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2016年9月17日 (土)

シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』再読

先日、久しぶりにシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』を再読した。シーザーは常に民衆側にあったが、やがて独裁者の道を歩む。それに対して不安を抱く共和主義者たち。これをシェイクスピア独特の視点で、シーザー暗殺と、その後の権力闘争を描いている。

一つには、男の嫉妬であろう。かつて自分と同じ境遇であったのに、なぜ彼だけがと、強く思う読書家のキャシアス。だが現実主義者の彼はシーザーと違って金にも汚い。キャシアスの陰謀に巻き込まれるブルータス。彼は金にはきれいで、理想主義者ではあるけれど、現実を見ることが弱い。だけど金は欲しいという奴。

両者の組み合わせは微妙だけれど、一応、クーデターによってシーザーの暗殺は成功する。だが、アントニーアスは、この機を逃さず、権力奪取に動く。彼はシーザーの死を利用して巧妙な演説により、民衆を味方につけ、キャクアス、ブルータスを謀反者と決めつけ、オクタヴィアスを巻き込み、彼らを滅ぼす。

すなわち、もう一つは、男は権力というものに魅了されやすいということかもしれない。そして民衆は、彼らに利用されやすいということだ。現在、東京でわいわい騒いでいることも、一つの権力闘争と見ることもできる。主人公は女性だけれど(笑)。よって、『ジュリアス・シーザー』を読むと、何が正で何が邪であるかは、判断が難しいと教えてくれる。物事は、最終的には、落ち着くところに落ち着くのだが(*注)。

*注

政官財の癒着は、大疑獄に発展する可能性もある。ただ、それも権力闘争の一つと見ることができる。最終的に、都民にとってベストの状態になることがいいのだが。

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