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2015年12月30日 (水)

人情話~落語 『芝浜』から学ぶ

今回は、大晦日も近いので、本年最後の記事として、人情話の落語 『芝浜』を取り上げてみる。度々、高座で演じられる、この話は、三遊亭圓朝が、三つのお題、「酔っ払い、芝浜、革財布」に対して、即席で作り上げたと言われるのだが、彼の全集には残っていない。よって真相は不明。

魚屋の金さんは、これといった道楽はない。ただ、酒を飲むと、だらしなくなり、仕事にも出掛けない欠点があった。よって、暮らし向きは、大変厳しい。借金も増えるばかりだ。女房は、耐えきれなくなって、度々泣きながら意見をするのだが、金さんは、聞く耳を持たない。

ついには、夜逃げしなくてはならないような事態に追い込まれる。ここで、やっと金さんも目が覚め、金毘羅様へ酒を断って、働こうという気になり、女房も喜ぶ。翌朝、早く起きて、買い出しに出かけるが、女房が時間を間違ったらしく、まだ夜が明けきらない状態。

そこで、浜辺に下りて行って、顔を洗っていると、足元に金財布が落ちていた。それを、早速、懐にねじ込んで、帰って中身を見ると、びっくり。二分金で五十両入っていた。これには、金さんも大喜びで、近所の友達を集めて、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎを敢行。

みんなが帰ってしまうと、酒に酔って、金さんも、そのまま寝てしまう。そして、目が覚めたのが日暮れ時。女房に、起こされて、「お前さん、あんなにどんちゃん騒ぎして、一体、酒屋への支払いは、どうすんの」と言われる。

「どうすんのと言うが、あれがあるだろう。芝浜で拾った、あの五十両が」。「へえ、そんな、お金、どこにあるんですかい」。「お前に、預けたじゃないか」。「いいえ、私は預かっていませんよ。お前さん、夢でも見たのでは」。

金を拾ったのが夢で、酒を飲んだのが現実なら、その差は大きい。酒の酔いも吹っ飛び、「何、それは大変だ」と大騒ぎ。ところが、これがきっかけになり、金さんは、ぷっつりと酒を止める。人間、何が、きっかけになるかわからない。その後は無我夢中で魚屋の商いに精を出し、その結果、得意先も増え、生活も、少しずつ安定する。

そうこうするうちに、あれから三年目の大晦日。新年を迎えるため、畳も新調し、夫婦仲よろしく、茶飲み話を始める。そして、三年前の夢の話も出てくる。ここで、女房が本当のことを話す。「お前さん、三年前、芝浜でお金を拾ったのは、夢ではなく、本当だったんです」。

続けて「しかし、それを猫ばばすれば罪になるし、それに、あの金があれば、なおのこと、お前さんは働かなくなる。そこで、大家さんと相談して、お上に届け出た。ところが一年たっても、落とし主が現れないので、お金は下げ渡しになりました」

「今まで、お前さんを騙して申し訳ありませんが、そういうわけがあったので許して」と手をついて詫びる。これには金さんも、びっくりして、女房の心がけに感謝して喜ぶ。そこで、女房は、「今日は、おめでたいから、お前さん、一口やっておくれ」と言うと、金さん「それじゃ、一杯。いやいや止めておこう。酒を飲んで、それがまた夢になっては困る」とオチ。

現代で言えば、拾得物に対する姿勢の話と言えようか。苦しい時は、目の前のものに目が眩むが、それを思いとどまり、正しい手続きをし、拾得物を下げ渡されても、それを夫に告げず、夫の立ち直りを確認してから知らせた賢妻ということだろうか。

貧しいと、見たこともないような、お金を持ったりすると、日頃、持ちなれないものだから、あっという間になくなってしまう。これは、今にも通ずる話だろう。若くして、ボーナスのようなものを分不相応に、もらっても、直ぐに使わずに、一年くらい寝かせてから、使い方を考えた方がいいのかもしれない。滅多にないだろうが、宝くじのようなものに当たってもそうだろう。

でも、この落語は、基本的に、きちんと働いて稼ぐことが大切と説いていると思う。お金を得る厳しさを知り、きちんと管理すれば、お金に、お金がついてくる。それには、正しい生き方・姿勢が求められるということだろう。そうすれば、突然のラッキーな出来事にも、冷静に対処できるということかもしれない。

*追記

この落語は、三代目桂三木助が得意としたという。芸術祭奨励賞も獲得している。このため、他の落語家も、彼があまりにも上手なので、演ずるのを遠慮したという話もある。

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2015年12月28日 (月)

視聴しなくなった紅白歌合戦

ここ7~8年、紅白歌合戦は全く視聴していないか、ほとんど視聴していない。子供の頃は、親と一緒に普段できない夜更かしが許されて、紅白歌合戦を聴いて後、除夜の鐘を聞いて楽しんだものだが、大人になってからは、時々関心のある歌手が出演していたら、ちらちら視る程度で、まともには視聴していない。

そして、最近では、全く視聴していない。なぜなら、出演する歌手たちに興味がないからだ。若い歌手は、やたら騒がしい歌が多く、楽しめない。また過去の演歌歌手が多く出るのも解せない。更に、今年の出演者を見ていたら、全く知らない演歌歌手も出る始末。一体、どのような選考方法なのだろう。一体、紅白の位置づけは、どのようになっているのだろう。

それに、最早、大晦日を紅白歌合戦を視て、新年を迎える時代ではないことは明らか。既に時代遅れのプログラムかもしれない。惰性に流されるNHKの旧態依然の体質が、そうさせるのかもしれない。今年も、紅白は視聴せず、ラジオでも聴きながら新年を迎えようと思う。

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2015年12月26日 (土)

