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2016年6月30日 (木)

偏狂リスクということ~諭吉の見解

偏狂を広辞苑で調べると、「ある物事に執着し、常識をこえたことを平気でする者」とある。偏執狂とも言う。諭吉はさらに詳しく、次のように記している。
 
「偏狂とは、英語ではモノマニアという。精神面は普通一般の人と変わりなく、事物の大小軽重を知り、利害・栄辱の所在を見分けることができ、道義の範囲内にありながら、一種類について見るべきものを見ず、聞くべきことを聞かず、全て常識の外に身を置くという病である」と。
 
ちなみに、単に、マニアというと、広辞苑では、「一つのことに異常に熱中する人」とある。そして、諭吉は、西洋人の説として、偏狂に七種類あると紹介している(解説は流風)。
 
一、猜疑という偏狂
 
他人の言うことを何でも信ずるのも問題だが、逆に何でも疑って信用しないというのも問題である。人は、一度、猜疑心を持ってしまうと、なかなか、それから逃れられない。親友や家人の言うことを信用できなくなる不幸。
 
二、迷信幽冥という偏狂
 
昔からある迷信や慣習に何の思慮なく従ってしまうこと。科学的根拠は何もないことが多い。占いは遊びと割り切るべき。妙に信じるようになると、自らの人生の墓穴を掘ることになる。
 
三、外見を張るという偏狂
 
要するに、見栄っ張り。実際は、周囲から見透かされてバカにされていることにも気づかない。いつまでも地位に拘り、引退すべき時にも引退せず、老醜をさらす政治家や経営者たち。
 
四、恐怖という偏狂
 
強度に神経質なこと。五感が敏感になり過ぎて、却って身を誤ることに。例えば、ドアノブや他人が触れたものに触ることを嫌がる潔癖症も、その一つ。また周囲の言うことを過剰に気にし過ぎることもストレスを抱えることになる。
 
五、高慢大望という偏狂
 
大言壮語のこと。知識も能力もないのに、大きなことを言う輩。自らホラを吹いて、目標を設定するやり方もあるが、ただホラを吹くだけで、何の努力もしないなら、人々から軽蔑の目で見られるだけ。
 
六、盗心狂
 
他人のものや人を何でも欲しがり、奪おうとする人。単に盗人を指すだけでなく、他社からスカウトして引き抜き人事するのも、その一種。足元の人材育成を怠る愚。
 
七、飲酒狂
 
常飲が習慣となり、禁酒できない人。自らをコントロールできない者に、いろんなことを任せることはできない。
 
以上を見ていくと、何事もやり過ぎはよくないということ。
 

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