが今は、10年と考えていたほうがいい。もちろん、多くの企業は事業革新により更に生き延びるだろうが、それができないところは、10年くらいで、命運が尽きる。

そんな時、多額のローンを抱えていたら、それは大きな負担だから、いずれ返済できなくなって、後には何も残らない事態に陥る可能性の方が高い。後は惨めな生活が待ち受けている。今の日本で、ローンを組んで家やマンションを買うのはアホ(東京的には馬鹿)と言えよう。

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2015年10月29日 (木)

北野武著 『新しい道徳』を読む

学校教育における道徳教育が話題になって久しいが、それに対して疑問を持っている人も多い。そもそも道徳とは何ぞや、という問いから考える必要がある。この問題に対して、北野武氏が、独特の切り口で、国の道徳政策を解説批判している。それが、『新しい道徳~「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか』(幻冬舎刊)。

まず、最初に芥川龍之介の『侏儒の言葉』から道徳の持つ怪しさを引用している。そして、「はじめ」には、彼にしては、十分な予防線を張っている。読めばわかるのだが、突っ込みどころ満載の内容だからだ。道徳そのものが、そういう性格を帯びていることもある。

彼の予防線は次の通り。「他人のいったこと、他人の書いたこと、あるいは他人の考えたことを、そのまんま鵜呑みにする性癖のある読者は、ここですぐさまパタンと閉じて棄ててしまっていただきたい」と。

それでも、これから読もうかなと思う人は、そういう覚悟をして手に取ってみてください(笑)。彼の意見の正否はともかく、少なくとも、家庭内、職場内で道徳教育論を展開するには、十分なネタを提供していると思う。買うのが勿体ないと思う人は、回し読みでもいいだろう(税抜き定価は1000円)。北野氏は十分に金持ちだし。あっ、それでは発行所が困って道徳的にまずいか(笑)。

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2015年10月28日 (水)

把手共行~『無門関』より

ライバルに勝つというのは気持ちのいいものかもしれない。勝てば官軍、負ければ賊軍という言葉もある。であれば、勝つためには何をやってもいいのか。ただ、そのようにして勝っても、最終的に残るのは虚しい気持ちだけだろう。

ライバルという相手が存在して、自己の存在が確認される。対立するライバルを徹底的に打ちのめして、その存在を消してしまっては、自分の存在も危うくなる。であれは、ライバルとは競争しつつ、共存する道を考えた方が賢い。

『無門関』では、「把手共行」という言葉で表している。もちろん、これは競争しないという意味ではない。競争や対立から一歩踏み出す大切さを意味する。仏道の修行のあり方を説いているのだが、我ら俗世間でも役立つ考え方と思う。

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2015年10月26日 (月)

傾いたマンションと建築業界構造問題

大手の造ったマンションが傾き、少し前から大騒ぎしている。基礎がしっかりしていなかったから傾いたのは確かだろう。ただ、見方を変えれば、業界構造の矛盾が噴出したものと捉えられる。日本の建築業界は、長らくタテ社会だ。よって、業界の下部組織に対するパワハラが横行している。要するに、上の判断に下は抵抗できない。

今回の事件は、業界のタテ構造の限界が出たものだ。問題は、建築業界全体の問題でもある。すなわち、発注者(不動産会社等)はゼネコンに仕事を依頼し、ゼネコンは元請となって、一応、すべてを仕切るが、下請けへの仕事の依頼は、言葉は悪いが、「丸投げ」状態だ。

要するに、ゼネコンの設計仕様通りやっておれば問題ないとし、元請けと下請けの交流は実質ないに等しい。ゼネコンは、利益をきっちり抜いて、仕事を出すが、その下請けも、利益をきっちり抜く。それが連続的に続くから、下の下のクラスの業者になると、かなり無理な予算と納期で、仕事をこなすことになる。

よって、最初の発注者からすると、かなり予算を取ったはずなのに、末端に行くと、実質の仕事をしているのに、お金が回らない状態になる。ところが、発注者は、そんなことは知らない。現場で、コストをはるかに上回る状態になっても、上の業者に言えないから、結局、できることしかやらない。今回のようにゼネコンから仕様書で指示されたことだけするか、手抜きするしかない。改善提案などありえない。コストの増える提案など受け入れられないことが明らかだから。

今回の例で言えば、ゼネコンの構造設計ミスであることは、明らかだろう(地質調査のいい加減さがが出たことも含めて)。次に、ゼネコンと下請けの信頼関係の欠如が挙げられる。いわゆる上下関係の風通しの悪さだ。発注者には納期の点(工期の硬直性)で、迷惑をかけられないので、ゼネコンがリスクを被ることを嫌がるから、こういう現象になる。もちろん、最終的には、発注者がリスクを被らない構造が問題だと指摘できる。

言い換えれば、このビジネス・システムに於いて、予測外事象への柔軟対応できない体質だと言える。更に、建築品質管理体制の未整備だと指摘できる。全体の品質管理、部分の品質管理が、いい加減になっている。ましてや品質保証となると、ありえない状態だろう。

これを改めるには、以前から指摘されているように、大手は、CM(コンストラクション・マネジメント)方式への転換が求められる。現状、ゼネコンは、発注者からの一式請負方式であるので、現場で不測の事態が起こっても、発注者およびゼネコンは下請けに押し付けるだけで、根本的なものは、いつまでも何も解決しない。

CM方式だと、発注者と専門工事業者が直接契約を締結できて、工事の進捗状況を把握できる。更に予期しない出来事にも対応できる。ただし、発注者は、そのことに対してリスクを負担しなければならない。このリスクの程度を、どの程度にするかが今後の議論になるだろう。日本の建築界の構造改革が急がれる。

*追記

ヨコ組織のCM方式を取り入れると、新たに全体を管理するスタッフ組織のCM管理者が必要になる。各専門業者が適正な利益を確保できれば、全体としてのコストは下がることも考えられる。この組織にすることは、日本の公共投資を世界に開放した時、必須になるだろう。現状のタテ組織構造の建築業界では海外企業に駆逐されてしまう。

*2015年11月11日追記

ゼネコンの社長は、下請けに責任転嫁し、「わが社の責任はない」と強弁しているが、これは典型的な三流のサラリーマン社長の保身的な発言だ。責任逃れの発言は、ますます企業の信用を削いでいく。今回の問題は、ゼネコンが全面的に責任を負う必要がある。そして、先に述べたように、ビジネスシステムを大幅に変える必要がある。

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2015年10月25日 (日)

ひめじ国際交流フェスティバルに行く

第20回ひめじ国際交流フェスティバルに行ってきた。今朝から、少し寒いので、冬物のジャケットを羽織っていくと、会場には多くの人が集まっていた。明らかに外国人とわかる人も多い。姫路市にも、神戸市ほどではないにしろ、結構、外国人が住んでいるのだろう。

