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2016年8月30日 (火)

姫路文学館お得情報 2016年9月

姫路文学館が2016年7月にリニューアルオープンしたことは以前に記した。北館と南館があるが、北館が常設展示を全面的に見直し、「姫路城歴史ものがたり回廊」が新設されている。

姫路城観光に来られている方は、姫路城の歴史を時系列で、映像やアニメなどのグラフイックや実物資料を活用しているので手っ取り早く理解できると思う。

それから、播磨にゆかりのある作家や学者、映画監督などの著名人を五つのジャンルごとに紹介した「ことばの森展示室」も文学館らしく面白い。

さて、お得とは、2016年9月21日から30日まで入館無料となること(ただし、9月23日と26日は休館)。また、別途料金が必要な企画展は、この期間、催しはない。

なお、南館は、リニューアルオープン後、入場無料となっている。姫路文学館から見る姫路城も美しいので、この機会を逃さず、訪れてほしいものだ。

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2016年8月29日 (月)

姫路の全国空襲慰霊塔の運営危機について

以前にも記したが、兵庫県姫路市には、手柄山公園内に、戦争末期、米軍の空襲により亡くなった一般市民の戦没者を追悼する中心的な慰霊施設として、「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」があるが、残念ながら、今は多くの人に知られていない。

姫路・手柄山に鉄筋コンクリートで高さが約27メートルある塔だ。武器の象徴である剣を大地に突き刺したデザインは、不戦の誓いを表している。被災者数などを刻んだ側柱や戦災都市を図示した地図もあり、全国の空襲犠牲者を慰める宗教色のない国内唯一の施設である。

太平洋戦争で空襲を受け、一般市民の犠牲者約51万人(*参考参照)を供養するため、戦後の初代姫路市長の(故)石見元秀氏(現在の石見利勝姫路市長の父)が「軍人以外の犠牲者を慰霊する場所が必要」と建立を提案した。

戦後の混乱期、国は、何もしようとはしなかったが、都市の早期復興を願って結成された「全国都市連盟」は、全国に浄財を呼びかけ、神戸、姫路、東京など全国113都市町(現在は、市町村合併で107都市町)が寄付を募り、当時のお金で約8千万円の寄付が集まり、それをもとに1956年(昭和31年)に、建立された。

当時は、まだ戦災の厳しさで、食べ物にも困る時代だった。それなのに全国の市民は、浄財を寄せ、建設費に充てることができた。それほど、戦災にあった当時の市民の思いとして慰霊の念が強くあったと察せられる。

毎年10月26日には、総務省や全国各地の遺族会関係者が参列して、「太平洋戦全国空爆犠牲者追悼平和祈念式」が行われる。その運営は、被災自治体でつくる一般社会法人「太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会」が管理し、姫路市が事務局を担っている。

設立時に寄せた負担金を切り崩しながら運営してきた。ただ、2016年10月には建立から60年を迎えるが、戦後71年が過ぎ、戦災遺族会の解散が相次いだ上、祈念式で、供花料を出す自治体は約三分の一に減少している。法人財産は年々減少し、その運営が危ぶまれているらしい。また60年経っているので、その老朽化も深刻だ。

そこで、石見利勝姫路市長は、次のように表明している。「平和を維持するため、日本が世界に誇る記念碑。未来永劫の存続に向け、国の責任で維持・管理を求めたい」と。先人の志を未来に引き継ぐことは大切なことと思う。

国を動かすには、まず市民レベルでの協賛が求められる。そのためには、平和を内外に訴える存在として、改めて全国の人々に、この慰霊塔の存在を知ってもらって、運営のための寄付のための基金が必要かもしれない(ただし、改修工事や運営継続に必要な金額を提示する必要がある)。

 

*参考

米軍の昭和20年の大空襲等による約51万人の一般市民の被害(正確な数字としては、50万9734人とされる。名前も住所も不明な人も含まれる。ただし、沖縄分は含まず)。実数は、もっと多いとも。

(一例)

◎東京大空襲 昭和20年3月10日

  死亡者 約8万8千人

  被害家屋 268,358戸

◎大阪大空襲 昭和20年3月13日

  死亡者 3987人

  被害家屋 136,107戸

◎名古屋大空襲 昭和20年3月19日

  死亡者 826人

  被害家屋 39,893戸

◎横浜大空襲 昭和20年5月29日

  死亡者 3789人

  被害家屋 79,350戸

◎神戸大空襲 昭和20年6月5日

  死亡者 3184人

  被害家屋 55,368戸

◎姫路空襲 昭和20年6月22日

  死亡者 641人

  被災者 10220人

◎姫路大空襲 昭和20年7月3日

  死亡者 173人

  重軽傷者 160人

  全焼家屋 10300戸

  被災者 45182人

◎広島・原爆投下 昭和20年8月6日

  死亡者 約14万人

  被害家屋 51,787戸

◎長崎・原爆投下 昭和20年8月9日

  死亡者 約7万3884人

  被害家屋 18409戸

●沖縄・空襲、艦砲射撃や地上戦(参考)

  死亡者 推定約10万人。正確な実数不明。

  それ以上とも言われる。よって、本土の大空襲被害者の数からは除外。

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2016年8月28日 (日)

「専門職大学」の創設に関して

高校の普通課程の形骸化、および総合大学の価値低下に伴い、新たな存在価値を求められている。少し前の報道(2016年5月30日付)だが、中教審は実践的な「専門職大学」の創設を答申されている。覚えとして記しておこう。

特に、IT、観光、農業など成長分野の現場で、牽引役の人材が必要だとしている。中教審は、そこで即戦力となる人材育成をめざし、実践的な職業教育を行う新しい高等教育機関の創設(大学制度に位置づけ)を答申している(*参考参照)。

これは、大学制度の条文には、「職業または実際生活に必要な能力を育成する」を主な目的とすることもできると定めており、矛盾はない。ただ短大扱いとなっているが、新機関は、4年生制課程と、短大相当の2,3年制課程としている。

また対象は、工業高校などの専門高校を含む高卒生だけでなく、専門学校生や大学生、社会人も受け入れる。既存大学より実践を重視し、産業界や地域の関係機関と連携してカリキュラムを編成する。

その上、インターンシップなど企業内実習は4年制課程で600時間以上の履修を義務付ける。また実習科目が卒業に必要な単位の3~4割以上占め、実践的学習を重視する。

教員は、企業などで5年以上の実務経験がある教員を全体の約4割以上にする。更に従来の大学より小規模で開設可能とするため、敷地面積等は弾力的に対応するようだ。

IT時代で情報が一般化する中、普通高校も、あるいは文系総合大学も、最早、教育内容に方向性がなく、その存在価値に疑問が持たれている。また専門高校は、更に上を目指す実践的な教育機関がなく、また転換期の企業の社員の再教育機関も不足している。

そういう意味では、「専門職大学」の創設は理に適っている。これに関しては、拙ブログで、提案していたこと重なるので、概ね賛成できる。ただ、IT、観光、農業など成長分野を対象に考えているようだが、もっと広範囲に対象を広げるべきだろう。また高専の扱いをどうするのかも調整・考慮する必要がある。それに教職員のレベルアップを図る再教育機関としても可能だろう。

*参考

中教審の答申の内容

◎実践的な職業教育を行う新しい高等教育機関を創設。2019年春の開学を目指す。

◎名称は、「専門職大学」、「専門職業大学」などとする。

◎大学制度に位置づけ、大学相当は4年制、短大相当は2,3年制の課程とする。

◎高卒生だけでなく、大学生、社会人などを受け入れる。

◎成長分野の現場で、牽引役となる人材を育成。企業内実習は4年制課程で600時間以上の履修を義務付ける。

*追記

人材育成には、T字型人材が必要と言われる。すなわち、専門的能力に加えて一般教養。よく専門的能力だけを磨いても人材は育たないと言う人たちがいるが、そうではあるまい。専門性を磨けば磨くほど、一般教養は必要になってくる。それは一生を通じて自ら学ぶものだろう。学校教育は、その案内(ガイダンス)だけで十分だ。後は本人次第だ。

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2016年8月27日 (土)

戦争の悲惨さ~乃木希典の漢詩から

明治時代、日本の支配層は、欧米列強の植民地政策やロシアの南下政策に慄然とした。日本も彼らの支配下に置かれないかという強い危惧だ。そこで富国強兵政策を取る。それは自然な流れであったかもしれない。

