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2016年7月 5日 (火)

中国の昔の名医の話

出典は不明だが、中国に、名医に関する次の話がある。但し、事実かどうかは判らない。創作の可能性もある。そのことを踏まえて、以下に紹介する。
 
中国の、ど田舎の県に、張何某という男がいた。家は貧しく、常々何か仕事で儲けたいと思っていた。ただ、いろいろ挑戦するが、うまくは行かなかった。その彼が、ある時、道で道士に出会う。
 
道士は、彼の顔を見て、「お前さんは、術を職業にすれば成功する」と言う。「それでは、一体、どのような術を、もとに商売をすればいいのでしょうか」と問うと、道士は、「医師がいいだろう」と薦める。
 
ところが、彼は、「医師なんてとんでもない。貧乏人で、文字も読めない。医書も当然、読めないから理解もできない」と言うと、「だから駄目なんだ。字を多く知っていて、医書を読みこなしていても、必ずしも名医とは言えないだろう。医師の目標は何だ。患者の病気を治すことだろう。病気が治せればいいのだ。騙されたと思って、やってみろ」と言う。
 
そこで、彼も、やる気になって、医者の真似事を始める。民間療法や草根木皮の類を集め、医者の看板を上げる。現在の日本では、医師法違反になるが、昔の中国は、そういうことはお構いなし。今の漢方薬屋のように、各種民間薬を並べ、患者が来ると、適当に見立てて、調合するが、不思議と苦情はない。
 
そうこうするうちに、某府知事が重い咳の病気になり、各地に命じて、名医が呼び集められる。張何某のいた田舎県だったので、もともと医師の数も少なく、府知事の命を恐れた県知事は、数合わせに無理やり医師を選出される。どういうわけか、彼も選出されてしまう。
 
ところが、当時、彼は、ひどい喘息に悩まされ、「私のような田舎医者に、とても勤まる役目ではありません。もっと有名な医師を呼んでください」と一旦断りを入れるのだが、却って、名医こそ、そのように謙遜するものだと思われて、逃げられなくなる。
 
役人に付き添われて、府知事のところに行くことになったが、山越え谷越え、長い道のりであった。喘息がある上に、慣れない旅なので、喉は乾くし、喘息の発作も起こる。ある村に着いて、水を所望しても、水に乏しい地域なので提供してもらえない。しばらく行くと、一人の女が、桶で菜をわずかな水で洗っていた。
 
黄色く濁って、とても飲める代物ではなかったが、喉が渇いていた彼は、彼女に頼み込んで分けてもらう。それを一気に飲んで、しばらく休んでいると、喘息の発作が、ぴたっと止んだ。彼は、菜を洗った水に効果があると悟った。それから更に旅を続けると府知事のいる場所に着く。
 
そこでは、すでに集められた医師による治療が試みられたが、全て失敗していた。最後に呼び出された彼は、密かに様々の野草を摘んでこさせ、誰も入らぬようにして、部屋に閉じこもり、野草を洗い、その濁り水を府知事に提供する。そうすると、なんとしたことか、少しずつ咳が収まり、二杯目を服用すると、咳は、ほとんど止んでしまう。
 
府知事は大変喜び、礼として大金を渡し、医術を高く評価する額まで与える。それを機会として、張の名声は響き渡り、門前、市をなす状況になる。彼は以前同様、あてっずっぼうに調合するのだが、不思議と病気がぴたりと治る。ある患者には間違った処方をしたにもかかわらず、治ってしまった。
 
しかし、それからの張が賢いところは、有名になるに従って自重する。すなわち、金持ちや名家以外、診察しなくなる。この結果、一生、ぼろを出すことなく名医で終わったということだ。
 
最初に記したように、この話は事実かどうかは分からない。ただ、大昔であれば、可能性は、ないでもない。この男の優れたところは気づきがあったことだろう。現代の医師たちは検査データに基づき、機械的に病気を見ている。また薬の処方も、製薬会社や薬剤師任せ。変な分業が医療をダメにしているかもしれない。
 

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