いつものように雑然とした各コーナーを回りながら、各国の料理を頂く。今回は、モンゴルの「ホーシュール」、ポーランドの「ズッパファソロバ」、ペルーの「アヒデガジナ」、タイの「カノムブアロイ」を食した。食感が初めてのものもあれば、すでに経験済みの味もあった。

ステージでは、国際色豊かなパフォーマンスが演じられていた。すべてを観ることはできなかったが、例年よりレベルが高いように感じられた。来年も行こうと思う。

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自分を愛すること

日本で、自分を愛するなんて言うと、ナルシストということで、変な目で見られるかもしれない。確かに、自分を愛し、それに自己陶酔するというのは、ちょっとという感じがする。

他方、自分を大切に思うと表現すれば、それはそうだと思うかもしれない。言葉は難しい。自分を大切にすることは、他者を大切にすることにつながる。思い遣りのある人に共通することだ。

また、他者を愛(いと)しいと思う心によって、自分を愛しいと思うこともある。逆説的に言えば、自分を愛せない人は、他者をも愛せないということになる。

結論的には、自分を愛する人が他人を愛することになる。もちろん、広く考えれば、男女に限らず、人間関係は、そのようである。人間関係社会では、まず自分を愛することが、とっても大事だと言える。これは仏陀の教えでもある。

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2015年10月24日 (土)

栗について思う

子供のころ、この時期には、母が、よく栗ご飯を作ってくれた。いつものサツマイモご飯とは味が微妙に異なり、いつも栗ご飯ならと思ったものだ。八百屋で栗を買ってきて、水に浸して、厚皮を剥くのだが、虫に食われて黒くなっているものも多かった。それを取り除く作業も大変そうだった。

そういうと、もう少し大きくなって、栗林に行き、栗の木を蹴り上げ、栗を落とし、落ちてきた栗に当たらにいように取るのだが、それだけでは、量が少ないので、既に落ちていた栗も拾うことも多かった。ただ、その多くは、虫食いが多かった。あの、いがいががあるうちは、虫はやってこないが、ぱかっと開いて落ちた瞬間、虫は、喜んでやって来て、食い荒らすのだろう。油断も隙もない。

話は変わるが、徳富蘆花は、栗のことを野人と記している。一部を抜粋すると次のようになっている。「栗は野人なり。木膚(はだ)は葉もがさがさとして如何にも木訥に、如何に巧言令色を嫌へばとて、毬(いが)の逆茂木、厚皮の鎧、猶其上に渋染の鎧下までつけて、奥深く甘き心を秘するは餘りならずや。然も余は栗を愛するなり」と。

徳富蘆花自身、自らも栗のように感じていたのかもしれない。頑固親父というものに共通するものだ(笑)。若い人も外見で判断してはいけませんよ。そんなことを思いながら、栗ご飯を作ってみようかなと思う。でも、今年は、例年よりシーズンが早く来たようで、まだ売っているかな。

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2015年10月22日 (木)

勝負の結果は開けるまで分からない

2015年のドラフト会議で、阪神タイガースの金本監督は、指名選手が競合になり、折角くじを引き当てたのに、ヤクルト真中監督の間違いガッツポーズに惑わされて、引いたくじを開かなかったらしい。大丈夫かあ(笑)。勝負師が、最後まで結果を見ずに投げ出すとは、ちょっと心配。来シーズン、最後の最後まで諦めない試合をして欲しいものです。

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一つの見解が全てを代表するわけではない

自国の政府高官や他国の高官、学者あるいは業界関係者の発言を取り上げて、それが全てを代表する意見が如く報道するマスコミがあるが、またかと、いつも辟易とする。特に新聞が、一面全面に個人の意見を報道するのは、どうかしている(*注)。

それぞれの人には立場があり、それぞれの思惑もある。彼らの発言を全てと考えるのは、あまりにも単純すぎる。すなわち、一つの見解が全てを代表するわけではないということだ。この辺を十分理解して、マスコミが報道しないと、読者や視聴者は勘違いしてしまう。

それでは、報道の役割を果たすどころか、むしろ害になってしまう。新聞等報道機関は、十分な注意が必要だ。

*注 

もちろん、これらの意見は、一面全面とは限らない。べた記事の紹介でも、同様だ。特に海外の要人の発言の報道には、慎重であるべきだろう。発言の裏には、思惑が必ずある。発言の背景の説明のないまま報道されると、誤解を招く。また近隣諸国関係者の他愛のない発言を報道するのは、報道機関にどういう思惑があるのか知らないが、もう少し控えてはどうか。

よって、報道としては、いろんな意見を総合的にまとめて、流すのが適切だろう。情報として、すべての発言内容を提供することが適切と判断すれば、発言の詳しい内容は、ネットで流して、リンクすればいい。より関心のある人は読むだろう。新聞とネットの連動は必要だ。

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2015年10月20日 (火)

「第31代赤穂義士娘」決まる

先日の報道で、「第31代赤穂義士娘」3人が決まったとあった。岡田彩希さん、神代梨沙さん、西口奈見さんの三名。姫路お城の女王と遜色なし。いずれ劣らぬ、かわいらしい女性たちだ。でも、この報道があるまで、赤穂義士娘の存在は知らなかった。

彼女らは、今年12月14日の赤穂義士祭のパレード「義士娘人力道中」でデビューするようだ。今年の義士祭には、今年初めて、西郷輝彦さんが、大石内蔵助役で参加(過去2年間は、松平健さんが参加)。討ち入りの装束で、赤穂市街地1キロメートルを練り歩く予定だ。

毎年、行こう行こうと思いながら、他の催しと重なり、逃している。今年こそ、行くぞ(笑)。

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2015年10月19日 (月)

大岡昇平著 『俘虜記』を再読

久しぶりに、大岡昇平著 『俘虜記』(新潮社刊)を再読した。古い蔵書なので、少し傷んでいる。この本は、生涯、唯一、父から与えられたもの。確か、中学生の頃だったと思うが、流風は反抗期がひどかった。父も、結構、手こずったようで、晩年、「お前の反抗期は、なかなかやったな」と苦笑して言っていた。

あの頃は、いろいろな悩みで、当人は当人で苦しんでいたと思う。同じような考えがぐるぐる回り、収拾がつかない奴だ。その時、父から、黙って、ぽんと渡された本が、この本。すぐ読む気にはならず、長い間、放置した。

それから暫くして、読み始めたが、楽しい内容ではない。「俘虜」とは、広辞苑によれぱ、「戦闘で、敵軍にとらえられた者」となっている。ちなみに、「捕虜」は、「戦争などで敵に捕らえられた者」となっている。著者の意識としては、「俘虜」の意識が強かったのかもしれない。

それは、「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱を受けず。死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」に強く反応しているのだろう。「捕虜」でなく、「俘虜」だと。今、生きる人間からすれば、どちらでも同じに思えるが、当時の人間は、そのように教育されているから、拘りかあったと推察できる。

本著の内容は、著者が、戦時中、フィリピンのミンドロ島に送られ、やがて、米軍との交戦で傷兵となり、捕えられ、俘虜になり、そこでの生活と日本に帰還するまでを描いている。その中には、各戦線での悲惨さを散りばめて表現している。