ただ、過剰な危機感が戦争を招いたことも事実だ。朝鮮半島支配をめぐる日清の対立から戦争を起こし、のちに満州をめぐるロシアとの対立から日露戦争に突入する。だが、日清戦争はともかく、日露戦争は国力からすれば、とても戦える戦争ではなかった。

この戦争で、両国は多くの死者を出し、恨みを双方に残した。そして、お互い国力を大きく損なっている。他に方法はなかったのだろうか。ロシアという見えない恐怖が先に立ち、戦争心理に追い込まれていった当時の為政者を責める気はないが、むなしい感じがする。

日本は、多くの文武に秀でたバランス感覚のある有能な多くの軍人を、この戦争で失い、経済を破綻させ、その後、無能な軍事オタク指導者による軍事国家に突き進み、ついには、国家を破綻させている。

さて、今回取り上げるのは、日露戦争の司令官であった乃木希典(のぎまれすけ)の有名な漢詩だ。彼は、文武に秀でていたと言われるが、複雑な人生行路を歩んだ、どちらかというと文人だ。そして明治天皇に愛された。ただ武官としては、その能力には疑問が呈されている。

彼は、日露戦争に第三軍の司令官として派遣されるが、それまでにも多くの戦死者を出していた。第二軍が金州城の戦いで、ロシア軍を旅順に壊走させるが、日本軍の被害はロシア軍より大きかった。その後を視察するため、金州城に行った時、作詩した。

それが、「金州城下の作」と言われる漢詩。明治37年6月7日の作。詩は、彼の長男が金州城の戦いで戦死の報を受け、作ったものとされる。ただ、名目は、「戦死者の英霊を弔う」としている。

 山川草木転(うたた)荒涼

 十里風腥(なまぐさ)し新戦場

 征馬前(すす)まず人語らず

 金州城外斜陽に立つ

「戦争の爪痕は、山や川、そして草木は荒涼と殺伐としている。戦いが終わった戦場跡は、ロシア軍や軍馬が倒れ、十里四方、血生臭い風が吹き渡っている。馬は歩みを止めて、決して前に進もうとはしない。将兵たちも、(戦いをすれば、無惨にも自分たちも、こうなるのかと平時の感覚を取り戻して)何も語ろうとしない。金州城の町外れに落日が差し込んでいるところに(息子を失った虚しい気持ちで)立っている」と、いったような解釈だろうか。

この詩を作って約10日後に、乃木軍は旅順に入る。彼の支配下にある多くの軍人は、彼の下では、いつでも死ねる覚悟ができていると言うほど人望があった。ただ戦術がまずかったため、多くの死者を出し、ついには児玉源太郎大将に任さざるを得なかった。

戦後、彼は多くの死者を出したことで責任を取り自害を決意するが、明治天皇の制止で、それはできなかった。彼の二人の息子も、この戦争で失っている。後、明治天皇崩御に伴い、夫婦で自決している。なお、旅順を最終的に陥落させた児玉源太郎も、帰国後、精神が不安定であったという。

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2016年8月26日 (金)

針小棒大報道に思う

NHK特集『貧困の子』が問題になっているようだが、このような不適切な事例に限らず、非常にマイナーな事例を取り上げて、針小棒大に報道する例は、以前からある。それはマイナーな事例を取り上げて、まさに、それがすべて一般的と錯覚させる報道になりがちだ(*注)。

もちろん、弱者の事例を取り上げるのが悪いわけではない。弱者救済は、それなりに意味がある。ただ、弱者の現象は非常に多様だ。一般論的な伝え方は問題がある。伝える側が、それらの人々が全体のどの程度の比率であるかも伝える必要がある。

そうしないと、たとえば、このことを国会で取り上げて、議論すれば、ミスリードする可能性もある。政治家から言われれば、官僚は、それに対応せざるを得ない。国としては、あまり必要ない政策でも、新たに法案を上げて、一般的に執行可能なように仕組むだろう。

彼らにすれば、予算を計上する口実が増えるのは確かだ。ただ、一般予算にするのが適切かは疑問だ。むしろ無駄な予算の執行になりかねない。こういうことが積み重なると、結果的に、国としては、無駄な税金をつかうことになる。

それゆえ、一部の現象面だけて見てオーバーな報道するのは、どうかと思う。針小棒大報道することによって悪影響がないか、マスコミは吟味するべきだろう。

*注

例えば、保育問題も、その一種だ。保育問題は、大都市問題で、全国的課題とは言い難い。また、待機児童の解決策は、地域によって、異なるだろう。それを国が一般予算化させてしまうのは、ロスが大きい。実際、一般予算化による補助金政策は、様々な問題を起こしている。

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2016年8月25日 (木)

政権の評価は可処分所得の伸び

政権の評価は、さまざまの尺度があると思うが、一般庶民の立場としては、可処分所得の伸びであろう。可処分所得とは、所得者が自由に使える手取り収入のことだ。すなわち、賃金から所得税や社会保険料を差し引いたもの。仮に賃金の上昇があったとしても、所得税や社会保障の負担増が、それを上回れば、可処分所得は減少していることになる。

少し前のデータ(2015年3月までのデータ。それ以後のデータは公表されていない)によると、可処分所得は、アベノミクスが始まる前の2012年から横ばいの水準にある(日本総合研究所の試算)。すなわち、アベノミクス効果は、可処分所得の伸びに貢献していない。つまり賃金総額は増えたものの所得税や社会保障の負担が大きくなり(*注)、可処分所得は伸びていない。よって、庶民としては、景気が良くなっている実感はないわけだ。

これでは、個人消費の低迷は避けられない。それに、ここには消費税の負担は含まれていないから、重税感は更に強くなる。消費税は上げら.れる状況にないのは、こうした事情がある。前の選挙で、政府与党は、いろいろ数字を挙げて成果を強調していたが、可処分所得が伸びなければ、評価はできない。国は、「可処分所得」をいかに伸ばせるか、政策に反映すべきだろう。

*注  所得税や社会保障の負担の拡大

 一、厚生年金の保険料率の毎年引き上げ

 二、健康保険料率の引き上げ

結果的に、収入に対する税と社会保険料の負担割合は、2014年度に約25%に達している。これには、消費税は含まれていない。

35歳未満の若年層は、消費に慎重になり、自らの年金・医療などの社会保険制度をめぐる将来不安で、消費を控える意識が強くなっている。

更にマイナス金利政策で、不労所得も得られず、資産形成をできなくしている。投資すればいいと国は言うが、そんなにうまく行く保証はない。

 

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2016年8月24日 (水)

信心の効果~落語 『ぞろぞろ』

最近は、荒物屋というのは、ほとんど見かけない。荒物とは、バケツ、塵取りや箒の類、あるいは、ざるなどを売っている店だ。流風が子供の頃は、まだあった。掃除道具以外にも、いろいろ揃っていた。今は、その代りをホームセンターやスーパーがやっている。最近は、百均でも、一部取り扱っている。

落語にも、荒物屋を扱ったものがある。それが『ぞろぞろ』。あまり演じられることはないかもしれない。ぞろぞろと言うと、虫などが這いまわる様子を指す時もあるが、ここでは人やものが連続して現れる方の言い方。

あるところに、稲荷神社の前で、荒物屋をやっている老夫婦がいた。残念ながら、商売は順調とは言えず、いつも貧乏暮らし。売り上げがないので、新しく仕入れることもできない。要するに、あがったり。あるのは、売れ残った天井から吊り下がったワラジ一足だけ。

そこで、夫婦で相談して、神頼み。人間、追いつめられると、そのような考えに至る。水行して、稲荷神社に日参する。ある日、参詣後、帰ってくると、土砂降りが降って、地面はびちょびちょ。

そうすると、しばらくして、お爺さんが店番をしていると、「足元悪いので、今履いているものは汚したくない。爺さん、そのワラジをくれ」と言う者あり。珍しく客があるものだと喜んで、「へえ、ありがとうございます」と言って、わらじを一足売った。

そうすると不思議なことに、その後で、あるはずのない一足のわらじが、するすると天井から下がってきた。これは妙なことだと驚いたが、驚いている内に、また売れてしまった。そうすると、また天井から、一足下りてくる。ぞろぞろと繰り返しで売っていると、千客万来で結構繁盛した。そういうことで夫婦の暮らし向きは、ぐっと良くなった。

