« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

2016年5月31日 (火)

姫路ゆかたまつり2016の案内

6月に入れば、姫路はゆかたまつり。日程は例年通り、6月22日から24日まで。案内と言っても、結局、姫路市のホームページ以上のことは記せない(笑)。「姫路ゆかたまつり」で検索して、「姫路ゆかたまつり2016」をチェック。姫路ゆかたまつりについては、いろんな方が記されているので、一応、姫路市のホームページを貼りつけておく。
 
 http://www.city.himeji.lg.jp/contents/yukatafes/index.html
 
今までに、姫路ゆかたまつりに関しては、色々記しているので、ここで改めて記すことはない。ただ、時々、勘違いされている方がいるが、浴衣を着ないと参加できないまつりではありません。しかしながら、浴衣を着用して行けば、いろんな特典が受けられるということで、楽しめます。
 
また、浴衣を貸して着付けまでしてくれるところもあるので、要チェック。姫路で着替えして楽しめる。それから、露店の数が、諸般の事情で大きく減っているので、以前より、ゆったり楽しめることは確か。おおいに、今年の姫路ゆかたまつりも楽しんでほしい。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

姫路の百貨店でも、「揖保乃糸」そうめんまつり

6月になると、ゆかたとそうめんのイメージの姫路。6月22日から24日には、恒例の姫路ゆかたりまつりがある。最近は、若い人も浴衣を着るようになりつつあるのは喜ばしい。カップルで、浴衣姿で歩いていると、少し羨ましい。体型を気にして、浴衣を敬遠する女性もいるようだが、それなりに美しく見えると思うのだが。

そして、蒸し暑くなって来ると、そこで登場するのが冷やしそうめん。トマトやキュウリをきざんだものを和えてもいい。出汁も大事だ。親は、むきエビを甘辛く煮た出汁を好んだ。時々、真似をするが、うまく行かない。微妙に味が違う。生前、作り方を聞いておくべきだった。

さて、姫路の百貨店でも、「「揖保乃糸」おいしい夏そうめんまつり」と銘打って、イベントがあるようだ。

◎山陽百貨店 本館1階 正面玄関前

  2016年6月8日 午前10時より午後4時30分まで

  試食キャンペーンとミス「揖保乃糸」によるトークショー

   午前11時、午後1時30分、午後3時の3回。

   うちわとサンプルが各回200名に配布される。

◎ヤマトヤシキ 二階町イベントスペース

  内容は不明だが、山陽百貨店と似た内容と推定される。

以前にも取り上げた「ミス揖保之糸」に会いに行こうかね(笑)。冷やそうめん以外の調理レシピも、できれば欲しいなあ。

*2016年6月9日追記

ちなみに、6月10日、11日両日、午前10時から午後4時まで、じばさんびる9階特設会場で、「2016 播州のめんまつり」が開催される。そうめんに限らず、播州の乾麺の販促催し。乾麺レシピコンテスト、試食コーナーの他、販売ブースも設けられる。「じばさんびる」は、JR姫路駅南側すぐ。

*2017年6月9日追記

今年も、じばさんびる9階特設会場で、「播州のめんまつり」が本日より開催されている。明日の10日まで。「あなたが選ぶ乾めんグランプリ!」もある。また「みかしほ学園」の生徒による創作レシピ5品を試食できるそうだ。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月30日 (月)

国内の需要創造ができなかった安倍政権

安倍首相が、消費税増税を2019年4月まで延期することを決めたようだ。これは以前、彼が消費税増税の再延期はないと強弁していたことに反することになる。明らかにアベノミクスが失敗したことを自ら認めたことになる。
 
安倍政権のそもそもの失敗は、国内の需要不足に対して、需要創造ができなかったことにある。金融緩和政策で拙速な株価上昇を狙った政策も、今は頭打ちだ。結局、輸入物価だけが上昇し、実質賃金が下がって、庶民の生活を苦しめる結果になっている。
 
こんなことなら、アベノミクス以前の方が良かったと思っている人も多いことだろう。本来、株価を上げるには、国内の需要創造に努めるべきだが、これは地味で時間のかかる仕事。それを忌避して、拙速に安易な金融緩和で株価を上げようとした。確かに一時的に株価は上昇したが、その効果はあっという間に消え、結局、ヘッジファンド等の餌食になっただけ。
 
今頃になって、経済指標の悪化を知って、消費税を上げれば、更に景気が悪化すると考えたのであろう。しかしながら、消費税を上げなければ、財政再建ができないという意見もある。ただ、そもそも、大体、消費税に税収を頼る考え方は限界が来ている。
 
法人税減税も、即時中止するべきだろう。一部海外の識者からも、法人税は上げた方が、景気がよくなるという意見もある。海外から投資を増やすため法人税減税など、意味はない。
 
また、現在の日本は、金余りなのだから、金融課税の強化をすれば、税収は増えると考えられる。そのためにも、マイナス金利政策を止める必要がある。その他に、新税の検討も必要だ。
 
そして、国内の需要創造に対する基本的な政策を真剣に与野党含めて検討すべきだろう。今後は、もっと辛抱強く真面目な政権を望みたい。
 
*追記
 
アベノミクスの失敗は、金融緩和政策だけではない。政権の主張は成果を偽装している。例えば、有効求人倍率が上がったとは言うが、これは退職者が増えたため、その分を補充しただけだ。また倒産は減ったと言うけれど、廃業は増えている。
 
海外旅行者を増やしたことだけが唯一の成功例だろう。だが、宿泊場所を十分確保しなかったことから、民泊を導入せざるを得なくなった。この政策を推し進めれば、将来、宿泊産業の破綻を招き、大変なことになるのは海外の例を見ても明らか。
 
拙速に、海外旅行者数を増やす政策を打ったためだ。海外旅行者の質が落ちたため、中国の爆買いも、今は落ち着いている。その反動で、経営が悪化している企業もある。海外旅行者数を安易に増やすより、質を目指すべきであったことが判る。
 
*2016年6月1日追記
 
安倍首相の消費税増税延期の言い訳を聞いていると、結局、何を言っているのか分からない。難しい言い訳には嘘があるということだろうか。残念なことに、彼の人相も悪くなっている。頭のあまり宜しくない首相が、自ら理解不能の領域にあると言うことだろう。早く首相を辞めた方がいい。
 
*2016年6月5日追記
よくある議論に、日本は構造改革しないとよくならないという議論がある。しかしながら、構造改革というものは、好景気の時に必要とされるもの。すなわち供給不足を解消するために求められるものだ。
 
ところが、現在の日本は明らかに需要不足。そんなところに構造改革などをすれば、ますます不況になることは間違いない。このようなことを言う学者や唯識者がいるから、おかしくなる。日本が解決しなければならない問題は、需要不足で、それを解決しない限り、景気は良くならない。
 
 
 
 
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月29日 (日)

重さが違う広島と真珠湾

今回の、オバマ米国大統領の広島訪問に対して、米国の一部の人々から、日本の指導者も真珠湾を訪れるべきだという意見があるようだ。しかしながら、原爆が投下された広島と真珠湾攻撃では、その意味合いは大きく異なる。

そもそも米国が第二次世界大戦に参戦するには、当時国内から反対意見の方が強かった。しかしながら、当時大統領だったルーズベルトは、欧州(特に英国のチャーチル)からの強い意向を汲んで、参戦の意向を強くしていた。ただ、それには国民に対して強い理由付けが必要だった。

そこで、罠にかけられたのが日本だ。日本をABCDラインで囲い込み、日本の逃げ場がなくなるという、孫子からすれば最悪の手法を取る。日本は、止む無く、窮鼠猫を噛まざるを得ないというような状況に追い込まれていた。