日本軍は、食料を本土から調達せずに、現地調達した。そのことが現地の多くの人々を悲惨に追い込んだ要因と考えられる。実際、米軍は、本土から、十分すぎるほど食糧が送られ、捕虜あるいは俘虜に対しても、十分な食事が与えられる。これでは、日本は米国に挑んでも勝てるはずのない戦争であった。

更に、この本で彼が描きたかったのは、「俘虜社会」であり、これは「日本社会」の縮図とも言えるものであった。父が当時の私に読ませたかったのは、むしろ、この部分であったのだろう。当時は、残念ながら、あまり理解できなかった。今更ながら、父の思いに感謝。

*追記

大学を卒業し、社会人になり家を出る時、父から、家にある蔵書すべての処分を期限付きで命じられた。結局、持っていくには邪魔なので、数冊の本を除いて、すべて処分を依頼。ただ、 『俘虜記』は処分リストから外され、いつの間にか父の本棚に並んでいた。父にとっても、思い出の書籍であったのかもしれない。父の晩年、私に返却された。

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2015年10月18日 (日)

狂言『舟渡聟』について

久しぶりに狂言を取り上げてみよう。最近は、新作も上演されるようになったが、評価は、まだ定まっていないので、今回も古典を取り上げる。それが、『舟渡聟』。「ふなわたしむこ」と読む。流派によって、多少話が異なるが、ここでは、チャンポンにして備忘録として、あらすじを記す(笑)。狂言界の方々に叱られるかな。

内容は、酒好きの聟(むこ)と舅(しゅうと)の話。ある聟が、今日は最上吉日のため、初めて舅を訪ねることになった。他方、舅の方は、すでに、太郎冠者に命じて、門前の掃除などの準備をさせて、どこかに出掛けて行く。お互い、少し緊張する場面。

聟は、祝儀のための酒を土産に舅のもとに向かう。途中、川を渡るため、渡し舟を乗らなければならない。そこに、顎鬚をいっぱい蓄えた船頭が、舟を渡して、帰りの乗舟客を待っていた。ちょうど、その時、聟の男がやって来て乗り込む。その渡し舟を乗ると、船頭は、聟が持っている酒樽が気になって仕方がない。

寒い時期だったので、せめて匂いだけでも嗅がせてくれと頼み込む。ただ、それだけで満足するはずがない。一杯振る舞ってくれとせがむ。聟の方は、祝儀に持っていくものだから、口を切るわけにはいかないと拒否。

そうすると、なんと、船頭は、舟を揺らしたり、手がかじかんで、舟の操作を放棄してしまい、流れに任せる有様。聟はやむなく、口を切り、船頭に飲ませると、一杯が二杯になり、聟の方も船頭に勧められるままに自分も飲んでしまう。

お互い機嫌がよくなり、舟中での酒宴となって盛り上がる。ついには、酒をすべて飲み干してしまう。空になった酒樽を持って舅の家に行くと、舅は留守だった。代わりに太郎冠者に酒樽が空樽だとなじられ、恥をかく。

そうこうするうちに、やがて帰ってきた舅は、聟の顔を見て、びっくり。さきほど、舟に乗せ、酒を振る舞わせた、あの若者ではないか。これでは、とても聟に合わす顔がない。そこで、自慢の髭を剃り落とし、袖で自分の顔を隠して、聟の前に出る。

しかし、結局、船頭であったことがばれてしまい、舅の面目を失う。聟は、いずれにせよ、舅様に進上するためのものだったと、とりなして終演。この狂言も、「喜劇は、より悪しき者を描く」という点では忠実だ。

一般に、こういう、聟と舅は、その後も関係は、上手く行くものだ。流風は、若い時に、酒の失敗もないではないが、ほとんど飲めないので、このような狂言のような話には決してならないだろう。失敗もない代わりに、酒の飲めない面白くない男ということかもしれない。でも、こういう失敗話は聞いている方が楽しい。

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2015年10月17日 (土)

秦郁彦著 『南京事件』を再読

中国がユネスコに、南京事件を巡る資料の「記憶資産」への登録を申請し、登録決定の報道があった。日本政府は、犠牲者数について日中間の見解に大きな相違があり、認められないとして、ユネスコに強く抗議している。

今回の、ユネスコを巡る日中間の認識の違いについて、過去に読んだ書籍、秦郁彦著『南京事件~「虐殺」の構造』(中公新書刊)を再読した。南京事件について記した書籍は多いが、この本が、比較的客観的に記されていて、一般人にもよくわかる納得のものだろう。南京事件について、あまり知らない若い人たちも一読して欲しい。

大体、中国が言っている「南京大虐殺30万人」というのは、当時、日本軍が戦っていた国民党が、欧米諸国に対して、でっち上げた宣伝工作であったことは確かな事実だ。それを現在の中国共産党政権が、何の再調査もなく、この数字を使っていることは一般国民から見ても違和感がある。

当時の中国共産党は、日本軍と戦っていなかったし、日本軍は国民党と戦っていた。日本軍は、中国共産党と組んだこともあるぐらいだ。ところが、南京事件のきっかけとなったのは中国共産党が強く関与している。すなわち、毛沢東が日本軍に対して、ゲリラ闘争を指示したからだ。これに対して、日本軍は、疑心暗鬼になった。

更に不幸なことに、当時の南京駐留の日本軍は、トップが病気のため不在で、ゲリラ闘争に対して、統制が、かなり乱れたと指摘されている。満州から中国本土(漢民族からすると満州は異界の地だから、中国本土ではない)への進出は明らかに侵略だが、各地では、日本軍は粛々と進軍し、治安が乱れていた各地では、むしろ歓迎されたぐらいだ。それほど、日本軍は、統率され、警察能力が高かった。

だが、南京では、不幸にも、統制が乱れた。ここで、日本軍は、ゲリラと非戦闘員の一般人の区別ができなくなり、多くの犠牲者が出たことは確かだろう。だが、その実数は、多くの研究者が調べた結果、非戦闘員の民間人の死者は、最大12000人(最小3000人)程度だと言われている。もちろん、戦闘員は、この数字には含まれていない。彼らを含める(南京周辺の死者も含める)と、最大40000人程度になるかもしれない。

日中間で、被害者の数の見方は違っても、南京事件は、日本軍の中国侵略の中でも、最も恥ずべき事件で、日本軍が暴走し、多くの中国民の被害者が出たことを日本国民は忘れてはならないだろう。

*追記

日本軍が南京事件で起こした残虐な行いは、東南アジアでも、理由は違うが同様のことをしている。また、満州での行いも、誉められたものではない。それは、以前にも取り上げた五味川純平著 『人間の條件』に見るように、現在の価値観では測れないが、戦争のためとはいえ、多くの人々を苦しめている。一体、あの戦争が、何だったのか、冷静に総括する時期に来ていると思う。歴史的事実を否定しても、何も生まれないのは明らかだ。