シェイクスピアの『ヴェローナの二紳士』を読了

シェイクスピアの『ヴェローナの二紳士』(松岡和子訳。ちくま新書刊)を読了した。松岡和子氏のよる翻訳本は、『テンヘスト』に続いて2冊目。『テンペスト』を読んだ時は、意識しなかったが、松岡氏は、1942年生まれ。ということは、当年73歳。翻訳家であり、演劇評論家らしい。

しかし、従来、彼女の翻訳本は読んだことがなかった。経歴を調べると、1996年から、ちくま文庫の書きおろしとして、「シェイクスピア全集」の翻訳の刊行が始まり、現在に至っているようだ。『ヴェローナの二紳士』は、27作目らしい。

かつて出版されている、岩波文庫とか新潮文庫では、全集ものは出ていないし、一人の翻訳者が全巻というのも挑戦的だ。ただ、翻訳のタッチが統一されるため、シェイクスピア文学を理解しやすいかもしれない。 実際は、『ヴェローナの二紳士』を読んでも、すらすら読める。それに注釈もわかりやすい。

それに、何と言っても、文庫本だから価格が安いから気楽に読める。『ヴェローナの二紳士』は、若干現代的に解釈すると、ジュリアという娘と恋に夢中で仕事には、あまり関心がない男プローティアスと、仕事一途で恋愛経験のない男ヴァレンタインが、まず登場。

そして、ヴァレンタインは仕事のため、ミラノ大公のもとに派遣される。そして、あれほど恋愛に否定的だった彼が、大公の娘シルヴィアと恋に陥る。まあ、こういうパターンは現代でも見受けられる。

ところが、プローティアスの親が、遊んでばかりでは駄目だから、大公様ののところで修業してこいと遣わされる。これが過ちの始まり。ヴァレンタインから恋人だと紹介されたシルヴィアを見て、ジュリアという恋人がいながら、浮気心から横恋慕。そこから始まる悲喜劇を描いている。

この話は、シェイクスピアの作品によくあるパターン。ただ、少し気になる点は、原本に欠けがあるのか、急に話が飛ぶ点があり、話がつながらない箇所がある。また後半、話が急展開するのだが、少し飛ばし過ぎの感もある。それらの難点を除けば、まずまずの面白さと言えようか。

*追記

私の読み間違いでなければ、人物紹介の中で、アントーニオが「ヴァレンタインの父」とあるのは、「プローティアスの父」だと思うのだが。誤植だろうか。

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クリスマスの満月を見る

昨日、マスコミが、「クリスマスの満月」と騒いでいた。あまり関心がなかったが、夜にゴミ捨てに行った時に、ふと見上げると、東北東に見事な満月だった。この時期に、煌々と輝く満月は、少し不気味でもある。

前回は、1977年だったそうだが、意識して見た記憶はない。今回は、たまたま見ることができた。いつもは、星が輝くのを見るのは、時々あるが、月をじっくり見ることは少ない。姫路は、よく考えると、かつて住んでいた地域より星がきれいなのだ。

もっとも、現役時代は、星を見る心の余裕はなかったこともあるので、きれいだったとしても、見ていないかもしれない。月の方は、時々ちらっと見ていたような気もするが、カレンダーの月齢の方を見ていたかもしれない。

今朝も、新聞を取りに行くと、西南西の空に、満月が、やはり煌々と輝いていた。夜見た時と、少し印象が異なる。月の位置が変わったからだろうか、人間の心理が微妙なのか。次は2034年らしい。

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2015年12月25日 (金)

危うい高浜原発再稼働

以前にも述べたように、国内の電力需要は減少を続けており、原発の再稼働は、本来必要がない。現実、東京電力は、原発からの電力供給なしに黒字化している。関西電力は、原発依存度が高かったとはいえ、電力料金の値上げで、採算は改善されている。

ところが、川内、伊方に続いて、高浜原発を再稼働させるという。高浜原発について、福井地裁は仮処分決定を取り消し、再稼働を容認したという。迷走する司法ということだろうか。地域住民も、目の前の生活にとらわれて、原発事故という危機感が足りない。

来年、電力小売り自由化により、電力会社の経営は、改革を迫られ、最早、各種負担の大きい原発に執着する必要もない(無能な経営者のみ、原発再稼働によるで見かけ上の利益を追求するだけだ)。

ただ、国(経産省)としては、それは困るということであろう。国家権力が司法に介入して、裁判長を、わざわざ変更してまで、原発再稼働に執着する国のあせりが見て取れる。彼らの言い分は、多分、もんじゅを廃炉するにしても、資金が必要だ。使用済み核燃料の処理にも、金がかかる。順次使用期限を迎える全国の原発の廃炉費用も十分に積み立てていない。

彼らの無策が自らの首を絞めているのだが、それを国民に転嫁させる企みか。それらの資金をどう捻出するか彼らは考えているのだろう。転換期のエネルギー政策時代の過去の遺物に対するコスト負担が発生しているということだろう。米国に押し付けられた原発政策。そこに、たかる政官財の癒着。国民は、これからも重い荷物を背負わされ続けるのだろうか。

*追記

高浜原発が将来、事故を起こすかどうかはわからない。ただ絶対無いとは言えない。日本は、今、巨大災害の渦の中にいる。もし事故を起こせば、福島原発事故どころではない。東京・関東圏の水は現在も汚染されているが、高浜原発が事故を起こせば、最早琵琶湖の水は飲めなくなり、関西経済は壊滅する。それは日本経済さえも危うくする。

周辺住民の方は、再稼働で喜んでいる人もいるようだが、早く遠くに転居された方が賢明だろう。また、直ぐに転居できない方は、事故が起こってから、避難計画の避難先に避難しても受け入れ側も迷惑だし、事前に早く避難先に土地勘を含めて人間関係を養っておくことが求められる。人々は、そこにある危機を認識する必要がある。

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2015年12月24日 (木)