具体的にどのように仕掛けたかは伝わっていないが、日本軍部に対して工作したことは確かだろう。それは日本軍に先制攻撃で真珠湾を襲わせるというものであった。そのために、被害が最小限に収まるように真珠湾に配置した軍艦も大したものではなかった。もちろん、これらは秘密裏に実行される。このことは当然、米国民には知らされていない。

そこに日本軍が攻撃したものだから、当然の如く、米国民は怒る。それはルーズベルトの思惑に十分応えるものであった。これらからすると、戦争を仕掛けたのは、明らかに米国だ。そして、戦争末期に、ルーズベルトの意思を引き継いだトルーマン米国大統領が、厭戦気分が漂う国内に配慮したとは言うものの、日本の広島と長崎に原爆を投下したのは、明らかに人種差別からの発想だ(差別意識は日本が嫌いだったルーズベルトの方が強かったとも言われる)。

昭和20年には、全国200か所以上の日本の都市部に空襲で無差別攻撃していて、結果的に原爆被害者を含めて50万人以上の一般市民が犠牲になっている。このことを多くの米国人は知らない。

当時の米国民からすれば、日本軍による真珠湾攻撃はショッキングなことであっだろうが、これは当時の米国の為政者が作為的に招いたものだ。広島や長崎への原爆投下と全く意味が異なる。そして、原爆投下だけでなく、米軍の残虐なやり方で多くの民間人犠牲者を出していることを忘れてはならない。広島と真珠湾とを同列には扱えない。

*参考

米軍の昭和20年の大空襲等による約50万人の一般市民の被害(ただし、沖縄分は含まず)。実数は、もっと多いとも。

◎東京大空襲 昭和20年3月10日

  死亡者 約8万8千人

  被害家屋 268,358戸

◎大阪大空襲 昭和20年3月13日

  死亡者 3987人

  被害家屋 136,107戸

◎名古屋大空襲 昭和20年3月19日

  死亡者 826人

  被害家屋 39,893戸

◎横浜大空襲 昭和20年5月29日

  死亡者 3789人

  被害家屋 79,350戸

◎神戸大空襲 昭和20年6月5日

  死亡者 3184人

  被害家屋 55,368戸

◎広島・原爆投下 昭和20年8月6日

  死亡者 約14万人

  被害家屋 51,787戸

◎長崎・原爆投下 昭和20年8月9日

  死亡者 約7万3884人

  被害家屋 18409戸

●沖縄・空襲、艦砲射撃や地上戦(参考)

  死亡者 推定約10万人。正確な実数不明。

  それ以上とも言われる。よって、本土の大空襲被害者の数からは除外。

*追記

兵庫県姫路市には、手柄山公園内に、一般市民の戦没者を追悼する中心的な慰霊施設として、「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」がある。毎年10月26日には、総務省や全国各地の遺族会関係者が参列して、「太平洋戦全国空爆犠牲者追悼平和祈念式」が行われる。残念ながら、多くの人に知られていない。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月28日 (土)

予定外のネギボンボン

雑草除けにネギを植えているのだが、食べきれないぐらい増えている。このネギ、ネギ坊主ができない種。ところが、植えて数年になるのだが、今年、どうしたことか、ネギ坊主ができている。先祖返りというのがあるのだろうか。
 
これを見て、子供時代、ネギ坊主のことをネギボンボンと呼んでいたことを思い出した。関西で、ボンボンというと、「お坊ちゃん」の意だが、そのイメージではない。昔の職人の見習いの丸坊主頭に近い(ちなみに、彼らのことを「ボンさん」と呼んだ)。
 
でも、今回のそれは大きさからすると、結構迫力があるので、ネギ坊主と呼ぶ方が相応しいかな(笑)。なぜなら、普通のネギ坊主より一回り大きいのだ。母は、ネギ坊主がなると、切り取っていたが、今回は、いくつかは放置するつもり。
 
種が落ちれば、また、そこからネギが生えてくると言うが、今まで、そういうのをあまり見たことがない。果たして、ネギは生えるだろうか。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月27日 (金)

ウィンドウズ10の勝手更新

ウィンドウズ10の更新の通知が度々あったが、無視していたら、先日、勝手に更新されてしまった。マイクロソフトのビジネスのやり方は顧客を無視して横暴だと思う。なぜそのようにしたのか理由は分からないが、どこかビジネスに対する焦りのようなものが感じられる。
 
大体、こういうことは、企業に余裕がなくなると起こりうる。いわゆる流通への押し込み販売と同じだ。報道によると、通知があり、更新を拒否できるようだが、事前に、そのことは知らされていなかった。
 
ユーザーは、放っておいたら更新するだろうというヨミかもしれない。詐欺とは言わないが、汚い商法だ。まあ、私の方は、そんなにパソコンを使いこなせていないので、大勢に影響はない。一部消えた情報を再度構築する手間はあったが、それほど大したことではない。
 
しかしながら、こういうやり方は推奨できない。マイクロソフト社はビジネスの原点に戻るべきだろう。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“阿蘇”が少しずつ成長

阿蘇山の噴火は、熊本地震の被害が、これ以上大きくならないように何とか留まってほしいと思う。それにしても、自然というものに対して、人間という存在がいかに小さいか思い知らされる。
 
さて、春の植木市で買った、ヤマあじさい“阿蘇”が少しずつ大きくなって、小さな花をつけている。こちらの方は、いくら大きくなってもいいのだが、植物の成長はゆったり。今の状態は、花が大変小さいので、注意しないとアジサイという感じがしない。
 
アジサイは、やはり花がたくさん集まって初めてアジサイな感じ。大体、アジサイなんて、あまり好きな花ではなかった。土壌によって、花の色が変わるので、どちらかというと、女性のイメージが強い。ただ、今年、植木市に行った時、なぜか惹かれた。
 
いわゆる衝動買い。そして、あまり日当たりのよくないスペースがあったので、そこに植え付けたところ、好い感じで育っている。雑草を取り除くほかは大したことはしていない。いつか、本当のアジサイという感じを見せてくれるのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月26日 (木)

腹蔵と忖度

心の内を隠すことを腹蔵と言ったりする。それで、腹蔵なく話し合おうと働きかけたりする。人間、いつも心の内を曝け出す方が楽なことは確か。でも、それでは、却って人間関係が気まずくなったりすることもある。

関西人は、個人差はあるが、割とアホ正直な面がある。いつもそれが悪いとは思わないが、相手のことを忖度(そんたく)せず、思ったことを発言する傾向がある。隠居すれば、それもいいが、それ以外の人は、もう少し慎重に発言する必要があると思う。

さて、中国の古い話に次のようなものがある。斉の有名な大臣に隰斯彌(しゅうしび)という人がいた。彼は実力者の田常(でんじょう)の館を訪れる。彼に不穏な噂が立ったからだ。田常は、隰斯彌が来ると、いろんな四方山話をした後、物見台に誘う。

隰斯彌が、周囲を見渡すと、三方は開けているのに、南の方は隰斯彌の家の大木にさえぎられて見通しがきかなかった。隰斯彌は、内心、「うわっ」と思ったが、田常の方は、それについて何も言わなかった。

隰斯彌は屋敷に帰ると、早速、家臣に伝えて、その大木を切り倒すように命じた。しかし、何回か斧を入れた段階で、急遽中止させる。家臣が訝ると、次のように言ったという。

「ことわざに、「渕中の魚を知る者は、不祥なり」と云う。確かに、田常は謀反を企んでいる。そのことを私が察すると知ったなら、私を殺そうとするに違いない。大木を切り倒さなくても、私を殺しはしないだろうが、彼の心に秘めていることを私が見抜いていると知ったら、ただではおかれまい」と。