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2015年10月15日 (木)

求められるのは、リベラル系保守新党

自民党は、決して保守政党ではなく、米国の傀儡政権で、ニセの保守政党だ。すなわち、安倍氏のような教養もなく、無能な人物をトップに頂くことは米国にとって都合がいい。この流れは、中曽根政権以後、続いてきた。しかし、最早、米国の安保関係者の傀儡政権を望む政党に未来はない(*注)。

もちろん、どの政党も、完全な政策はありえないことは分っている。また、今後、どの政権になっても、完全には米国の意向は、無視できないかもしれない。それでも、自民党の政権運営は、ひどすぎる。

主体性を放棄し、米国に追従すれば、政権維持のためには、何でも許されると思っているらしい。「頭」がなく、「体」だけが異常に大きいのが、自民党の現状と言えよう。

更に、多くの議席数から驕りから出ている。ただ、このようなことを招いたのは有権者にも責任がある。現在の自民党国会議員の数は405名だそうだが、勢力を大きく削ぐ必要がある。歴史的に、恐竜は、滅びるものだ。

民主党政権を選択した時、自民を一旦見切りをつけた。しかし民主党の初めての政権運営の未熟さから、混乱して、自民党政権は復活した。当時の民主党政権は、あまりにも考え方が違う人たちの寄せ集めであった。それに変に真面目だが、違う意見の持ち主を統率するリーダーもなく、拙い政権運営をした。

その結果、民主党政権を否定し、泥臭く、ずる賢いが現実的に何かやってくれるだろうと自民党に圧倒的多数を与えた(*注1)。残念ながら、このことが、安倍自民党を暴走させたことを反省しなければならない。

現在の自民党政権運営は、政治哲学もなく、トップの独善主義が優先され、公約から遠いところにある。結局、国民の意思は無視され、あの民主党政権より、どうしようもなく悪い。

今後は、国民の危険分散として、自民党に限らず、一党に多数を与えるのではなくて、勢力が分散するように、民主主義をきちんと理解した、いくつかの政党に、投票せざるを得ないのではないか。

後は、連立政権運営のルールを確立するだけだ。これは後の世代や、現在の若い人たちのためである。若い人たちは、自らのために投票率を高め、地方の高齢者も投票行動を変える必要がある。

それでは、どのような政権が望まれるのであろうか。何かと話題を提供する維新の党を分裂して生まれる、「おおさか維新の党」も、橋下氏が、現在の自民党と同じ体質を持っており、この党に、政権を任せることはできない。ポピュリズムが先行し、何かと騒がしいが中身はない。また、残された維新の党自体もリーダー不在で迷走続きだ。

本来、自民党のリベラルな議員は、新党を立ち上げてもらいたいが、自民党安倍総裁を、無投票で再選させるぐらいだから、残念ながら、それほど将来性のある人物も見当たらない。彼らは冷や飯を食う覚悟もないから、内閣改造で入閣して喜々としている。改造内閣では、リベラルな議員も取り込まれて、手も足も出ない状況だ。河野氏も、少し骨のある人物かと思ったが、入閣で骨抜きにされている。

そのような状況下で、現在の自民党内に留まって、石破氏のように新たな派閥を作っても、何もできないだろう。彼も冷や飯を食うことを嫌い入閣を続けている。独自の資金力もなく、以前のような派閥運営はできないからだ。

また新党で、野党との連立政権構想を明らかにすれば、有権者から一定の支持を受けるのだが、構想力の弱い議員では無理だろう。このままでは、自民党は、いずれ力を失っていくのは確かだ。

ただ、現在の野党勢力の拡大だけでは、一挙に政権打倒することは難しいかもしれない。今まで、いろんな、しがらみで自民党に投票していた人々のすべてを、現在の野党支持者に転向させることは、案外、困難を伴う。

彼らの受け皿になるには、いくつかの新党が必要だ。その上で、連立を組むのがいいだろう。組み合わせは、流動的で、いろいろ考えられる。ただ、言えることは、小選挙区制が続く限り、多党連立が望ましい。決して、二大政党ではない。

また、現在の野党も、民主党保守派は、安保に関しては、自民党安保関係者同様、古い考えの持ち主の方が多い。民主党保守派という人々は、たびたび流れを読めず、いまだに頓珍漢な発言をしている。

例えば、不平等な日米安全保障条約を一旦破棄して、平等な条約を結び直すという発想ができるかどうか危うい。現在の不平等な日米安全保障条約の内容も理解していないし、政権を真に奪い返す意思があるのか疑われる。このまま考えを改めないと、彼らも自民党と同様、国民から捨てられる運命にある。

この流れでは、まず、「真の保守政党」を、まず作る必要がある。それもリベラル系の。保守とリベラルは、相反するようだが、日本では、あまり意味はない。それでは、政策的には、どのようなリベラル系保守新党が求められるのだろうか。

まず、第一に、不平等な日米安保条約を一旦破棄し、平等な条約を結び直すことを主体とする政党を作ることだ(ここが共産党の主張と異なるところ。彼らは単に破棄を主張している)。不平等な日米安保条約の下で、集団的自衛権を主張して、日米は対等と言うような誤解を与える自民党は、全く信用できない思っている保守層は案外多い。

次に、また憲法改正は否定しないものの、政党が改正案を提示するのではなく、広く憲法学者たちに一任し(もちろん、哲学者、歴史学者、政治学者の意見も反映させる必要はある)、国会は、それを承認するに留めると表明すればいい。

憲法は、そもそも国家権力をチェックし、国民側に立って作られるもので、権力側にある政党や国が関与してはならないだろう。

また、憲法改正で、「日本は侵略戦争には参加しない」と明記することを条件とする。そうすれば、保守層、リベラル層からも多くの支持を得られるだろう。その上で、米国と対等な安全保障条約を結ぶか検討すればいい。

そして、外交の基本は、等距離外交の推進を基本とすることだ。また将来的には、米国の了解を得て、中国との準安保条約を結ぶことの検討も必要だ。そこには柔軟で巧みな外交力が求められる。

原発再稼働に対しても反対する政党であることが求められる。原発のような、ごみ処理方法が未だ確定していないエネルギーは、子孫に重い負担を残す。自らの保身しかない経産省の官僚とか、目先だけしか見ていない財界の意向を聞き過ぎると、道を誤る。

これからは火力発電(地球温暖化などという、まがい物の学説は無視すればいい)と自然エネルギーの組み合わせでやるしか道はないと考えるべきだ。それに加えて、地域は地域でそれぞれ地域資源を活かしたオリジナルのエネルギーを生産し確保することが望まれる。

こういう新党を作れば、現在の自民党を脱することができる。さらに、現在の自民党のように、米国の戦略である「世界統一」という誤りの眼目に同調し、新自由主義優先で、民主主義を、ないがしろにする政権は、国民にとっては不幸。

