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2016年10月24日 (月)

晩年の良寛の恋

元知事と元女優の老いらくの恋が話題になっているが、元気な余生と言えよう。超高齢社会では、高齢者も様々だが、恋愛も珍しくない現象かもしれない。ただ、元気であっても、晩節を汚さないようにしてほしいものだ。

さて、孤独感が強く、浮いた話など、あまり聞かない良寛だが、晩年、恋に近いことがあったようだ。彼の場合は、プラトニック・ラブに近いかもしれない。相手は、貞心尼という女性。医師の夫と23歳ごろ死別して、その後、出家している。

彼女は、美人の誉れ高く、歌文にも秀でていた。その彼女が30歳ごろ、春に良寛を訪ねた。そして、次の歌を呈して、良寛の法弟になることを願い出る。詞書には、「師常に手まりをもて遊び給ふとききて奉るとて」とある。

 これぞこの 仏の道に 遊びつつ

   つきや尽きせぬ 御法(みのり)なるらむ

当時、良寛は70歳くらいで、籠っていて留守にしていた。秋に、この歌を見て返す。それが次の歌。基本的に、この時点では、本人に直接会っていないので、真面目に返している。

 つきてみよ 一二三四五六七八 九の十

   十とをさめて またはじまるを

手まりをつくように、仏の修行も繰り返すことが大切と詠んでいるようだ。その後、良寛との交流は74歳で亡くなるまでだ。よって4年弱の間の交流ということになる。良寛は、貞心尼が、訪ねてくることを、ことのほか喜び、それを歌にして残している。

 君や忘る 道やかくるる このごろは

   待てど暮らせど 音ずれのなき

やはり貞心尼が美人だったことが影響しているのだろうか。あるいは詩文を高く評価したからであろうか。首を長くして、彼女の来訪を持っている気持ちを表している。待つ身は辛いものだ。

貞心尼は良寛と違い、結構忙しく、そんなに頻繁に訪れることはできないことを考慮しない歌(笑)。それでも、晩年の一休のような恋とは異なり、貞心尼の美しさに惹かれながらも、精神的な心の交流を楽しんだようだ。

*追記

貞心尼は、良寛の没後、良寛とのやり取りをまとめ、『はちすの露』という本にまとめた。

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