「渕中の魚を知る者は、不祥なり」というのは、その文字の通り、「川や池の深淵にいる魚の動きを察知するのは、不吉だ」というもの。つまり、隰斯彌の発言にあるように、他者の腹蔵している心中の深い企てを察するというのは、身に危険が及ぶということ。

時に、思っても、忖度して口に出さないことが求められるということ。正直者がバカを見ないためにも。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月25日 (水)

池上英洋著 『残酷美術史』を読む

 
先日、池上英洋著 『官能美術史』を取り上げたが、今回は同じ著者による『残酷美術史~西洋社会の裏面をよみとく~』を読んでみた。血塗られた西洋社会の歴史だ。西洋社会は、歴史的に、どろどろしている。本の構成は次のようになっている。
 
第一章 残酷なる神話の世界
第二章 聖書の裏面
第三章 暗黒の中世
第四章 拷問と処刑
第五章 殺人と戦争
第六章 さまざまな残酷芸術
 
日本人は未だに西洋に憧れを持つ人が多いようだが、その歴史の裏側を知れば慄然とするかもしれない。結果の現象だけ見ると、その実態を見誤る。皮肉にも彼らは美術という形で西洋の歴史の実態を伝えている。ある意味、全てではないが、芸術家に批判精神が旺盛だった結果ともいえる。西洋の人々の精神構造を把握するためにも、この書籍は参考になるだろう。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月24日 (火)

トマトの季節 2016

今年は暑く、早くトマトの季節がやってきた。トマトは、毎日食すると極めて体調がいい。冬には体を冷やすので売り場にあっても食しないが、今の季節は、美味しい上に健康によいとなれば、外せない。
 
ところで、毎年、家庭菜園で、トマトかミニトマトを少しだけ栽培するのだが、今年は熊本地震があったので中止。スーパーや百貨店で売られているトマトは、概ね熊本産。もっぱら購入することにしている。
 
容器には、「くまモン」のマークが印刷されている。今のところ、他地域のトマトは見たことがない。皆、どこに行ってしまっのだろうか。熊本を応援したい気持ちはあるが、少し不思議。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月23日 (月)

問題の本質を見ない報道~東京都知事問題

舛添東京都知事のお金の使い方について、マスコミが突き上げているが、問題の根本は東京都にある。確かに、舛添氏の、でたらめな金遣いの荒さは、問題だが、現在の知事に留まらないだろう。歴代の知事の金遣いを精査して見ればいい。

むしろ、問題の本質は、東京都に金が集まり過ぎることだ。東京都に集まるお金は、地方を犠牲にしたものとも言える。必ずしも、東京都が経済活動した結果、税金が集まっている訳ではない。東京都に本社等が集中するために、税金等が集まるだけのことだ。

その結果、東京都は潤沢な資金を持つ。金を持てば、金を使い切ることが必要になって来る。東京都の官僚にすれば、都知事が少々の無駄遣いをしても、自分たちが作る予算を通してくれれば、問題ない。裏には官僚たちが、たかって政治家を利用している姿が透けて見える。

そういう土壌が、金銭感覚のない政治家たちを生む。もちろん、それは国政を担う国会議員においても、同様だろう。マスコミの過剰な舛添氏批判は本質から目を逸らすものだ。視聴率を稼ぐには、結構な材料かもしれないが、低レベルの報道から、いい加減、脱してもらいたいものだ。

*追記

実際に、できるとかどうかは分からないけれど、東京都の歳入の3割程度はカットし、全国の自然災害のために積み立てるべきだろう。

*2016年5月27日追記

民放各局は、未だに舛添問題をしつこく報道している。もっと大切な問題があるだろう。

例えば、人種差別から起こった米国の原爆投下問題や元米兵による沖縄女性の殺人事件と地位協定など、もっと重要なことがある。

あるいは、熊本地震の、その後の動向も報道が極端に減っている。またTPP問題への言及も減っている。米国大統領選との絡みで、どう考えるのか課題は多い。

東京という「地方」政治家の金遣いについて、くどくど報道するのは、いい加減にやめよと言いたい。

*2016年6月8日追記

未だに舛添報道がされていることには、うんざり。マスコミは、他の重要な報道に蓋をしている感じだ。マスコミのレベルの低下には、目を覆うばかりだ。

*2016年6月14日追記

お昼のテレビを視ると、未だに舛添報道が、全局でされている。一体、放送局は、何を隠そうとしているのだろうか。怪しい。それとも、某党の選挙対策だろうか。

仮に舛添氏を辞めさせても、都議会解散をしても、選挙に余分な費用がかかる。果たして、都民の方は理解しているのだろうか。マスコミが騒いだ結果、皮肉にも都民に無駄なコストがかかる。

 

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

醜く、ややこしい元政治家の老害

高齢の政治家だった爺さんたちが、国を悪化させている。引退している自民党の森喜朗氏は、東京オリンピック関係の処理を誤ったし、悪いことに未だ自民党で強い発言力を維持している。元都知事の石原慎太郎氏は、やたら中国を攻撃して、言葉遊びをしている。無責任な発言をする、極めていい加減な人だ。

こんな人たちに若い人たちが影響されることを危ぶむ。既に引退していていることが普通なのに、未だ、要らぬ、おせっかいをして世間を騒がせる。過去にどんな実績があったか知らないが、今は、田舎で、じっとして孫の面倒でも見ていろと言いたい。老害も甚だしい。

*追記

彼らの発言を報道するマスコミも悪い。無視すればいいのに、相手をすれば調子に乗るタイプであることを忘れている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山椒の実 2016

山椒の実を収穫した。と言っても、木が小さいため、30粒ほど。以前、植えていた木が突然枯れたため、新しいのを植えたが、なかなか大きくはならない。実の成る木と成らない木がある。今回は、3本の内の1本に実が少しだけ成った。この実をどうしようかと思案中。

また、今年は、梅の実の収穫が全く見込めず、寂しい。花の数も少なかったから止むを得ないが、昨年末の剪定の失敗とはいえ、悲惨。多分、花芽を切り取ってしまったのだろう。今年は自分で納得のいく、剪定をする予定。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月20日 (金)

沖縄で元米兵が女性を殺害~日米安保条約の破棄が求められる

沖縄で元米兵の米軍属関係者が日本人女性を殺害した報道があった。もういい加減にせいという感じ。沖縄の人でなくても、米軍が沖縄に駐留する必要があるのかと思わせる。日本人としては、もう限界だろう。沖縄の人々に、もうこれ以上、新たな被害を起こさせてはならない。質の悪い米軍人や関係者がいる限り、今後も悲劇は起こりうる。

次の米国大統領が誰になるのか分からないが、仮にトランプ氏が大統領になって、現在でも負担が大きいのに、更に余計な駐留経費を要求するなら、一旦、日米安保条約及び地位協定の破棄が望まれる(*注)。

国も、早急に米軍抜きの防衛体制を整えるべきだろう。日本の主権を放棄した不平等な日米安保条約及び地位協定など、いつまでも、米国による戦後の占領体制が続くのはどうかしている。日本全体が発想を改める時期に来ている。

*注

米国が日本に軍を駐留するのは米国のためで、決して日本のためではない。日本の防衛には、航空圏を握るなど米軍は、むしろ邪魔だ。本来、米軍を日本に駐留を許すなら、日本の治政下に置き、日本が逆に米国に負担金を求めるのが筋だ。今は、「思いやり予算」などバカげた予算を作り米軍に提供している。