日本玩具博物館の『猿のおもちゃ展』案内

2015年11月21日より始まっている展覧会で、行きたいと思いながら、未だ行けていないものがある。それが、日本玩具博物館の『猿のおもちゃ展』だ。2016年(平成28年)は、丙申(ひのえさる)。猿の造形物は、昔から人気があるようです。

特に江戸後期から明治時代にかけて、郷土玩具として作られたものには猿を題材にしたものが多いとか。それほど、猿は人々の生活に馴染みの多かったと推察される。現代では、猿が街に出没すると大騒ぎしているが、昔は彼らは人々の日常生活と共に居たのかもしれない。

それは、猿が古代から厄除け、魔除けの信仰により、農業の守護神として敬われてきた歴史があるからだろう。この展覧会では、猿の郷土玩具を約300点展示。展示概要は次のようになっている。

 ◎ 郷土玩具の猿~北から南へ

 ◎ 猿の造形~猿の郷土玩具の性格

    一、庚申(かのえさる)信仰と猿~見ざる・言わざる・聞かざる

    二、桃と猿~長寿と子授け

    三、身代わり猿と厄除け猿~健康を祈る玩具

    四、御幣猿と猿の三番叟~山神の使い

    五、組み猿と親子猿~子孫繁栄を願う造形

    六、猿と馬~組み合わせに託するもの

    七、猿と人~親しきもの

 ◎ 江戸時代の猿の玩具

 ◎明治・大正の猿の玩具

 ◎近代玩具の猿

多種多様な猿が展示されているので、子供さんやお孫さんが喜びそうな内容。観光客の方も、姫路城に行ったついでに寄ってほしい。私は年明けに行こうかなと思っている。2016年2月16日まで。

*参考 日本玩具博物館

 姫路市香寺町中仁野671-3

 毎週水曜日休館。年末年始は12月28日から1月2日まで休み。

 JR姫路駅から播但線に乗り換え。香呂駅下車。東へ徒歩15分。

 

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2015年12月23日 (水)

播磨圏域連携中枢拠点都市圏に赤穂市が参加

2015年12月21日に式典があり、播磨圏域連携中枢拠点都市圏(播磨連携中枢拠点都市圏、播磨連携都市圏と表現されることもある)に赤穂市が参加することになったらしい。非常に喜ばしいことだ。先日、赤穂義士祭に行った時も、姫路から多くの観光客が訪れていた。それなのに、従来、赤穂市は様々な事情で、参加していなかったようだ。

ただ、赤穂市も、姫路城効果は無視できなくなったのかもしれない。いずれにせよ、これで、西播磨地域8市8町(姫路市、たつの市、宍粟市、相生市、加古川市、高砂市、加西市、兵庫県市川町、福崎町、神河町、佐用町、太子町、上郡町、稲美町、播磨町)が広域連携で揃うことになる。

まず第一目標として、神戸圏を超える経済圏を創っていくことだろう。今後、多くの催しで連携してほしい。相乗効果で、圏内交流人口がさらに増え、活力ある地域になっていくことが期待される。特に、祭りの連携を個人的には望む。お互いの祭に人や物産を出して交流することが好いと思う。その他では、全国から新規の人を呼び寄せ吸収できる各地域の特色を活かした産業政策と住宅政策も必要だろう。

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2015年12月22日 (火)

姫路城も大掃除 2015

本日、姫路城周辺に行くと、城周辺を大掃除していた。自衛隊の皆さんが、石垣と濠の掃除。あれは訓練にもなるのかな。大変な作業とは思うが、これで、すっきりすることは確か。これから姫路城に来られる方も、きれいになった姫路城と、その周辺をより楽しんで欲しいものだ。また、新年の姫路城も、いつもと違う感じで見られるかもしれない。

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来年2016年のカレンダーとお節

年末も押し迫ってきたので、来年(2016年)のカレンダーに入れ替えた。今年は、いろんな所からカレンダーをもらい、買う必要はなかった。毎年、100円ショップで売っているような、ありきたりなカレンダーをもらっても、少し殺風景なので、いつもは少し買っている。

でも、今年は個性のあるカレンダーを頂いたので、買う必要はなかった。カレンダーも絵画と同じで、部屋の雰囲気を変えてくれる。更に、干支飾りも、来年の申に入れ替え。これで、来年の準備は完了?

そういうと、今年、塩分の多い、お節を買うのを止めようと言っていたのだが、少し寂しいので、改めて手配した。すしチェーン店がやっているシンプルなもの。見た目では、分からないが、塩分は低そうに見える。

コンビニでは、100円お節というのも登場したようだが、そういうのを10種類ぐらい、重箱に詰めれば、確かに、お節にはなる。今までも、スーパーのお惣菜を重箱に詰めるという話をよく聞いていたので、それの簡易版といえるのかもしれない。価格も手ごろだから、今後、各所で流行るかもしれない。

子供の頃のように、「もう何日寝るとお正月」という期待は特にないが、なんやかんやと、どこか落ち着かない年末だ。後は、台所の掃除が残っているだけだが、これが少し、難関(笑)。苦手なだけだけれど。

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2015年12月20日 (日)

清貧と濁富

世の中には、極端な考えた方を説く人たちがいる。例えば、清貧と濁富というものがある。清貧は、金銭を卑しみ、道徳的な生活を優先する考え方だ。他方、濁冨は、お金のためなら、どんな汚いことをしても、富を優先する考え方だ。

清貧と言えば、清貧に甘んずると言って、無欲恬淡。まるで潔癖な宗教者のような考え方だ。濁冨は、いわゆる物質主義を優先させ、何でも、金、金とあくどく富を積むことを望む考え方だ。このような極端な考え方は、仮に、それが達成されても、生き辛い。