それを聞いた向かいの床屋の主人が、「爺さんたち、実にうまいことしたもんだ。それなら、俺も、一つ信心を始めることにしよう」と、早速、参詣に出かける。そして不思議なことに帰ってくると、いつもは閑古鳥の鳴いている店が、客でいっぱいになっている。

「なるほど、なるほど、ご利益はあるものだ。ありがたい」と言って、剃刀を客の顔にあてて髭をそると、剃っても剃っても次から次へと髭が生えてくるがオチ。

でも、髭が生えてくるから床屋の需要があるので、ごく当たり前のこと。荒物屋の奇跡とは、意味が全く違う。しかしながら、参詣することで客が増えて、御の字ということか。信心するといいことがあるという落語。

信心すれば、いつでも効能があるわけでもない。基本的に、その真剣さが問われる。つまり心を新たにし、精神を集中することが意味を持つ。そうすると、案外、日頃、見逃していることも見えてくる。商売も、そういうところがある。つまり商売に対する姿勢が問われているのだ。この落語は、それを茶化して表現している。

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2016年8月23日 (火)

世界に恥をさらした安倍首相

リオデジャネイロ・オリンピックの閉会式で、安倍首相が「スーパーマリオブラザーズ」のマリオに扮して登場した。反響は大きかったようだが、髭のない中途半端なパフォーマンスと捉える向きもあるし、オリンピックの政治利用と批判する人もいる。

どちらの批判も正しいと思うが、首相は、オリンピックに関しては、むしろ黒子になるべきだ。残念ながら、一国の首相が、大きな催しで、恥をさらした感がある。世界は驚いたというより、呆れたという。誰が、首相に提案したのかは知らないが、首相を軽く見て馬鹿にしたものだろう。

今までの世界への彼の言動が軽いと見られていることもあり、それが招いたものとも言える。少しでも尊敬の念があれば、決してこんな提案ができるものではない。政権の緩みから、安易に受けた首相も首相だが、これは国民全体の恥であろう。

国民の代表の首相がこのようだと、日本自体が軽くみられる。提案した組織や人には責任を取らせる必要があるだろう。

*追記

一部マスコミや経済誌が、提灯記事を載せたり報道している。主として英米のマスコミが安倍パフォーマンスを評価しているというもの。彼らの表面的評価をそのまま受け取るのは危うい。おっちょこちょいの日本の首相を嘲笑していただけと、いずれ気づくだろう。

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減塩食を作る その十六 減塩中華丼

久しぶりに、減塩料理を紹介しよう。中華料理は、野菜が多く使われ、おいしいのだが、意外と塩分が多い。よって自炊すれば、減塩できる。今回は、減塩中華丼。作り方は簡単。

まず、白菜、豚肉、人参、干しシイタケを戻したものをスライスしたものを基本に、好みで、エビ、ホタテ、青梗菜、小松菜等を追加し、ガラスープでゆでる。ガラスープの素には塩分が含まれるので、量は少なめに加減する。

ゆであがったら、取り出し、フライパンに油で炒め、ゆで汁を少し入れ煮て、片栗粉を水で溶かしたものを回しいれ、出来上がり。それをご飯にかけるだけ。調味料は、ガラスープの素だけだが、素材から出る出汁と片栗粉の甘さで、割と食せる。薄味だが、慣れれば大丈夫。薄味に慣れることが大切。

*追記

どうしても物足りなかったら、にんにく、しょうが、ごま油で風味をつけるのもいい。また、ゆで汁は、生姜を擦ったものやネギを加えてスープにするのもいい。

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2016年8月22日 (月)

台風・大雨対策

朝は、多少気温は下がっても、日中出かけると焼けるような暑さだ。お盆も過ぎたのに、この暑さ、多少、夏バテ気味。止む無く、昼寝を取り入れた。その点、現役でないので気楽だ。

でも、昨夜は、深夜になっても気温が下がらず、部屋によっては38度。信じられない暑さ。暑いのは好きだが、これは限界を超えている。クーラーがなければ眠れなかっただろう。朝起きても、気温を見ると、31度。結局、超熱帯夜であったことがわかる。

さて、天気予報を聞くと、台風が東日本に次々と押し寄せるという。関西は、直撃しないようだが、多少、影響をうけるかもしれない。以前から、台風・大雨対策をいろいろやっているが、基本的に排水がスムーズになるようにすることだ。

親が住んでいる時は、その点、無頓着だったようで、排水は十分でなかったように思う。あちこちに水たまりができていた。それを水の流れをチェックして、排水しやすいように各所を段階的に手入れした。今では、排水は非常にうまく行っている。後は定期的に排水溝のごみを取るだけだ。

自然災害に対しては、万全ということはないかもしれないが、個人レベルでも、できるだけの方策は講じたいものだ。

*追記

姫路市は、治水・土木に理解のある市長が続き、比較的自然災害防災対策は施されているように思う。そして、住民に対しても、様々な提案・指導がされていることはよいことだと思う。そういう意識づけしてくれたことには感謝したい。

*追記

関東圏、首都圏の台風9号による暴風雨が報道されているが、姫路でも、昼過ぎから、強い風雨が襲っている。ただ、断続的だ。しかし、しばらく気が許せない。

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2016年8月21日 (日)

嚢中の錐(のうちゅうのきり)とは

少し前だが、夕食にお惣菜を食していて、食べる寸前、少し光るものが目に入ったが、少し酒も入っており、ままよと口の中に入れてしまった。口の中では、特に違和感はなかった。

しかし、数日すると、胃の中でチクチクする。ああ、あれは針であったかと推定。指切りして、嘘ついたら針千本とは言うけれど、昔、針の1本や2本食しても死なないとは聞いていた。

だが、チクチク感は数日続き不安だった。そして5日目にして、やっと痛みは消えた。やはり食事は慎重にしなければならないと反省。それにしても、悪意によるものか不注意によるものか不明だ。

そういうこともあって、嚢中の錐という言葉があるのを思い出した。嚢(のう)とは袋のこと。昔のことゆえ、頭陀袋(ずだぶくろ)をイメージ。本来は、僧が首にかける袋だが、ここでは粗末な袋。錐(きり)は大工道具で先が尖っている。要するに、袋に錐を入れると、錐の先が出てしまうこと。

実は、この言葉、『史記』が出典だ。趙の恵文王の弟、平原君趙勝は、多くの食客を抱えていた。ある時、秦が趙の都、邯鄲を包囲する。そこで、趙は楚と同盟するため、平原君を派遣する。

その時、食客の中から、文武に通じた者を20名同行しようとするが、19名までは、決まったが、最後の1名が、なかなか決まらない。そんな中、毛遂という者が、名乗り出る。だが、彼は食客になっても鳴かず飛ばずであった。

平原君は危ぶむ。「有能な者は、ちょうど錐が嚢中にあるものの如く、その先が現れるものだ。しかしながら、先生は3年もいて、そんなに優れたという評判は聞かない」と。

それに対して、毛遂は、「私を嚢中に入れてくだされば、錐の先はおろか、頴脱(えいだつ)し出ていたでしょう」と切り返す。頴脱とは、「才能が群を抜いて秀でること」。そこまで言うのならと同行させる。そうすると、交渉は難航したものの、毛遂の説得で同盟が成ったというもの。

だが、実際は、嚢中の錐のように、人材を見分けることは難しい。人材の才能は形がないものゆえ、トップは部下の能力をなかなか見抜けないもの。また評判だけで判断すると間違うこともある。

ある経営者は、日々の観察が大切と仰っていたが、それが正解なのだろう。でも、観察を怠って、針を食した流風は、駄目の典型かも(苦笑)。針は使うもので食するものではないことは確か。

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2016年8月20日 (土)

奇縁と、残りものに福あり

リオデジャネイロ・オリンピックも、そろそろ終わりを迎える。オリンピック報道は、例によってメダルを取った選手たち中心に繰り返しなされる。クーベルタンの言葉(*注)の意義は無視されがちだ。参加する以上、メダルを獲得しなければならないプレッシャーが選手にかかる。

そこから、いろんな悲喜こもごもに至っている。様々な笑顔と涙。これらの映像が、オリンピック憲章に反して、国威発揚の手段に使われるのは世の習い。各国がオリンピックに熱心なのは、そういうことだろう。そういうことはわかっていても、眠い目をこすりながら、リアルで試合をテレビ等で見ている。そういう魅力がオリンピックにあることは事実。