日本が、これらの金を提供する限り、米軍は、いつまでも駐留するだろう。そして、そのことをトランプ氏のようにご存じない米国人が非常に多い。これらの資金提供を止めれば、彼らは日本に駐留するうまみがなくなって、去っていくだろう。今のままだと悲劇を生むために、ムダ金が使われているとしか言いようがない。

*追記

今回の元米兵の犯罪に対して、政府関係者は「強い憤り」と言うが、それは国民レベルの話。政治家は、傍観せず、根本的な解決に向かって米国と真剣に向き合うべきだろう。そうしないと、日本人の心情として、原爆投下を未だ謝罪しないことと合わせて、米国離れが加速するだけだ。

*2016年5月21日

報道によると、安倍首相は、5月26日のオバマ米国大統領との会談時に、綱紀粛正を要請するとのことだが、その程度の認識では、最早、何も解決しない。彼は本当に国民を守る気があるのだろうか。

国や国民を守るのに発想の大転換が求められる。やはり、一旦、日米安保条約及び地位協定の破棄が求められる。米軍には日本より去ってもらうしか解決の方法はない。そして、これは沖縄だけの問題ではない。

*2016年5月22日

報道によると、米国の国防長官が、中谷防衛相と電話会談し、謝罪したとのことだが、口では何とでも言える。彼は日本に来て、政府及び沖縄、被害者関係者に詫びを入れるべきだ。米国は政府と共に、事態の深刻さが理解できていない。

*2016年5月24日

安倍首相は、沖縄県の翁長雄志知事が、地位協定の見直しを求めたことに対して、「相手があることだ。実質的に改善を積み重ねてきたところだ」と消極的発言をしている。まるで安倍首相には他人事のように聞こえる。

また、翁長雄志知事の発言も腰が妙に引けている。地位協定の見直し程度の甘っちょろいやり方では何も改善しないだろう。

*2016年5月26日追記

日米首脳会談では、地位協定について言及されなかったという。二人とも終わった政治家だから、止むを得ない面もあるが、安倍首相は政治家としての矜持に欠ける。ただ、野党も沈黙を保っているのは解せない。地位協定そのものを理解していないのかもしれない。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月19日 (木)

サイボーグ美人~『長谷雄草子』より

最近は、日本の女性も美しくなった。以前に記したように、栄養が行き届き、言葉遣いや品性の方はともかく、見てくれはよくなったことは確か。更に、整形手術はともかく、化ける技術も向上した。

古典でも、造られた美人の物語がある。女性の、いいとこ取りをした、言わばサイボーグ美人だ。まあ、男の妄想の物語とも言えるのだが、それが、『長谷雄草子』という物語にある。長谷雄とは、紀長谷雄(849~912)のこと。れっきとした歴史上の人物で、学問・技芸に優れていたという。物語の方は、ご存知の方も多いと思うが、備忘録的に記しておく。

中納言の長谷雄が内裏に向かおうとした時に、ひんぴん卑しからぬ見知らぬ賢そうな男がやって来て言うには、「暇つぶしに、双六をしようと思ったが、適当な人物が見当たらない。そこで、あなた様しかいないと思い、訪ねて参りました」と。

少し怪しいと思いつつ、長谷雄は、その高い自尊心に動かされ、挑戦に応対し、朱雀門の上で対戦することになる。難しいと思われた朱雀門の上にも簡単に上り切り、そこで、男が持ち出した条件が、長谷雄が負ければ全財産差し出し、勝てば絶世の美人を提供しようというものであった。

危ない条件とは思うのだが、自信家であった長谷雄は、無謀にも、その条件を呑み対戦。ところが、長谷雄は連戦連勝。ついに男は鬼の本性を出すが、結局、男は敗戦。後日、約束通りの女を差し出すという。

長谷雄は、多少怪しみながらも、今か今かと女を受け入れる準備をしていたところ、その男が約束通り表れ、女も同道していた。そして、その容姿を見ると、この世のものとも思えない美しさ。長谷雄も一瞬、ぼうっとしてしまうほど。

長谷雄が言うには、「本当に、この女を差し出すのか。返さなくてもいいのか」と。それに対して、男は、「約束通り差し出します。但し、条件があります。それは100日を過ぎないと関係を結んではなりませんということ。それを守らねば、後悔されますぞ」と言う。

男が帰り、女をつくづく見てみると、見目麗しく、性格もよく、気立てがいい。男との約束を守ろうとしたが、80日を過ぎるころに、もう辛抱ができなくなって、女と関係を結んでしまう。そうすると、どういうことか、女は水になって、流れてしまった。

後悔した長谷雄が、それから数か月して、内裏から出て、帰る途中、例の男が鬼の形相で「約束を守れる男と思っていたのに」とやって来て、長谷雄はぶるぶる震えながら、「北野天神、助けたまえ」と祈念すると、「まったく、しょうもない奴だ。とっとと失せろ」と言って、消えていった。

実は、この男は、朱雀門に住む鬼であった。美女は、いろんな死体から、いいところだけ取り上げ、集め、それを人の形に造ったものであった。100日過ぎれば、人間になり、魂も落ち着く予定であったが、想定外のことが起こり実現はしなかった。

ちなみに、この話の終わりは、「いかばかりか悔しかりけむ」となっている。それは長谷雄が約束を守れず、折角の女を得られなかったことだろうか。それとも鬼がサイボーグ実験を成功できなかったことだろうか。作者は、明確にはしていない。

紀長谷雄は、今でいえば、優秀な官僚か学者。この物語は、どんな優秀な人も、プライドをくすぐられると弱いということを示し、危険な賭けをしてしまう。そして、どんな男も美人には弱いと、作者が冷やかしているように思う。

*参考

 出典 『御伽草子』より。

*追記

鬼が、女性のいいとこ取りをして人間を造ったとしているが、八方美人じゃないけれど、中途半端なものができたのではと思う。確かに、将来は、男の妄想そのままに美人ロボットとか、遺伝子組み換え技術を駆使しして、サイボーグ型美人が出ないとも言えない。

でも、いつまでも完全なものはできないだろうし、それは期待しない。まして、男に合わせて、性格が、その都度、変わるなんてものができたら、気持ち悪いとか言いようがない。やはり、相性がよければ、多少の欠点はあっても、生身の女性が宜しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月18日 (水)

スーザン・ストレンジ著 『国家の退場』を読了

東京五輪招致不正疑惑が持ち上がっている。JOCは、国際陸連と関係のある人物にコンサルタント料として約2億2千万円支払ったということだが、やましい感じがするのは確かだ。だが、この問題が今持ち上がるのは、国際スポーツ界の怪しさを感じさせる。

大体、「国際」と名の付く、国家を超えた組織というものは、大体、怪しいものだ。別の意味では、国際連合などの国際組織も、そのようなものと同類だ。これらは、ほとんど欧米系が権力を握り続けている。

また、現在、パナマ文書が公になり、タックスヘイブン(租税回避)が問題になっているが、これも諸国家の租税システムの隙を突いて、その姿を現したに過ぎない。世界には、もっと多くのタックスヘイブンがある。超国家の存在と言えよう。

こういう問題は以前から一部指摘されているが、研究者は少ない。大概、国家レベルでの研究が多く、それを越える研究は極めて少ない。それは情報が隠蔽され、研究材料が少ないからかもしれない。

ところが、今から20年も前に、この問題を警鐘した書籍があると知り、先日読了した。それが、スーザン・ストレンジ著 『国家の退場~グローバル経済の新しい主役たち』(櫻井公人訳。岩波書店刊)だ。

世界がグローバル化する中で、国家を超えた主体が存在する。それが金融市場で蠢(うごめ)くヘッジファンドであったり、あるいは株価や債券価格に影響を与える格付け会社であったり、国の徴税権に影響力のあるビッグシックスと呼ばれる巨大六監査法人であったり、世界のリスクマネジャーである保険会社であったり、あるいは国際化したマフィアだったりする。

