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2016年10月 9日 (日)

子供の名前と一休と言う名

子供が生まれると、一般的に親は悩みながら名づけをする。最近は、いい加減な名を付ける人もいるようだが、それではちょっと可哀想。確かに、昔、子だくさんの家は、名づけるのが大変なため、「一、二、三、四、五、、、、、」と頭に付けて、後は適当に、夫や子を付けていた例もある。でも、今は子だくさんではないだろうから、もう少し考えてほしいものだ。

名前は、子供が一生抱えるものだ。まず、文字の方は戸籍に記されれば、その後、変更できない。女の子は、結婚すれば、一般的には姓は変わるが、名前は変わらない。姓名判断は迷信の一つかもしれないが、姓との画数バランスは求められる。それで受ける印象は違うからだ。

更に、「音」の方も大切。一生、他者から呼ばれることは、微妙に心理的に精神に影響する。よって長期には、性格に影響する。このことを無視する親は多いが、むしろ、こちらの方が大切かもしれないと思う。

さて、一休禅師は、なぜ一休と名付けたかを少し記してみよう。この「一休」というのは道号で、本来、戒名の上に付けるもの。彼の戒名は「宗純」だが、彼は生前から、「一休宗純」と名乗っていたようだ。

一休も、そう呼ばれる前、彼は師の華叟から『無門関』の第十五則を解くように言われたが、長く苦しんだ。それが、ある時、盲目の琵琶法師を見つめているうちに、一つの結論に達する。そして、歌にして師に示す。

 有漏路より 無漏路へ帰る 一休(ひとやすみ)

  雨ふらばふれ 風吹かば吹け

有漏路(うろじ)の「漏」とは煩悩のことで、煩悩の世界、よって無漏路とは、煩悩のない世界となる。これらの世界に、たいした距離はない。ちょっとした機会で、有漏路から無漏路に行ける。彼は、これらの中間で一休みする境地にいる。すなわち悟りの世界にいる。そうなれば、雨風は大したことではない。もう、こだわりがないのだから、というような趣旨。

この歌を見せられた華叟は、「今後、お前は、一休と名乗るがよい」と言ったという。だから、字(あざな)という感じもするが、これが彼の通り名になった。この名づけをいい加減と取るべきかどうか。深い意味があることを案外、人は知っていない。

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