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2016年11月13日 (日)

怨みに報くゆるに~『老子』第六十三章から その一

久しぶりに『老子』を取り上げてみよう。今回は、第六十三章。長いので、何回かに分けて読んでいく。

無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。

小を大とし、少を多とす。

怨みに報くゆるに徳を以てす。

難を其の易に図り、大を其の細に為す。

天下の難事は、必ず易に作(おこ)り、

天下の大事は、必ず細に作る。

是を以て聖人は終に大を為さず。

故に能く其の大を為す。

夫れ軽諾は必ず信寡く、多易は必ず難多し。

是を以て聖人すら猶之を難んず。

故に終に難きこと無し。

例によって、いろんな解説書を読んでみたが、やはり諸橋轍次氏の解釈は怪しい。日本語になっていない。彼は故人だが大学の名誉教授で文学博士。でも、彼の解釈は、いつ読んでもちんぷんかんぷん。果たして、彼が『老子』を正しく解釈していたのか、きわめて怪しい。

次に、山室三良氏の解釈は、諸橋轍次氏の解釈よりはましだが、学者的分析評論になって、全体の解釈を示していない。よって一般人向きではない。

やはり王明氏による解釈が一番分かりやすい(『老子(全))。彼の解釈に山室三良氏の解釈を取り交ぜながら、自分なりに解釈しておこう。

まず「無為を為し、無事を事とし、無味を味わう」。無為とは有為の反対。有為が智や功と考えると、無為の意味がわかる。無事とは、これも有事の反対と考える。有事とは成功や功業を指すと考えると、おのずと無事の意味が分かる。そして、無味とは、有味の逆と捉えればいい。有味とは、利欲と考えればいい。さすれば無味の意味が分かる(*注)。

次に、「小を大とし、少を多とす。怨みに報くゆるに徳を以てす」を見ていく。これは要するに、大きい小さいに関係なく、多くても少なくても関係ない」と次の言葉に続く。「怨みに報くゆるに徳を以てす」とは、「どんな怨みに対しても、徳によって対応していく」と。

ちなみに、「怨みに報くゆるに徳を以てす」は、蒋介石が、戦後、日本に対する賠償金を請求しないとした時に発した言葉として有名。これに対して、いろいろ言う人たちがいるが、逆の立場に立った時、果たして、日本が、そのように対処できたかどうか。父さえも、大陸の人は言うことが違うと感心していたことを思い出す。

*注

王明氏は単に「味なき味」と解釈している。これでは、何のことか分からない。解釈としては、やや問題があるように思う。

次回に続く。

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