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2016年3月 8日 (火)

『枕草子』 第七十五段を読む

清少納言の『枕草子』は、一応、蔵書にはあるが、あまり読むことはない。でも、何年かに一度、時々、ぱらぱらとめくって読むこともある。女性の書き物というのは、昔も今も、その感覚は変わらない。男にとって、若干、辛いものがある。女性の会話と同じで、結論がどこにあるのかわからないからだ。その辺は、男女の思考の違いから来るものだろう。

『枕草子』といえば、その書き出しは、学生時代に習ったので、その印象だけが強く残る。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこし明りて、紫だちたる雲のほそくたなびたる」は、今の時期に相応しい。春になると頭に浮かぶ名文かもしれない。

さて、今回は、第七十五段が目についた。題は「ありがたきもの」。本によっては、七十一段になっていたり、第七十二段になっていたりする。古い書物は、写し書きで普及したから、仕方ないのかもしれない。その七十五段は、次のようになっている。

「ありがたきもの。

舅にほめられる婿。また姑に思わるる嫁の君。毛のよく抜くるしろがねの毛抜。主そしらぬ従者。

(解釈は不要だろう)

つゆの癖なき。かたち・心・ありさますぐれ、世に経る程、いささかのきずなき。

(少しも癖のない人や、容姿も心も優れていて、長生きしているのに欠点が全くない人)

同じところに住む人の、かたみに恥ぢかはし、いささかのひまなく用意したりと思ふが、つねに見えぬこそ難けれ。

(同じ住まい(職場)で、お互い認め合って、息抜くことなく気を使っているようにみえても、アラの見えない完全な人はいない)

物語・集など書き写すに、本に墨つけぬ。よき草子などは、いみじう心して書けど、かならずこそきたなげになるめれ。

(これは解釈不要だろうね。コピー機が普及してなかったのだから当然)

をとこ、女をばいはじ、女どちも、契りふかくて語らふ人の、末までなかよき人かたし

(男女関係、あるいは女友達関係でも、関係が深くても、ずっと仲良くしているのは滅多にいない)」

この章に関しては、大いに同意できる。彼女にしては、冷静に分析していると思う。そして、これらのことは、今も変わらない。

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