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2016年7月 7日 (木)

杜甫の漢詩 『江村』を読む

久しぶりに漢詩を取り上げてみる。今回は、有名な杜甫の漢詩 『江村』。杜甫は戦乱に巻き込まれた長安を逃れ、成都に行く。浣花渓(かんかけい)の川のほとりに草堂を営んだ時の漢詩だ。
 
 清江 一曲 村を抱いて流れ
 
 長夏 江村 事事幽かなり
 
 自ずから去り 自ずから来たる堂上の燕
 
 相親しみ相近づく 水中の鷗
 
 老妻は紙に画いて棊局を為り
 
 稚子は針を敲(たた)いて釣コウ(金偏に勾)を作る
 
 但だ故人の禄米を供する有らば(*注)
 
 微躯 此の外に更に何をか求めん
 
今の時期に当てはまる漢詩だと思う。解釈は不要だろうが、念のために記す。
 
「曲がりくねった清流が村を抱きかかえるように流れている。日の長い夏の川辺の村は、何も存在しないくらい本当に静かだ。草堂の軒端に巣を作っている燕だけが、せわしなく、行ったり来たりしている。そうかと思えば、水中に戯れる鷗だけが、人がいると近づいてくる。老妻は、紙に碁盤の目を描き、幼い子供たちは、針を曲げて釣り針を作っている。古い知り合いから、禄米を少しでも分けてもらえば、つまらぬ身には、これ以上何も求めない」くらいの意か。
 
まるで隠居した人のような淡々とした生活。でも、戦乱に巻き込まれるよりはいい。平和の有り難さを詠った漢詩と言えよう。ただ、杜甫の場合、ここに落ち着くことなく、漂泊の旅を続ける。一か所にじっとしておれない性格であったのだろう。
 
*注
 
この部分が、「多病須(ま)つ所は唯だ薬物」となっているものもある。ただ、ネットで検索すると中国語では、このようにはなっていない。
 
 

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