その他にも、ビジネスで国際カルテルというのも、「超国家」と言えないこともない。国が国内のカルテル問題を取り上げても、国際カルテルは、誰も分からない。国際ビジネスは、すべて、そのような可能性を指摘できる。

彼らはいずれも諸国家の統治の範囲を越えているため、国がコントロールできない。ところが、この影響力は年々拡大しており、諸国家の統治力を削いでいる。だが、多くの国は無関心であった。それは自国の統治と絡む部分もあり、ある意味、ギブアンドテイクで「癒着」の部分もあるからだ。

だが、「超国家」は非合法な世界ともいえる。「超国家」への無関心は、「国家」の崩壊を招く。今後、統治と非統治という意味合いで、せめぎ合いは続くだろう

*追記

今回のオリンピック誘致も、その部類だろう。そこに国際的権力闘争が絡むから、余計にややこしくなる。2020年の東京オリンピック開催の行方は混沌としてきたことは確かだ。個人的には、東京と地方の格差を拡大する東京オリンピックに反対なので、面白くなってきたとは思う。開催返上になったら、なったで歓迎だ。ただし、国には、多くの無駄遣いの責任は取ってもらう必要はある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月17日 (火)

白バラ咲く 2016

シャクヤクは、昨日の強い風雨で、わやくちゃ。無惨な姿になっていた。止む無く、花の部分は切り取り処分した。今年、シャクヤクは、比較的長く咲いていたから、まあ仕方ないとあきらめる。ただ切り花にした一輪挿しのみ、まだ、その姿を遺している。

さて、その代わりと言っては何だが、白いバラが朝、咲いていた。白いと言っても、正確には、クリーム色。3種類のバラを植えているのだが、一番元気のなかったものが一番早く咲いた。その他は、木自体、元気があったのに、まだ咲く雰囲気はない。いつ咲くのだろうか。いずれにせよ、バラが咲き始めると、花の季節は終わりを告げる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

姫路に求められる町歩きの催し拡大

先日、姫路市で、お城周辺の町歩きの催しがされていた。歩道には、まるで蟻の大群が押し寄せるような感じで人が溢れていた。姫路では、あまりこういう風景に出くわすことはないので、少し驚いた。

以前住んでいた神戸では、度々各地で町歩きが行われていたが、海と山が近く、一日あれば各所を回ることができる。姫路は、神戸のようには行かないので、もっと各所で町歩きの催しが望まれる。

町は人が歩くことで、地域の掘り起こしにつながることが多い。それを繰り返していけば、地域が見直されて、町に厚みも出てくる。案外住んでいれば、分からないことが分かったりする。外部の人には、もっと姫路のいいところを理解してもらえるメリットもある。お城周辺だけでなく、地区ごとに町歩きの振興が望まれる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月16日 (月)

夏到来~何橘潭の漢詩 『春を傷(いた)む』を読む

ここ数日、日差しも強く、暑い日が続いている。春を惜しむ意味で、何橘潭(かきつたん)の漢詩 『春を傷(いた)む』を取り上げてみる。何橘潭は南宋の詩人で、何応龍のこと。

 荷葉初めて浮かむ 水上の銭

 柳花飄(ひるがえ)り尽く 岸頭の綿

 知らず 春色何れの処にか帰す

 青山に向かひて杜鵑(とけん)に問わんと欲す

「荷」とは、蓮のこと。「飄」とは、つむじ風のこと。「杜鵑」とは、夏鳥のホトトギスのこと。全体の訳としては次のようになるだろうか。

「蓮の葉が水の上に浮いて、銭が浮いているような感じ。岸の柳の綿のような花は、強い風のために悉(ことごと)く散ってしまった。一体全体、春は、どこへ行ってしまっのだろうか。山に向かって、ついに貴様の出番がやってきたかとホトトギスに聞いてみようと思う」ぐらいの意か。

確かに去ってしまうと、人間というものは、懐かしく感じるものかもしれない。その繰り返しで季節は巡る。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月15日 (日)

『ひめじアーティストフェスティバル』に行く

昨日、暇つぶしに、行く予定はなかったのだが、姫路城北側にあるシロトピア公園で催されている『ひめじアーティストフェスティバル』に行ってきた(2016年5月15日まで)。木工、陶芸、ガラス、皮革、染め、織り、被服、金工など148人の作家が参加し、テーマは、「「つくる」人と「つかう」人が出会う場所」というもの。

内容は、いわゆる総合雑貨展とも言うべきものだ。当日は天気も良く、公園では、家族連れで、ピクニックをしている方もちらほら。「フードブース」も設けられ、20店あまりの様々な食が提供されていた。訪れていたのは、家族連れ、女性のグルーブか多かったように思う。

雑貨というものを買うのは、やはり女性。男は、確かに趣味的なもの(マニアックなもの)にお金を使う人もいるが、雑貨自体には、あまり関心はない。男の無駄遣いを指摘する女性も、雑貨を買うのは無駄遣いのように男から見れば、そのように見えるのだが、その辺の言い訳は女性はうまい(笑)。

見て回ったのだが、あまりにも種類が多く、男には、ちょっと辛い展示会であった。例えばアクセサリーなんて、どこがどう違うのか全く分からない。でも、人が集うことは確かだ。そういう需要を考えると、もっといろんなところで、展開する可能性もある。例えば、手柄公園でも開くのもありかもしれない。冷やかしで見るだけなら、男も楽しめないこともない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

李白の『越中覧古』を読む

先日、岑参の漢詩 『山房春事』を取り上げたが、今回も、『唐詩選』から李白の『越中覧古』を見てみる。李白の漢詩は、それぞれに好きだが、この漢詩は、少し李白らしくないように思うのは、『山房春事』同様、昔を偲んだ漢詩だからかもしれない。でも、昔から、日本人の感性にはぴったりで、高く評価されている。

越中というのは、中国・春秋時代の越の国都・会稽のこと。「呉越同舟」の言葉で有名な呉と越の争いの内、越側から見た詩だ。呉王・夫差に降伏させられた越王勾践は会稽山に、こもって、薪の上に寝て、肝を嘗めて自分を励ました末、夫差に復讐の戦争を仕掛けて彼を自殺させる。これが有名な「臥薪嘗胆」とか「会稽の恥を雪(すす)ぐ」という言葉を生んだことは多くの人に知られている。

 越王勾践 呉を破って帰る

 義士家に還るに尽(ことごと)く 錦衣す

 宮女は花の如く 春殿に満ちしが

 只今唯(た)だ 鷓鴣(しゃこ)の飛ぶ有るのみ

鷓鴣とはウズラとキジノ中間サイズの鳥で、ギジ科シャコ属。越の雉として知られていた。「義士」というのは、困難に耐えて、勾践に従ってついていった戦士というイメージが強い。解釈は、「呉を破った越王の戦勝ムードで、戦士は恩賞で沸き立ち、宮中の女性たちも安堵感から、その笑顔は花が満開のようだ。だが、今は、宮殿も廃墟になり、もちろん当時の人々も居ず、鷓鴣だけが飛び立っている」というくらいの感じ。

呉王夫差の栄耀栄華も短く、彼を倒した越王勾践も今はいない。人の一生は短く、まるで花の一生と変わらない。同じ一生をどう生きるかが問われている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月14日 (土)

三船恵美著 『中国外交戦略』を読む

少し前に、三船恵美著 『中国外交戦略~その根底にあるもの』(講談社選書メチエ刊)を読了したのだが、ブログの記事にすべきか多少迷ったのだが、思い切って記しておく。というのは、この本を若い人に読むように薦めるには、少し躊躇したからだ。