よって新党は、世界で多様な考え方を容認し、多極構造下での民主主義を優先して、自由主義は否定しない(新自由主義は規制)が、民主主義の枠内に制限すると表明すればいい。そうすれば、ある程度の勢力を確保できるだろう。その上で、現在の野党勢力と連立を組むかどうか考えればいい。そうすれば、戦後政治体制の構造改革が進むことになる。

*注1

ただし、自民党の票の伸びはない。民主党の分裂が、自民党に多くの席を与えたのが本当のところだ。

*注記

米国世論も、知識層を中心に、日本を、いつまでも支配すべきではないという意見が出ている。米国安保関係者の意見は、むしろ少数派であることを知る必要がある。日米安保利権のスキャンダルで、いずれ米国内でも、マスコミで盛り上がるだろう。

*追記

党名は、現在の自民党の党名をひっくり返して、民主主義は自由主義に優先するという意味で、例えば「民主自由党」と名乗ればいい。

*追記

この記事に関して、急進的と捉える人もいるようだが、戦後70年の垢を、そろそろ削ぎ落とす時期に来ていることは間違いない。新しい日本を築く必要がある。それには過去に、しがらみのない、20代、30代の人々に期待したい。

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2015年10月14日 (水)

今年も『姫路全国陶器市』

恒例の『姫路全国陶器市』が、姫路大手前公園で、毎年11月初めにある。各地の陶器の産地に行って、それぞれの陶器の魅力に触れるのもいいが、陶器市のように一斉に全国産地の陶器が並んでいるのを見比べるのも結構楽しいものだ。

毎年のように出掛けて行って、いろんな作品に触れて、予算内で買えそうなものを少しだけ買い求める。どうしても今までの経験で、嗜好に偏りが出るので、今年は、少し違う産地のものに注目してみたいと思っている。

ただ、基本的に、毎日使わないものは買わないので、あくまで実用的なもの。そういったものが見つかるかどうか。さあ、何か見つかるだろうか。

*追記

また、いつものことだが『姫路菓子まつり』や『姫路城皮革フェスティバル』も同時開催だから、一緒に楽しめる。

*2015年11月3日追記

今年は、結局、九谷焼のおちょこと湯呑みと長崎・眉山窯のとっくりを購入。すべて価格とデザインで購入判断。割といい買い物になったと自画自賛。ただ、酒は、ほとんど飲まないので、とっくりとおちょこは、飾っておくだけかな。

湯呑みはユニークなデザインだったので衝動買い。家には、母がのこした、たくさんの湯呑みや景品でもらったものがあるが、ほとんど使わない。無駄な買い物と言われそうだが、毎日使うもの故、好きなものを使いたい。

*2016年9月30日追記

今年2016年の姫路「全国陶器市」の日程は、11月2日から6日までとなっている。

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11月11日は、「こころの祭 姫路」案内

今年も、11月11日には、「こころの祭 姫路」が開催される。以前にも取り上げたように思ったが、記していないようなので、改めて取り上げる。今年平成27年で24回目になるらしい。

催しの趣旨は、姫路の文化を掘り下げるため、自宅、工房、神社、仏閣を自主的に開放し、通常非公開の文化の公開や、人となりにふれて、姫路の好さをより深く理解してもらおうとするものだ。

今年は、市内33か所で開かれる。観光案内所等で、ガイドブックを入手して、当日、姫路観光の予定の人や、もっと姫路を知りたい人は、それそれの嗜好で、訪ねて欲しい。コンサートや僧による説法等を楽しめるところもある。開館時間は、午前10時から午後4時までとなっている。

*平成28年11月11日追記

本日、開催される「こころの祭 姫路」は、今年で第25回。市内34か所で開催される。ガイドマップで関心のあるところを見つけて訪問してほしい。毎年、少しずつ会場や参加者が異なるので注意。なお会場には、「こころの祭」ののぼりが立っています。

*平成29年11月1日追記

今年も11月11日に33か所で催される。

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来年の準備2015

そろそろ来年の準備を始める時期になった。まず手帳。最近の手帳は、今年の10月分から来年の12月分となっているものが多い。よって、11月、12月分は、毎年無駄になる。無駄と思いつつ、無ければ変。世の中は、そうしたものかも。今年も、100円ショップで購入。内容がシンプルで使いやすいからだ。

そして、大掃除も、少しずつ始めた。毎年、12月の大掃除は、水回りのみにするのが理想。寒くなってきたので、庭の木々の剪定も開始。今までに、ちょこちょことやっていたので、そんなに量はない。盆栽の手入れに近い。

おせちはどうするか迷っている。塩分の多い、おせちは、身体に悪い。元旦の分だけ、手配しようかなと思っている。お雑煮さえ準備できれば問題はない。店は、元旦から開いているので、昔のように困ることもない。段々、正月の意味が薄れて行くのは、少し寂しいことだが。

カレンダーの準備は、まだだ。例年、面白いカレンダーを探し求めてきたが、今のところ、見当たらない。日々、探し回ることが、しばらく続きそうだ。ただ、来年の色紙絵は、いいものを先日見つけ、購入した。来年の干支、申に相応しいものだ。このようにして、来年の準備は、少しずつ進んでいく。

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2015年10月13日 (火)

『直茂公御壁書』を読む その四

今回の、『直茂公御壁書』は、次の通り。

「下輩の言葉は助けて聞け。金は土中にあること分明」

「下輩」とは、「身分の卑しい者とか、しもじもの者」という意味がある。場合によっては、「自分より身分の低い者」を指す場合もあるが、ここでは前者として捉えておく。

解釈としては、「しもじもの発する言葉は、その背景を理解し、彼らの本心を十分把握するように努めて聞け。凡そ、金は、土中にあるように、彼らの言葉も、為政者にとっては貴重なことを含んでいるものだ。(軽んじてはいけない)」と。

封建時代、下々の者は、役人に対しては、話を繕うので、本心は明かさない。それが生き残る処世だからだ。直茂公は、そのことも十分理解していたようで、なかなかの領主であったと推察できる。

現代でも、サラリーマンは、保身になれば、本音を隠す。経営者は、いかに彼らの本音を引き出すか留意する必要がある。そのためには、風通しのよい組織運営が求められる。

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2015年10月11日 (日)

ウマノスズクサらしきもの発見

春から夏にかけて、アゲハチョウが、よくやってくるのは確かだ。たまに、ジャコウアゲハもやってくる。老貴婦人のような堂々とした奴だ(実際は、よく見るのは黒い雄です。雌もたまに見るが、そういう印象はない。例えとしては、おかしいかもしれないが、あくまで印象として)。ウマノスズクサは、ジャコウアゲハの幼虫の唯一の餌となるもの。ウマノスズクサには毒を含んでおり、幼虫は、この毒を蓄積し、鳥から身を守る。

このウマノスズクサについては、以前少し記事にしたが、どういうものかは確認しなかった。先日、新聞を読んでいると、個人宅で、庭で育てているウマノズクサ7株から4個の実が成り、写真も紹介されていた。

