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2016年8月27日 (土)

戦争の悲惨さ~乃木希典の漢詩から

明治時代、日本の支配層は、欧米列強の植民地政策やロシアの南下政策に慄然とした。日本も彼らの支配下に置かれないかという強い危惧だ。そこで富国強兵政策を取る。それは自然な流れであったかもしれない。

ただ、過剰な危機感が戦争を招いたことも事実だ。朝鮮半島支配をめぐる日清の対立から戦争を起こし、のちに満州をめぐるロシアとの対立から日露戦争に突入する。だが、日清戦争はともかく、日露戦争は国力からすれば、とても戦える戦争ではなかった。

この戦争で、両国は多くの死者を出し、恨みを双方に残した。そして、お互い国力を大きく損なっている。他に方法はなかったのだろうか。ロシアという見えない恐怖が先に立ち、戦争心理に追い込まれていった当時の為政者を責める気はないが、むなしい感じがする。

日本は、多くの文武に秀でたバランス感覚のある有能な多くの軍人を、この戦争で失い、経済を破綻させ、その後、無能な軍事オタク指導者による軍事国家に突き進み、ついには、国家を破綻させている。

さて、今回取り上げるのは、日露戦争の司令官であった乃木希典(のぎまれすけ)の有名な漢詩だ。彼は、文武に秀でていたと言われるが、複雑な人生行路を歩んだ、どちらかというと文人だ。そして明治天皇に愛された。ただ武官としては、その能力には疑問が呈されている。

彼は、日露戦争に第三軍の司令官として派遣されるが、それまでにも多くの戦死者を出していた。第二軍が金州城の戦いで、ロシア軍を旅順に壊走させるが、日本軍の被害はロシア軍より大きかった。その後を視察するため、金州城に行った時、作詩した。

それが、「金州城下の作」と言われる漢詩。明治37年6月7日の作。詩は、彼の長男が金州城の戦いで戦死の報を受け、作ったものとされる。ただ、名目は、「戦死者の英霊を弔う」としている。

 山川草木転(うたた)荒涼

 十里風腥(なまぐさ)し新戦場

 征馬前(すす)まず人語らず

 金州城外斜陽に立つ

「戦争の爪痕は、山や川、そして草木は荒涼と殺伐としている。戦いが終わった戦場跡は、ロシア軍や軍馬が倒れ、十里四方、血生臭い風が吹き渡っている。馬は歩みを止めて、決して前に進もうとはしない。将兵たちも、(戦いをすれば、無惨にも自分たちも、こうなるのかと平時の感覚を取り戻して)何も語ろうとしない。金州城の町外れに落日が差し込んでいるところに(息子を失った虚しい気持ちで)立っている」と、いったような解釈だろうか。

この詩を作って約10日後に、乃木軍は旅順に入る。彼の支配下にある多くの軍人は、彼の下では、いつでも死ねる覚悟ができていると言うほど人望があった。ただ戦術がまずかったため、多くの死者を出し、ついには児玉源太郎大将に任さざるを得なかった。

戦後、彼は多くの死者を出したことで責任を取り自害を決意するが、明治天皇の制止で、それはできなかった。彼の二人の息子も、この戦争で失っている。後、明治天皇崩御に伴い、夫婦で自決している。なお、旅順を最終的に陥落させた児玉源太郎も、帰国後、精神が不安定であったという。

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