さて、今回のオリンピックで注目したことはいろいろあるが、私は、バドミントンの女子ダブルスで、「高・松」ペアに注目したい。高橋礼華、松友美佐紀両選手の優勝戦での息を飲む試合は面白かったが、それよりも、彼女らがペアを組んだ経緯だ。

彼女たちは、小学生の頃、奈良と徳島の地元クラブにそれぞれ属し、交流試合で決勝戦で対決することになる。その帰りの土産物店で、たまたま一緒になり仲良しになり、文通を始めたという。

その後、同じ高校の先輩、後輩になる。そして、その時の監督が仰っているのには、「たまたま残り者同士ペアにした」という。要するに、「たまたまのペア」なのだ。彼女らのそれまでの交流については、ご存じなかったようなのだ。

ところが、彼女たちは、そのことに配慮されたと思い、やりやすさを感じたようだ。その後、同じ道を歩み、ずっとペアを組んだ。性格的な相性もよかったようだ。これが、ツーと言えばカーという関係を生み、一心同体になって、今回のオリンピックの金メダル獲得につながった。

このように見ていくと、彼女らの奇縁と、残りものに福あり、を連想させる。人との出会いは奇跡だと、彼女らを見ていて思いを深くする。これは米国的な合理的スポーツ育成では、ありえないことだろう。

*注

彼は、「オリンピックは、勝つことではなく、参加することにこそ意義がある」と言ったとされる。正確には、彼の言葉では、なさそうだが、彼は、この言葉に同調したことは確かなようだ。

なお、彼の言葉としては、次のことが伝えられている。

「自己を知る、自己を律する、自己に打ち勝つ、これがアスリートの義務であり、最も大切なことである」と。

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2016年8月19日 (金)

『立体妖怪図鑑』展(兵庫県立歴史博物館)を観覧

兵庫県立歴史博物館で催されている『立体妖怪図鑑』展を観覧してきた。これは、以前、同館で催された『妖怪天国ニッポン~絵巻からマンガまで~』のPARTⅡ版。本来、前回の展示のように、妖怪は平面的なもの。昔は立体的に表現することに対してはタブーの意識が強かったという。

それが近代になって、人形のコレクターの出現で、変容し、妖怪までも立体的に表現されるようになった。現在では、多くのフィギュアが製作されている。更に立体造形のコンテストがされたり、それで町おこしもされるようになった。そういうことで、今回は、前回展示されたような平面的なものも展示されているが、立体妖怪の展示が主体だ。

妖怪というと、幽霊のような恨みというおどろおどろしく恐ろしいものと考えがちだが、多くはパロディー(揶揄や風刺)、ユーモアや皮肉の表現である。あるいは、当時の権力者や力を持っている者への婉曲的な批判でもある。今回は、平面的なものが立体表現されて分かりやすい。よって、作品の一つ一つが、作者の、どういう思いで製作されたものかを感じ取るのも面白い。

そして、各コーナーに子供たちにもわかりやすいように様々な工夫が施されていた。ただ、説明員もおらず、ちょっと不満。せっかく作っているのだから、簡単な説明は必要だろう。説明文を読めばわかるとは言うものの味気ない。この辺が官的催しの限界か。以前は、人が張り付いていたと思うのだが。

また、民間施設であれば、季節的に、館内か、あるいは館外に、お化け屋敷を作って、別途料金を取ることでも人を集められたことだろう。折角、立体妖怪とうたっているのに、単に妖怪画、立体妖怪の展示だけに終わるのは少し残念。

それから多くのフィギュアも展示されていたが、手に取って見ることができないので、限界があると思う。フィギュアは多面的に拡大して見ることができなければ、展示効果は薄いように思う。フィギュアの展示の難しさを感じさせる。

でも、総体としては面白い展覧会ではあった。当日は、高齢の方々が、お孫さんらしき子供さんたちを連れて楽しまれていた。子供さんは、「怖い、怖い」と連発していたが、「大丈夫、大丈夫」と励ましておられた。夏休みの楽しみ方としては好ましい。

2016年9月11日まで。ちなみに小学生・中学生は観覧無料である。

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2016年8月18日 (木)

客家の考え方

以前、客家(ハッカ)について記していると思ったのだが、調べてみるとブログの記事にはしていなかったようなので、改めて記しておく。客家とは、漢民族の一部だ。現在、世界に7000万人程度いるとされる。これは華僑人口の三分一とも言われている。もともとは、2000年前くらいに、戦争や争乱等で中国北部から追われた難民・流民だ。

現在でも、そうだが、難民の生活は厳しい。難民として、彼らは中国北部から南部に逃れるが、彼らが住まいできる場所はない。従来から住んでいる住民からすれば迷惑な存在。そこで、地域の住民がいない山裾の地を新たに耕したりするが、それも更に山奥に追いやられる。

いわば、彼らは賤民扱いで差別され続けてきた。そこで、彼らは独特の生活様式を確立し、強く結束する。そこでは、自然とリーダーシップが養われ、各種の処世術が生まれる。そして、長男だけは跡を継いで残れるが、次男、三男は、出ていかなくてはならない。それは昔の日本の農家と同じだ。職業も、先住者が独占しており、在来の職業には就けない。

そこで、何をしたかというと、識字教育だ。当時は、中国人の多くは文字が読めなかったから、字を知っていれば、なんとか仕事にありつける。その典型が、役所や軍だ。字が読み書きできるだけで、上の地位を獲得できる。彼らの中から、科挙に受かり役人になって出世しているし、軍人も将校になっている。彼らが教育熱心なのは頷ける。

そのため、彼らの中から出色の人物が現れる。例えば、朱子、王陽明、孫文、洪秀全、鄧小平、葉剣英、朱徳、賀竜、寥承志、郭沫若、台湾の李登輝、陳水扁、シンガポールのリー・クアンユー、ゴー・チョクトン。経済人では、タイガーバームで有名な胡文虎、香港の李嘉誠、インドネシアの林紹良、タイの陳有漢、台湾の張永発、等が有名だ。

客家の基本的精神は、次の四つという。

 一、刻苦耐労の精神

 二、剛健弘毅の精神

 三、創業勤勉の精神

 四、団結奮闘の精神

これを、もう少し具体的に記すと、高木桂蔵氏によると、次のようになる。

 一、強い団結心

 二、新取・尚武の精神

 三、文化・伝統保持への自信

 四、教育の重視

 五、政治への高い指向性

 六、女性の勤勉性

彼らの考え方は、基本的に、国や権威は、何の頼りにもならないというところから来ている。国など全く信用しない。日本国民が国の言うことに従順なのが不思議でならない。彼らは、国などを信じることが愚かと考える。

そこから、彼らは目の前の現実を客観的に、しっかり捉え、見据え、的確な判断をし、手段を講じて、なんとか切り抜けることを常に考える。そして、落ち着き先で、血縁、郷縁、語縁等をグループで固め、その地の文化を吸収しつつ、ネットワークを構築する。

そのために、学校を作り、新聞を発行して、情報交換し、ネットワークを強化している。そのようにして、盤石な人間関係を作っていく。それによって作られた信用は大きい。結果的に相互に助け合っている。そのことから、彼らは、「東洋のユダヤ人」と言われることもある。国同士は対立していても、それぞれの国にいる客家人同士は、しっかりつながっている。

われわれ日本人も、彼らから学ぶことも必要だ。そして、いくつかは、すでに学んでいる。例えば、近江商人は、客家の考え方に非常に似ている。彼らが難民がルーツかどうかはわからないが、その発想は非常に似ている。その昔、近江商人は客家人と交流があったのかもしれない。あるいは、その関係の書物を得て、考え方を取り入れた可能性もある。

*参考

客家については、客家研究家の高木桂蔵氏の書籍が参考になる。

  『客家~中国の内なる異邦人』(講談社現代新書)

  『客家の鉄則』(ゴマブックス)

両著作とも蔵書にあったが、古いので今は発行しているかは不明。『客家の鉄則』は、客家の精神を、一、仲の鉄則、二、業の鉄則、三、血の鉄則、四、財の鉄則、五、生の鉄則に分けて、具体的事例に基づき解説してある。

