« ハナカイドウとカリンの開花 2016 | トップページ | 花散らしの雨 »

2016年4月 4日 (月)

伊藤亜紗著 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』を読了

道を歩いていて、白杖をもった目の悪い人が歩いていると、邪魔にならないようにしている。彼らは、どのように空気を察知して、歩んでいるのだろうか。普段、あまり、そういうことは考えない。道路の貼りつけられた点字に基づき歩かれているのだろうぐらいのことしか、多くの人は思っていることだろう。

先日、書店で、ふと伊藤亜紗著 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書刊)を見つけ、少し気になったので、購入した。2016年2月10日で8刷発行ということだから、かなり多くの人に読まれているのだろう。伊藤亜紗氏は、1979年生まれで、東京工業大学リベラルアーツセンター准教授とある。

この本を読むと、『見えない世界』に住む人々の行動に、びっくりさせられる。それほど意外なのだ。まず点字を読めるのが、10数%しかいないには驚いた。では、彼らは、何を頼りに行動しているのか。

視覚というのは、人にとって重要な情報入手のファクターだと思うが、彼らは周囲から与えられる情報や、他の情報器官を使って、彼らなりの情報を得て、全体を組み立てている。それでも、得られる情報には限界がある。

ところが、目が見える一般人も、すべて見ているようで見ていない。脳からの指令のないものは「見える範囲」にいても、見ていない。眼は道具に過ぎないのかもしれない。そして、一般に平面的に見ている。

それに対して、目の不自由な人は、空間を立体的に想像し見ているという。伊藤氏は、彼らと交流することによって、そこに新たな可能性を見出せるのではないか、と思っているようだ。本の構成は、次のようになっている。

序章 見えない世界を見る方法

第一章 空間 見えるは二次元、見えない人は三次元?

第二章 感覚 読む手、眺める耳

第三章 運動 見えない人の体の使い方

第四章 言葉 他人の目で見る

第五章 ユーモア

目の見えない人にとっては、出口王仁三郎の歌 「耳で見て 目できき 鼻で ものくうて 口で嗅がねば 神は判らず」の考え方に通ずるものがある。それに比べて、目の見える一般人は、いかに、ぐうたらか(笑)。彼らと交流することによって、刺激を受け、新しい世界を見てみるのも悪くない。

そして、よく「健常者」という言葉が使われるが、常に健康な人は、実際はいないのかもしれない。一時期、一瞬、健康であっても、四六時中、健康ではないのかもしれない。そう考えれば、私たちの多くは、多かれ少なかれ障害者。他者のいろんな見方を尊重する生き方が望ましいのだろう。そういうことを、この本は教えてくれる。

|

« ハナカイドウとカリンの開花 2016 | トップページ | 花散らしの雨 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/99784/63437811

この記事へのトラックバック一覧です: 伊藤亜紗著 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』を読了:

« ハナカイドウとカリンの開花 2016 | トップページ | 花散らしの雨 »