ふと見ると、よく見る葉ということに気が付いた。庭で雑草取りをしていると、時々見つかる。特に植えた記憶はない。以前に、、実が成っているのを見たような記憶もあるが明確ではない。

今は、あちこちに、つるを巻いて点在している。ヤツデに巻き付いているのは、ほんの小さな実をつけているが、果たして、これがウマノスズクサなのだろうか。葉の形状はそっくりだが。しばらく様子を見てみようと思う。

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2015年10月10日 (土)

軽減税率論議、もう要らない

公明党が、ねちっこく主張する軽減税率だが、国民には、あまりメリットのない仕組み。でも財務省までも、公明党におもねり、いろんな案を出してくる。でも、それらには無駄なコストが、国にも国民にもかかり、一体何のための軽減税率かわからない。

確かに、消費税には逆進性の問題があるが、低所得者には、すでに各種手当がなされており、軽減税率は屋上に屋を重ねる愚策であることに間違いない。それに本来、消費税増税分が社会保障に回されるのなら、それは低所得者に寄与するものだろう。

問題は、消費税増税分の横流しだ。本来の使い方を、きちんとしないから、問題が複雑化する。ただ、どのような仕組みにしろ、軽減税率を適用すれば、国は、それを取り戻すために、消費税率を更に上げる時期が早まると覚悟しなければならない。国民にとっても、軽減税率は、メリットがあるとは思えない。

最も大きな問題は、消費税増税分の配分の仕方であると断言できる。公明党も、いい加減に目を覚ましてほしい。選挙目当ての、目先の政治に、こだわり過ぎれば、いずれ国民から見放されることは間違いない。

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「姫ちゃり」スタート

先日記事で案内した「姫ちゃり」(姫路の貸し自転車。姫路市コミュニティサイクル社会実験)が、本日2015年10月10日スタートした。対面貸し出しから機械式貸し出しに変更されている。若い人を除けば、最初は少し戸惑いがあるかもしれない。

路上端末機で手続きするのだが、しばらく完全無人化は難しそう。クレジットカードでの決済を要求されるが路上でクレジットカードを出すのは少し嫌な人もいるだろう。支払い手続きは、別途、対面式の「手続きセンター」のようなものが求められる。

*2015年11月20日

姫路の街を歩いていると、機械式の「姫ちゃり」に戸惑っている人を多く見かける。使用法のための案内板もなく、不十分な感じ。もう少し、利用客のための配慮が求められる。

*2016年2月2日追記

「姫ちゃり」の利用開始時間が、2016年2月1日より、午前9時から前倒しして午前8時に変更になった。

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パソコンの買い替え2015

今年、パソコンが不調になって、買い替えた。パソコンの利用の範囲は、そんなに広くないので、修理に出そうとも考えたが、いろいろ考えて買い替えた。前のパソコンは、買って6年で潰れたことになる。パソコンの寿命は、一般電化製品と異なり短いようだ。今度は、何年、もつのだろう。

ただ買い替えたパソコンは軽い。機器も軽いが、検索スピードも速くて軽い。やはり買い替えて正解のようである。ただ、いろんな機能が付き過ぎ。使いこなせないのだから、意味がない。それにしても、利用の範囲は、一向に広がらない。まあ、別に支障はないけれど。もっとシンプルなパソコンが欲しいなあ。

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2015年10月 9日 (金)

2015年の「姫路ミュージック・ストリート」は11月1日

今年の2015年も、恒例の「姫路ミュージック・ストリート」が催される。いつも11月3日の開催が多いが、今年は11月1日の日曜日。会場も、少し変わる。姫路文学館が改修中のためだ。その代わりに、心城館(淳心学院 講堂)が、新たに会場になる。秋の午後の一時を好きな音楽のジャンルで楽しんでください。会場は、3か所。今回は、たまたまですが、すべて会場がお城の東側になりました。立ち見覚悟で、移動しながら、楽しむのもいいです。

◎心城館(淳心学院 講堂)会場 

   定員400名

   1. 「楽しい音楽会」  

      12時より13時20分

      ヴァイオリン2とピアノ1によるアンサンブル

      2.「響きあうピアノトリオ」  

     13時30分より14時50分

     ソロ、デュオ、トリオと様々なスタイルで奏でる

◎姫路市民ギャラリーアートホール(イーク゜レひめじB1F)会場

   定員 120名

   1. 「ハッピーエンジョイ デキシーランドジャズ ライブ」

      12時30分より13時50分まで

      キャッスルジャズバンドによる演奏

   2. 「ドラムのビートに乗せて、美しい歌ものを奏でるPOPSユニット」

      14時より15時20分まで

      こじまいづみ(花*花)&吉川弾&西川和一郎ユニット

◎姫路市立美術館 講堂会場

   定員 100名

   1. 「相方芳博・藤井達幸ギターデュオコンサート」

      13時より14時20分まで

            相方芳博・藤井達幸による演奏

   2. 「フルートトリオで見つける小さい秋」

      14時30分より15時50分まで。

      フルートアンサンブル 琳-RIN-による演奏

*追記

演奏曲名は、敢えて記しません。どうしても、知りたい方は、ネットやチラシで調べてください。

 

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2015年10月 8日 (木)

『直茂公御壁書』を読む その三

今回の『直茂公御壁書』を読むは、次の通り。

「以下の心をよく計り、その旨をもって、上に至って校量し候はば、はずれ有りがたく候」

「以下」とは、「御目見(おめみえ)以下」のこと。「御目見」とは、本来、大名や旗本が将軍に直接は拝謁することだが、ここでは、藩主にお目通りする資格のない下士を意味する。

「トップというものは、日頃、見ることがない部下(下級武士)たちの気持ちを慮り、彼らの立場に立って、いろいろ広い視野で物事に配慮すれば、過ちを起こすことはない」ということだろうか。

最近の企業のことは、よく知らないが、昔の企業の人事部は、従業員の家庭の状況、子供の年齢や進学状況などを把握することに努め、従業員を督励し、役職や手当に配慮した。そういうことが従業員の企業への忠誠心が増した。

経営効率だけを考えると、組織は、度々立ちいかなくなる。情理バランスは経営に求められる。

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2015年10月 6日 (火)

初恋の人~桃介と貞奴

今回は、桃介と貞奴について備忘録として記す。桃介と貞奴と言っても、若い方はご存じないかもしれない。以前、大河ドラマで、『春の波濤』(1985年)で、二人のロマンスが描かれているから、覚えている人もいるかもしれない。と言っても、30年前。若い人はご存じないだろう。いずれも戦前に活躍した人だ。桃介とは、福澤桃介のことで、以前、彼の発言を取り上げたことがある。貞奴とは、川上貞奴のことだ。

福澤桃介は、1868年生まれ。旧姓は岩崎桃介。父親は、それなりの家の生まれだが、長男でないため、養子に出される。それが、とんでもない水呑百姓。貧しかった。彼は、そこで生まれて苦労している。しかし、幼少より頭が良く、それを認められて、父親の実家に引き取られて学問の道が開かれる。1883年に慶応義塾に入塾。

