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2016年5月26日 (木)

腹蔵と忖度

心の内を隠すことを腹蔵と言ったりする。それで、腹蔵なく話し合おうと働きかけたりする。人間、いつも心の内を曝け出す方が楽なことは確か。でも、それでは、却って人間関係が気まずくなったりすることもある。

関西人は、個人差はあるが、割とアホ正直な面がある。いつもそれが悪いとは思わないが、相手のことを忖度(そんたく)せず、思ったことを発言する傾向がある。隠居すれば、それもいいが、それ以外の人は、もう少し慎重に発言する必要があると思う。

さて、中国の古い話に次のようなものがある。斉の有名な大臣に隰斯彌(しゅうしび)という人がいた。彼は実力者の田常(でんじょう)の館を訪れる。彼に不穏な噂が立ったからだ。田常は、隰斯彌が来ると、いろんな四方山話をした後、物見台に誘う。

隰斯彌が、周囲を見渡すと、三方は開けているのに、南の方は隰斯彌の家の大木にさえぎられて見通しがきかなかった。隰斯彌は、内心、「うわっ」と思ったが、田常の方は、それについて何も言わなかった。

隰斯彌は屋敷に帰ると、早速、家臣に伝えて、その大木を切り倒すように命じた。しかし、何回か斧を入れた段階で、急遽中止させる。家臣が訝ると、次のように言ったという。

「ことわざに、「渕中の魚を知る者は、不祥なり」と云う。確かに、田常は謀反を企んでいる。そのことを私が察すると知ったなら、私を殺そうとするに違いない。大木を切り倒さなくても、私を殺しはしないだろうが、彼の心に秘めていることを私が見抜いていると知ったら、ただではおかれまい」と。

「渕中の魚を知る者は、不祥なり」というのは、その文字の通り、「川や池の深淵にいる魚の動きを察知するのは、不吉だ」というもの。つまり、隰斯彌の発言にあるように、他者の腹蔵している心中の深い企てを察するというのは、身に危険が及ぶということ。

時に、思っても、忖度して口に出さないことが求められるということ。正直者がバカを見ないためにも。

 

 

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