これは客家人に限らず、中国人の考え方でもあると思う。残念ながら、日本の政治家、外交官、あるいは外交研究者・学者は、十分理解していないことが、日中関係をこじらせる要因と思う。この本をできれば一読してほしいものだ。

*追記

ただ、客家人は、同族で固まりすぎる欠点も持つ。よって場合によっては、ビジネスの広がりに限界があるとも指摘されている。しかしながら、概ね大きな賭けをしないので、手堅いとも言える。

*追記

現在の中国のトップは、残念ながら、客家人ではなく、派手な上海人だ。だから、大きな「アドバルーン」を打ち上げ、国際的トラブルが多いとも言える。行き過ぎた行動をすれば、いずれ、ひっくり返る可能性もある。その点、客家人は、なかなか、その本音は見せない面もあるが、その考え方はしなやかで、他者とうまくやっていく能力が高い。

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2016年8月17日 (水)

マット類の処分

生前、滅多に電話のなかった父から連絡があり、実家を掃除してくれないかという依頼があった。話によると、母が、もともと好きでない掃除をさぼり気味で、部屋が汚いという。それならば、父がやればいいと思うのだが、典型的な戦前生まれの父は、決して家事には関与しようとしなかった。

男子厨房に入らずと言うが、それはもちろん、掃除、洗濯は、母が妊娠で入院中も、何もせず、近所の奥さんのおかけで、どうにかこうにか生活できたという困った人であった。それは晩年になっても変わらず、母に、いろんな文句は言うのに、手伝おうとはしなかった。

ということで、母も堪忍袋の緒が切れたのであろう。ついに好きでない掃除で反旗を翻し、ストを決行したわけだ(笑)。万事、整理整頓、きれい好きの父は、これに参って、私に泣きついてきたようだった。

そこで、止む無く、実家に帰り、掃除機で掃除を始めると、小姑のようにうるさい。やれ、「お前は、部屋を丸く掃除するのか。なっとらん」とか。拭き掃除をすると、雑巾が濡れすぎている。もっと強く絞れ」とか。ついには、「誰に似たんや」と嫌ごと。いちいちもっともなことだけれど、人に頼んで文句が多いので、少し嫌になったこともある。

さて、今も、掃除は母に似て、そんなに好きでない。ただ、整理整頓は父に似て、割とする方なので、ごみ屋敷状態ではない。だが、古家だから、本来、毎日、掃除しなければならないのだろうが、手抜きしている。よって、いつの間にか、あちらこちらに埃や塵がたまっていることがある。

それで最近、気づいたのだが、各種マットが掃除の邪魔であるということ。頻繁に洗濯する必要もある。そうしないと、ダニの温床になる。であればと思い、今回、思い切って処分することにした。玄関マット、台所マット、トイレマット、洗面所マット。ただ、お風呂マットだけは残した。

効果は抜群。掃除は極めて楽。マットの洗濯も必要なし。確かに、床の水濡れの可能性は増えるが、随時、拭き取れば問題なし。部屋も、広々とした感じになる。なぜ、今まで、これに気付かなかったのだろう。これで、もう少し、掃除好きになるかも(笑)。

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2016年8月16日 (火)

個人消費の低迷の原因はマイナス金利 2016

過去のデータを追いかけるだけで、消費の現場を知らない一部の御用経済学者は景気が悪くないと言うが、政府の経済系首脳も、個人消費の低迷を認識しているようだ。現在、ほとんど全世帯で消費を控えているのは確かだ。アベノミクスは機能せず、デフレ状況はむしろ悪化している。

ただ、政府経済系首脳が、その解決法に構造改革を挙げているのは解せない。個人消費の低迷の原因は、明らかに日本銀行の政策ミスだろう。世界金融市場の下落途上における過大な金融緩和、マイナス金利の実施だ。

金融緩和による一時的な円安効果は剥げ落ち、結局、元の木阿弥。更に、そこにマイナス金利政策を実施した。これが個人に消費意欲を失わせている最大の原因であることは明らか。いろいろ聞いた限りでは、この政策の結果、確実に消費を減らしている。

不労所得を得ていた人は高級品の消費を控えているらしい。更に本来、あまり関係ない人までも将来に不安を感じて、消費を減らしている。たとえば、将来の退職金の減額の可能性も出てきたから、消費を減らすしかないというムードである。更にマイナス金利は、年金運用の失敗を招き、若い人たちの老後の社会保障の不安も増えている(*注)。

マイナス金利政策は、明らかに政策ミスで、まず、これを撤回しない限り、個人消費は上向かないだろう。そのようにしないのなら、日本銀行の総裁の更迭もありある。政策転換が望まれる。

*注

年金の運用失敗に関しては、そんなに心配いらないという無責任なことを言う専門家もいる。大体、一旦、年金のように巨額な投資をすれば、投資を引き上げることは難しい。利益確定のために株式を売却すれば、株価は下落するからだ。当局は、それを嫌う。そこにトレードオフが生じる。よって、恐慌で株価が下落すれば、見るも無残な姿をさらすことになるだろう。

年金の運用を、株式投資する考え方が、そもそも間違っている。株は、底値で買って、高値で売るのが理想だが、それは現実的ではない。つまり投資としては、非常に難しい。年金のような安全運用が求められる分野で、株式の投資比率を拡大したのは政府の大きな誤りだ。

現実、国家公務員の年金運用は、リスキーな厚生年金の運用と異なり、リスクを回避して非常に慎重な運用をしている。よって運用益はプラス。彼らは、株式投資がリスキーだとわかっていて、民間の年金資金をリスキーな投資に回している。損を被るのは、民間の人間だ。

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2016年8月15日 (月)

棚経とハグロトンボ

お盆の間も気温が高く、夜になっても、なかなか下がらない。寝苦しい日が続く。そんな中、ツクツクボウシが鳴き始めた。彼らは夏の終わりを感じているのだろうか。まだ、ちょっと、そんな感じはしないが、昆虫たちは、季節を早く察知するのだろう。

さて、お盆ということで、毎年、棚経がある。仏壇のない方のために一応記すと、お盆等に、お坊さんが檀家を一件一件回り、お経をあげることを指す。今年も、例年のようにお経をあげてもらった。

ただ、今年は意外なことがあった。お経をあげられているところに、どこから入ったか、ハグロトンボが、仏壇の前をうろうろ飛んでいた。さすが、お坊さんは、気にせず、お経をあげておられたが、こちらは気になって仕方なかった。

ハグロトンボの黒い羽は、ちょうどお坊さんの袈裟と雰囲気が似ている。何かが呼び寄せたのだろうか。お盆は、長いこと経験しているが、これは全く初めて。そして、お経が終わると、いつの間にか、去ってしまった。いいことか、悪いことかはわからないが、いい方に取っておこう。

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2016年8月14日 (日)

李白が先人を敬慕した詩

誰でもそうだが、先人や先輩を敬い慕う人物がいると、それが励みになる。李白の場合は、南斉の詩人、謝朓(しゃちょう)が、その一人であったようだ。彼が宣城の太守であった頃、町の北に一つ楼を建てた。李白の時代に、まだ、それが残っていて、彼はそこに登って、五言律詩を作っている。『唐詩選』にあるもので、題は、「秋、宣城の謝朓の北楼に登る」というもの。

 江城は画裏の如く

 山晩(く)れて晴空を望む

 両水 明鏡を夾(はさ)み

 双橋 彩虹を落とせり

 人煙 橘柚(きつゆう)寒く

 秋色 梧桐老ゆ

 誰か念(おも)わん 北楼の上

 風に臨んで謝公を懐(おも)わんとは

解釈が難しく、いろんな見解があるようだが、自分なりの解釈を示しておく。

「川沿いの風景は、まるで絵に描かれたような感じだ。山は暮れると、はるかに晴れ渡った空が見渡せる。二つの川の川面は、まるで両方から鏡を挟んだよう。川に架かる二つの橋は、沈む太陽を浴びて、鮮やかな虹色に染まっている。

また人家には煙が上がり、それがかかって、青いスダチとユズを寒々しく見せている。秋が深まる中、青桐の葉は、枯れている。ああ、誰が、このように思っただろうか。北楼の上で、この私、李白が、風に漂うように身を任せ、ここに立ち、かつて、謝公も、同じことをしたことを偲ぼうとは」ぐらいか。