著者の三船恵美は駒澤大学法学部教授。専攻は中国外交・国際関係論ということだ。中国を親中でもなく、反中でもない観点で、客観的に分析したと自ら仰っている。確かに通読すると現代中国をあらゆる角度から分析されていることがわかる。

つまり、これは外務官僚が分析しそうな内容とも言える。最初、官僚が書いたものではないかと思ったくらいである。中国が内外に発信していることを時系列的に整理・分析したとも言える。そのことにより、中国の思惑は、確かに明確になっている。

そういう意味では、一般国民にもわかりやすい内容だ。問題があるとすれば、現代中国だけにスポットを当てて結論付けていることだろう。中国は長い歴史の中で、培った思想がある。あまり近視眼的に結論を出してしまうと、誤った判断になりかねない。

日中の関わりは、千年以上。そこで醸成された中国観は無視されている。そういう意味では、この書籍は、極めて米国的観察だ。合理的な見識と言えるが、それで中国の全てが見えるわけでもない。「合理的見識」が必ずしも正しいわけでもない。そこからは見えないものもある。

若い人は、そのことに注意しながら、読んでいくと、それはそれで参考になるのは間違いない。ただ、鵜呑みすることは避けたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月13日 (金)

シャクヤク満開 2016

シャクヤクの花が満開だ。色は深紅。これは親が植えていたもの。強い品種らしく、毎年、根の部分が大きくなって、株分けする。肥料は油粕をやる他、何もせず、手間いらずだ。

ただ、深紅ばかりだと単調なので、昨年、新しい品種のものを買って植えたが、育つには時間がかかりそう。後、何年かかるだろうか。今は、一本のみ蕾をつけている。いつ咲くのだろうか。少し楽しみ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月12日 (木)

どうにかならんか姫路二階町

ヤマトヤシキが折角リフォームオープンしたのに、周りの商店街の活気の無さにあきれる。観光客は増えているのに、それを取り込めていないし、ヤマトヤシキとの棲み分け・連携も感じられない。特に、二階町商店街の不活性は目を覆うばかり。どうにかならんか二階町と感じてしまう。

時々、狭い通りに、仮店舗を作り農産物等を販売する地域イベントをしているが、本来、商店街とは関係のない催し。客や通路を通る者には迷惑なだけだ。それに仮店舗を設けてイベント販売をしたところで、そんなに売り上げに貢献しないだろう。まして店には、ほとんど貢献していないように見える。むしろ邪魔をしているように見える。

江戸時代姫路の中心地だった二階町。未だに、そのプライドを捨てられないのか。今では、時代の流れに取り残されて、店の構成も、ちぐはぐだ。対象顧客層も、ぼやけている。結果的に、何の特徴もなく、商店街は、閑散として元気がない。

商店街自体、大改革が求められる。モデルは、やはり高松市の丸亀町商店街の再開発の事例だろう。店舗の総入れ替えが必要だ。その場合の開発の「キー・コンセプト」は「個性のある楽しい元気のある商店街」だろう。

新しいリーダーが民間主導で商店街改革を行い、行政の介入は極力防ぐことが必要だろう。行政から補助金等で介入されると、ありきたりの商店街になってしまう危険性があるからだ。それでは、何のための改革か、訳がわから無くなってしまう。組合員がお互いに出資して、自前の改革が大切だろう。

人が集うには理由がある。「あそこに寄れば、いつも何かあるぞ」と思わせる企画力が求められる。それには、顧客を明確にして、店の構成を、一から見直す必要がある。合意形成は大変かもしれないが、少なくとも開店休業状態の店には退店してもらうか、店のオーナーは他者に貸すことも求められる。

流行っていないのに閉店しないのは、オーナーが金持ちということも考えられる。道楽で、店を開けられるのは、商店街全体にも迷惑なことだ。また町の新しいコンセプトに合わない店も移転が望まれる。大改革をするのに、最早残された時間は少ない。早く取り組むべきだろう。

*追記

もちろん西二階町も同様に改革が求められる。それには、まず二階町の改革が必要だ。

*2016年5月15日追記

二階町通りが、暗く感じるのは、大手前通りから二階町通りへの入り口でもあるヤマトヤシキにも原因があると思う。現在、二階町通り側は、駐輪場として使用しているが、これが問題。大変、陰鬱な印象を受ける。駐輪場は廃止するか移転が求められる。その上で、二階町側の面を明るくすることが求められる。

現在は、ショーウインドウや商品の陳列に利用されているが、思い切って、喫茶ルームにしてはどうか。地下一階にUCC喫茶があるが、あれを一階に上げてもいい。あるいはドンクでもいい。そうすれば、現在壁になって暗い感じになっているのが解消されると思うのだが、素人考えであろうか。

*2016年7月26日追記

二階町通りのヤマトヤシキ周辺の駐輪は、社会実験(2016年8月1日から2017年1月19日まで)ということで、取り除かれ、本来の姿に戻る。ちなみに社会実験は半年ということだが、駐輪禁止は、その後も徹底してほしい。

*2016年8月3日追記

今のところ、9月から始まる大手前地下駐輪場の工事による閉鎖ののためか、駐輪禁止の社会実験は実施されていない。

*2016年8月3日追記

二階町周辺を歩いていて思うのが、コンビニと100円ショップがないことだ。100円ショップは以前、ボンマルシェ大手前店の入っている建物内にあったが、今は撤退している。規模は、そんなに大きくなくても、今は、必要な店舗。空き店舗の活用を考えるべきだろう。

また、コンビニも、規模は大きい必要はないが必要だ。近くにスーパーはあるが、共存できると思う。

*2016年8月28日

久しぶりに二階町商店街を通ったが、少し雰囲気が改善している感じだ。店の入れ替えも若干進んでいる。

また家具の板文さんが、二階町側の店舗を売却し、跡地はマンション建設するらしい。これでとは地域の雰囲気は多少変わるかもしれない。動線が変化するのかについても注目したい。

*2017年6月16日追記

市が発表した「平成29年度 中心市街地通行量調査結果」によると、二階町の通行量は昨年に比して多少減っているものの、他の地区と比べれば減少率は低く、健闘していると言えるかもしれない。

むしろ、深刻なのは、意外と大手前通り(西側、東側)、小溝筋、西二階町通りだ。大手前通り東側は、御幸通りと競合すれば、御幸通りが有利なことは仕方ない。大手前西側は、まだまだ顧客開発ができていないということかもしれない。小溝筋も、西二階町も同様で、動線も含めて至急対策が望まれる。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月10日 (火)

みかんの花 2016

みかんの花が満開だ。今年は、例年より花が多いと思う。ただ、昨日今日の雨等で、たくさん散ってしまうことになるだろう。昨日のことだが、少し近寄ってみると、みかんの花の匂いが一面に漂っていた。これほど、みかんの花の匂いを感じたことはなかった。

ただ、花が多いから、実も多いことにならないと思う。その辺の塩梅が、極めて微妙。あまり、たくさん成っても食べきれないし、そうかと言って、実の出来が悪いのも、気になる。何が悪かったのか、数年、実の小さい時もあった。それに、美味しい年もあれば、不味い年もある。よって、毎年、量も質も不安定な出来だ。

確か、親も、肥料をやり過ぎてはいけない。適度にやるのが宜しいとか言っていたが、どうも人間と同じようである(笑)。未だに、どの程度がよいのか、把握しかねている。みかん農家の方々の努力があって、毎年、私たちは、美味しいみかんを食している。感謝、感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

