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2016年4月17日 (日)

今更ながら、御着城跡に行く

先日、大河ドラマ『軍師 官兵衛』が放送されていた時に話題になっていた御着城跡に今更ながら、行ってきた。ふと気になると行動したくなる性分は変えられない(笑)。御着城は、別名天川城とも茶臼山城とも呼ばれたらしい。

JR姫路から普通電車に乗って、御着駅下車。そこから歩く。官兵衛ゆかりの地ということで、立て看板が設置されており、それに基づき、歩いていくと現地到着。こういうのがあると、方向音痴にも楽だ。

まず、行き着くところは、国道二号線が貫く歩道橋の南に、小寺政隆・則職・政職の三代城主と1579年(天正7年)の戦いで亡くなった人たちを祀る祠がある。小寺大明神という。毎年4月29日には、小寺家・黒田家・天川家の子孫と関係者による慰霊祭が行われているらしい。

そこから、歩道橋を渡ると、御着城跡がある。この地は、1441年頃には、既に構居が設けられ、1495年に、赤松氏の段銭奉行として、税を納める納所が設けられていたらしい。1519年に小寺政職(まさもと)が築城したと言われる。

御着城は、西と南は、天川を利用した二重の堀、東と北は、四重の堀をめぐらした城郭であった。茶臼山という高さ約5メートルの丘の上に本丸と二の丸を設け、外郭部には、家中屋敷・町屋を包含した総構えの城だった。

城跡の城址公園の西の一角には、後に祀られた官兵衛の祖父・重隆と生母・明石氏を祀る黒田家廟所もあった。もともと、心光寺に葬ってあったが、1587年に現在地に改葬したと言われる。二基の五輪塔である。

向かって左が、官兵衛の祖父・黒田重隆、右が、母・明石氏の墓標だ。なお廟屋は、1968年に黒田家によって修復されたものらしい。御着城は小寺氏の本城で、官兵衛が、その才能を認められて、家督を継ぐまで、この城で、小寺政職(まさもと)の側近として、仕えた。

1579年(天正7年)12月、政職が、信長に反旗を翻したため、秀吉に攻められ、御着城は約60年の幕を閉じた。なお、現在は、本丸跡に、城をイメージした姫路市東出張所が建てられている。

*注記

恥ずかしながら、どうしたことか編集を誤ったようで、コピー&ペーストがおかしくなっていたので、文章を再整理しました。

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