やはり、この世は、ほどほどがいい。清貧も濁冨も望まない。もちろん、人々が、ある程度、富を望むことは否定してない。人々が、富を望むことが社会を進歩させる。ただ、濁冨は求めないようにすればいい。また清貧思想は理想的に見えても、社会を停滞させてしまう。理想主義者は注意しなければならない。やはり、ほどほどが望まれるのだ。

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2015年12月19日 (土)

神戸ゆかりの美術館の『わたせせいぞうの世界展』を観覧

神戸生まれの、わたせせいぞうの漫画と言えば、若い頃、透明感ある色彩には、少し憧れた世界だったかもしれない。おしゃれな若い男女の姿を描いていて、このような世界もあるのかなと思ったものだ。ただ、学生時代、どちらかと言うと、硬派だった流風にとって、社会人になっても、軟派のわたせワールドには、少し反感も持っていた。

それに、彼の描く男女は、都会のミドルアッパーないしアッパーの子弟の物語のように思ったからだ。そういう意味では、流風とは、ほど遠い世界。当時、ファッショナブルで、おしゃれな男女に憧れに感じる面もあったが、庶民には、ありえない世界と思っていた。でも、別の面から見れば、彼は当時の若い人たちに夢を与えていたのかもしれない。

今回、神戸ゆかりの美術館では、彼の画業40周年として、『わたせせいぞうの世界展~ハートカクテルからアンを抱きしめて~』を開催している。今回は、「色彩の旅人」と呼ばれる、わたせのデビュー作から新作まで、イラスト原画や原稿など130点を紹介している。

若い時の思い出もあるのだろう。結構、高齢の女性の方も訪れていた。時を超えて、楽しむのもいい。若い方々も、自身に重ね合わせて、これからの恋愛、あるいは現在進行形の異性と楽しむのもいいかも。2016年1月11日まで。

なお、同時開催として、『神戸ゆかりの芸術家たち』として、21点の絵画と1点の塑像が転じてあるので、そちらも楽しめる。すべて、レベルの高い作品ばかりだ。会期も同じ。

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2015年12月18日 (金)

早い開花 2015初冬

つい最近まで、初冬というのに、暖かい日々が続いていた。そういうことに勘違いしたのか、今年は、わが家でも、山茶花が咲き、水仙も咲いた。大体、他所により咲くのが遅い傾向があるのに、今では満開だ。

いつも、なかなか咲かなくて、いらいらするのに、今年は、なんと早い開花。1月半から2ヶ月早い。更に比較的日当たりのいい所に植えている源平椿や侘助まで開花。一体、どうなっているのやら。

そして、昨日から寒くなったと思ったら、水仙を除いて、咲いていたものは散り始めた。蕾のものは、開花を止めている感じ。彼らは天候や気温にに左右されることは今更ながら、よくわかった感じ。これからは、いつものペースを取り戻すのだろうか。

暦では、今年も後2週間足らず。人間様は、師走ということで、少しバタバタ。掃除の方だけは順調に進んでいるけれど。

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2015年12月17日 (木)

神戸ファッション美術館 『日本衣装絵巻』展観覧

ルミナリエが終わったようなので、久しぶりに神戸を訪問。ルミナリエ期間中は、神戸に行かないようにしているが、これは正解。ルミナリエ自体、既に鎮魂の意味はなく、客寄せの光の催しに過ぎないことは、多くの人が理解している。それでも、行きたい人は行けばいい。私は行かないと決めている。

さて、今回訪れた六甲アイランドセンターには神戸時代は、よく行っていた。建物も、中に入っているテナントも魅力があった。しかし、今は閑散としている。多くの店も閉まっている。行く毎に寂れていく感じだ。もちろん、土日に行けば、多少雰囲気は違うかもしれないが。

そんな中、神戸ファッション美術館に行ってみた。催されていたのは、『日本衣装絵巻~卑弥呼から篤姫の時代まで』だった。内容は、復元衣装で、着物のルーツを探るもの。日本は今もそうだが、衣生活も古代から海外文化を取り入れて、それを日本の風土に合ったものに作り替えてきた。

もちろん、平安時代は、国が閉じた状態で、独自の宮廷文化が花開いたこともあり、ファッションにおいても、それはオリジナル性が発揮されている。その後、再度、中国や西洋の海外文化を取り入れつつ、江戸時代は、再び、国を閉じたため、また違った衣装文化が生まれている。

今回の展覧会では、古代から江戸時代までの、身分の高い人たちのファッションを染織祭りに集結した復元の技による作品を展示。古墳時代から江戸時代の女性衣装、8時代100領を紹介している。

展示は、「ベーシック展示」、「京の染織祭とは」、「日本女性時代衣装の変遷(古墳から江戸時代まで)」、「染織祭の復元女性衣装とその技」となっていた。専門家ではないので、細かいことは分からないが、素人から見ても、随所に海外から影響を受けている衣装が展示されている。

昔の人のファッションへのこだわりは、凄いと思う。誰も身に着けていないものが日々要求されたのだろうか。そういう心理は今も変わらないだろう。もちろん、庶民とは関係ないところでの展開であったかもしれないが、これらの技法や技術は、やがて素材は変えたかもしれないが、庶民まで着物文化として下りて来る。そう考ええれば、いつの時代も上流階級がファッションをリードしていくということかもしれない。

2016年1月12日まで。なお、和装で行くと、入館無料とのこと。

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2015年12月15日 (火)

高橋秀実著 『不明解日本語辞典』を読了

先日、高橋秀実著 『不明解日本語辞典』(新潮社刊)を読了した。著者の高橋秀実は、テレビ番組制作会社を経て、現在はノンフィクション作家。決して言語学者ではない。ただし、出身大学が東京外国語大学モンゴル語学科卒業のため、言語には関心が強いのかもしれない。

この本では、日常的に使う日本語32語を選んで、彼なりの解説をしている。取り上げている言葉としては、「あ」、「いま」、「うそ」、「えー」、「つかれ」、「つまらいない」、「スッキリ」、「すみません」、「すき」等々。