李白は、時代は違えど、謝朓と同じ経験をできることを素直に喜んでいる漢詩と言えよう。それほど、彼は謝朓を敬慕していたということがわかる。果たして、謝朓とは、どんな人物で、どんな作品を残しているのだろう。今後の関心事でもある。

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2016年8月13日 (土)

生椎茸の怖さ

先日の報道で、バーベーキューで、生焼けの椎茸を食して、皮膚炎を起こした例が紹介されていたが、生前、父も、「生椎茸は怖い。できれば食しない方がいい。最悪、買った日にすべて火を十分に通して食せ。もし残ったらすべて処分するように。また古そうな生椎茸は絶対に買うな」と言っていた。

父は、胃腸が弱かったので、食に対して、少しうるさかったが、後で確認すると、生椎茸は腎臓によくないらしい。すなわち、腎臓に悪影響して、皮膚炎(激しいかゆみ)を起こす。更に腎臓の悪い人が食せば、死に至ることもあるという。父の指摘は正しかったことになる。

また報道では、生椎茸に限らず、干し椎茸でも、皮膚炎が発生することがあるらしい。たとえば、以前、健康法として推奨されていた干し椎茸の戻し汁をそのまま飲むと皮膚炎を起こす例があるという。あまり、そのまま飲むことはしないが、少し驚きだ。

今のところ、発症の仕組みは不明とのこと。椎茸に含まれるレンチナンが疑われているという。報道では、火を通せばいいとしている。でも、健康に問題を抱えている人は、生椎茸は食さない方がいいだろう。私も、今後も、生椎茸を食することは父のアドバイス通り、控えるつもりだ。

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2016年8月12日 (金)

小泉八雲と怪談

2016年7月16日に、「小泉八雲記念館」がリニューアルオープンしたらしい。ここには、以前、旅行した時に訪れた記憶はあるが、残念ながら、そんなに強い印象はない。多分、さらっと見て歩くので終わったのであろう。小泉八雲、すなわちラフカディオ・ハーンの作品には、子供のころ、怪談として、いくつかの作品に接したが、現在は彼の作品の蔵書はない。

キリスト教を嫌い、それ以前の多神教世界への共感を示したことは、彼の体内に、ギリシャの血やアイルランドの血が流れていることも関係しているのかもしれない。彼が日本に来て、日本の怪談話に興味を持ったのは、そういうことと強く関係していると指摘されている。

今年の夏は大変暑い。クーラーを利かせ過ぎるのも体に悪い。心頭滅却すればというのも、まだまだ未熟な流風には、ちと難しい。こんなことを言っていたら、一生、できないのだろう。そこでは、怪談話がちょうどいい。

例によって、記念館のこともあり、先日、書店をうろうろしていたら、八雲の曾孫(ひまご。すなわち孫の子)の小泉凡著 『怪談四代記~八雲のいたずら~』(講談社文庫)を見つけた。ちょうどいいと、これを買い求めた。

これには、いくつかの実際、経験された怪談話が載っているのだが、それ以上に人間の縁の深さを感じさせる。彼は生まれてから、数々の転居を繰り返している。そして、ハーンの数々の居留地では、彼は有名で、子孫の凡氏が訪問すると、多くの人々が水を吸うように集まってくるという。

そして、小泉八雲一族は、カンが鋭いようだ(*注)。今でも、霊感を強く感じる人はいるが、彼らも、その一族なのだろう。だから、怪談話が自然に受け入れられる。一般人は、疑心暗鬼で聞いている。そして、昔から、そういう人々が伝えてきた話を八雲は集大成したのも確かだろう。

ちょっと怖い話もあったが、著者の勘違いという感じのものも含まれていた。怪談集というより小泉家の不思議の歴史と変遷というような感じ。これを読んでも、暑さはひかないかもしれないが、今の時期でも、さっと読める内容だ。

*注

著者も記しているが、子供は数えで7歳、満で5歳くらいまでは、誰でもというわけではないが、比較的霊感が働く。ただ、それも大きくなるにつれて消えていく。

*追記

ついでに記すと、著者の名前「凡」とは、ボナー・フェラーズから祖父が名づけられたものらしい。ボナー・フェラーズとは、マッカーサー元帥の軍事秘書で、昭和天皇を戦犯から救った将校。

戦前、学生時代、米国に留学していた日本人女性と接し、日本文化を学ぶことになる。そして、来日した時、日本文化を知るには、小泉八雲を読めばいいと言われ、親日家になったという。

その彼が戦後、マッカーサーに無意味な混乱を避け、天皇を民主的に生かすべきと進言することで、昭和天皇が救われる。小泉家とボナー・フェラーズは、そういう関係でつながり、孫に、名前をもらうことになったという。

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2016年8月11日 (木)

日本のあるべき方向性~『日本の転機』を再読

日本は、戦後、実質、米国の支配下にあり、米国との軍事同盟を維持してきた。ただ、いつまでも米国の核の傘の下で核不拡散体制のままでいいのかどうか。微妙な時期に来ているように思う。では、どうすればいいのかという知見は残念ながら持ち合わせていない。

しかしながら、ロナルド・ドーアの本を読むと、彼は一つのヒントを提示しているかもしれない。彼は1925年生まれのイギリスの社会学者だ。専攻は、日本の経済および社会構造、資本主義の比較研究。

その本とは、『日本の転機~米中の狭間でどう生き残るか~』(ちくま新書)だ。先日、再読した。この本の分析は、日本の政治学者にはないものだと思う。2012年の発刊だが、今でも政治家の方も政治家を志す方も、十分参考になるだろう。残念ながら、日本の政治学者は視野が狭く、程度が低いと感じる。

その内容は次のようになっている。

第一部 米中関係の展開と日本

第二部 まぼろしの核兵器

第三部 では、どうしよう?

詳しい内容は避けるが、著者が述べているように、新たな核兵器管理体制を築いて、米国との軍事同盟はゆるやかな解消に向かうことは、日本にとって、よいことかもしれない。そのためにも、日中関係の関係改善は避けて通れない。

個人的認識では、米中関係は、以前にも記しているように、表では喧嘩しても、テーブルの下では常に握手している関係だ。日本政府関係者は、どうしたことか、知ってか知らずか、表の喧嘩をそのままに受け止めている対応をしているのは残念なことだ。

そもそも日中関係は歴史的にも良好な関係の方がいいのが国にも国民にとってもプラス。特に中国国内の安定が、日本に平和をもたらす。大体、中国国内が不安定になると、本来、海洋国家でない中国が海外展開して、周辺国とトラブルを起こすのは歴史的事実。

現在の中国の南シナ海、東シナ海への進出は、中国内の不安定の裏返しの行動だ。トップの政治戦略、戦術が適切でないことは明らか。でも、日本が内政干渉することはできない。ただ、内政の安定に協力できる分野はあるだろう。

そうすれば、中国内政が安定し、日本にとってもメリットが大きい。もちろん、中国が問題にする領土問題も、前に進めることができるだろう。現実的かどうかはともかく、著者も、ある解決方法も提案している。

昔から隣国との付き合いは難しいとされるが、長い付き合いの中国との関係は無視できない。政治家の方も、外遊先に欧米諸国が選ばれることが多いが、もっと中国を選定されてはと思う。そのためにも、この書籍は一読の価値はあると思う。

*追記

一部に誤解を与えてしまったようだが、ロナルド・ドーアの意見は、傾聴に値するが、すべての意見に賛成というわけでもない。念のために、記しておく。

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2016年8月10日 (水)

演劇の世界の厳しさ~映画 『喝采』より

『喝采』というと、私の頭に、まず浮かぶのは、ちあきなおみさんが歌った『喝采』だ。この歌は、偶然、彼女の経験と重なったものという。だから、本来は歌いたくなかったらしい。でも、いい歌だと思う。彼女は最近は見かけないが、どうされているのだろう。

さて、映画にも、『喝采』というものがあることを最近知った。1954年の制作だから半世紀以上前のもの。演劇で生きる世界の厳しさを映画にしたものだ。それは日本の演劇界でも同様だろう。しばらく主演をはっていた俳優や女優が、いつの間にか消えていく。次から次へと若手が出てくるので、多くの人々の記憶から失せていく。そういう怖さがある。

主演は、ビング・クロスビー、グレース・ケリー、ウィリアム・ホールデン。もともと舞台劇だったらしい。かつてミュージカル・スターとして活躍していたフランク・エルジン(ビング・クロスビー)は、自らのちょっとした不注意で、子供を交通事故で失う。

