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2016年1月27日 (水)

『出石焼(但馬のくらしとやきもの)』展を観覧

兵庫県立歴史博物館(姫路市)で催されている『出石焼(但馬のくらしとやきもの)』展を観覧してきた。内容は、この館に相応しい出石焼の歴史だった。出石焼の変遷をわかりやすく展示していた。

出石焼は、兵庫県北部の但馬地域に築かれた城下町・出石で、江戸時代の終わりごろに始まっている。伊豆屋弥左衛門が生産を始めた。丹波から来た久八という職人が、試作した陶器がうまくできたため、出石藩に願い出て、窯を築いたのが始まりという。

この経過から明らかなように、当初は、磁器ではなく、陶器であった。ただ、この窯は焼失し、伊豆屋は販売不振も重なり、経営困難に陥る。これを脱するため、越前・北陸方面に拡販に行くが、思わしい成果は出なかった。そこで、陶器から磁器へ転換を図る。

そのため、肥前平戸の磁器職人を招き、磁器の試作をする。試行錯誤しながら、ようやく磁器ができあがるが、伊豆屋の経営は休止状態になる。そこで出石藩は、磁器生産を藩の直轄生産の経営にする。それは出石周辺で磁器の材料になる陶石が発見されたことが背景にある。

販売の方は、市中の商人に巻かされるが、藩営も、上手く行かず、行き詰る。そこで、民間業者に窯を貸し出し、経営させることにする。この結果、天保年間は、出石焼は興隆期を迎える。今でも、そうだが、官業は中々上手く行かないもの。民間であれば、いろいろ知恵を出す。

その後、様々な民営は、商売の工夫をしていく。美術品から、いわゆる民芸への転換、商いは、まるで近江商人に近いやり方をして拡販していく。そして明治に入ると、失業した元出石藩士を養うため、「盈進社」という磁器製造会社が設立される。そして、鍋島藩の御用窯・大川内山から柴田善平を招聘する。

彼が指導し、人物・山水・花鳥などの精密精緻な装飾を施したものが制作され、やがて、内国勧業博覧会やパリ万国博覧会に出品され、高く評価を受ける。ただ、美術品は、当時の需要が少なく、やがて事業が成り立たなくなり解散する。

そして明治32年になり、出石陶磁器試験所が設立され、石川県から友田安清を招く。彼は磁器改良に取り組み、磁器の素地と絵付けの改良を行う。それにより白磁が中心であった出石焼の幅が広くなった。しかしながら、過去に失敗した高額な美術品志向を批判される。

そこで、彼は生産の効率を上げ、価格を低廉にする工夫もしたらしい。しかしながら、日露戦争の影響で経営は悪化。その後、会社は閉鎖される。戦後は伝統工芸品に指定され、現在に至っている。

いつの時代も、事業を継続していくのは大変。陶磁器ビジネスも、時代に合わせて美術工芸品と民芸品を行ったり来たりしながら進んでいる。出石焼も、同様で、新しい技術を他所から導入しながら、発展してきたようだ。ただ、目に留まるのは、庶民に縁遠い美術工芸品だ。それでも民芸品も、それなりの影響を受けている。芸術というものは上から下に流れて行くと感じさせる。大変、見ごたえのある展覧会でした。

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