岑参の漢詩 『山房春事』を読む

「山房」という文字を使った漢詩としては、以前、良寛の『半夜』を取り上げたことがある(2009年10月19日付)。その内容は次のもの。

  首(こうべ)を回(めぐ)らせば 五十有余年

  人間の是非は一夢の中

  山房五月黄梅の雨

  半夜蕭蕭虚窓に灑(そそ)ぐ

今回取り上げる、「山房」を使った漢詩は、『唐詩選』にある岑参(しんじん)の『山房春事』だ。

  梁園の日暮 乱れ飛ぶ鴉(からす)

    極目蕭条たり三両家

  庭樹は知らず 人の去り尽すを

  春来還(ま)た発(ひら)く 旧時の花

梁園とは、漢の文帝の子である梁の孝王の荘園のこと。ここに平台という楼台を築いて、一流の文士を招いて住まわせ、日々、遊宴に浸ったという。そのことにより、文学の中心地になった。

だが、岑参の時代には廃墟になっていた。「ただ烏が飛ぶだけで、家も二、三軒だけ。庭木だけは、人が最早去ってしまったことに関係なく、春になれば、花を咲かせている」というような内容。裏には、文学界の衰退を嘆いたもののようにも受け取れる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 8日 (日)

引退後も役職に、こだわる人たち

時々、新聞等の投書欄を見ていると、投書した人の職業欄に、「元教師とか元教授」とかが目に付くことがある。「元会社社長」なんてあると笑ってしまう(*注)。引退後も役職に、こだわる人たちがいるらしい。大学教授の場合は、名誉教授とか名乗っているが馬鹿々々しい。せいぜい自著の筆者紹介欄にのみ許されるものであろう。現役を引退したら、「無職」と職業欄に記すのが宜しい。いつまでも、過去の職歴を引きずるのも、どうかと思う。

*注

そもそも役職というものは、企業も、もしくは何らかの組織から与えられるもの。引退すれば、一般社会から見ても、全く意味はない。どうしても役職が示したければ、引退後、会社を作って、そこの「社長」になればいい。一人企業といものもあるし。実質、仕事をしなければ、意味は無いが。そんなことをするより、無職で通した方がいいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 7日 (土)

第67回姫路お城まつりの案内(2016年)

今月下旬に始まる第67回姫路お城まつりの案内をしておこう。昨年から、真夏に催されていた姫路お城まつりが5月に移行された。昨年は、ゴールデンウィークに催されたが、今年は、これを外して5月下旬の開催となる。

今回のキャッチフレーズは、「白鷺の新たな歴史を君の手で」ということだ。日程は、平成28年(2016年)5月20日より22日まで。それぞれにテーマがある。

  5月20日 「伝統文化の日」

  5月21日 「友情の日」

  5月22日 「世代交流の日」

催しの詳しい内容は、以下の姫路お城まつりの公式ページで確認ください。

 http://www.city.himeji.lg.jp/contents/oshirofes/index.html

*追記

なお、以前にも記したが、5月21日には、午前10時30分から大手前公園で、「姫路お城の女王」の引き継ぎ式がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 6日 (金)

知日派を歓迎する危うさ

海外の政治トップに親日派が選ばれると歓迎するようなコメントや記事が流れる。これは本当に正しい判断なのか。確かに、彼らが、日本を「一応ある程度知っている」という意味では、いいことのように聞こえる。ただし、中途半端に知識があると、却って判断を誤る可能性もある。

それぞれの国の代表は、それぞれの国の国益を守る必要がある。よって相手国に有利になる政策は本来取れない。それを親日派だから、自国に有利に交渉がまとまるというのは大きな勘違いであろう。むしろ、各種知識があるだけに、難しい交渉になる可能性の方が高い。また親日派と呼ばれると、彼の国での立場は、日本に対して、より厳しく接することを求められる。

親日派の人々を歓迎するのも善し悪しである。もちろん、民間レベルでは、親日の方が、何かつけて交渉しやすいことは言うまでもない。しかし、政治となると、必ずしも、そうとは言えない。相手国の複雑な心情を察する必要に迫られる。

むしろ、外交交渉は、相手が日本のことついて中途半端に知らない方がいい場合もある。交渉事は、「常に白紙」でと言ったのは勝海舟だが、彼の本意とは違うかもしれないが、外交とは、そういうものだろう。外交において、親日に過大な期待をしてはならないと思う。

そして、逆に日本が他国と交渉する時も、相手国を十分に知った人物が必ずしも適任ということではないということになる。仮に知っていても、海舟の言うように、「常に白紙」であるという気持ちで交渉に臨む必要がある。その方が、いい結果が得られるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 5日 (木)

春風と春雨

一昨日は強い風と強い雨、昨日は強い風だった。春風と春雨で花は咲くが、その後の風雨で花は散らされている。そして、また開花しようとしている花がある。だが、その花も、いずれ春雨と春風で散ってしまうのだろう。

出典は不明だが、まさにこのことを表現した、次のような詩がある。

 春風春雨又開花、

 春雨春風又落花

自然の営みは、今も昔も同じことを繰り返している。人も同じことかもしれない。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 4日 (水)

郭洋春著 『国家戦略特区の正体』を読了

TPPと共に話題になる「国家戦略特区」。国は、この特区に何を期待しているのだろうか。言葉だけ見ていると、今までできなかったことができて、新しい風を吹き込んでくれるような感じもする。

ところが、それを活用する側の思惑はいかに。この仕組みに、疑問を持って解説したものに、郭洋春著 『国家戦略特区の正体~外資に売られる日本』(集英社新書)がある。それを先日、読了した。筆者は、立教大学経済学部教授で専門は開発経済学。本の構成は次のようになっている。

第一章 「国家戦略特区」とはなにか

第二章 「国家戦略特区」が生む理不尽

第三章 アジアの「特区」でなにが起きたか

第四章 「国家戦略特区」は日本の破滅を招く

彼の疑問点は、後進国の開発手法の「経済特別区」を、なぜ日本が取り入れなければならないのかということ。そもそも日本で特区が始まったのは小泉政権時の規制緩和に対する米国の要望から対応する形で生まれた。

だが、特区を作ったところで、外資は投資しない。日本に投資するほど魅力的でないからだ。人件費の高い日本が後進国や途上国と争って、特別区を作っても、あまり意味はない。それを無理するのは、国も国民にも、宜しくない。こういった悲惨さは、既に韓国が経験済みだ。日本が、その後追いをして、どうなるのか。

更に、そこにTTPが絡んでくると、結局、多国籍企業だけを利することになるだけ。国の負担は増えるのに、税収は増えない構造。賃金水準も切り下げられ、国民も不幸になる。アベノミクスは、売国行為の国家戦略特区を大きく勘違いしている。もちろん、TPPもだ。この点は野党も十分に理解していない。

結論としては、日本は、最早、目先の「成長」という言葉に捉われてはならないということだ。むしろ、日本の現実と世界動向を注視し、それに相応しい「質」を重視した「成熟した社会」にしていけばいい。一人一人の幸せを重視し、「日本価値」を確立すればいい。そのためには、遠く先を見据えた人材投資が問われる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 3日 (火)

勲章と棺桶

春の叙勲で騒がしかったが、一体、国の勲章制度に、どれほどの意味があるのだろうか。明らかに、現役時代に、表彰状の類を受け取るのと意味が異なるであろう。勲章は、ある意味、一丁あがりで、「ご苦労さん、今まで、よくやった」というぐらいの意味だろう。

棺桶に入るのが近い人々に、勲章を授けたところで、何の意味もない。死んだら、終わりなのだ。遺された者にしても、勲章は、ごみになる可能性が高い。棺桶と共に焼かれるのと同じだ。勲章を受けることに熱心な人々もいるようだが、国も、いい加減に、止めたらどうか。