その責任を強く感じ、それ以後、酒に溺れ、それが影響してか演技にも精彩がない。よって、出資者や演劇評論家の目も厳しい。ますます自信喪失し、少しノイローゼ状態。そこに、かつての彼の演劇に強い魅力を感じていた若き演出家バーニー(ウィリアム・ホールデン)から新作舞台の出演要請が入る。

彼は自信がないので一旦断るが、子供の事故以後も献身的な若い妻ジョージー(グレース・ケリー)の説得を受けて、止む無く挑戦することに。ただ、うまく行かない。バーニーに、その理由として、妻のジョージーが子供の事故以来、何度も自殺未遂を起こし、それに悩まされていると言う。

そのことに怒ったバーニーは、ジョージーに厳しく当たる。実は、これは彼の彼女への思いを隠すものでもあった。しかしながら、何回か厳しく当たったところ、フランクの言っていることが嘘で、真実がわかり、バーニーは、ジョージーに同情し、思いの枷が取れてしまい、ついにキスしてしまう。

このことがあり、彼女は、長い間、夫に愛されてなく、女を取り戻し、彼によろめく。そして舞台の方はというと、本来、心優しいフランクは、主演なのに、その名の通り、周囲に威張ることなく、気軽に脇役等に声をかけ、多少の失敗も慰めるほどなので、評判はいい。

そういうこともあり、彼は舞台感を取り戻し、周囲の頑張りもあり、段々喝采を受けるようになり、舞台は成功する。そうなると、出資者や評論家も、言うことが変わり、態度がコロッと変わる。演劇の世界は喝采がすべてなのだ。

そして、フランクは、薄々ジョージーとバーニーは年齢も近く、お互い好き同士とわかっていて、彼らに直接、今後のことは君たちで判断してくれと、静かに去る。しかしながら、貞節が強い田舎娘のジョージーは、バーニーを残し、フランクを追いかけていく。

映画の原題は、なんと、THE COUTRY GIRL だ。つまりバーニーがジョージーに強く感じた思いを題にしている。突然キスされて、少しよろめくが、自分の役割をしっかり認識して、夫を今後も支えていくと覚悟した貞操堅固な女性という意味かも。

逼塞して零落したフランクに愛されることもない妻のグレース・ケリーとキスされてよろめき女を取り戻したグレース・ケリーの落差は大きい。この辺の女性心理を、演出も彼女の表情もうまい。

それはそれとして、演劇者は大変な仕事と思う。私生活も大きく演技に影響する。自己管理だけでは済まない。家族、周辺まで含めた支えが必要。ストレスもたまると思う。それに人の評価は水物。いつまでも高い評価を受けられるとは限らない。

でも、彼らはきっと喝采の瞬間が忘れられないのだろう。どんな仕事も大変なことは大変だが、私には絶対無理(笑)だと感じさせる映画です。

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2016年8月 9日 (火)

中小金融機関の開発融資は成功するか

金融庁の方針転換により地方銀行や中小金融機関は、疑心暗鬼ながら、開発融資(リレーション・バンキング)を増やそうとしているらしい。開発融資とは、融資先に経営支援して、融資を増やすこと。この手法は、バブル崩壊時、批判の的になったが、今は依然として、デフレ状況。企業を取り巻く環境は依然として改善されていない。

日本銀行は、金融緩和政策を、取っているが、中小企業の活動は概して鈍く資金需要は弱い。そこに金融庁は、融資の足かせになっていた今までの金融検査のやり方を見直し、企業に積極的に融資するための手法として、開発融資を促しているようだ。

ただ、この融資は、金融機関にもリスクを伴う。よって自己資本比率を高め、引当金を積極的に積むことが求められる。中小企業経営者の見える範囲は案外限られている。そこに金融機関がアドバイスして、経営資源を有効に活用すれば、新しいビジネス展開も可能とみているようだ。

しかしながら、バブル崩壊後、金融機関には、事業の目利きできる人材がいないとも言われている。金融庁の思惑を実現するには、まず中小金融機関のトップのリーダーシップが問われることになるだろう。

*参考文献

橋本卓典著 『捨てられる銀行』(講談社現代新書刊)

金融庁の最近の動向を記している。ただ、行き過ぎた開発融資は将来、問題になるかもしれない。すなわち、融資に甘くなりがちだから。本来、金融機関の役割は、「貸さないこと」。今の金融情勢は超低金利融資競争で、異常とも言える。

開発融資に対しては、地域の事情もあると思うが、企業側の主体性が問われる。金融機関との付き合いは、肝胆相照らし、真剣に考えるべきかもしれない。あなた任せでは、成功は覚束ないことは確かだ。

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2016年8月 8日 (月)

皮膚の弱い人

アレルギーに限らず、皮膚の弱い人はいる。何を隠そう私も、若い時、よく皮膚が、かぶれて大変なことになったことがある。

  • 一つの原因は、洗濯用合成洗剤だった。ある時、母に言われて、粉石鹼に変えたところ、しばらくして改善した。以後、合成洗剤は使っていない。柔軟剤等も使わない。
  • 最近は、粉石鹸は結構探さないと見つからないが、ないこともない。今は、あるメーカーの無添加の弱アルカリ性液体洗剤を使っている。それでも、今のところ問題なし。
  • 衣服によっては、クリーニングに出すこともある。ただ、いろんな洗剤が使われているらしく、衣服が直接皮膚に当たるとかぶれることがある。特に問題なのが、ズボン。そのため、できるだけ、ズボン下を、はくようにしている。
  • 後、皮膚の弱い人に問題が多いのが、シャンプーとか入浴剤と言われる。シャンプーは、硫酸を含むものを避けよとか言われるけれど、なかなか難しい。意外とシンプルなものがいいようだ。今は、某歯磨きメーカーが出しているシャンプーを使っているが、肌への影響もなく、抜け毛の量もかなり減った。
  • また入浴剤は、確かに気持ちいいのだが、肌に良くない成分も含まれることもある。できれば、使用しない方がいいだろう。
  • それ以外で注意すべきことは、個人的見解だが、腎臓にやさしい食事を摂ることだろう。すなわち、やはり外食・中食を極力避けるべきだということ。別に高血圧でなくても、塩分の制限は、腎臓にいい。それは肌に影響するだろう。
  • 仕事によっては、外食・中食に頼らざるをえないかもしれないが、工夫が必要だろう。それに、小麦粉を使った食事は避けた方がいいだろう。女性はパン類・ケーキ類を好むようだが、避けた方がいい。また水は大切だ。良い水は昔から肌にも健康にも好いとされる。

  • また紫外線を避けるため、陽に当たらないという人もいるが、長時間はともかく、短時間であれば、皮膚の弱い人でも健康の効用もある。極端な紫外線対策は勧めない。

  • その他では、十分な睡眠と体の体質を徐々に変えていく漢方薬がいいとされる。ただ素人療法はよくない。専門家と相談して取り入れるのはいいかもしれない。
以上、参考になれば幸いだ。

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2016年8月 7日 (日)

姫路文学館リニューアルオープン2016

姫路文学館が、改装を終え、先日(2016年7月30日)リニューアルオープンしたので、観覧してきた。文学館としては、比較的規模が大きいのだが、今回から北館のみ有料で、南館は無料となる。ざっと見た感じでは、「文学館」というより、「文化博物館」の趣が強い。それは私の望みでもある。

さて、その展示内容だが、北館の常設展示として、「姫路城歴史ものがたり回廊」というものが設けられた。確か、「姫路城博物館」のようなものが将来、できるはずだが、それの先行展示のように感じられた。当面、姫路城に行かれる方は、この展示を見に行かれてもいいだろう。

内容は、姫路城の歴史を映像とイラストで姫山とお城にまつわる物語を紹介しており、じっくり鑑賞すれば、結構な時間がかかるかもしれない。続いて、文学館らしく「ことばの森展示室」がある。そこでは、播磨ゆかりの作家・学者たちの印象的な言葉や、その人生の出会いを楽しめるようになっている。彼らの言葉をワンフレーズ触れるだけで、彼らの思いが少しわかるような感じ。

その他では、入り口付近に、「播磨国風土記マップ・播磨ものがたりマップ」が展示され、播磨の出来事や伝説の地が検索できるようになっていた。企画展示室は、定期的に展示替えするということで、今回は和辻哲郎を取り上げていた。

