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2016年3月27日 (日)

夫婦の宗旨が異なると~落語 『新渡の茶碗』

日本は、よく無宗教だと批判されるが、それは違う。日本は、歴史的に、神道、道教、儒教、仏教が、ほどよく消化されて、文化として根付いている。確かに、それぞれの細かい教えを知っている人は少ないかもしれない。

だが、その精神は、日本という風土の中で、脈々と引き継がれてきた。よって、それらが混然一体となって、人々の生活に根差している。でも、これらの宗旨にこだわると、夫婦の場合、トラブルになりやすい。それを描いたものに、落語 『新渡の茶碗』がある。

「新渡」というのは、骨董品の区別の一つ。大きく分けて、室町時代以前のものを「古渡」といい、それ以後のものを「新渡」という。ただ、もっと細かく分けると、室町以前が「極古渡」、室町時代のものを「古渡」、室町時代から戦国時代のものを「中渡」、戦国時代から江戸時代初期を「後渡」、秀吉から徳川初期を「新渡」と分けるらしいが、実際問題、そんなに細かいところまで判定できないとも言われる。

落語では、室町以後、外国から渡ってきた茶碗という理解でいいだろう。さて、江戸のある街道に、善兵衛という骨董屋があった。骨董品の目利きとして高く評価されていた。それほど鑑定に狂いはなかったという。

よって、唐物でも、新渡のものか、中渡のものか、古渡のものか、間違いなく、見分けていた。それだけでは問題は何一つないのだけれど、彼は、信心深く、神道を尊んでいた。よって、神職も顔負けの、祝詞すら暗記していた。

ちなみに、祝詞とは、神社に行くと、神職の人が、「かしこみ、かしこみ」と言って、神徳を称え、崇敬の意で、表する内容を神に奏上し加護やご利益を得んとする文章のことである。一応、フォーマットはあるようで、その時に合わせて内容を調整するらしい。

ところが、善兵衛の妻は、神道ではなく、仏教の信者。それも熱心な部類。よって、夫婦間のもめごとは絶えず、何かと波風が立って、ちょっとしたことで、すぐに喧嘩になった。あまり激しいので、周囲も、はらはら。また始まったかという感じで、遠巻きに眺めていた。

例えば、女房が、虫の居所が悪くて、「あんたなんかは、毎日五戒を破ってばかりいるじゃありませんか」と始めると、善兵衛さんの方は、「そんなものは仏の方便で、嘘っぱちだ。神道では、そんなことは嫌っている。それが証拠には、何とかという鳥居を画いて、方便無用としてらあ」と反発。

ここで、仏教の五戒とは、「不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒」のこと。一般には、「殺さず、盗まず、淫慾せず、妄語を慎み、酒を嗜まず」と理解されている。神道には、確かに、このような教えはない。ただ、こんな論争をし始めたらキリがない。

それぞれのいいとこ取りをすればいいのだが、自分の信じているのが一番だという罠に陥りやすいものだ。でも、いつの時代も、女の方が口が達者(笑)。女房はいつも善兵衛さんを言い負かしてしまう。ついには亭主の善兵衛さんは手を出してしまう始末だ。どこの家庭にもありそうな(笑)。

そこで、見かねた女中が仲裁に入って来て、女房に湯を持ってくる。ただ、その湯が熱すぎたので、「あらー、これでは喉仏さまが、やけどしましたよ」と言うと、善兵衛さん、「それはいい気味だ。そのはずだよ。飲んだ、その茶碗は、新渡(神道)だよ」とオチ。

最近の日本では、結婚相手に、宗教をあれこれ問うことは少ないかもしれない。最初に述べたように、個別の宗教にそれほど熱心ではないからだ。それでも、その後、女性が、特定の宗教団体の活動にのめりこんだりすると、夫婦関係は、いっぺんに破綻する例が多い。

以前にも述べたように、宗教は個人のもので、宗教団体は関係はない。でも、夫婦間では、あまり宗旨は異ならない方がいいだろう。

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