三つ年下の川上貞奴の方は、1871年生まれ。生家の没落により、1878年に7歳で、置屋の女将の養女になっている。二人の出会いは、1885年頃で、馬術をしていた貞奴が野犬に襲われる。その野犬を制したのが、桃介だった。これを機会に、二人は恋に陥る。美男美女の組み合わせだった。初恋と言えるかもしれない。

ところが、物事は、そう簡単に進まない。若い故、桃介にも留学という野心があったのかもしれない。というのは、桃介が福沢諭吉が催した運動会で、目立った行動をしてしまう。そういう性格の持ち主だったとも推定できる。目立ったのは、ライオンの顔を描いた白シャツで走ったことだった。

それが、たまたま諭吉の妻、錦の目に留まって、二女の養子に迎えようと言ったところ、話がとんとん拍子に進み、ついに二女・房との結婚を前提に、福澤家に養子に入ることに。ここで、一旦、貞奴との関係は切れてしまう。

桃介は、1887年米国留学。留学と言っても、最近、お坊ちゃん連中が海外に留学するのと同様、少し語学を学ぶ程度で、実際は、物見遊山であったようだ。1889年には、学位も取らず帰国している。

貞奴の方は、1891年に、川上音次郎と結婚し、1899年には米国巡業。でも、その生活はさんざんだった。それでも、何とか、やりぬけ、1900年には国には勝手にパリ万博に出演し、マダム貞奴の名声を得る。

1909年(明治42年)に、貞奴はフランスから帰国。と同時に、二十数年の時を経て、桃介とは付き合いが再開される。初恋の人は忘れられなかったのか。でも、現代で言えば、いわゆる不倫というやつ。ところが、時代もあって、問題にならなかったという。

そして、1911年には、夫の音次郎が死去してしまう。その後は、旅先で、大っぴらに落ちあったりして、マスコミネタにされている。当時、桃介は電力事業に携わっていたが、どこにでも、彼女同伴で行ったらしい。

また貞奴も度胸の据わった女性だったらしく、大井ダム建設現場で、桃介が、現場を鼓舞するため、谷底まで、空中ケーブルで桃介が降りると言い出すと、彼女も一緒に降りて行った。重役連中は皆、しり込みする中、さっそうとお供をした。この辺は、それまで血のにじむような苦労した結果の度胸というものだろうか。

1918年より二人は同棲。でも、桃介は、妻の房とは別れていない。当時は、甲斐性のある者が愛人の一人や二人囲っても、どうということがなかった。また房の親の諭吉も、いろいろあったから、房は、男とは、こういうものと割り切っていたフシがある。桃介と貞奴の関係は、桃介が亡くなるまで続いたようだ。それに周囲が羨むほど仲がよかったらしい。初恋の人とは、そんなものだろうか。いつまでも夢を見ていたのかもしれない。

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2015年10月 5日 (月)

目が合う

街を歩いていたり、買い物をしたり、喫茶店で本を読んでいたりすると、ふと目が合うことがある。これが男同士なら、ちょっと大変なことになる場合もある。相手がチンピラだったら、顔をそらせば、「面を切ったな」といちゃもんをつけられることもある。逆に、じっと見つめられたら、気持ち悪い。

女性の場合は、反応は様々である。しばらくじっと見つめる人、見てはならないものを見たかのように目をそらす人、下を向く人等々。目が合って、女性の場合は、いろんな化学反応をしているのかも。

先日、経験したのは、売り場で物を見ていて、ふと目を上げると、ぴたっと若い女性と目が合った。少し体格の立派な女性であったが、しばらく見つめ(実際は、ほんの一瞬だろうが)、その後、にっこり。癒されるなあ(笑)。

もう一つは、喫茶店で本を読んでいて、少し疲れたので目を上げた瞬間、客の若い女性と目が合った。その瞬間、その女性は下を向いてしまった。どうしたのだろう。こういう経験は、年に何回かあるが、今年は、少し多い。いろいろ妄想を巡らし、脳を刺激してくれるのはありがたい(笑)。

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2015年10月 4日 (日)

キンモクセイと茶の花

ふと見ると、キンモクセイの花が咲いていた。春先に結構、枝きりをしたために、今年は花が少ない。肥料を控えていることもある。この木は、少し肥料、と言っても畑の土を与えるだけだが、樹勢が強くなりすぎて、後の手入れが大変になる。

そこで、ここ数年、余分な土を与えなかったのだが、やや元気がないかもしれない。こうなると、来年の春には、多少土の補給が必要かもしれない。人間の勝手な都合だが。そして、背の低い2本の茶の木も白い花を咲かせていた。

こちらは、ぷっくりと咲いて、美味しい饅頭みたい(笑)。実際に、饅頭屋に行くと、お茶菓子として、そういうのが置いてある。この花は、椿の花同様、ぽとりと落ちる。昔の人は、ゲンを担いで嫌がったかもしれないが、現代は、あまり気にすることもない。花が白いためか、椿より品よく落ちているように見える。

キンモクセイの花が落ちれば、剪定時期になる。秋も、もう少しで終わるのだろうか。

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GPIFが年金運用失敗

GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が。2015年7月~9月の運用実績がマイナス9兆4千億円の損失見通しを出した。運用を国内株式、海外株式、海外債券の比率を高くした結果だろう。

つまり、国内株式は12%から25%へ、海外株式も12%から25%にし、海外債券は11%から15%へと急激にリスク運用を増やしている。しかしながら、GPIFに、それほど運用能力は認められないから、この運用失敗は予想されたことだ。

もちろん、年間を通した運用実機で評価しなければならないが、今まで儲けが出ていたものをすべて吐き出すことにつながりかねない。最終的に運用に失敗すれば誰が責任を負うのか。やはり無理な株価上昇を企んだ安倍政権ということになるだろう。

*追記

郵貯が、GPIFのOBを招くと聞いて、失望してしまった。彼らも、また同じ過ちをするのだろう。まして、2015年11月には上場する。そうなれば、株主の意向は無視できず、無理な運用で失敗する可能性は高い。郵貯に預けることはリスクが拡大すると考えていいだろう。一応、現在、預けられるのは、ペイオフの範囲内だけれど。

*2015年11月30日追記

GPIFは、平成27年第二四半期(7月から9月)の決算を発表した。それによると、

 運用 マイナス7兆8899億円の損失。

平成13年から平成27年第二四半期までの累計では、45兆4927億円で、年率2.79%だという。しかしながら、損失を出さなければ、もっと高い利回りになっただろう。無理な運用をして巨大な損失を出したことは否めない。政府の責任が問われる。

*2016年年4月4日追記

民進党の調査によると、2015年度の年金運用の結果、6兆3千億円程度の損失になるという。政府は、選挙戦に備えて、数値の発表を遅らせるようだ。不信感は却って増殖するだろう。国債など国内債券で運用しておれば、プラスになった可能性は高い。安倍首相が海外で変な約束をするから、こんなことになる。結局、海外の投資家の餌食になってしまった。アホな指導者だから、こんなことになる。