そして、今回の目玉は、リニューアル記念特別展として、「上橋菜穂子と<精霊の守り人>展」が開催されていた(2016年9月19日まで)。上橋菜穂子は、人気児童文学者らしいが、存じ上げない。この話は、確かNHKで放送されていたが、残念ながら視聴していない。内容は、ざっとした感想では、古代アジアをイメージして描かれたものと思う。古代ロマン好きには、たまらないものらしい。若い人たちが、熱心に観覧していた。

南館は、司馬遼太郎記念室を若干手直しし、図書室を整備している。親子で楽しむ「よいこのへや」もあった。そして、北館にあったカフェが、南館に移動し、新しいカフェになっていた。従来、文学館に用がないと利用しなかった人も、これで利用しやすくなる(カフェのみ午前9時オープン)。地域の人や来館者の憩いの場になるだろう。

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2016年8月 6日 (土)

日本を右傾化させて困惑する米国

基本的に、戦後一貫して、米国としては、日本の政権を意のままに動かすことを基本的方針としてきた。そもそも自民党は、米国肝いりの政党だ。よって米国にとって都合のいい政党。もし、逆らえば、政権を引きずりおろせばいいと考えているのは明らか。

そもそも、日米同盟といいながら、日本の外交権は実質、米国の手の中にある。日本は勝手な外交はできない。勝手なことをしないように常に圧力をかけている。そして日本に外敵の危機を煽って米軍を駐留させ、アジア全体を睥睨する。

そのためには、日本を右傾化させ、軍の必要性を持たせ、米国の軍需産業に貢献させる深謀だった。ところが、見込みより、日本が右傾化し、反動右翼で国家主義者が政権を握っていることに懸念を持ち始めた。

第三次安倍再改造内閣は、反動右翼・国家主義者の集まりのようである(*注)。残念ながら、米国の懸念は反映されず、むしろ強化されている。これで思い出すのが、9年前の2007年の拙ブログ記事「日本スルーは起きるか」より再掲すると次のように記していることだ。

「現米国政府は、日本に国際的武力行使を求めるために、国家主義に走らざるを得ない憲法改正を求めておきながら、他方、安倍政権が憲法改正論議も含めて、国家主義に傾いていると感じているようだ。もちろん、これは米国の政治状況の変化もあるが、このように日米同盟は万全ではない。

この点に関しては、海外経済誌は、相当前に、米国の政策が、日本を右傾化させると警告していた。自民党は、実際、全般的に右傾化しているのは確かだろう。民主党だって、前代表は、かなり国家主義的である。

しかし、外部の警告にも無関心で、兵器産業に煽られた安倍政権の無邪気な発言は、結局、国益を害する。この原因は、政治家の哲学の欠如・主体性の欠如と言わざるを得ない。単に世界の情勢に流されて、何の哲学もなく、目先だけを見て何も考えていないのだ」。

当時、この記事を記したことは確かだが、海外経済誌ほどの危機感はなかった。今にして思えば、彼らの指摘は正しかったことになる。米国の戦略の結果、自民党が国家主義者に乗っ取られて、迷惑するのは一般国民だ。戦後民主主義の危機だろう。米国も、安全保障政策を変更することを迫られている。日本が民主主義を失えば、元も子もなくなることは明らかだから。

*注

この点に関しては、次の書籍が比較的平易で詳しい。一般人にも、よくわかる内容だ。

山崎雅弘著 『日本会議~戦前回帰への情念』(集英社新書刊)。改造前の第三次安倍内閣と日本会議・神道政治連盟の関わりを示している。今回、大臣の入れ替えがなされたが、基本は変わらない。現在の自民党は、彼らに乗っ取られた感じだ。

*追記

日本の若い人の右傾化にも困ったものだ。生まれた時から情報社会に抵抗なく生きる彼らは、一つの情報に疑いもなく受け入れ影響されやすい。さらに、日本青年会議所も、そういう雰囲気を醸成する場となってしまっている。自民党議員で、右翼的極論発言をするのは、ここに在籍した者が多いだろう。明らかに、仕組まれている。正しい歴史観を持ち、自分で考える主体性のある若者の育成に努めなければ、日本の将来は危うい。

*2017年2月27日

日本会議の幹部が運営する学校法人森友学園に国有地をタダに近い価格で払い下げ大問題になっている。あり得ないことが起こっているわけで、政治家の関与は間違いない。取引の交渉記録も証拠隠滅されており、国土交通省の官僚だけの判断でできることではない。

自民党は、日本会議とずぶずぶの関係になっており、彼らに乗っ取られているという人もいる。その関係で安倍首相夫妻も巻き込まれている。更に日本維新の会も大きく関与しており、彼らに配慮している。政界を揺るがす大疑獄に発展する可能性がある。

 

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2016年8月 4日 (木)

大阪の食の常識は実はダメだった

昔から、大阪では、お好み焼き、焼きそば、麺類に、ご飯とみそ汁を付ける定食が普及していた。これは若い時、何の抵抗もなく食していた。

ところが、東京から来た人は強い違和感を持っていた。関西人には、それが不思議で仕方なかった。さすがに、今は、そのような定食を食することはないが、懐かしい食である。

しかしながら、大阪府の調査で、この食を好む傾向のあるのは、肥満気味の人が多いと判明。これらの料理を食べる人は、男性で約6割、女性で約5割で、週1回以上食しているらしい。世代別では65歳以上の頻度が高かった。

この結果を踏まえて、大阪府は、このような食習慣を控えるように言っている。大阪人に限らず関西人にとって、厳しい結果だ。大阪から、このような定食は、なくなるのだろうか。健康のことを考えると、大阪の食文化は、残念ながら非常識だったと認めざるを得ないが、寂しい感じもする。

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2016年8月 3日 (水)

姫路城石垣関係の書籍発刊される 2016

熊本地震で、熊本城の石垣の崩壊が注目されましたが、石積みの方法は、現在、限られた職人しか伝えられていなくて、復興には時間がかかると報道されていました。石積みの方法は、日本では、古代の石棺の石積みが始まりのようです。それが代々限られた人にのみ伝えられてきた結果、技術を持った人が少ないということのようです。
 
さて、最近、姫路城の西側にある中堀で、特定外来生物ヌートリアが初めて見つかり、変な注目を集めている。というのは、ヌートリアは、石垣の隙間に入り込んで巣を作れば、強度が低下するため、石垣の崩壊の可能性があり警戒しているのだ。
 
市によると中堀は船場川と複数の水路を介してつながっているという。よって水路を通って、中堀に入ったと推定されている。すでに6匹を捕獲しているようだが、まだいるかもしれない困った存在。しかしながら、とんだ天敵がいたものだ。駆除を徹底してほしいものだ。
 
それはさておき、今回、昨年、出版された『姫路城石垣の魅力』(姫路市立城郭研究室編)という冊子の増補版が発刊された。構成は次のようになっているが、以前より若干詳しくなっている。石垣ファンには逃せない一冊だ。構成は次のようになっている。
 
Ⅰ 石垣の知識
 
Ⅱ 姫路城石垣の変遷 (中曲輪)
 
Ⅲ 姫路城石垣の石材
 
Ⅳ 姫路城石垣の修理
 
Ⅴ 姫路城石垣の調査と研究
 
以前との差異は、「石垣の構造と特徴」、「転用材」、「刻印」に関して、やや詳しくなっているが、価格は、以前と同じで500円(税込み)。部数には限りがあるようだ。販売は、姫路市立城郭研究室、ジュンク堂姫路店等。石垣に興味のある方は、入手してもらいたい。
 

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2016年8月 1日 (月)

ブログ少し休憩します

パソコン不調のためブログ少し休憩します。ちょっとした夏休み(笑)。

*追記

パソコン不調の理由は、つい先日、急にココログ接続ページにつながらなくなり、関係者に確認すれど、どうにもならず状態が続いていました。そこで、パソコンのあちらこちらをいろいろやった結果、訳がわからない状態になり、お手上げになりました。

原因は、確としたことはわかりませんが、結局、パソコンをリフレッシュして、Windows10を落とした結果、つながるようになりました。ここにたどりつくまで、いろいろやって疲れました。未だにパソコンのことが十分理解できていない素人さで自己嫌悪に陥り、ブログを少し休む次第です。

ただ、ネタはたまっているので、できれば数日内に再開したいと思います。

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