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2015年10月 3日 (土)

『英語は愚民化』を読了

少し前に読了し、記事にすべきか迷ったが、一応取り上げようと思う。それが、施光恒著『英語は愚民化~日本の国力が地に落ちる』(集英社新書)だ。文科省が、小学生に英語教育を導入したり、大学で英語で授業を促進したりしている。これらは明らかにピント外れだと従来から主張してきたので、彼の述べていることはよく理解できる。

そもそも日本にとって、「日本語」が創造の源泉だ。英語など低レベルの言語を日本語より上位に置こうという発想は頂けない。一部の新興企業のトップの提言で始まったようだが、あまりにも自社の経営に即した発想だろう。海外との交渉でも、相手文化を知る必要はあるが、それ以上に必要なのが自国の文化の深い理解だ。

自国文化を知らずして、相手文化を理解することなど不可能。よって、本来、日本文化を深く理解させる教育に時間を割くべきなのに、英語教育という無駄な時間を労させて、貴重な時間を奪ってしまう。それに根本的に英語を理解するなど、ネイティブな英語を話す人々に追いつくことなどかなりの時間を要する。

人生の持ち時間は限られている。その中で、英語教育に時間を使うのは無駄。最近の報道では、自動翻訳機は長足の進歩を遂げている。日常会話では英語、中国語、韓国語では全く問題ない。一般会話では長文は出ることはなく、概して短文だから、観光案内なら全く問題はない。

後5年もすれば、もっと翻訳制度の高い自動翻訳機の登場が予想される。となれば、英語教育など無駄な授業は不要だ。それに学問の分野でも、海外の主要文献は既に翻訳済みなので、大学でも、それほど英語教育は必要としていない。必要とするのは、英語を仕事とする人たちだけだ。

もちろん、英語を習いたい人は学べばいい。相手の細かいニュアンスを理解するには、英語が話せるほうがいいかもしれない。外務官僚や、海外交渉する各省の官僚や政治家は必要かもしれない。でも、優秀な通訳が自国にいれば、それで十分の場合も多い。

また、本著で、施光恒氏は、明治期にやった海外語の翻訳と土着化が必要としている。ただ、すべての言葉の翻訳が難しいのは事実。相応しい日本語が見つからないからだ。その場合、日本では、意味が曖昧なまま、カタカナを使用して誤魔化してきた。その辺の翻訳進化は望まれるところではある。いずれにせよ、教育の場に過度の英語教育を持ち込まないことだ。英語教育を強要される子供たちが、かわいそうだ。

*追記

通訳の育成を計画的にやっていけばいい。海外言語を学ぶには適性というものがある。それは音感だ。言葉は「音」だからだ。音感のいい人たちを選別して、彼らに学ばせば、習得に時間は、それほど要しないだろう。

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