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2016年12月25日 (日)

桜井源兵衛のこと

小学生の頃、読本で、「桜井源兵衛」の話を読んだことがある。母からも、小学生に上がる前から、何回も聞かされていたので、よく覚えている。内容は、池田輝政指揮のもと、慶長十四年、姫路城天守閣が落成する。ところが、完工したのに、築城した棟梁の桜井源兵衛が投身自殺した。

理由を探ると次のようであった。工事を終えた源兵衛は妻を伴って天守閣に登る。ところが、妻が意外なことを言う。「この天守は巽(たつみ)の方向に傾いているように感じる」と。巽とは東南の方向。これを聞いた源兵衛は、急いで城を下り、天守閣を見上げると、妻の言うように傾いて見える。責任を感じて、天守最上階からノミを口にくわえて身を投げたというもの。

ただ、この話は事実ではないとも伝えられる。確かに、昭和の調査では、東南方向に約20センチ傾いていたことが報告されている。実は、江戸時代から、そのことは認識されており、目に見える傾きであったと思われる。それに唄にもなっているということだ。

本当の原因は建築物の重さによる地盤沈下と考えられている。よって、建てた時に傾いていたというのは少し無理があるというのが専門家の意見。また桜井源兵衛は、姫路の小利木町に住んでいた地元の大工と伝えられる。ところが、実際、姫路城築城を担ったのは、秀吉に従った志摩の国の宮大工、磯部家一党と推測されている。話が明らかに異なる。

それでも、傾いた城に居た城主の居心地はいかばかりか。実際、池田輝政は、夜になると、城を仰いでおびえたとも伝えられる。いずれにせよ、その後も、江戸時代には姫路城を見上げれば、誰もが少し違和感を感じたかもしれない。また伝説にしても、なぜ棟梁の名前が桜井源兵衛なのだろうか。

*追記

現在、この城の傾きは、昭和の大修理の折に直されている。

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