*2016年7月1日追記

GPIFは、2016年6月30日の運用委員会で、2015年度の運用損失を5兆円前半と報告した模様。民進党の予測より縮小したが、それでも大きな金額。株式への運用比率を拡大した結果だ。博打相場に手を出した以上、引くことも難しく、今後も、運用の困難は続くと思われる。更に運用損失は、拡大していく可能性が高い。

 

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2015年10月 3日 (土)

『英語は愚民化』を読了

少し前に読了し、記事にすべきか迷ったが、一応取り上げようと思う。それが、施光恒著『英語は愚民化~日本の国力が地に落ちる』(集英社新書)だ。文科省が、小学生に英語教育を導入したり、大学で英語で授業を促進したりしている。これらは明らかにピント外れだと従来から主張してきたので、彼の述べていることはよく理解できる。

そもそも日本にとって、「日本語」が創造の源泉だ。英語など低レベルの言語を日本語より上位に置こうという発想は頂けない。一部の新興企業のトップの提言で始まったようだが、あまりにも自社の経営に即した発想だろう。海外との交渉でも、相手文化を知る必要はあるが、それ以上に必要なのが自国の文化の深い理解だ。

自国文化を知らずして、相手文化を理解することなど不可能。よって、本来、日本文化を深く理解させる教育に時間を割くべきなのに、英語教育という無駄な時間を労させて、貴重な時間を奪ってしまう。それに根本的に英語を理解するなど、ネイティブな英語を話す人々に追いつくことなどかなりの時間を要する。

人生の持ち時間は限られている。その中で、英語教育に時間を使うのは無駄。最近の報道では、自動翻訳機は長足の進歩を遂げている。日常会話では英語、中国語、韓国語では全く問題ない。一般会話では長文は出ることはなく、概して短文だから、観光案内なら全く問題はない。

後5年もすれば、もっと翻訳制度の高い自動翻訳機の登場が予想される。となれば、英語教育など無駄な授業は不要だ。それに学問の分野でも、海外の主要文献は既に翻訳済みなので、大学でも、それほど英語教育は必要としていない。必要とするのは、英語を仕事とする人たちだけだ。

もちろん、英語を習いたい人は学べばいい。相手の細かいニュアンスを理解するには、英語が話せるほうがいいかもしれない。外務官僚や、海外交渉する各省の官僚や政治家は必要かもしれない。でも、優秀な通訳が自国にいれば、それで十分の場合も多い。

また、本著で、施光恒氏は、明治期にやった海外語の翻訳と土着化が必要としている。ただ、すべての言葉の翻訳が難しいのは事実。相応しい日本語が見つからないからだ。その場合、日本では、意味が曖昧なまま、カタカナを使用して誤魔化してきた。その辺の翻訳進化は望まれるところではある。いずれにせよ、教育の場に過度の英語教育を持ち込まないことだ。英語教育を強要される子供たちが、かわいそうだ。

*追記

通訳の育成を計画的にやっていけばいい。海外言語を学ぶには適性というものがある。それは音感だ。言葉は「音」だからだ。音感のいい人たちを選別して、彼らに学ばせば、習得に時間は、それほど要しないだろう。

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2015年10月 2日 (金)

安倍政権の対ロ外交の過ち

安倍首相は、なぜロシアのプーチンとへらへら笑いながら会談するのだろう。国民からすれば、もっと毅然とした態度を取るべきだと思う。あれだと、ロシアに軽く見られてしまう。一体、首相の精神構造はどのようになっているのだろうか。本当に領土交渉に臨むようには見えない。

そもそも、外務官僚も含めて、政府外交関係者は、当面、ロシアとの領土交渉は難しいと思っているはずだ。一体、ロシアの弱みは何か。それは明らかに資源だろう。潤沢に持っている資源は、国際市場価格に左右される。すなわち、資源価格を低下させることが交渉の糸口になる。

よって日本としては、安易に資源をロシアから輸入しないことだと以前から述べてきた(残念ながら、現在は、輸入を増やしている。一部財界や民間企業の動きは国益に反する)。国としては、国際価格が下がるように動くべきだろう。例えば、ロシアがシリアのアサドを支援するのも、資源価格の下落を望まないのは明らか。

逆に言えば、ロシアが望まないことを日本が米国と協力して、やればいい。アサドを徹底的な叩き、政権を崩壊させ、資源価格を下げることを仕組む。そのためには、シリアを支援しているイランにも働きかける。

もちろん、米国は自国のシェール価格を維持するために、過度の価格下落は望まないかもしれない。しかしながら、ロシアを弱体化させることは希望しているだろう。それは日本の国益とリンクする。安倍首相は、ちょろちょろとロシア首脳と会う必要はない。彼らが土下座してくるのをじっくり待てばいい。熟柿は落ちるのだ。

*2015年10月10日追記

米国は、日本がロシアに対して接近しているのを不愉快との報道があった。このことを米国の内政干渉と報道する向きもあるが、ロシアは簡単な国ではない。現況、ロシアは日本の経済協力が欲しいだけ。最終的には、取るものだけ取って、北方領土は返還しない可能性の方が高い。米国の懸念は、ロシアという国をよく知っているだけに、日本への忠告とも受け取れる。また北方領土返還交渉には、歴史的背景から、米国・英国の協力が必須だということを忘れてはならない。

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2015年10月 1日 (木)

『経済大国インドネシア』再読

2015年10月現在、インドネシアに対する新幹線受注失敗が報道されている。中国に敗北したことが政府はショックなようだ。だが、そもそもインドネシアに新幹線が必要かどうか。受注できなかった、どうのこうの問題より、日本は相変わらず、マーケティング調査が十分でないように思う。押しつけ販売が成功する余地はない。果たして、どこまで彼らの要望を十分に考慮したのか。

そのことを考えていると、以前、読んだ、佐藤百合著『経済大国インドネシア』(中公新書刊)を思い出し、再読してみた。多民族国家インドネシアは、多くのバランスで成り立ち、その外交もバランスを重視する。現在の日本のように偏った外交はしない。そして、そのことをパワーに結び付けてきた。

また、かつてインドネシアは、日本の援助国であったが、今は返済金額の方が大きく、大きく成長している。いずれGDPは日本を超える。そのことを無視して、古い感覚で、彼らと付き合うと、プライドの高い彼らを傷つけることになる。

すなわち、日本国も一般国民も、彼らと対等という意識で付き合わないと、関係をうまく保てないと知るべきだろう(*注)。彼らの要望を丁寧に聴いて、それに相応しい彼らか望むものを予算に合わせて提供することが国も企業も求められる。

*注

テレビに出演していた外務省某OBは、インドネシアに対して上から目線で話していたが、これが外務省の姿勢とすれば、問題だろう。このような態度で彼らに接していれば、いずれ日本は相手にされなくなってしまう。

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