そこには、作家なりの繊細な分析をしている。何気なく使っている日本語の奥の奥まで分析しようと試みている。内容は、時には他の作家の言葉の扱いの軽さを批判し、著者の主観と客観を織り交ぜながら説明してあるので、なかなか面白い。

ただ、こういうものは、分析すればするほどわからなくなるものでもある。言葉は時代と共に、その持つ意味は変わってくる。それに以前にも紹介したように、「愛は玉ねぎ同様、剥き過ぎればなくなってしまう」という言葉があったが、これらの言葉も、単独で扱い、分析し過ぎれば、訳が分からなくなってしまいかねない。

そういう意味では、これらの言葉分析というのも、一種の知識人の遊びに思えてくる。でも、この本を読むと、我々日本人が無意識に日本語を話しているが、日本語は案外、難しいものかもしれないと感じさせる。

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2015年12月14日 (月)

第112回 赤穂義士祭に行く (平成27年)

久しぶりに、12月14日、赤穂義士祭に行ってきた。今年平成27年で第112回とのこと。比較的朝早く家を出たのだが、JR姫路駅に着くと、播州赤穂行の電車を待つ客でホームは溢れていた。平日の月曜日と言うのに。電車に乗ると、若い人の幾人かは途中の駅で下車していったが、また新しい客が乗り込み、列車は満員状態。

播州赤穂駅に着くと、観光客を迎える人たちと列車を降りた人たちで、混雑していた。とりあえず、観光案内所に駆け込む。各種パンフレットを頂いて、下に降りて行き、少し歩いていくと、甘酒の振る舞いでお出迎え。美味しい。

祭りを見るのが一応目的ではあるが、まず花岳寺に向かう。そこでは四十七士に扮した人たちがいて、義士追慕法要がされていた。拝観料を払って、浅野家霊廟、浅野三代墓、大石家先祖墓、義士墓所、義士宝物館、森家の墓、義士木像堂等に参る。

更に、目的の一つである各種資料を購入し、赤穂市立歴史博物館に向かう。そこでは、「赤穂市上高野発見の銅鐸鋳型」、「入浜塩田の構造」、「「仮名手本忠臣蔵」のあらまし」等の展示があり、今回は特別展として、「源氏流いけばな展」が開催されていた。

ただ、生け花展とはいうものの、実際の展示は二点のみ。後は、源氏いけばなの解説であった。源氏流は、1762年、赤穂市出身の千葉龍卜が江戸で広めたらしい。従来の定まった形に表現する活花に対して、彼の生け花は、自由に活ける斬新さが流行したという。背景、花器、自然な花の形で無理なく生けて行く。なお、この催しは、平成28年1月18日まで。

帰りに、「国史跡 赤穂城跡 本丸庭園」の資料を購入。道々、歴史の雰囲気を感じながら歩いていく。まだまだ未整備の部分が残っている感じ。今後、どのようになっていくのだろうか。その後、大石神社に向かって参拝。

それにしても驚いたのが客の多さ。地方の催しにしては確かに多い。地元の人は平日開催だから観光客動員数を心配されていたが、それは杞憂というもの。また沿道には、地元の店の商品も並んで販売されていたのに加えて、全国からB級グルメの店がたくさん並んでいて、受け入れ態勢も万全だった。ただ、トイレの前では、少し並んでいたのが見えた。各所に、もう少し必要かもしれない。

全体として、赤穂市民の方も老若男女頑張っているのは、よくわかった。会場の広さは、神戸まつり並みだろう。パレードも、神戸まつりほどの規模ではないものの、時代祭りの雰囲気は、こちらの方が面白い。姫路お城まつりより熱気が感じられた(姫路お城まつりは全市的催しではなく、パレード距離も短い)。

今回の心残りは、ちょっと疲れてしまって、田淵記念館で催されている「京都画壇・鈴木派の隆盛」展を観覧できなかったこととパレードを全部観覧できなかったこと。来年以降、行く時は、パレード観覧中心にしたいと思う。

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2015年12月13日 (日)

郵貯預け入れ限度額の引き上げと中小金融機関

政府の郵政民営化委員会は、ゆうちょ銀行の預け入れ限度額とかんぽ生命の加入限度額の引き上げ容認を確認したようだ。これは仕方のない論議だろう。両社は、既に株式上場したことだし、むしろ制限を設けることが問題だろう。

もちろん、中小金融機関は不安だろう。限度額が撤廃されれば、中小金融機関の整理が進む可能性は否定できない。ただ、ゆうちょ銀行に、できることとできないことがある。いかに棲み分けの道を探るかが問われる。

中小金融機関は、今までより顧客密着で差別化できる手法を、より検討すべきだろう。また合従連衡を、どのように考えるかという構想力が岐路になるかもしれない。

とりあえず、ゆうちょの限度額は、現行の1000万円から最大500万円引き上げる方向のようだ。またかんぽ生命についても、限度額を現行1300万円から200万円引き上げるとのこと。ただ、今回は一時的処理に過ぎず、いずれ撤廃されることを予測して、中小金融機関は対処を考えるべきだろう。

*2015年12月23日追記

ゆうちょの限度額は、現行の1000万円から最大500万円引き上げることについて、金融界の反発が強く、300万円引き上げの1300万円にするようだ。また、かんぽ生命は、来年4月より限度額を現行1300万円から2000万円に引き上げるらしい。

金融界は、いろいろ抵抗しているようだが、本稿でも述べたように、上場した以上、限度額を止めることは現実的ではない。彼らも覚悟が必要だ。

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2015年12月12日 (土)

意味がなかった軽減税率論議

軽減税率論議が、政府と与党で延々と論じられてきたが、やっと大詰めのようである。だが財源は不透明なまま。また軽減税率の財源は、選挙前にはテーマにならないだろうが、選挙後、社会保障の削減および新たな増税が検討されるだろう。