*追記

むしろ、国としては、現役世代に、これからも頑張れと、表彰状を出す方が意味がある。

*2016年5月27日追記

報道によると、叙勲や褒章など栄典制度の見直しに関する有識者懇談会は、民間の受賞者を段階的に増やすよう求める提言を決定したという。

概要は、次のようになっている。

一、叙勲を巡り自治会長や保育士の受賞をそれぞれ年間100人、外国人は300人と現行から、ほぼ倍増すべきだと例示。

二、受賞者を増やすべき分野として、中小企業経営者、介護職員、公益法人なども列挙。

三、各府省に対し、積極的に候補者を掘り起こしに努めるよう要請

四、女性の受賞者増へ特別推薦枠を導入

これらを見ていくと、明らかに選挙対策の臭いが強い。こんなことでいいのだろうか。むしろ、勲章制度を廃止すべきだろう。これらは勲章や褒章ではなく、各自治体レベルでの表彰状で十分だろう。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 2日 (月)

芳澤勝弘著 『白隠~禅画の世界』を読む

平成29年は、白隠禅師250年遠諱(おんき)とのことで、妙心寺はじめ禅寺関係者にとっては、大きな催しのようである。遠諱とは、白隠禅師のような禅宗中興の祖に対して、50年ごとに、深恩に報いるためということである。その割には、禅寺は檀家に対して、そのことを十分に説明していない。形式に走り、不活性な仏教界の表れだ。

それはそれとして、白隠の書籍としては、かつて『夜船閑話(やせんかんな、と読む)』と『遠羅天釜(おらでがま、と読む)』を読んで蔵書にもある。前者は、上巻では「内観法」と「軟酥の法」を紹介し、下巻では、藩主に仁政を説いている。後者は、具体的な内観法、動中の工夫を通し、人々に具わる自性を見届けよと説く。これは外国人にも読者が多い。

さて、先日、書店で見つけた芳澤勝弘著 『白隠~禅画の世界』(角川ソフィア文庫)を読了した。白隠は、独特の禅画を多く表している。日本禅を確立した白隠は、言葉をいくら重ねても理解が及ばないことを禅画にして示した。それは一般人にもわかりやすい面もあるが、深く考察しないと理解できない面もある。

従来、白隠の禅画を面白可笑しく理解していたが、この本を読むことで、多少、白隠の禅画に込められた意思をくみ取ることができたかもしれない。参勤交代など庶民を苦しめるとして批判した白隠。現実、生きるために庶民は、いろいろ手を尽くさなければならないが、お上の不作為が庶民を苦しめる。

それを彼が言わなければならないほど当時の経済は疲弊していたとも言える。その中で、庶民をどのように救っていくか、彼は考えたのであろう。まず為政者が庶民の生活実態を把握して、変わらなければならない。それを説くために、あらゆる手法を繰り出して、軽く批判しながら、あるべき世界を説いたのかもしれない。

もちろん、すべてが政治的意味を持つものでもない。いろんな古典の中から名句を引きながら、庶民にあるべき生活の姿も指南している。例えば、北宋の政治家で学者であった司馬光(司馬温公)の家訓を取り上げた、『福神見温公語図』というものがある。

 金を積んで子孫に遺すも、

 子孫は未だ必ずしも能く守らず。

 書を積んで子孫に遺すも、

 子孫は未だ必ずしも能く読まず。

 如(し)かじ、陰徳を冥冥の中に積んで、

 以て子孫久長の計を遺さんには。

また、『七福神寿船図』の賛には、次のように記されている。

 七福の種ねは何ぞと人問はば

 まず忠孝の二字と答へる。

 奢らざれば貪ならず、

 怠らざれば貧ならず。

 仕父母孝、大黒天神

 君に忠、親に孝有る人しあらば

 みの笠もやろ槌も袋も。

若干、封建社会の考え方が強いが、このようにして人々を諭したことが窺える。現代でも、色紙等に絵を描いて、警句のような文章を添えるものもあるが、それの原型とも言える。ある人には、うるさく聞こえても、ある人には心に響く。白隠は、相手を見ながら、いろいろ工夫したことがわかる。彼が、どういう言葉を選び、あるいは創作したかは、禅寺関係者以外も注目していいだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 1日 (日)

姫路駅前に、新商業施設 『QWELL(キュエル)姫路』誕生

山陽電車姫路駅下車して、すぐのところ、山陽百貨店の南側に、新商業施設 『QWELL(キュエル)姫路』が誕生したというので見てきた。JR姫路駅からすると、北側の位置だ。この場所は、旧神姫バスバスターミナルの用地。ここに7階建ての商業施設ができた。

1階には、路線・高速バスの案内所や旅行代理店が入るほかに、カフェがある。2階から7階までは、各1店舗ずつ飲食店が入っている。2階がイタリアン、3階が肉料理&ビア、4階が、和食・あなご料理、5階が天ぷら海鮮料理、6階が九州居酒屋、7階は6月下旬オープン予定のダイニングバーだ。

オープン前日には、新聞に折り込みチラシが入ったが、取扱商品についてや価格帯が、やや不明。行ってみると、ビルの入り口で、立ち止まるが、入店を戸惑う人も多かったようだ。ネットで詳細を見てみるのもいいだろう。どちらかというと、初めから調べていた人が店に入る感じだ。多くの人に対する各店の店の認知には、少し時間がかかるかもしれないので、対策が必要だろう。

駅前には、観光客の増加に対して、飲食店は少なかったので、多様な業態の飲食店が入居した『QWELL(キュエル)姫路』には期待したい。

*参考 『QWELL(キュエル)姫路』 

http://www.nicopaclub.jp/feature/vol23.html

営業時間は、各店舗ごとに異なるので注意が必要。

*2016年6月25日追記

6月下旬オープン予定のダイニングバーが本日オープンし、これで全店が揃った。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

商店街に“白象”現る

昨日、ヤマトヤシキ近くをうろついていると、西二階町に突如、“白象”が現れた。観光客の方たちも、何だ何だという感じで、シャッターを切っている。幼稚園児が引っ張っているのだが、結局、よくわからなかった。

ところが、今日の神戸新聞の朝刊を読むと、そのことが記してあったので、備忘録的に残しておく。この催しは、釈迦の誕生を祝う花祭りで姫路市池内町の船場御坊幼稚園によるものであったらしい。

毎年、行っているらしいのだが、今年は幼稚園創立100周年ということで、西二階町商店街まで、足を延ばしたようだ。白象は、釈迦の生母のマーヤの夢に現れたとされる。年長児が毎年、布などでできた高さ約2.8メートル、全長3メートルの白象を引いて、近隣を回っているとのことだ。

珍しい催しに遭遇できて、大変面白い経験をさせてもらった。世間には、幼児の声はうるさいと言う人もいるが、こういう賑やかさは歓迎だ。いつも割と静かな商店街が、生き返ったようだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

不明の雑草名が判明~ヒメオドリコソウ

今年から、やたら生えだした雑草がある。少し変わった面白い形状で、ちょっと調べたが、よくわからない。雑草として抜くべきか、抜かざるべきか悩んでいた(笑)。ところが、昨日、テレビを視ていたら、同じ雑草が映し出されてびっくりした。花はなめると甘いらしい。

ネットで再度確認すると、「ヒメオドリコソウ」というものであった。ミツバチが、花のない時期に重宝していると書いてある。そういうことで、抜くのを止めた。今は、ドクダミと共存しながら、可愛らしい花をつけている。さすがに、まだ花の蜜はなめていないが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »