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2016年4月 8日 (金)

纐纈厚著 『暴走する自衛隊』を読了

よく問題になる、日本国憲法第九条は、次のようになっている。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

二  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

憲法改正が、自民党から話題にされるが、第一項については、何の問題もない。これは、「パリ不戦条約」や「国連憲章」をベースにしているからだ。つまり、そこには、自衛戦争と侵略戦争を分けて解釈されている。

話題になるのは、第二項の方。平和主義のため、戦力不保持を明確にしていることだ。ところが、『自衛軍』と『侵略戦争のための軍』の解釈の混同がある。そうかといって、憲法に、『侵略戦争のための軍』ではなく、『自衛軍』を明記しても、「戦力の不保持」に反することになる。よって、妙に現憲法を触ると、却ってまずいことになりかねない。

そういう議論の中で、自衛隊の存在の是非が問われる。すなわち、自衛隊は、憲法上、存在しないものなのか、しかし、実際問題として存在している矛盾。これは戦後の国際関係の中で、米国の事情で、日本に「再軍備」を要請されたことにある。

そういった環境下、自衛隊制服組の幹部が政治的発言をして暴走している。極めて危ういなあ、と思っていたところ、書店で、纐纈厚(こうけつあつし)著 『暴走する自衛隊』を見つけて、先日、読了した。そこには、自衛隊の危うさが記されている。「鬼っ子」状態の自衛隊自身に、制服組が、苛立って、いらいらを募っているのも確かのようだ。

確かに憲法上、認められていない自衛隊は、曖昧な存在と捉えることもできるが、現実には、防衛二法で、その存在を改めて認められている。防衛二法とは、防衛省設置法と自衛隊法だ。前者は、行政機関として、後者は部隊行動を実施する機関としてである。

ところが、制服組は、これに満足せず、政治に介入しようとしている。また、過去には橋本龍太郎氏や現在は石破氏のように、制服組の人たちに、政治的発言を容認するような発言をしたことが、暴走を促している。纐纈厚は、これをシビリアン・コントロール(文民統制)の危機と指摘する。

制服組は、民主主義下の文民統制の意味を理解していない。日本独特の文官統制(文官が自衛官に優先。別の言葉では、背広組が制服組に優先する)を嫌がり、直接、政治に関与しようとしているが、これは戦前の体制に近い。

戦前、軍が暴走して、300万人に近い被害者を生みだしたことを反省して、日本的な文民統制として、日本独自の文官統制を編み出した。それを制服組が無視するのは頂けない。戦前の日本軍の二の舞は避けねばならない。

なぜなら、現在は、自衛隊も、民主主義国家の一員であり、シビリアン・コントロールが機能して、存在しうることを理解しなければならい。そのためには、政治家は、もちろん、一般国民も含めて、自衛隊の存在の意味を理解して、真の文民統制について、もっと理解する必要がある。

*追記

防衛省になる前、防衛庁であった時、制服組が、海外に行くと、その地位が海外に比して、低いと感じ肩身の狭い経験をして、防衛省に格上げを望んだらしい。そこから、制服組の暴走が始まりだしたと考える。

しかし、そもそも、海外の軍隊と自衛隊を比べることが間違っている。自衛隊は、日本の自衛隊なのだから、比べる必要はなかったのだ。むしろ、日本は、自衛隊であることにプライドを持つべきなのだ。また、自衛隊は、政治に関与せず、常に中立を守ってほしいものだ。

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