そもそも、論議自体、意味はない。仮に、消費税が10%に増税時、食品の消費税が8%に抑えられたとしても、各家計の食費の2%というのは微々たるものだ。また、将来、消費税がもっと上がった時の税体系も不明だ。

それに、安倍政権は物価の上昇を望んでいる。ただ国内消費は低迷している(海外旅行者の消費の伸びは、「輸出」の伸びが増えていると捉えられる)。国内市場は人口減から縮小を続けている。このような状況下、賃金上昇を続けることは難しい。

結局、物価を上げるには輸入インフレしかない。都合の好いことに、円が下落する要因は増えている。となれば、仮に食費は軽減税率を適用されても、それ以外の物価が上昇するから、そのわずかなメリットは、あっと言う間に消えてしまう。わいわい議論するのは馬鹿げている。

さらに、今議論されている内容を見ると、外食を含むようである。となれば、軽減税率を利用して節税しようとする業者が溢れるだろう。税制に新たに穴を設けるようなものである。例えば、商品付き外食が流行るかもしれない。特に、交際費絡みの外食利用では頻繁に使われるだろう。

そうなれば、その分、税収は更にへこむことになる。景気のいい時は、まだいいが、悪化すれば、税収に大きく影響する。それに対して、当局は規制をかけるだろうが、堂々巡りになるだろう。まだ、この程度で済めばいいが、もっと、えげつないことを考える業者も出てくるだろう。

*追記

現在の日本の経済振興策は非常に難しいことを考えると、軽減税率などの論議に時間を浪費するのではなく、いかに国内経済を振興するかの知恵が問われている。政府・与党は選挙のことが気になって仕方ないのだろうが、しっかりとした政治をしないと国民から愛想を尽かされるだろう。

*追記

自公は、軽減税率に「外食」を含まないことを決定したようだ。一応、この面での上記の懸念がなくなり、これは望ましいことだろう。

*平成27年12月15日追記

報道によると、軽減税率の適用を食品「場所」で線引きするという。よって、出前・持ち帰りのテークアウトは軽減税率になる。ということは、食品提供者の店内で飲食しなければ、軽減税率になるということだ。

となれば、フリースペースが流行るだろうな。テークアウトして、近くのフリースペースで食事する。食品提供事業者は店内飲食スペースを小さくして、フリースペースを増やす。極端な例を挙げれば、店の隣にフリースペースを設ければいい。同じ事業者で問題があれば、同業者でフリースペースを作ればいい。そこに飲み物の自動販売機を設置すれば、飲み物の提供もできる。無料の給湯器を設置するのもありかもしれない。

「フードコート」にすれば、軽減税率を受けられないというが、そんなことは区別できない。「フードコート」と言わなければいいことだ。椅子やテーブルが置いてあればダメだというなら、客が持ち込んだことにすればいい。軽減税率に加工品を含めると、こういう事態になる。問題の多い軽減税率。

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2015年12月11日 (金)

秋厓の漢詩 『武夷山(ぶいさん)』を読む

今回は、秋厓(しゅうがい。秋崖)の漢詩 『武夷山(ぶいさん)』を取り上げてみる。秋厓は、号で、南宋の詩人、方岳のこと。字は巨人。現在の安徽省の農民出身で、出世して進士になり、後に刺史になっている。才気鋭く、詩文にも優れた。

題の武夷山は、福建省にある名山。昔、神人の武夷君が住んでいたと伝えられることから、この名がある。大きな峰が三十六ある。両岸の絶壁から水が流れ、それが分岐し九曲をなす。そこから、「清渓九曲」とも言って、詩に、この言葉が使われている。また、詩に「家」とあるのは、秋厓の家ではなく、朱熹の家を指す。

 家は清渓の第幾峰に在る

 誰か薜茘(へいれい)を牽きて夫容を采(と)る

  漁歌未だ断えず忽(たちま)ち帰り去る

 翠壁一重 雲一重

薜茘とは、蔓草のこと。また夫容は芙蓉のことで、蓮の花。解釈すると次のようになるのだろうか。

「朱熹様の家は、あの谷川のいくつ目の峰にあったのだろうか。あそこでは、誰かが、蔦かづらをたどって、蓮の花を取りに行くのだろうか。漁歌が聞こえてきたが、最後まで聞かないうちに帰る。緑の絶壁は、片方だけ雲がかかっている」くらいか。まるで、絵画を見ている感じ。

今、小さな額に、色紙絵として、水墨画を飾っているが、それに似た雰囲気。そこでは、峰と峰に懸った頼りない橋を魚籠を腰に付けた釣り人が蓑傘を被って、釣竿を水平にして負いながら、前かがみで歩いている。もちろん、日本の山と中国の峻厳な山々と雰囲気は異なる。それでも、山を仰ぎ見た時は、誰でも、何らかの感慨はあるかもしれない。

 

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2015年12月 9日 (水)

播州弁 その四十二 その他の言葉リスト

播州弁も、取り上げたらきりがないので、将来、また詳しく取り上げるかもしれないが、一応この辺で止めたい。播州弁と言っても、地域によって、使う言葉もあれば、使わない言葉もある。大きく、浜手、町中、山手に分けられるかもしれない。今回は、今まで取り上げたもの以外で、比較的使われている言葉を列挙してみよう(あいうえお順)。

 「あむない」  危ない

 「ありこまち」 あるだけ全部

 「いかめいわ」 うらやましい

 「いかんか」 あきませんか

 「いぬ」 帰る

 「いんのん」 帰るのか

 「おんまく」 力いっぱい

 「かいように」 上手に

 「ぐわいわるい」 具合が悪い、体調が悪い

 「こきつかう」 人を酷使する

 「こっさえる」 作る

 「こないだ」 つい最近

 「じきに」 すぐに

 「じゅるじゅる」 道がぬかるむこと、鼻水が垂れる

 「ぜっぺ」 是非

 「せやけんど」 そうやけれど

 「そないに」 そんなに

 「だぼ」  相手をくさす喧嘩言葉

 「ちーとま」 少しの間

 「ちゃう」 違う

 「どくしょい」 ひどい、むごい、大変な

 「どっこも」 どちらも

 「どんならん」 どうにもならないこと

 「ないよんなる」 なくなる

 「なんもかも」 何もかも

 「のーなる」 なくなる

 「ののさん」 神様

 「はそむ」 はさむ

 「はた」 そば

 「へっさ」 久しく

 「へてから」 それから

 「ほな」 そしたら

 「まくれる」 転ぶ、落っこちる。本来は、めくれるの意。

 「またことない」 間違いない、大丈夫

 「よばれる」 ごちそうになる

 「やっさ」 屋台

以上

 

 

 

 

 

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2015年12月 7日 (月)

石川丈山の漢詩の『富士山』を読む

先日、三木美術館にお邪魔した時、三点の富士山の絵が展示してあったことを記した。そこで、今回は、石川丈山の漢詩の『富士山』を取り上げてみる。

作者の石川丈山は、家康の家臣であり、その武勇伝は有名だ。ただ、豊臣との戦い後、命令に背いたとして蟄居。その後、武人を辞め、文人に転じている。文学を修め、やがて京都に詩仙堂を設立して、数十年住まいとしている。なお、ここは、カップルでは行ってはならないと、かつて聞いたことがある。若い方は、ご用心(笑)。

さて、その漢詩は次のようになっている。

 仙客来たり遊ぶ雲外の巓(いただき)

  神龍棲み老ゆ洞中の淵

 雪は紈素(がんそ)の如く煙は柄の如し

 白扇倒(さかしま)に懸る東海の天

紈素(がんそ)とは、ねりぎぬのこと。蛇足の解釈としては、次のようであろうか。

「仙人は、富士山の雲の上に聳えている頂きに来て遊ぶと云う。また神の使いとされる龍が、老いて、洞の中に住んでいるらしい。富士山を覆っている雪は、ねりぎぬのように白く、煙は、柄のように立ち上っている。ちょうど白扇をひっくり返したような富士山が、東海の天に聳えたっていることよ」

富士山は、登ってみるのもいいが、美人と同じで、遠くから眺め見るのが一番いいのかもしれない。

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2015年12月 6日 (日)

日々の風・プロフィール

拙ブログ「日々の風」(ココログ)の流風です。検索時、プロフィールで他の方と混同があるようなので、改めてプロフィールを記事にしておきます(プロフィール欄と内容は、ほぼ同じですが)。

<ブログ名>

  ココログ「日々の風」

  http://ryufuuu.cocolog-nifty.com/hibinokaze

<著者>

  流風(りゅうふう)

<プロフィール>

諸事情で現役引退後、社会の動向に関心を持つようになり、記事にしています。今後も引き続き、気ままに流れる風の如く、社会現象を見つめていきます。

<関心事>

地域、文化、芸術、経営、健康、食べ物、料理、医療、旅行、政治・経済など。

<当ブログの方針>

一、できるだけ若い人たちには伝えたいことを記していきたい。考え行動するヒントになれば幸いです。

二、ブログ内容は、投稿時間に制約があるため、推敲が十分でない場合があります。その場合、投稿後も、随時修正します。

三、投稿は不定期投稿とスポット投稿の二種類があり、スポット投稿は基本的に削除方針です。なおスポット投稿はタイトルの後ろに(S)を記します。

四、文書の改ざん利用は、多くの人たちに誤解を与えかねないので、遠慮願います。

五、リンクするブログは、基本的に何か示唆するものとします。ただし、選考は私の嗜好によります。 また、いろんな事情で、リンクを望まない方は、コメント欄への申し出により、リンクを外します。その場合のコメントは非公開としますので遠慮なく。

六、なお、Twitter、,Facebook,instagramには参加していません。

七、コメントは適切と判断したもののみ公開します。長文のコメントは、お控えください。また非公開を望まれる場合は、その旨記してください。

八、コメントのライター名は、仮名でも一応記してください。無記名の場合は、原則非公開とします。

九、トラックバックも、適切と判断されるもののみ公開します。

<注意点>

一、いろんな意見がある中で、拙ブログも一つの意見に過ぎません。多面的に見れば、誤りと捉えられることがあるかもしれません。

二、この世の中には、多様な考え方を持つ方が多い方が、社会は強くなると考えております。よって、コメントでの偏った視点での批判は受けかねます。ご自身の意見は、各ブログに反映させてください。私共は、それを参考にしますので。

三、古典文化に関する記事は、専門家ではないので、解釈に誤りがあるかもしれません。自身の人生観に基づく、一種の遊びに近い解釈もありますので、学生諸氏は、あまり参考にしないように。むしろ、誤りは指摘していただいた方が有り難い。

四、書評はしますが、必ずしも推薦図書というわけではありません。ご自身で確認の上、各自の責任で購入ください。

以上

 

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大塩中斎の漢詩 『四十七士』

平成27年も、年末は赤穂浪士の季節です。赤穂では、12月5日から「忠臣蔵ウィーク」に入っており、12月14日の「赤穂義士祭」に向けて、様々な催しがされる予定です。14日当日、日程が合わない人も、パンフレット等で情報入手して、訪ねてみる価値はありそうです。その他に、赤穂市歴史博物館の「源氏流いけばな」展や、赤穂市立美術工芸館(田淵記念館)の「京都画壇・鈴木派の隆盛」点も開催中です。

さて、今回は、かなり前にも取り上げた大塩中斎の漢詩 『四十七士』 です(2008.11.4付でブログにしました。内容は重複しますがご容赦を)。

    臥薪嘗胆幾辛酸

    一夜剣光雪に映じて寒し

    四十七碑なお主を護(まも)り

    凛然(りんぜん)冷殺す奸臣の肝

解釈は、今更不要でしょうが、蛇足で付け加えると、次のようになるかもしれない。

「多くの辛酸に耐え、雪の降る中、赤穂義士四十七人は、待ちに待った機会を得て、ついに主君の仇を討った。そして、今、泉岳寺では、四十七士は、石碑となっても、主君を守るように並んで、いつの時代にもいる奸臣たちの肝を冷やさせているようだ」くらいかな。なお、凛然は、「広辞苑」では、「寒気がはげしく身にしむさま」とある。

大塩中斎は、大塩平八郎。陽明学者だった。天保の大飢饉の折、貧民救済を願い出たが許されず、自らの蔵書を売って、多くの大坂市民を救った。大塩平八郎の乱は有名だが、乱の責任を取り自刃している。この漢詩が、いつ頃作られたものかわからないが、自分の思いと四十七士の思いが重なったものだろう。

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2015年12月 5日 (土)

明るく振る舞うこと

若い頃、仕事に失敗したことに加えて、将来に不安で、少し陰気に振る舞っていた。それは知識を増やせば増やすほど増していたように思う。日本のマスコミは、将来不安を煽る報道が多いこともある。今は読まないので知らないが、日本経済新聞は、その代表だろう。頭のいい人たちが編集するから、どうしても、その内容は暗くなりがち。

当時は、石油ショックもあり、世間は沈んでいたこともあり、それらに影響されて、将来を危うく思い、不安を感じ取っていた。仕事をしていても、何となく不安で、リストラされないだろうか、勤めている会社のいく行く末は大丈夫だろうか、この安月給が将来も続くのではないか、年金は受け取れるのだろうか、仕事は、きちんとこなせるだろうか等々。

多分、そういう心配事が仕事ぶりに出ていたのだろう。ある日、先輩に、「そんなに暗い顔をして仕事をするな。もっと明るく振る舞え。仕事にも影響するし、周囲にも波及する」と忠告を受けた。

ただ、性分ゆえ、なかなか改まらなかったが、とりあえず、朝の挨拶だけ、元気にするようにした。どんな仕事にも意味がある。それ以後、小さい仕事であっても、手を抜かず精進した。仕事をしているうちは、あらゆる不安が消える。明るく振る舞えば、仕事は増えていった。陰気の卸し問屋はやっていけない。いつも明るく振る舞うことは大切だ。なるようになる。

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2015年12月 3日 (木)

第55回姫路美術協会展を観覧

神戸新聞に紹介記事があり、イーグレひめじで開催されている第55回姫路美術協会展を観覧してきた。昨年も観覧しているのだが、結構レベルの高い美術展だ。内容は、日本画、洋画、彫塑、工芸、写真、書、デザインだ。

点数も多く200点展示。今回は、書に目が行った。作者に、いろんな思いがある言葉を書にされているが、何となく、心に響いた。達観した言葉に溢れていたからかもしれない。私も、歳が行った証拠かもしれない。もちろん、その他の作品も鑑賞に十分耐えられる。

ただ、開催期間が、6日間と短い。経費もあるから仕方ないけれど、新聞を読まなかったら、見逃したかも。観光案内所で案内葉書も見ていないし、ちょっとアピールが弱いかな。今後の課題だろう。

展示は、2015年12月6日まで。イーグレひめじ 姫路市民ギャラリー全室にて。観覧無料。

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2016年の色紙飾りの色紙を決定

来年の色紙飾りの色紙を何にするか悩んだが、少しありきたりのものにした。それが、来年の干支「申」に相応しい「三猿図」だ。禅僧によるもの。「見ざる、言わざる、聞かざる」の猿の絵に賛がある。いわゆる自画自賛で、「三人称亀為鼈(さんにんかめとしょうしてべつとなす」とある。

「鼈」とは、すっぽんのこと。内容は、付和雷同を戒めたもの。三人集まると、真実が歪められ、亀のことを、一人が、すっぽんだと言ったりすると、それに同じたりする。他人の言葉に惑わされず、自分の目で見て、真実を見なさい、ということ。

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2015年12月 2日 (水)

減塩食を作る その十五 カブラの葉の炒め物

今回の減塩食は、カブラの葉の炒め物。カブラを買ってくると、葉が付いている。大根の場合は、葉付きの場合はまれだ。若いころは、カブラの葉は捨てていたが、今は、すべて使う。カブラ自体は、煮物やポトフにすることが多い。それらを食すると、非常に体調がいい。もちろん、減塩を考えて調理している。

さて、カブラの茎葉の炒め物も、もちろん、健康にいい。まず、水で煮て、水を切り、細かく刻んで、ごま油で炒める。後は、鰹節とか干しエビ等をふりかけ、さらに軽く炒めるだけ。塩とかは一切使わない。

それを朝食や夕食に食している。味が物足りない場合は、大根おろし等を混ぜると、よりおいしくなる。ちなみに、時々、大根葉で、やってみるが、カブラの葉の炒め物の方が美味しい。

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2015年12月 1日 (火)

減塩食を作る その十四 減塩スープ

久しぶりに、減塩食について記してみる。以前、減塩豆スープを紹介したが、もっと手抜きした減塩スープを取り上げてみる。

作り方は、簡単。冷蔵庫に残っている残野菜を細かくカット。ニンジン、カブラ、大根、ブロッコリーの芯の部分等。後は、コーンや豆を足してもいい。これらを水で煮て、コショウを加え、煮立ったら、塩分と糖質の少ない野菜ジュースを適当に加え、沸騰したら出来上がり。

最初は、味が薄く感じるかもしれないが、慣れれば何の問題もなくなる。

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